四
ばきっ
「……つうっ!」
背中に激痛が走った。萌は思わず立ち上がりかけ、
ぼきっ
耐えきれず、教室の床に倒れた。さっきまで座っていた椅子が、ガシャン、と大きな音を立てて引っくり返った。
めりっ
「萌!」
誰かが、多分尚美か咲子がそう叫んで駆け寄ってくるのはわかったが、あまりの痛みに固く閉じた目を開けることもできない。
ごりっ
痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛いっっ!
声にならない声で、ひたすらそれだけを叫び続ける。無意識のうちに、両手で自分の両肩を、指が喰い込むほど掴む。
みしっ
「萌! どこか痛いの、萌!」
誰かの手が、萌の身体をさする。背中の突起に触れる。
イタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイッッ!
背中だけでなく、手も、足も、全身が痛かった。骨が割れるような、肉が裂けるような、神経が、血管が引きちぎられるような――自分の身体が、内側から造り変えられるような――
イタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタ
べりっ
何かが、背中の肉を突き破った。
「――ギャアアアアアアアアアアアアアアアッッ!」
――絶叫のあと、少しして、やっと痛みが和らいできた。薄く、萌は目を開ける。
最初に目に入ったのは、咲子だった。床にぺたんと座り込み、両手で口を押さえている。
「さきこ……?」
名を呼ぼうとしたが、変な声が出るだけで、上手く言葉にならない。肩を掴んでいた右手を離して伸ばすと、咲子は涙目でびくんと身体を震わせた。
萌は見た。
半袖のブラウスから伸びた自分の肘から先が、白い毛でびっしりと埋め尽くされているのを。四本の指に、鉤爪が生えているのを。
左手も同じだった。前三本、後ろ一本に分かれた四本の指。鋭い鉤爪。掌の大きな肉球。
ガバッと身を起こすと、萌の足元で床に尻餅をついていた長谷川が「ひいぃっ」と情けない悲鳴を上げて後ずさった。
「た、助けてくれぇ!」
その声が合図だったかのように、それまで静まり返っていた教室が喧騒に包まれた。生徒たちが互いに押しのけあいながら、教室の前後のドアに殺到する。萌がその場に立ち上がると、叫び声は更に大きくなった。
教室の廊下側の窓に、萌の上半身が映った。
ブラウスの裾はスカートの外にはみ出し、背中も大きく裂けている。その裂け目から生える、二つの大きな翼。バサバサに乱れた髪の間からは、見開いたかのようなギョロリとした目がのぞく。そして、顔の真ん中には、嘴。
決して人間ではない、かといって鳥そのものでもない、人と鳥を融合したかの如き異様な生き物が、そこには立っていた――夢で見たとおりの。
「ギェエエエエッッ!」
萌は叫んだ。だがその声も、もはや人間のものではなかった。やだ、やだ! 内心で叫びながら、まだ床にへたり込んでいる咲子に近づこうとする。
何かが飛んできて、萌の翼に当たった。
振り向くと、尚美がぶるぶる震えながら立っていた。そこら中に散乱した教科書やペンケースなどを次々に掴んでは、萌に向かって投げつけてくる。
「さ……咲子に触るな、化け物!」
――バケモノ。
その瞬間、萌の中でぷつりと糸が切れた。
膝下から鳥と化した足、靴下も上履きも突き破って鉤爪の生えた足で走る。尚美が「ひっ」と息を呑んで頭を抱えてうずくまった。その脇を走り抜け、全身で運動場側の左の窓に激突する。
硝子の割れる派手な音が響いて、萌の身体は中空に飛び出す。
本能的に翼を開いた。
空を見上げる。一面の青。
果てしなく続く青。
そして、そのまま青い空の中を、どこまでもどこまでも飛んでいく。
「――そう、世の中思い通りにならないのよ、何も」
尚美や咲子も逃げ出し、誰もいなくなった教室の窓辺で、由良は言った。遠ざかっていく白い鳥を、目で追いながら、
「鳥になりたくないあなたに翼が生えて、空へと飛んでいく。
〝鳥なのに飛べない〟わたしは、それを眺めているしかない――」
差し込む陽射し。ブラウスを脱ぎ捨てた背中には、白い大きな翼。
片方だけの。
「どうして、わたしだけ片方なのかしらね? 本当に片方しかないのか、それとも眠っているだけなのか。弥生、それからあなた、他人が飛ぶのを見守っているうちに、いつかはもう一方も目覚めるのかしら?
〝自分はこの世界の住人じゃない〟と知ってしまったのに、その中で生き続けるのは結構大変なのよ――」
白い鳥はもうほとんど点になり、大空の中に消えゆこうとしている。
「ねえ、萌」
割れた窓から強い風が吹き込んできて、長い黒髪と白い翼を揺らした。由良は呟く。羨望のこもった声で。
「代われるものなら、わたしがあなたの代わりに飛びたいのよ」
〈了〉
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