第12話 人取り橋の合戦(後編)

 日が暮れたために連合軍の攻撃はおさまった。政宗は無事に本宮城に逃れることができたのだが、兵は四散し、明日の合戦に堪えられるだけの兵数がいるかは疑問だった。



「お兄様、お姉さま、大丈夫でしたか」



 政宗が本宮城や到着すると月姫がすぐさま迎えにやってきた。政宗と照姫は疲労困憊だ。見るからに辛そうだった。



「何とか、な」



 政宗は鎧を着たまま床几に座る。その側に照姫と月姫が付き従った。



「小十郎はどうした、成実は、左月は」


「お兄様、落ち着いてください。まずは白湯さゆを」



 月姫は政宗に白湯を手渡す。政宗はその白湯をぐいっ、と一気に飲み干した。



「ああ、うまい」



 政宗の眼が和らぐのがわかった。胃の中に水分を入れたことにより体が落ち着いたのだろう。



黒脛巾組くろはばきぐみからすでに連絡は受けています。現在、小十郎様は本宮城に向かって退却中。成実様はいまだ戦場にいますが敵陣と対峙しており、戦闘にはなっておりません。ご無事です」


「そうか」



 政宗はほっとしたように胸を撫で下ろす。しかし、月の言い方に引っかかるものを感じた。鬼庭左月の名前が出てきていないのだ。



「左月はどうした。左月の行方はわからぬままか」


「……」



 月姫はうつむいて黙ってしまった。その様子に政宗と照姫は嫌な予感がした。



「……まさか」


「じいは……左月様は討ち死に。最後は敵陣に斬り込み、岩城常隆の手のものに討ち取られたと聞いております」



 がたっ、と床几が倒れた。政宗は立ち上がりながら野営の火炎が燃え盛る連合軍方面を見た。眼は見開き、信じられないものを見ているようであった。



「そんな、じいが……」



 照姫も左月の死亡は信じられないようで、涙がとめどなく流れ出てきた。



「立派な、最後だったと聞いております」



 二人は月姫の言葉を聞いているのか、いないのか、どちらも返答することはなかった。




   ☆☆☆




 深夜、片倉小十郎景綱が本宮城に戻ってきた。幾矢も鎧につきたてたままのすさまじい姿だった。しかし、それでも政宗から奪った兜だけはしっかりと守ったようだ。



「小十郎、無事だったか」


「はい、日も暮れ、視界が悪くなってきた頃には敵の勢いも弱まってまいりました。その隙を見て戦場から離脱したしだいであります」


「よくやった。礼を言う」



 政宗は小十郎が戻ってきたら何と罵倒してやろうかと考えていた。しかし、ボロボロになった小十郎の姿を見た瞬間にその考えは霧散していた。怒りよりも哀れみの情がわきあがってきたのである。



「しかし、いくら夜になったからといって敵がすんなり引いたのは不気味です。何か裏があるのではないでしょうか」



 小十郎は政宗の兜を脱ぎながら戦場を見返す。そこには言い知れぬ不気味さが漂っていた。



「裏、か。夜襲でも仕掛けるつもりなのか」


「どうでしょう。念のため、今日はかがり火を増やしておいた方が良いかもしれません」



 政宗がうむ、と頷いたとき、同時に月姫のもとに黒脛巾組の忍者が報告にやってきた。



「ふむ、ふむ、なるほど。わかりました」



 月姫は安堵したように息を吐く。その様子に政宗や小十郎、照姫も疑問に思った。



「月、どうした。朗報か?」



 月姫は口元をゆがめて政宗を見据える。その顔からは劣勢に陥っているという悲壮感は感じられない。



「お兄様、この戦、私たちの勝ちでございます」


「何!?」



 政宗は信じられないといった顔で月姫を見る。この状況では妖術・幻術の類でも使わない限り勝つことなどできない。政宗だけでなくここにいる全員がそう考えていた。……月姫を除いて。



「連合軍は内部から崩壊しました。今頃我先にと自国の領土に帰ることに必死でしょう」


「わからん。なぜそのようなことが起きたのだ」



 政宗たちは顔を見合わせて首をひねる。誰もこのような状況になった理由がわからないのだ。


 その時、照姫がはっと、何かに気がついた。開戦前、月姫がしきりに黒脛巾組に指示を出していた。そのときは開戦前の情報収集だと思っていたが、今考えるとその頻度は異常なものがあった。それが何か関係しているのではないか。



「黒脛巾組、ですわね」



 月姫がニヤリと笑った。そうだ、と言ったようなものだった。



「お兄様、勝手な行動お許しください。しかし、これも伊達家のためを思ってのことだったのです」


「うむ、それは良いが、結局、月は黒脛巾組を使って何をしたのだ?」


「噂を流しました」


「噂だと?」



 いわゆる流言である。忍者は戦闘だけでなく、このような噂を流す活動もする。黒脛巾組はそういう流言や情報収集に秀でた集団といえるだろう。



「はい。石川昭光と白河義親は伊達家と縁がある家柄、戦いの最中に伊達家に寝返る、という噂を流しました」


「なるほど、しかしその噂で佐竹や蘆名が動揺するとも思えないのだが」


「佐竹や蘆名を動揺させるのが目的ではございません。真の目的は、佐竹や蘆名が石川、白河を疑っていると思わせることなのです」


「う~む、確かにそれならば石川や白河は動揺するかもしれん。連合軍といっても多くの兵を出しているのは佐竹と蘆名だ。その二人に睨まれたと噂が立てば動揺してしまうだろう」



 しかし、それでも政宗は得心がいかなかった。石川、白河がそれで兵を引いたとしても佐竹や蘆名が黙っていないだろう。あの二人なら石川、白河がいなくても戦闘を続行させる気概は持っていそうだ。



「月、まだ何かあるな」


「はい。北条を使いました」


「北条!? 関東の北条氏政か。しかし援軍を要請する時間はなかったはずだが」


「そこも情報でございます。北条は現在軍備を整えております。実際はどこに戦を仕掛けるかはわかっておりませんが、私は佐竹領を狙っているという噂を流しました」


「なるほど! 佐竹も自国の領土が危ないと知れば急いで兵を引き上げる。佐竹がいなくなれば佐竹の兵を当てにしている他の連合軍も引かざるを得ない。しかも石川、白河の反乱の噂もある。とても我らと戦をできる状況ではなかったということか」


「はい。しかし噂だけではこの戦は勝てませんでした。お兄様、お姉さま、小十郎様や成実様の活躍。それに、じいの奮闘があってようやく噂が噂でなくなったのです」



 政宗は満面の笑みで月姫を眺めた。照姫も涙を見せながら月姫に抱きついていく。小十郎は夢でも見ているのかといった様子で呆然としていた。



(月姫様を黒脛巾組の棟梁とするといわれたときは何を馬鹿なことを、と思ったが、これはもしかすると……)



 翌日、連合軍は昨日の猛攻が嘘のように退却を始めた。


 成実も連合軍の全軍が退却したのを確認してから本宮城に戻った。詳細を聞いた成実も政宗と同じように信じられない気持ちだっただろう。


 人取り橋の合戦は伊達家にとって大きな危機だった。しかし、月姫の機転により、伊達家は窮地を脱したといえよう。


 政宗は、この戦いから更に勢いを増していくことになる。

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