同道は成り行き

 昔から、反射神経だけには結構自信があって、未だに体格が小さめだということもあるけども、ドッジボールでは受けるよりとにかく避けまくってミスを誘って自滅させたり、バスケでは迫る身体や伸びてくる腕の下をかいくぐってパス回しに専念しまくったりと、スピードのあるものを回避することに関しては、とっさの事態でも忍みたいに動ける!と、あんまり大した根拠もなく、自負していたんだけれど。

 そのせいなのかどうなのか、めちゃくちゃに強張った表情で、真っ直ぐにこっちに突っ込んできた真雪のことを、すかさず避けてしまったことは、我がことながら痛恨の極みで。

 「……ぅえっ!?ちょ、真雪、どこ行くのー!?」

 「いったい何事ですか、堤せんぱーい!」

 ようやく出せた声に、一瞬の硬直が解けて、詩乃ちゃんとセットで慌てて階段の方へと走り寄る。すると、まさしく後も見ずに、余裕も何もかもをかなぐり捨てたような走りっぷりで階段を駆け下りて行く、そのひるがえったスカートの端が踊り場の向こうに消えたところで。

 「……すいません、横、通ります」

 と、聞き間違いかと思うくらいに低く、ぼそりとした声が耳に届いたかと思うと、身を折るように低めた姿勢の男子が、風を起こすような速さで目の前をすり抜けて行って。

 どこかの森の奥に潜んでいそうな動物的な身軽さで、飛ぶように階段を蹴っては、数段飛ばしで降りて行くさまを、しばらく呆然と見送ってしまったけど、

 「ちょっとー、その微妙な律儀さとかこの際いらないからー!!なんで、とか君誰だよ!とかそういうことを教えて欲しいんであってねー!!」

 そう叫びながら後を追い始める間にも、例の一年男子は同じく踊り場に降り立つなり、手すりに手を掛けて、走る勢いのままにぐん、と身体を回した姿が、その向こうに消えて。

 こっちもコーナーを慌てて回った時には、既にその姿もなくて、足音らしきものが遠く響くのが聞こえるばかりで。

 「なにあれ、無駄に早いんだけどー!ていうかあの子真雪に何するつもりなの!?」

 「全然分かんねえっす!でもなんか、詫び入れないとって言ってましたけど!」

 「なにそのちょっとやばそうな単語!お詫びより入部してくれれば一件落着なのにー!」

 反射的にツッコミを入れてから、声の飛んできたすぐ隣に顔を向ける。と、先生の証言通りに横を刈り上げた、髪型も顔立ちもなんとなくさっぱりした感じの男子と目が合って。

 「クラスと、名前は!?」

 「えっ、一年一組、木原きはら誠斗まことですけど!」

 「いい返事ありがとー!ついでにあの前髪長い子はなんていうの!?」

 「浦上うらがみとおるです!ところでひとりほったらかしですけど、いいんっすか!?」

 そんな一問一答を交わし終えたところで一階へと到達して、いったん足を止める。一歩遅れて隣にたどり着いた木原くんと並んで、息を弾ませながら左右を見晴るかすものの、もう見る限りでは、どちらの姿も見えなくて。

 「真雪、意外と、足速いー……どこ行ったんだろ」

 「あー、中庭も、見当たらないっすね……とりあえずどうすっかなー」

 そう言いながら、パンツのお尻のポケットから、柔らかそうな迷彩柄のカバーの付いたスマホを取り出してくるのを目にして、わたしもブレザーの内ポケットに手を突っ込んだ。

 お気に入りの、ペールグリーンに白の小鳥柄のカバーをチラ見しつつも起動して、手のひらよりちょっと大きなくらいの液晶に指を走らせ、ロックを解除する。

 「木原くん、メールがいいアプリがいい?」

 「どっちでもいいんで、どっちもにしときましょうか。えーと、望月先輩、っすね」

 「そうそうー。それはいいんだけど誠斗まことの字って割といらなくない?」

 「十五年の人生で毎度言われて来ましたけど、もう見慣れたんでいいかなと。あ、来た……けど、おっそ」

 声を落とした最後の呟きに、うっかり頷いてしまいそうになるほどのスピードで階段を降りてきたのは、当たり前だけど詩乃ちゃんだった。のたのたと踊り場を回ってくるなり、見上げているこっちに気付いた彼女は、とたんにすまなさそうな表情になって、

 「申し訳ありませんー先輩ー!もしやわたしのせいでー!!」

 「あー大丈夫大丈夫ー、見失ったんで作戦会議中だからー。詩乃ちゃん、悪いんだけどとにかくわたしは真雪を探すし、君もあの子追っかけるんだよね?」

 「つっても、あいつあの通りですから。今からどこにいんだってメール送りますけど、あとは目撃証言探すくらいしか打つ手ないっすよね」

 「ああー、それなら、取り急ぎ三方に別れて捜索しつつ、情報があればそちらに合流、が効率的じゃないでしょうかー」

 「だったら、担当エリア決めちゃおう。詩乃ちゃんはここから南側で部室らへんとかで、木原くんは北側から特別棟付近、わたしは保健室突っ切ってグラウンド周り見てくる、でどうかな」

 と、ぽんぽんと方針を決めてしまうと、連絡先を交換している一年二人より一歩先に、わたしは行動を開始した。再び廊下をダッシュして、保健室の先生に通り抜けまーす、と声を掛けつつ走り抜けると、出るなりすぐ右にそびえ立っている、でっかいソテツの葉の下をくぐって、真っ直ぐにグラウンドに続く大階段を目指す。

 校舎はグラウンドより、この階段分高い位置にあるので、一番てっぺんに立てば一面をざっと見渡すことができる。走り寄りながらも周囲を見渡して、左手の体育館方面にも、右手の校門へと向かうルートにもそれらしい人影が見えないかと確かめていると、

 「……うおー!すげー!」

 ふいに上がった複数の歓声(それにしても野太い)が耳に届いて、なんだろう、と顔を向ける。と、グラウンドのすぐ右端、その角に沿うように設置されているバックネットの前に、校内でよく見る白のユニフォームの団体がたむろっていた。

 『Sasagami』と、紺色の筆記体っぽいフォントで胸元に記されたそれを着ているのは、どう見ても野球部だった。そして、だいたいの部員がキャップからスパイクまでびしっと身に付けているその中に、ひときわ目立つ見た目の人物が、円を描くように並んだ部員に囲まれるように立っていて、嫌でも目を引かれる。

 まず、スキンヘッド。別にうちの野球部は丸刈り推奨もしていないから、鬱陶しくない程度の短髪がずらずら並ぶ中に、剃りたてっぽい青光りな丸坊主はめちゃくちゃ目立つ。

 次に、体格の良さだ。背は周りと比べてもずば抜けて高い上に、手足もそれに見合った長さで、学校指定の体操服(胸に校章つきの半袖白シャツに紺のジャージ)から出ている腕は、いかにも鍛えてますよー的で、肩幅から何からいかつくて硬そうで。

 他の部員から渡された硬球を、手遊びのように高く投げ上げては受け止めている姿に、でかい子だなー見たことないし一年生かなー、となんとなく見ていると、ふと視界の端にちらりと動くものが見えて、顔を動かす。

 一塁側に伸びたバックネットの端近くに建っている、用具倉庫の影から姿を現したのは、真雪だった。あの男子の姿は見当たらないけれど、西にある通用門の方から逃げるつもりなのか、グラウンドのずっと奥になるその方向に向けて、半分だけ身体を覗かせるようにして左右を見回すと、思い切ったようにそこから飛び出した。

 そのまま壁沿いにぐんぐん進んでいくのに、わたしは一瞬迷ったけれど、大階段を飛び降りつつ右斜め移動ルートを選んで走り出した。バックネットの裏をぐるっと回って同じコースに入るのが多分距離的にも一番近いし、だいたい運動部が練習中なのにグラウンド突っ切り、とか邪魔になりまくりな上に大惨事になりかねない。

 幸い七段しかないから、じきにグラウンドの端に降り立つと、大階段沿いに決めていた通りにネットの裏に走り込もうとした時、

 「……ちょ、おい、危ねえっ!!」

 誰かが上げた鋭い叫びと同時に、鼻の先をかすめるほどに近くを、何かが通り過ぎる。

 直後、ばしっ、と、すぐ脇のコンクリートにぶつかったものが、すさまじい音を立てて。

 「……今の、って」

 ぽろりと零した声に引かれるように、目と耳がゆっくりと状況を把握していく。

 つまり、気が付くといつの間にか足を止めていたこととか、跳ね返って足元に転がってきたものがどう見ても硬球なんですけどとか、よくよく見ればそこのネットまるーく破れてるよー、とか、そういうことで。

 途端に、すうっと血の気が引くような感覚に襲われて、膝ががくんと折れる。ああこれ倒れるー、と頭の隅で変に冷静に呟きながら、前のめりに身体が傾いで。

 「……っと、うっわ、かっる」

 と、鈍い衝撃とともに、耳元で、言った言葉の通りに軽そうな声が、ふいに響いて。

 次の瞬間には、全身がぐん、と上の方に持ち上げられて、視界が弧を描いて移動して。

 「しかも、ちっさ。なんですかねーこの人、マジで先輩ですか?」

 ぽん、と。

 どこかに座らされたような感覚の後に、間近にこっちの顔を覗き込んできた男子が言い放った台詞は、はなはだしくも失礼で。

 しかも、どう見てもその彼は、さっきのやけにでかい丸坊主の子で、さらに物珍しげに上から下までこっちのことを見ていたりして、思わずむっとして。

 だから、手の届く位置にあるのをいいことに、がっ、と乱暴に耳を掴んで引き寄せると、息を胸が膨らむくらいに、深々と吸い込んで。


 「小さいのは素直に認めるけど、先輩なのを疑われる筋合いはありませんー!!それに五月になったらわたしすぐに十七歳だから超!おねえさんなんだからねー!!」


 中学三年間のブラバン生活で鍛えた肺活量を活かしまくった大声で、一息にそれだけを叫んでやると、坊主男子は心底嫌そうに、妙に綺麗に整った細い眉を顰めて、

 「俺は十月ですけど、一年五か月長く生きててもあんま影響しないんですかね。まあ、一応保健室行っときますか」

 面白がっているように薄い唇の端を上げて、わたしの身体を小さい子にするみたいに、軽々と揺すり上げてきて。

 その時に、初めていわゆる『お姫様抱っこ』的なものをされていることに、気が付いて。

 「ちょっと待って今すぐ降ろしてー!!こうされるのは絶対好きな人との結婚式でって思ってたのになにさりげなくひとの夢ぶち壊しにしてっていうか君全然謝ってないし!」

 「はいはい、すいませんお詫び申し上げます、大変申し訳ございませんでしたー」

 「そのやる気なさ加減なにー!!だいたいわたし今重要な使命があってねー!!」

 「三フレーズ揃えたからいいでしょ。ってことですいません、これ運んできますんで」

 いかにもめんどくさげにそう言うと、言い合っている間に周りに集まって来ていたユニフォームの群れにさらっと告げてから、返事も聞かずに背を向けて歩き始めてしまった。

 「こらーさりげなく荷物扱いしないー!!あー吉田よしだくん、この子部長権限で厳しく指導しといてー!!」

 降ろさせようとじたばたするうちに、見知った顔を群れの中に見つけて声を掛けると、同じ学年の野球部部長は、何やら苦い顔になって叫び返してきた。

 「そう言われても、まだ部員じゃねえし!!おいむかい、済んだらちゃんと戻ってこいよ!」

 「はいはい、気が向きましたらー」

 さっきと同様まったくさっぱり気のない返事を投げながら、むかつくくらいに長い足を動かしては、大階段を一段一歩でクリアしていく。この体勢で暴れても危ないだけだから、全段上り切ってしまったところで、あらためてその腕をべしべしと叩くと、

 「運んでもらって悪いんだけど、本気でやらなきゃならないことがあるから、降ろして」

 出来る限り真面目な口調でそう言ってみると、まあ一応顔くらいは向けといてやるか、的な冷めた表情が、ちょっと崩れて。

 わたしの祖母なら、たぶん『切れ上がった』とでも表現しそうな形のいい瞳を細めて、迎くんは小さく喉を鳴らすと、

 「さっきのこそこそしてた三つ編み女子ですか?」

 「そうだけど、君、気が付いてたの?」

 「気付くどころじゃないですねえ。体育館の影から飛び出してきたと思ったら、なんかやばいもんに追われてるみたいな必死な顔して、あんたと同じルート走って行きましたし」

 「ほんと!?それで、男子は見なかった!?なんか細くてすっごい身軽な子!」

 「そっちは知りませんねえ。俺、あんま野郎の姿まじまじ見る趣味ないんで」

 淡々とした口調で、本気なのかふざけてるのか分からないような台詞が返ってきた時、わたしの胸元で着信音が鳴った。慌てて内ポケットを探ろうとして、今の体勢では非常に何をするにもやりにくいことに気付いて、もう一度彼を見上げる。と、

 「降ろしてもいいですけど、俺もついてっていいですかね」

 「……それ、そもそもの前提がおかしくないー?君はふっつーにわたしを解放してさー、後は好きなようにすればいいだけだと思うんだけど」

 わけの分からない申し出に、さすがに眉を思いっきり寄せながらそう言うと、迎くんはなるほど、と頷いて。


 膝を軽く折って身を屈めると、すとん、とわたしを地面に降ろして。

 それから何故か、間髪入れずに脇の下に手を入れてくると、ひょい、と再び抱え上げて。


 そして、今度は首をちょっと傾けたかと思うと、右の肩にわたしを、ぽんと座らせて。

 腰と、それから彼の鎖骨らへんに垂らした足を、がっちりと両の腕でホールドされて。

 「これで、スマホでもなんでも使えるでしょ。はい、そんじゃナビしてください」

 「うわ、ちょっとー高いし揺れるし安定感微妙ー!!とりあえず止まって、指ぷるぷるするから!」

 「はいはい、一旦停止ー」

 そのまま勝手に校門の方へと歩き始めていたのが、素直に指示通りに止まったところで、色々と言いたいことはあるものの、とにかくわたしはスマホを取り出してロックを解除すると、すぐにアプリを起動した。


 木原 誠斗

  ついさっき浦上は見つけましたけど、俺が四階から中庭に降りてる途中で

  いきなりいなくなってましたー……あいつ絶対メールも着信も気付いてねえし。

  でも、小崎先生に目撃情報もらったんで、特別棟周り探してますー。

  まだ先輩は捕まってないみたいすけど、そっちはどうすか?



 「迎くん、特別棟!ダッシュででもわたし落とさないくらいでー!」

 「あんたくらいならどう転んだって落としませんよ。あ、天井にその黒ごま団子、こするかもしれませんけど」

 「さっきから呼び方が無駄に偉そうー!!せめて望月先輩と呼びなさいー!!」

 「そんじゃもっちーで。ミクロとかナノとかでもいいですけどどれがいいですか?」

 「わたししっかり目に見えてるから!そこまで微粒子じゃないからー!!」

 そう主張している間にも、どんどんスピードを上げていくでかくてごつい身体に、上下左右に揺さぶられて、ぎゃあぎゃあわめきながらも落ちないようにしがみついて。

 ……なんか微妙に納得いかないけど、この高さと見晴らしはすっごく楽しいことだけは認めてやろう。果てしなく腹立つけど。

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