第7話 撫で斬り

 政宗の軍勢は米沢を出ると小浜には向かわず蘆名領である関柴城せきしばじょうへと向かった。これに軍議に参加していなかった照姫は首をひねることになる。



「お兄様、なぜ直接大内を攻めずに蘆名を攻めるのですか?」


「ふむ、そういえば照には説明していなかったな」


「照ではございません。今は小次郎でございます」



 照姫は頬を膨らませて政宗に抗議する。



「ははは、そうだったな」



 拗ねる照姫に政宗は笑いながら話しかけた。その様子は兄妹仲の良さを周囲に知らしめているようだった。



「簡単に言えば陽動作戦だ。まずは蘆名領を攻める。そうすることで大内や畠山は安心するだろう。気が緩むともいう。気が緩んだところを伊達が蘆名領から反転して両人を討つのだ」


「なるほど。それに蘆名を先に攻撃することで留守にする米沢を守る役目も果たしますわね。大内、畠山に伊達領を侵す力はありませんし、完璧な作戦ですわ」



 照姫は尊敬のまなざしで政宗を見る。いつか照姫も政宗のような戦略を立ててみたいと本気で思った。




   ☆☆☆




 小浜城にいる大内定綱おおうちさだつなは政宗の作戦通り、安心しきっていた。政宗は蘆名領を攻め、さらには大敗したという報告が入ってきたからだ。



「くくく、政宗め。居丈高になってからに、蘆名に敗れることになったのだ。これでわしの選択は間違っていなかったことが証明されたわい」



 定綱は月を見ながら酒をあおった。愉悦を感じながら飲む酒は格別にうまかったようだ。顔をほころばせながら次々と酒を注いでいく。


 そこに慌てた様子で伝令のものが入ってきた。定綱はせっかくの良い気分を壊されて不満顔だ。



「どうした、騒々しい」


「伊達の軍勢がこの小浜城に向かって進行中。現在、支城の小手森城おでもりじょうに接近中とのことです」


「何!?」



 伊達軍は退却し、そのまま米沢に帰ると思っていた。それがまさかこちらに矛先を向けてくるとは、定綱の頭では何が起こっているのか理解できなかった。



「と、とにかく急いで小手森城に兵を送れ。城主は菊池顕綱きくちあきつなであったな。わしもすぐに向かう。それまで堪えろと伝えろ」


「はっ」



 定綱の狼狽ぶりはすさまじいものだった。慌てて鎧兜をつけて今すぐにでも小手森城へと向かおうとした。しかし夜間の行軍は危険を伴う。そのため朝が来るまで眠れぬときを過ごしたのだった。




   ☆☆☆




 政宗たちは小手森城に到着した。到着してもすぐには攻撃せず、物見を放って情報を集めることに専念した。



「お兄様、まずはあの支城を攻め落とすのですわね」


「そうだ。ただし、定綱がきてからだ」



 政宗の目的は大内定綱を討伐することだ。支城を落とすことが目的ではない。


 そのため、時間をかけて小手森城に侵攻した。定綱を小浜城から小手森城に誘い出すためである。


 その作戦に、定綱はまんまとかかった。




   ☆☆☆




 大内定綱が小手森城に入城した。すぐさま城主の菊池顕綱のところに赴く。



「顕綱、これはどういうことだ」


「それが、私にも何が何やら……」



 定綱同様、顕綱も政宗の行動に注意を払っていなかった。そのため、城内にはろくな食料も装備もなかった。完全に政宗にはめられたのだ。



「くそっ、あの青二才め。小癪なまねを」



 定綱は唇をかみ締めながら城内から政宗がいる平原を見る。平原には大量の伊達の旗が翻っていた。



「殿、ここは降伏を……」


「ばか者! ここで降伏しても助かる命も助からんわい。指揮はわしがする。お前は黙ってわしの戦ぶりを見ているが良い」


「は、ははあ」



 しかし、定綱は城から出て戦うことはせず、偵察部隊を放っては城に閉じこもっているばかりだった。




   ☆☆☆




 天正十三年(1585年)八月二七日、伊達の軍勢は小手森城を包囲した。その際に使用された鉄砲の数は八千にものぼる。



「お兄様、小手森城主の菊池顕綱から降伏の書状が届きましたわ。いかがいたしましょう」


「……」



 政宗はじっと小手森城を睨んでいた。あの中には城主の菊池顕綱だけでなく大内定綱もいる。ここで降伏を許してしまえば定綱に逃げられてしまうかもしれない。



「斬れ」


「え?」



 照姫は政宗が何を言っているのかわからなかった。


 奥羽の戦いというのは降伏したらそれで終わることが多かった。そのために戦をしてもなかなか勢力がまとまらない。奥羽の群雄割拠の原因は生半可な哀れみにあったのかもしれない。


 しかし政宗は違った。織田信長の叡山焼き討ちのように小手森城を徹底的に踏み潰そうとしたのだ。



「女、子供は言うに及ばず、犬、牛に至るまで生けるものは全て撫で斬りにしろ!」


「……!」



 照姫は息を呑んだ。これがあのやさしかった兄の政宗であろうか、と信じられない思いだった。



「藤次郎様、お待ちください」



 そこに慌てた様子で小十郎が駆け寄ってきた。政宗を止められるとしたら小十郎しかいないだろう。



「小十郎か、それがしのやり方に不満があるのか」


「いえ、そうではありませんが、撫で斬りはいささかやりすぎではございませんか? 責任を取って菊池顕綱の切腹を見せしめにすればよろしいかと」



 政宗は小十郎の献策にふむ、と少し考える素振りを見せた。しかし二度三度首を横に振り、かっ、と左目を見開いて小十郎をにらみつけた。



「甘い! それでは大内一人を震えあがらせるだけだ。それがしが考えているのはこれを機に奥羽全体に伊達家の新領主は一味違うぞ、というところを見せ付けるつもりだ。そのつもりで斬れ!」



 これには小十郎も驚いたらしく、何も反論できなった。ここまでの考えがある以上、小十郎も政宗の言葉に服しないわけにはいかない。



「小次郎、伝令だ。前線の成実にそう伝えろ」


「……」



 照姫はあまりのことに自身が小次郎と呼ばれたことに気づかなかった。それほど政宗の言葉に衝撃を受けたのだ。



「照、お前の名前は小次郎だろう」


「え、あ、……はい。そうでしたわ」


「伝令、確かに伝えたぞ」


「はい」



 照姫はそのまま政宗から逃げるように前線にいる成実のもとに向かった。実の兄ながら、政宗のことが怖いと思ってしまったのだ。こんな経験は照姫には初めてだった。



(お兄様は、天下を取られるお方だ)



 照姫はその怖さの中に政宗の強さを見た。照姫は政宗の優しさを知っている、そして、その怖さも知った。それは照姫の中で混ざり合い、政宗のイメージを神に近いものに変えていったのだった。




   ☆☆☆




 成実は小手森城に軍勢を攻め寄せるとその日のうちに陥落させた。ついには政宗の命令の通り、城内の兵、立てこもっていた女、子供、犬や牛に至るまで撫で斬りにした。その数は八百人にも及ぶ。


 大内定綱は寸前のところで逃げ出し、畠山義継の二本松、さらには蘆名領へと逃亡していった。政宗を甘く見た代償は所領を全て失うという、高い代償になったのだ。




   ☆☆☆




 その夜、政宗は更なる一手をうった。母方の叔父である最上義光もがみよしあきに書状を書いたのである。



「お兄様、その書状、叔父様への手紙ですわね。戦の後というのに何を書いていらっしゃるの?」


「これか、ちょうどいい。読んでみろ」



 政宗は書きあがった手紙を照姫に渡す。その手紙を一読した照姫は息を呑むような思いをした。



「これは、今日の戦果の報告……。しかも実際よりも討ち取った数が多く記載されていますわね。これには叔父様も驚かれるのではありませんか?」


「それが狙いだ。最上も伊達家を狙っている。今回の戦いの結果を知ったら、うかつには手を出せなくなるだろう。そのためには多少事実とは異なったことを言っても震え上がらせなければならない」



 照姫は、すでにそこまで見越しているのか、と驚嘆する想いだった。政宗の片眼はすでに奥羽平定を見据えている。そう考えるには十分な出来事だった。



(さすが、お兄様ですわ)



 実際、この書状は義光に政宗を警戒させることになる。周辺諸国も小手森城の撫で斬りの噂を聞き、震え上がった。政宗に恭順の意を示す領主もぞくぞく出てきた。


 政宗の作戦はずばりと当たったように見えた。しかし、この小手森城の撫で斬りで周辺諸国に与えた印象により、後に大きな災いが政宗のもとに訪れる。それは政宗も照姫も気づかない大きな災いであった。

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