破の四 隠されしもの

「……ありゃ、以外と浅い? 底まで五メートルってところですか」

「そうです。そんでもって、水っ気なんかこれっぽっちもありません」

 女子二人が井戸の底を覗き込んでいた。ヒカルは見慣れたものなので飄々ひょうひょうとし、沙弥は明らかに落胆して。

「よそのナキサワメの神社では、井戸がご神体だったんですが、こちらはどうもそういう雰囲気じゃありませんね」

「ウチは違いますね……私はお社の中へは入れさせてもらえなかったので詳しく知らないんですが、短刀のようなものがご神体だって聞いたことはあります。なんか有名な人の作だって聞きましたが、詳しいことは分かりません」

「ナキサワメの神社でそれってのも、なにかおかしな具合ではありますねぇ」

「おっかしいなぁ……絶対なにかあるはずなのに……」

 ダンピールのトミスラヴもまた、神性の秘宝を求めてこの地にやって来たことを知っている沙弥と、

「いやー、なんにもないと思いますよ、こんなボロ神社」

 それを知らないヒカルの間では、〝お宝〟に対する温度差が激しい。

「この中、降りられませんか香坂さん」

「はしごがあるんで、それで降りられます」

 はしごはお社の背後に置いてあるという。先にお社の掃除をしておきたいというヒカルの意見が優先されて、沙弥もそれを手伝うことにした。中は三畳ほどと狭いので、魂が肉体に復帰して動き出したガン助は、周囲を掃き掃除。メンドゥは「メンドクセ」と呟くだけの役立たずで、井戸にもたれて座り込んでいる。

「うー、初仕事なんですよ、私」

 と、ヒカルは掃除するだけで緊張気味だった。しかし屋内は、人が出入りしないこともあってたいして汚れているわけでもなく、埃を落として雑巾掛けをするだけで済んでしまった。数カ月前まで、ヒカルの親がまめに掃除に訪れていたという、そのおかげもあるのだろう。

 一通りの掃除を終えて、二人は奇妙なことに気付いた。

「ねぇ香坂さん。祭壇らしきものはありますが、ご神体は……」

「み、見当たりませんね……おかしいな、短刀はどこに……」

 なぜかお社には、肝心の神様が宿るご神体がなかったのだった。その代わりに、掃除道具のようなものが入った大きな鞄が、祭壇の下に隠すように置かれているのが見つかった。

「なにもない。それじゃやっぱり、井戸がご神体……?」

「うーん。両親は二人とも急死だったんで、神社のことを詳しく引き継げてるわけじゃないんですよね……正直なところ、なにすればいいのか分からないのでとりあえず掃除しに来たんで……大事なことを聞けてなかったのかな」

「やっぱり、ご両親は香坂さんに神社を任せるお気持ちはなかったんじゃないですかね。最低限のことすら香坂さんに教えてないようですし、自分たちの代でお役目を終えるおつもりだったんじゃ」

「そういう雰囲気がなかったとは言いませんが……」

 外に出てから、ヒカルは鞄の中身を地面に広げてみて、改めて不思議がった。

「父も母も、神社の掃除道具は別に家から運んでたはずなのに、どうしてここににこんなものが。デッキブラシ……モップ……ゴム長靴。あとこれ、なんだろう。なにかの部品?」

 クランク状の、なにかのハンドルのような部品がまぎれ込んでいるのが不釣り合いだった。

「ぶっちゃけ罰当たりですね、お社を倉庫代わりにするなんて。お父さんかお母さんが残されたものなのは、間違いないんで?」

 沙弥が、着物をたすき掛けにしていた細紐を外しながら、そう尋ねる。

「ですねぇ……ウチの家族以外の人が、ここに来ませんから。でもこんなの使ってたなんて知らないなあ」

「井戸の底を掃除する……にしても、あの狭い井戸じゃねえ」

 二人が道具を手に取って眺めていると、そこまでノロノロと動き回るばかりでなんの役にも立っていなかったメンドゥ久世が、井戸に寄りかかった格好で、

「風呂掃除」

 ボソっと暗い声で呟いた。

「あ、メンドゥさんが普通に喋った」

 そう楽しそうに言うガン助を、ヒカルはうさんくさいものを見るような目で見つめた。ガン助の肌の色は、死体だった時と同じような、人が持ってはならない不健康な青白さで、ヒカルの本能が拒絶反応を示していた。

 女性二人はふたたび掃除道具に目を落とすと、

「なるほど、言われてみりゃぁ」

「お風呂掃除っぽい、ですね」

「ここらにゃ、温泉でもありますか?」

「土地柄、温泉地は近隣にありますけど、この神社から歩いて行ける距離には、ないですよ」

「ふぅむ。するってぇとこいつは……」

 沙弥はなにか思いついたようで、井戸へ駆け寄ると「どけや」とメンドゥを蹴り倒し、底を覗きこんだ。

「実は温泉が……隠されているとか?」

「あはは、隠し湯ってわけですか。確かにこの地方には、武田信玄の隠し湯なんて看板がいくつかありますけど」

「隠し湯、温泉……実はそれが変若水おちみずってことじゃ? 手紙を書いたお武家さんは変若水の霊験で傷が治った、と。こりゃちょいと、底まで降りてみなきゃなりませんや」

「えっ、本気ですか?」

「アタシはやりませんけどね」

 沙弥は自分が持ってきたずだ袋から、なにか取り出してガン助を呼んだ。

「おーいガン助、ちょっとおいで」

 ガン助は、掃き集めた枯れ葉や枝を、ヒカル持参のゴミ袋にまとめている最中だった。「はーい」と良い返事をしながら小走りに駆け寄ってくる。

「沙弥さん、なにかご用で」

 パーン! とガン助の目の前でが弾けた。沙弥の仕業だ。

 驚いたガン助の目がぐるりと白くなると同時に、生身の耳には届かない、おどろおどろしい絶叫が辺りに響く。ヒカルだけが、その音の恐ろしさに思わず耳を塞いだ。ぽっかり開けたガン助の口や鼻、耳、果ては目から、陽炎のようなものが抜け出ていき、肉体が力を失って倒れる。陽炎はひとかたまりとなって、ふわりと浮かぶ半透明のガン助の姿へと変じた。

 ヒカルは絶叫と幽体離脱の様子のダブルパンチに、腰を抜かした。

「おや、香坂さんもこんな子供だましで驚いちまいましたか」

「違いますよ! なんですか今の絶叫は!」

「なにかありましたか? アタシにゃなにも聞こえませんでしたが」

「ああそうだこの人霊感ないんだった〈不死者アンデッド〉のくせに。ってゆーかなんなんですかそれ! ガン助くんが幽体離脱しちゃいましたよ!」

『うわぁー、ビックリした。沙弥さんひどいですよいきなり』

「幽霊状態ですっごいナチュラルに喋んないで!」

「こうやって驚かしてやれば幽体離脱するんで、便利なんですよ。この状態のガン助は偵察させるのにもってこいでして。ちょいとガン助、井戸の底と、周りの地面の中を見て回ってきておくれ」

『えー、僕またそんなお役目ですか。地面の中なんてなにか見えるのかな……』

「なんか不満そうですけど、ガン助くん」

「そうか……香坂さんは、こうなったガン助の姿が見えるし声も聞こえる……ガン助との意思疎通が出来る……こりゃますます、香坂さんを手放すわけにはいかなくなったね……」

 にやりとほくそ笑む沙弥。ヒカルはまだ立てずに逃げることも出来ない。ガン助はぶつぶつ不平を言いながら、ふわふわと歩くように井戸の中に入っていった。

『なにも見つかりませーん』

「なにも見つからないそうです」

「辺りの土の中もだよ、まんべんなくね」

『真っ暗で見えませーん』

「真っ暗で見えないそうです」

「んー、土の中じゃそういうもんかしらねぇ」

『あれっ?』

「あれっ? だそうです」

「えっ?」

「えっ?」

『なんか……暗いのは同じですけど、なんだろう……穴蔵みたいな感じでーす』

「穴蔵があるそうです……って、えっ? なんでそんなのが?」

「隠し部屋ですかね。香坂さんはご存じない?」

「いえ、全然まったく」

「ふぅむ。こりゃ本当に隠し湯ってセンか。お社を倉庫代わりに出来たのも、アレが本当のお社じゃない、言わばカムフラージュに過ぎなかったからで」

「お父さんもお母さんも、そういうのは生きてるうちにちゃんと教えといてくれなきゃ……」

『なんか、先が長ーいみたいですよー』

「……長く続いてるそうです。通路になってるのかな」

「まずはその通路を暴かないといけないか。おいメンドゥ、なに寝転がってやがる、アンタの出番だよ。井戸の底で、隠し通路の入り口を見つけてきな」

 自分が蹴り倒したメンドゥの頭を、沙弥は爪先でつついた。

「メンドクセ」

 とメンドゥが寝転がったまま答えると、沙弥は容赦なく後頭部を蹴りつけた。

 のっそりと立ち上がったメンドゥだが、ぼんやりと沙弥を見下ろすだけで他に動きを見せない。こうして見ると、そこそこ背の高い男だった。四百年生きているというが、昔は大男として名が知れていたに違いない。百八十センチを少し越え、体格もがっしりしている。スポーツマンの鍛えられた身体とは違う、働く男が自然と身に付ける筋肉だ。

 しかし表情はけだるく姿勢は猫背で、

「メンドクセ」

 とぼやく風情は、頼りないことこの上ない。

「そのメンドクセぇ人生から解放されるための仕事だっつってんだろうがッ!」

 沙弥が業を煮やし、柔道のような動きで手を取り足をかけ、真っ逆さまにメンドゥを井戸の底へと投げ落とした。

「うわー! 頭からですよ! 死にますよ! 殺人ですよ!」

 ヒカルが驚いて井戸を覗き込む。メンドゥはおかしな方向に首を折り曲げて悶絶していた。

「不思議と、首を折ろうが内臓引きちぎろうが死なないんですよねぇ〈人魚の不死〉って。ほっときゃ治って動き始めるでしょうから、ご安心を」

 実際、五分とたたないうちにメンドゥはもぞもぞと動き始めた。その頃には、ガン助の肉体に幽体が戻ってきて、ふたたび動き始めている。ヒカルはガン助に手伝ってもらい、お社の裏手に置かれていたはしごを出してきた。

 渋々働き始めたメンドゥは、ほどなくして井戸の壁面に細工を見つけた。石垣のように積まれた石の一つが外れるようになっており、その奥に、なにかの仕組みが隠されている。

「部品よこせ」と、メンドゥはぼやくように言った。

「部品? ってなんのことやら」

「あ、もしかして」ヒカルはお社に隠されていた鞄から、クランク型の、正体不明だった金属部品を持ってきて、メンドゥに見せた。

「これのことですか?」

 メンドゥは面倒くさそうに頷く。

「じゃ、いきます」とヒカルは部品を落とした。巧く受けとめたメンドゥは、隠されていた仕組みにあてがい、クランクレバーとなったそれを回し始めた。

 すると、ゴロゴロと音をたてて、別の壁面が動いていく。それが隠し通路の入り口だった。





 (続)

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