第15話 摺上原の合戦

 政宗は決戦をしようとしていた。因縁の深い蘆名家とである。


 思い返せば蘆名家とは政宗が家督を相続したときから不和が続いている。大きな視点で見れば祖父の代まで遡ることになるだろう。


 その蘆名家と決戦を挑むために政宗は兵力を南に集中させた。世に言う、摺上原すりあげはらの合戦が始まろうとしていたのである。




   ☆☆☆




 天正十七年(1589年)四月二十二日、政宗は大森城に入城した。ここで蘆名討伐の作戦会議を行うためだ。


 会議に参加しているのは政宗、小十郎、成実、綱元、照姫、月姫の六名である。



「小十郎、兵はどのくらい集まりそうだ」



 小十郎はそろばんをパチパチと叩く。出てきた値に神妙に頷いた。



「我が軍、ざっと二万といったところでしょう」


「うむ」



 政宗は満足そうに頷く。二万といえば政宗が現時点で召集できる最大規模の人数といえるだろう。これ以上集めようとしたら領民に大きな苦痛を伴わせることになる。政宗としてもそれは避けたいところだった。



「して、この二万をどのように動かしますか」



 鬼庭綱元が尋ねる。



「そうだな……」


「ちょいと待たれよ」



 政宗が軍の編成を考えようとしたところ、成実が話しに割って入ってきた。皆が成実に視線を集中させる。



「実は少し前から一人、蘆名家の城主を調略していた」


「ほう」



 政宗たちが目を丸くして驚く。成実といえば武芸の方に目が行きがちで調略などという政治的なことを自らする人物には見えなかったからだ。



「して、その調略した人物の名前は?」


猪苗代盛国いなわしろもりくに


「猪苗代盛国! 猪苗代城の城主ではないか」


「いかにも。これで蘆名は黙っていられますまい」



 成実が怪しく笑う。それにつられるように政宗も大声をあげて笑った。


 猪苗代城は猪苗代湖の北にある会津攻略の基点となる城である。猪苗代城が手に入るか入らないかで蘆名討伐のやりやすさは断然違ってくる。



「成実、良くやった。小十郎、成実と一緒に猪苗代城に行け。蘆名を猪苗代城に引き寄せるのだ」


「藤次郎様はどうなさいます」


「それがしは一気に会津の黒川城を攻め落とす……ふりをする」


「ふり、ですと?」


「ああ、相馬の動きも怪しい。伊達の主力が黒川城に行ったとなれば相馬は田村領を侵してくるだろう。そこでそれがしが率いる伊達の主力を反転させ、相馬を牽制しながら猪苗代城に入る。こうすれば相馬は今回の決戦に参加できない」


「なるほど、御明察です」



 小十郎たちは政宗の案に感服した。これほどまで先を見通しているとはさすがは政宗だと思ったのである。



「蘆名討伐の日も近い。皆、気を引き締めろ!」



 その場にいた皆が、おう、と声をあげる。伊達家の気持ちは一つにまとまっていた。




   ☆☆☆




 蘆名義広は猪苗代盛国の離反を聞くと直ちに黒川城から出陣した。進路は猪苗代湖の西を通る。


 政宗の策は的中した。相馬義胤は政宗率いる伊達軍の動きを警戒して田村領に攻め入ることができなかったのである。


 政宗は猪苗代城に入城した。蘆名義広も政宗との決着をつけるべく、猪苗代城へと進んでいる。


 天正十七年(1589年)六月五日、蘆名義広は猪苗代城から西にある高森山に本陣を置いた。伊達軍はそれを確認した後に猪苗代城から出陣した。


 伊達軍二万三千、蘆名軍一万八千の戦いである。




   ☆☆☆




 政宗は本陣で床几に座っていた。じっと西にいる蘆名義広の軍を睨んでいる。


 風が西から東に吹いている。伊達軍にとっては不利な風だ。照姫はその風を心配して政宗に話しかける。



「お兄様、風が強いですわね。位置を変えたほうがよろしいのではありませんか?」


「いや、これで良い。風はいつ向きが変わるかわからん。潮の変わり目のように、風にも変わり目があるのだ」


「それを待つ、と?」


「うむ、最初は敵に油断させる。勝負は後半からだ」



 政宗は戦いの全体を見通している。一つの事象にこだわっていては全体を見ることはできないのだ。


 政宗はふとあることに気がついた。戦を決定付ける大事なことだ。



「照、おぬしに頼みがある」


「はい。なんなりと」



 照姫はすっと政宗の前に出た。照姫も長い間、政宗とともに戦い、政宗の呼吸がわかるようになってきた。今回も、照姫を信用しているからこそ、このことを頼むのである。照姫はそう信じていた。




   ☆☆☆




 決戦の火蓋は切って落とされた。


 初め、伊達軍は劣勢に陥った。照姫が懸念していた風の影響である。風が粉塵を巻き上げ、伊達軍に向かって襲い掛かってくるのだ。当然、蘆名軍は勢いづいた。


 伊達軍の先鋒の猪苗代盛国、片倉小十郎、伊達成実は混乱しながらも何とか持ちこたえている。


 成実が小十郎に接近して話しかける。



「小十郎、このままでは待たんぞ」


「持ちこたえるのだ。時期が来れば立場は逆転する。それまでの辛抱だ」



 成実は、ちっ、と舌打ちをしながら軍を前に進ませた。成実はこの劣勢の中でも退くことを知らない。猛将といわれるだけのことはある。


 その小十郎たちの劣勢を横合いから見守っている部隊がいた。照姫の部隊である。


 照姫は今すぐにでも救援に駆けつけたい気持ちを抑えて物陰に隠れている。



(小十郎、成実、我慢しなさいよ。もう少しの辛抱だからね)



 照姫の部隊は鉄砲を構えながらじっと動かない。政宗や小十郎の言う『時期』というのを待っているのだ。


 そして、待つこと一時間ほど。その『時期』が来た。



「成実、風が変わったぞ」


「ああ、東から西に吹いている。粉塵を撒き散らしながら蘆名軍のほうへ吹いている」



 今が好機である。照姫も風が変わったことを確認すると鉄砲隊を前に出した。



「風が変わって蘆名軍は苦戦している。ここで横からの攻撃が来れば混乱するはず」



 照姫は物陰から鉄砲隊を蘆名軍の横に現した。蘆名軍は突然現れた伏兵に驚いている。



「撃てー!」



 バンッ、バンッ、バンッ、と連続して火縄銃が火を噴いた。伏兵の攻撃に蘆名軍は混乱した。ただでさえ視界が悪いのにどこからともなくやってくる鉄砲玉に戦意がそがれてしまったのだ。



「今だ、突撃―!」



 成実はこの機を逃さず蘆名軍に突撃した。小十郎の部隊もそれに続く。


 蘆名軍は壊乱した。我先にと逃げ惑う兵が続出したのだ。


 しかし蘆名軍はここで異変に気づく。来たときにかかっていた橋が落とされているのだ。これも照姫の部隊の仕業だった。



「敵の逃げ道はないぞ、攻め滅ぼせ!」



 成実はさらに突撃する。蘆名軍は武器や鎧を捨て、川の中に飛び込んだ。溺れるもの、矢で射られるもの、溺死者は千八百、伊達軍に討ち取られたものは三千五百八十人にものぼった。




   ☆☆☆




 この摺上原の戦いで蘆名家は事実上、滅亡することになる。当主の蘆名義広は佐竹領に逃げ込み、伊達軍は黒川城を占拠した。


 伊達政宗の所領は百万石を越えることになった。まさに、日の出る勢いである。


 しかし、その政宗にもまたしても危機が忍び寄っていた。


 関白秀吉の小田原攻めが始まろうとしていたのである。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る