第15話 揺られて快速、さらば鈍行。♯2

 女二人というだけで、思わぬ所からのお得が降って来ることがある。


 出発から二十分。比較的大きな駅に着いた時、乗客の入れ替えが起こった。


 さらなる都会を目指す人、ここにこそ目的がある人、この瞬間、立ちっぱなしを回避するチャンスが眠っている。


 二人用のクロスシートが空いたその隙を狙う! という程ではないものの、座ることが出来ればラッキー、くらいの考えでいると、同僚と思われる二人のサラリーマンが席を立った。


 チャンス到来かと思いきや、そのすぐ横には、大学生風の男性が一人立っている。その人が座れば、二人掛けのシートは片方が埋まる。私と実結みゆいちゃんのどちらかしか座れないのでは意味がない。諦めよう。そう思っていた。


 大学生風の男性が席を譲る仕草をした。実結ちゃんを見ている。幼い顔立ちの実結ちゃんに気を使ったのか、男性は立っていることを選んだようで。男らしいのか、単にカッコつけたいだけなのか。


 何にしても、これこそ棚から牡丹餅。軽く会釈をして、ご厚意に甘える。


 これが男二人だったら厚意も何もあったものじゃないだろう。彼も、遠慮など皆無でどっかりと座る筈だ。……いや、実結ちゃんの儚さ清純さの賜物だろうか。


 温かなシートに座って談笑をする。立っていた時と声のボリュームは変わらないが、気にし過ぎなくても良くなった気がしていた。


 内容は他愛ない。今、麗奈れいなは何をしているのかとか、仕事はどうだとか、デパートではどこを見て回ろうか、とか。一番盛り上がったのはいわゆるデパ地下のスイーツが気になる、というものだった。


 私にはない落ち着きで、見た目に惑わされなければ、同い年とは思えないくらい大人びた振舞いを見せる実結ちゃんの、相応の可愛らしさを垣間見た気分だ。スイーツにときめく辺りはまさしく女の子。


 女子力なんて言葉がある。家事を人並みにこなせるとか、お洒落に気を使うとか、いくらかの外装でもってその言葉を纏うことは出来るだろう。それでも、この内側から溢れ出る根っこの部分がこうでなくては、所詮全ては偽りなのだろうと痛感する。女の子を気取るのではなく、自然な振舞いから見える彼女の本質こそがすなわち女子力なのだ。異性も同性も、この魅力には抗えないだろうと感じるのも、しょうがない話だ。


 電車が次の駅に到着した。


 降車は少なく乗車は多し。中学生らしき集団が、最後尾車両に大声と共に押し寄せて来た。車内が休日らしさで満ちていく。若者特有の、公共の場であることを考えない声量と、人々から浴びせられる視線をものともしないあの度胸。どちらかと言えば静かな学生時代だった私にしてみれば、ああいうタイプは苦手だ。


「困ったものですね」実結ちゃんはそう言った。


 窓側の席からでも、奇声にも似た話し声が気になるらしい。


「わたし、楽しそうにしているのは好きです。でも、それが多くの人にとって迷惑になるのであれば、自重すべきだと思ってもいるんです」


 それは誰もが持っていて当たり前の感覚なんだろう。だが、実結ちゃんが言うとまた重みが違う。


「あの男の子が怖がっています」


 実結ちゃんは、そう簡単に怒る子ではない。イライラする姿を想像することすら出来ない。


 そんな彼女が、今この瞬間に限ってはそのイメージを覆す。


 あの男の子……一人で祖父母の家に行くと思われる男の子だ。


 乗車時から立ち続けていた男の子も、今は私たちと同じ横列の座席に座っている。大学生風の男性が吊皮を掴んで立っている通路を挟んで、男の子の怯える様子が見えた。


 母親と別れて、一人電車に乗っている子供からすれば、あんな大声で、どう誉めようとしても品があるとは言えない中学生と思しき集団が、怖くないわけがない。


『まじうぜえ』『死ね』『チョーなんたらかんたら』


 そんな汚い言葉が飛び交う車内は、騒がしい彼ら彼女らを除けば、もはや殺伐としていた。乗客の大半が目指す大型の駅まで、残り十数分。その道程が相当の距離であるように感じられ、一秒でも早く到着することを祈るばかりだった。


 かくいう私もその一人。


 そして心配なのは、実結ちゃんが、彼ら彼女らを注意しようとしないか、だ。


 こんな所で口を出せば、実結ちゃんの見た目から、あの集団が攻撃的になることは想像に難くない。もっと大きな騒ぎになることもあるだろう。触れれば誰かが傷つく剣山のような若者たちだ。話せば分かる、と言われるかもしれないけれど、話して分かる人はそもそも他人に迷惑を掛けるような行動を取らない筈だ。危険そのもの。偏見ともとれるかもしれないが、私は彼ら彼女らがそういう生き物だと経験則で判断する。


 ここは無視をすることが最善。もしくは、駅員に注意してもらうように促すしかない。が、この最後尾車両に乗る車掌は、こんなことは日常茶飯事とばかりに己の仕事を全うしていた。


「わたし……」


 実結ちゃんが口を開いた。


 恐れていた自体も間近に迫って来たか、と身構える私に、実結ちゃんは、


「何も出来ないことが辛いです。あんなに男の子が怖がっているのに、わたしでは何もできません……せっかく、一人で頑張っているのに……こんな恐怖は、無用であるはずなのに」


 呟くように、そう悔んだ。


 私の心配など杞憂だった。


 実結ちゃんも自覚しているのだろう。所詮私たちなんて、大学生に席を譲られるような弱い人間なのだ。女二人に出来ることなんて何もない。たとえ中学生相手であっても、強気に出ることすら出来ない、ちっぽけな生き物。


 弱い者が虐げられ、声の大きな者が支配する。そういう世の中だと、私も、おそらくは実結ちゃんも理解している。


 そんな状況下でも、背負う必要のない責任まで背負ってしまう実結ちゃんは、男の子の頑張りまでも背負って、それを悲しんだ。卓出したその思いやりが、本当に眩しくて、私は自身を恥じる。


 実結ちゃんが小さく頷いた。


 何か、決心のようだった。


「あの、せめて、男の子の怯えを取り払ってあげたいんですが、よろしいですか?」


「え……どうするの?」


「私は立ちます。なので、あの男の子には真奈加ちゃんの隣に座ってもらって、少しお話をしてあげようかな、と。ほんの十分でも、一人で過ごすよりはマシだと思うのです」


 自分に出来る最善で、彼女は行動をする。


 窓際の席を空けようとした彼女に、私は「ちょっと待って」と、手で制した。


「私が立つよ。実結ちゃんが隣に座っていた方が、たぶんあの子も安心すると思うし」


 偽善だとは思った。それでも、私にはこれくらいしか出来ない。


 私を席を立ち、男の子に声を掛ける。小学生に声を掛けるなんて、普段なら不審な行動に他ならない。けれど今だけは、他の乗客も口を出してこないだろうし、安心して実結ちゃんの隣へと、男の子を招待した。

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