第4話

 それは、突然その村に襲いかかった。

 夜明けの瞬間――山の端に陽光の最初の一片が見え隠れしたときだった。


 どおん!?


 という轟音が大地に突き刺さり、地面を地震のように揺るがした。

 森の樹の梢で眠っていた鳥たちが、その異変に一斉に空へ飛び立つ。

 安穏とした眠りを妨げられた村人たちが、何事かと家を飛び出し、異変の起きた場所へ駆けていく。

 村の中央にある広場が、赤々と燃えていた。

 大きな輪になって、手に松明を持った村人たちがその中心にあるものを見ている。

 皆、顔が青ざめていた。

 ついに来たのか。

 鬼の襲撃に村を捨て、逃げていく者たちが多くいる中で、それでも自分の生まれた土地を捨てることが出来ず、村に残った人々がいた。

 死ぬなら、我が村で。

 しかし、いま眼の前にあるものを見れば、それが間違いであったことを知り、絶望するのだった。

 村を出ていれば良かった。

 死んだら、何にもならない。

 だが、もう遅かった。

 眼の前には、直径が数十メートル、深さが数メートルのクレーターがあり、その底に青銅の塊があった。

 ただの青銅の塊だ。そう誰もが思いたかったに違いない。それなのに、それが動くなんて!?

 ああ、あれは腕だ。

 村人たちは、瞬時の内に恐慌に陥った。

 ああ、なんということだ、ちゃんと指が五本ずつそろってやがる。

 大地に手をついて、顔を上げ、ああ、今、俺の顔を見て、ニヤリと笑いやがった。

 立った。

 立ちやがった。

 そして、ああ、立って歩き出した…。

 あれは…あれは、破滅の跫音あしおとだ!?

「うわああああ!?」

 そこに集まっていた村人たちが、蜘蛛の子を散らすように、一目散に思い思いの方向へ走った。

 誰もが我先に逃げていた。

 一刻も早く、この場から立ち去りたかったのだ。

 クレーターから抜け出た魔人が、それを見てげらげら笑い、ついで吐き捨てるように叫ぶ。

「虫けらが! 生き延びられると思うなよ!」

 大地に足を踏ん張り、魔人が大声で笑いながら巨大な右腕を唸らせる。その一閃は凄まじい烈風を巻き起こし、無数のかまいたちを生じさせた。

 青銅鬼の前面にいた村人たちは、かまいたちの見えない刃によって、一瞬でのようにぶつ切りにされ、地面に血と内臓をぶちまけ、その上に散らばった。

 と同時に、青銅鬼の背後でも絶叫が巻き起こる。

 見れば、逃げまどっていた残りの人間たちの頭に、妖魔どもが食らいつき、頭を噛み砕いていた。

 骨の砕ける音が連続して、すぐに彼等は動かなくなった。

「皆殺しだぁ!」

 それが合図であった。

 妖魔たちが、家の片隅で身体を小さくして震える女子供に一斉に群がる。

 絶叫があちこちで上がった。

 それに混じって、妖魔たちの血に狂った笑い声が聞こえた。

 必死に逃げ回る者も中にはいたが、すぐに取りおさえられ、文字通り八つ裂きにされた。

 手足をもがれ、達磨のようにされた女もいた。

 妖魔たちは、どいつもこいつも、殺戮を楽しんでいた。

 老人だろうが赤ん坊だろうが、全く平等に妖魔たちは殺していった。

 そしてその狂乱の波は、村はずれにある一軒の小屋のような家にまで及んだ。

 そこには年老いた夫婦が小さな子供とともに住んでいたが、老夫婦は一瞬で十数匹の妖魔の餌食と化し、あっけなく血の海に沈んだ。

 その惨劇を、少年はつぶらな瞳で凝っと見つめていた。

 くわを手に、死を恐れず鬼に立ち向かった老人。身体を引きちぎられて死んだ。

 自分を鬼の手から救おうとかばい、生きたまま頭から貪り食われた老婆。

 少年は、血を浴び、その凄まじい臭いの中、正面に立つ邪悪な鬼を見上げていた。


 どくん…。


 何かが、目覚めようとしている。

 自分の中の、大きく強い意志。


 どくん…。


 何ものにも負けない、そんな勇気。

 もう一人の、いや、本当の自分。

「あ…」

 少年の口から、言葉が洩れた。

 妖魔には、少年が怯えて声も出せないのだと感じられた。

 こんな小僧に何が出来る。

 指一本で、頭を弾け飛ばしてやるわ。

 少年の前に屈み込み、そいつは三本指のうちの二本で輪をつくると、ゆっくりと少年の額に近づけた。

 ニッと邪悪に笑った。

 そして、指を弾いた。


 いつしか村は炎に包まれていた。誰かが火を放ったのだろう。

 無駄なことを、と青銅鬼は若い女の身体を切り裂き、迸る血を浴びながら思う。

 我々に、人間界の火が通用するものか。

 女の腕の骨らしきものをベッと吐き出す。

 と、そのとき、どんっという爆発音がした。

 驚いて、音のした方向を見れば、村の中心から少し離れた所にある小屋が吹き飛んでいるのが見えた。

「なんだ!?」

 光が洩れていた。

 嫌な光。

 魂――もしあればだが――を根源から寒からしめる光。

 その小屋に向かった妖魔どもが、その光の中で消滅するのを感じた。

 そして、一人の全裸の若者がその光の中から、こちらに向かって歩いて来るのが見えた。

 凄絶な怒りの形相をしていた。

「奴か――」

 青銅鬼は、娘の左腕をもいで、口の中に放り込み、咀嚼しながらそう呟いた。

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