第7話

「――いるな、鬼が」

 そんな声が聞こえたのは、それから半刻ばかり経過してからのことであった。

 一人の男が、霧の中から姿を現した。

 その男は、水妖鬼が姿を消した辺りで足を止める。大柄な男であった。腰に佩いた太刀が、カチャリと鳴る。

 そして、太い笑みを浮かべて言う。

「――出て来いよ、化物」

 途端、男のまわりに邪悪な気配が生じ、ざわっと蠢く。

 一瞬にして無数の妖魔が姿を現し、男を取り囲んでいた。

 男――まだ若い男が、口許に余裕の笑みを浮かべて、ほおっと感嘆の声を上げる。

 全く恐怖を感じていないように思えた。

「これだけの妖魔に取り囲まれて、なお恐怖を感じぬとは、貴様、ただの人間ではないな。――何者だ?」

 若者の正面に立った幽鬼――水妖鬼が、カンにさわる声で問うた。

「――桃太郎」

 それを聞いたときの妖魔たちの反応を期待して、男はニヤッと笑ってそう告げた。

「何!?」

 そして、桃太郎の期待どおり、妖魔たちの醜怪な顔が一斉にこわばったのである。

 しかし、それも数瞬。

 水妖鬼が、さも楽しそうに身を震わせて笑い出した。

「ククク、貴様が神の使徒か。最近、我等が仲間を次々に塩の柱と変えているのは、貴様の仕業だな。――だがな、桃太郎。青銅鬼如きを倒して、少々調子に乗っているのではないか?」

 水妖鬼の言葉からもわかるように、桃太郎たちはこの五日間、吉備の国の結界内に潜み、人間を啖う機会を窺っている妖魔たちを次々に討ち滅ぼしてきたのである。

「何だと?」

「奴なぞ、我々天魔四鬼衆の中でも最も未熟な存在。あれを、我等の実力と思ってもらっては困るなぁ」

 虫酸の走る笑みを満面に浮かべて、水妖鬼が挑発する。

「大きな口を叩く化物だ」

 桃太郎が、それに応えるように、腰間の太刀を鞘走らせる。

「それじゃあ、その実力とやら、見せてもらおうかぁ!」

 桃太郎の身体から三つの光が放たれ、彼を守護する三体の聖獣となった。

 それが合図であったかの如く、妖魔たちが一斉に桃太郎たちに群がる。

 刃が風を切るたびに血がしぶき、妖魔の身体がバラバラに宙に舞った。

 狼牙の剛腕より放たれる鋭い爪が容易に妖魔の身体をぶち抜き、羅猿の杖は、まるで如意棒の如く伸縮し、妖魔の頭蓋を叩き潰した。

 また天翔の翼から放たれる羽の一つひとつが鋭利な刃と化して妖魔の身体を射ち抜き、その部分を塩と変えた。

 またたく間に妖魔の死体で山が築かれ、それもすぐに塩へと姿を変えていく。

 数分後、桃太郎は妖魔の不気味な色の血にまみれた刀を引っ提げて、再び水妖鬼の前に立った。

「この程度か?」

 桃太郎が、水妖鬼の鼻先にその切っ先を突きつけて、鼻で笑う。

「舐めるなよ、虫ケラが!」

 刹那、水妖鬼の骨張った指が、鉤のように曲がって桃太郎に疾った。

 一歩跳び退いて、太刀を振るう。

 風を切る音。そして、妙な手応え。

「――!?」

 桃太郎は見た。

 刀身が、水妖鬼の腕を斬り落とすことなく、まるで水でも斬ったかのように、あっさりと通り抜けたのだ!

「な、何だと!?」

「気づいたか。俺の名は水妖鬼。その名の通り俺の身体は特殊な液体で出来ている」

 そう告げた水妖鬼の身体が、徐々に透け始めた。驚くべきことに、妖魔の身体を通して、その背後の景色を見ることが出来るのだ。

「――さて、斬れるかな、その太刀で」

 水のように透明になって、妖魔が嗤う。

 その視線の先――水妖鬼の腕に触れた刀身が、いつの間にかサビつき、ボロボロになり果てていた。

「あらら…」

「それじゃあ、紙とて斬れんなぁ」

「まあな。――どうやら、ただの太刀では、貴様を倒せんらしい」

「――何?」

 桃太郎は赤サビの浮いた太刀を放り捨て、腰から鞘も抜いて捨てた。そして、手の中から神の剣『青龍剣』を取り出す。

 おお、その神々しき刃の輝きよ。

「来いよ、水妖鬼。なますのように切り刻んでやる」

「ぬかせぇ!」

 水妖鬼が走る。

 瞬間、世にも美しい剣風の音。

 一陣の風。

「――!?」

 先ず、水妖鬼の両腕が肩口からきれいに斬り落とされて宙に舞い、次に腰から上が前方にずれて地に落ちた。

 そして、下半身だけが桃太郎の脇を疾り抜けたが、それもすぐにバランスを崩して、樹にぶつかる寸前に倒れた。

「やはり、この程度じゃないか」

 両腕と下半身を失って地に這いつくばる水妖鬼に、桃太郎が笑いかける。

「どうかな? 俺はまだ死んじゃあいないぜ」

 それは、しかし、桃太郎には水妖鬼の悪あがきに聞こえた。

「確かにな。だが、もう貴様は俺たちには勝てない。そろそろ、あきらめたらどうだ?」

「いや、まだまだだね。何故なら、死ぬのはお前だからだ!」

 水妖鬼が立ち上がった。その身体には斬り落とされた筈の腕も、下半身もそろっている。

 どうやら、青龍剣によって分断された身体は地中を進み、すでに本体とひとつに合わさっていたのである。

「確かに、貴様の剣は厄介だ。――だが、貴様自身はどうなのだ、ええ、桃太郎よ!」

 水妖鬼の右腕が、まさに刃と化して桃太郎に伸びた。

 躱す。

 刃はそのまま桃太郎の背後に立つ樹まで伸び、その太い幹を一瞬で分断して、戻って来た。

 そのとき、桃太郎の頬が、刃に触れてもいないのに裂けた。

「――!?」

 一瞬、桃太郎の注意がその傷の痛みに逸れてしまう。その間隙を、水妖鬼が見逃す筈もなく、再び、右の刃が桃太郎に向かって伸びた。

 くっと呻いて、それを何とか躱す。その途端、右からも来た。二刀流だ。

 右、左、右、左。

 桃太郎が躱すたびに、森の中を凄まじい剣風が舞い、木々を薙ぎ倒し、桃太郎の身体を切り裂いていく。

 水妖鬼が、狂ったように笑っていた。

「ひゃははは! 死ね死ね死ねぇ!」

 水妖鬼は、このとき勝利を確信していた。

 じきに、桃太郎の身体は無数の肉片と化して、この地に散らばる。

 俺の勝ちだ。

 しかし、その猛攻の中でも、桃太郎の眼の輝きは失われてはいなかった。

「――狼牙、天翔、羅猿!」

「おお!」

 桃太郎の呼びかけに応じ、彼の背後で控えていた三聖獣が水妖鬼に走った。

「――!?」

 水妖鬼が繰り出す二本の刃を桃太郎が剣で斬り落とす。刃は、地面に落ちた途端に、元の腕の形に戻った。

 水妖鬼が、地面に落ちた腕を体内に吸収しようと意識をそれに向ける。

 その隙をついて、天翔の翼から光の破片が飛ぶ。その破片が水妖鬼に突き刺さった刹那、今度は塩と化すのではなく、瞬時にして凍結したのである。

「液体ならば、凍らせればいい。天翔の光の羽根は、絶対零度の光にもなるのだよ」

 そして狼牙と羅猿、桃太郎が動けぬ水妖鬼の氷像を粉々に打ち砕いた。

 打ち砕かれた氷像は桃太郎らの足許に山を造ったが、それも、桃太郎の手から放射される光によって塩となった。

 ふうっと溜息をつく桃太郎であるが、戦いはまだ終わっていないことに気づいていた。

 それは、三聖獣とて同じである。

「――今度のは、手強てごわそうだぜ」

 今、霧の向こうからもう一匹の鬼が彼等の眼前に姿を現した。

 全身を鈍く光る鋼で包み込んだ異様な鬼は、数メートル離れた位置で立ち止まり、ガラスのような赤い双眸で、凝っと神の戦士を見つめていた。

 その鉄の顔を見て、桃太郎が呟いた。

「――真打ちの登場だ」

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