「現実は、幻想よりもなお強い」

やっぱり荷物のなかに紛れ込んでいました。

あー、よかった。


よし。


姉になった兄がいる、というのはなんとも不思議なもので、多分経験したであろう人も少ないと思うので、日常生活に少し触れていきたいと思う。需要があるかないかは知らないが、まあ、いいだろう。


一緒に暮らすようになった経緯は前回書いたので省きます。


で、家にトランスジェンダーがいる生活は一体どんなもんかといえば、普通の生活とあまり変わらないです。


ほんとに。書く事がないくらいに。


しいて言えば、昔の兄よりも我が儘になっていた、というくらいの変化しかない。

どれくらい我が儘かと言えば、ちょっと足がしんどいからマッサージして、というのでマッサージをしたら、そのちょっとが結局に90分なっているとか、そういう我が儘。


昔の我が儘といえば、僕がラーメンを食べていたら一口頂戴というのであげたらその一口で麺の半分くらい食べるとか、チューペットを半分こにするときに先っぽにチョボがついていてちょっと量が多い方をとるだとかそういう可愛らしいものだったけど、マッサージ90分とはいかがなものか。

足だけちょっとお願いしてもいい?から始まり、そう言えば足の裏もしんどいの、となり、腰の辺り張ってない?といったかと思えば、背中もそういえばちょっと痛い、と苦言をていし、肩ってしんどくなりやすいよね、とよく聞こえる独り言に続いて、この間美容室で頭されてめっちゃ気持ちよかってん、とあくまでも湾曲気味にしんどい箇所を伝えてくる。

その言葉に載せられていつの間にか全身のマッサージを終えた僕は、気がつけば整骨院で働くようになっていた。


兄の我が儘が、僕の人生を決めた瞬間だった。

ちなみに僕が通っていた専門学校と、整骨院の仕事はまったく関係がない。

でもまあ、それも面白いのでよしとする。


前回兄の物欲が凄い、という話を少しだけしたが、ここでもちょっと書こうと思う。


というか、兄だけに関わらず女性の皆さんはなぜあんなにもものが多いのでしょうか。僕が今の家(現在奥さんと暮らしている家)に引っ越した時、荷物の量は段ボール4箱分でした。そのうち2箱は本で、それ以外が服だとか小物だとか。

それに対し、奥さんの荷物は軽く見積もっても服だけで僕の4倍くらいはあった。

確かに女性はお洒落に気を使わなければならないし、服の量が男に比べて多くなるのも分かる。それにしても、だ。

身体は1つ、心も1つ。なのになぜ故コートが5枚も6枚も段ボールからでてくるのだ!

コート!コート!またコート!ダウンを挟んで、またコート!

「ちょっと!こんなにもコートいるの?!何枚か捨てたら!」と言おうとしたにも関わらず、僕の口からでた台詞は「これ、全部押し入れのハンガー掛けでオッケー?」。奥さんのゴーサインに身体が無条件に動いて、空っぽになった段ボールを片付けて。


いや、奥さんの事は別にいいんだ。

それよりも兄だ、兄。


それなりの店で働くには、それなりの衣装が必要なのだ、と兄はいう。

何度も同じような服を着たりもできないし、お客さんからもらったものもいっぱいあって処分なんてできない。と。

至極もっともであり、反論の余地がない。

ただ本当に多いのだ。

幾多のハイブランドのドレスに始まり、それに合うように数十足のハイヒールが処狭しと並び、その横には和装に必要なものがこまごまとあり、本来であれば桐箱に入れておかなければならないような高級な着物が無造作に広げられている。

その横にはテレビでタレントがよく自慢しているようなバッグが散乱し、なぜか白鳳のサイン入りの足袋が壁に鎮座している。


新しく引っ越した先はマンションの1室で、間取りが3LDKだった。

いい感じのファミリー物件である。トイレとお風呂はセパレートで、お風呂もなかなかに広い。すばらしい。

そこに、母、兄、弟、僕の4人で住む事になっていた。

で、部屋の区分けとなるのだが、兄はこのマンションの名義人であり、支払いもしており、前述のようにモノがすこぶる多いため1部屋を使用する。

母も一応女性で、かつ年長者であり、弟や僕、兄と同じ部屋で寝る訳にもいかないから1部屋使用する。

弟もお年頃だし、プライベートスペースが欲しいからと1部屋使用する。

で、僕だってもちろん荷物もあり、家に多少なりともお金を入れているのだから、1部屋使用する。


うん、本来であれば、4部屋必要となるよね。この人数だと。

でも部屋の数は、さっきもいった通り、3部屋とリビングダイニング、あとはキッチンしかない。するとどうなるか。


もちろん、僕の部屋が無くなってしまうのである。


仕方ない。うん、仕方ないのは分かっているよ。

でもな、僕だっていい大人であり、弟と同じようにプライベートだって必要だ。

仕事もしているし、もちろんこの年齢で母と一緒に寝る訳にもいかない。なぜ弟が一人部屋で、僕に割り当てられる部屋がないのだ。年功序列の精神はどこへいった!

と、心の中で叫びながら、各自に割り当てられた部屋のドアを眺めていた。

誰もいないリビングで各々の部屋に繋がるドアを眺めるのにあきた僕は、リビングの片隅に積まれた兄の衣装をかき分けて何とか畳一畳分のスペースを確保し、布団にくるまった。

そう、僕はこのようにして、しばらくの間リビングで生活をしていた。リビングの端っこを間借りしているような感じ。布団一枚分と服を数着置けるスペースだけがあてがわれていた。

その状態のまま、僕は一年半ほど過ごしていた。


僕が家を出た後に聞いた話だと、リビングに何者かが住みついていたので折角新居に引っ越したのに友人や同僚を呼べない、とぼやいている人間がいたらしい。

ざまみやがれ。


あ、またトランスジェンダーの話をしていない。

どうなっているんだ、僕の脳みそは。


よし、気分を取り直して。


一緒に暮らすようになって、ただ一つ気まずい事があった。

兄が、パンツ一丁で歩き回ることだ。

これ、アダルト漫画でたまにでてくるシチュエーション。

姉ちゃんが裸で歩いて困る、みたいなところから、あられもない関係に……みたいな。

ある種の世界ではこれは典型的な姉と弟の理想像なのかもしれないが、思い出して欲しい。そこで闊歩しているのは、姉ではなく、元兄なのだ。

かつて中学生で漫画ばかり読みふけっていた僕は、姉や妹の存在がとてもうらやましかった。

僕の妹がこんなに可愛い訳がない、と嘘でもいいから言いたかった。

僕の姉ちゃんが風呂上がりにバスタオル一枚で歩き回っててさ、ほんとやめてほしいよ、みたいな愚痴を言いたかった。


そして今、それだけうらやましかったはずの存在である姉が、うらやましかったシチュエーションで同居している。

なのに、この空しさはなんだろう。

そう考える僕の心に、こんな言葉が浮かんだ。


「幻想は、幻想のままであるのが一番美しい」



幼少期代から中学を経て高校の前半に至るまで、僕と兄は同じ部屋で過ごしていた。

2人目の父と住んでいたマンションも3LDKだったので、部屋数が足りなかったのだ。ここでまた2人目の父の愚痴が出てしまうのだが、そのマンションでは、父の衣装で一部屋が埋もれていた。そのため兄が高校を卒業して家を出て行くまで弟に部屋はなく、小学4年生になるまで母と父と同じ部屋で寝ていた。兄が出て行ってからは、僕と同じ部屋ですごすようになった。


で、兄と同じ部屋で寝ていた頃から、兄には少し変な癖があった。

それは、寝ながらにだんだんを服を脱いでいく、というものだ。

特に夏になるとその睡眠時ストリップ症候群は顕著になり、いくら部屋が涼しくてもいつまにか服を脱いで全裸、もしくはTシャツ一枚で下半身に何も身に付けない状態になっている。


その頃から兄のその癖に辟易していたのだが、今現在それは更なる進化を遂げた。

女性用下着に身を包み、天然と言い張る胸を放り出して、あられもない姿の兄が部屋の中を練り歩いていくのだ。

兄の身体はピカチュウからライチュウへといった生易しい進化ではなく、アナキン・スカイウォーカーがダースベイダーになるくらいの進化をしているため、本当に目のやり場にこまってしまう。

だからといって、兄のその奇行を止めるすべは僕にはないので、出来るだけ視界に入れないように、大名行列を見送る平民のように、ただただ顔を伏せて時が過ぎるのをまつだけである。


日常的に困る事といえば、それくらいで、あとは名前をどう呼ぶのかですこし混乱するくらいだ。

引っ越してしばらくの間、僕は今までと同じ呼び方、母は兄の源氏名、弟は敢えて名前を呼ばない、というようにしていた。

新居での生活が落ち着いてくると、兄は、自分から呼んで欲しい名前を言ってきたので、家族が兄を同じ名前で呼ぶようになった。

そしてここからは、兄がどうやって戸籍上男から女になったか話へと向かっていく。

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