第三話;罠

 店に戻った莉那顔は赤くなったまま戻らず、その日は仕事に集中出来なかった。

 何故尚人が、自分がまだ男を知らない体である事を知っているのか…それが不思議であり、何よりも、気になる男性からそんな台詞を聞かされた事が恥かしく思えた。


 ---


 店が終わったのに、顔の火照りが治まらない。

 ……恥かしい。


 あの人が、もう1度店に来てくれた事は嬉しい。昨日のお礼も伝えたかったし、ちょっと気になる存在だ。


(だけど、私を目の前にしてあんな事を言うなんて…。)


 私はまだ大人じゃない。男の人を知らない。付き合った事もなければ、デートとかをした事もない。


(大人の人と付き合うとなると…あんな会話は普通なのかな?)



 あの人は帰り際に、食堂の裏に住んでいるから、助けて欲しい時はいつでも呼べと言っていた。助けたお礼が豚生姜定食では足りないと思うなら、今後も食べに来るからご飯の大盛りをサービスしろとも言っていた。

 私に気があるのかな?って少しは嬉しいと思ったけど…大人の人との付き合い方が分からない……。



 いやいや!何言ってるの?莉那!あんたは勇気を立派な大人に育てるまでは、結婚も恋愛もしないって決めたじゃない!?



 顔を洗った後、勇気の隣に寝そべって、可愛いこの子の髪を撫でた。


「勇気…あんたのお母さんは、私だからね?大人になるまでは、私が面倒を見るんだからね?」


 勇気は、本当のお母さんもお父さんも知らない。私が本当のお母さんになってあげなきゃ、この子が可哀想だ。

 だから私は結婚もしない。結婚しちゃうと旦那は勇気のお父さんじゃないから、勇気が可哀想になる。

 勇気には私がいれば、それで充分なんだ。




 次の日、コンビニに向かう用事があった。

 彼の忠告を守って、食堂の仕事が始まる前に行ったのに、何故か昨日の輩達に出くわした。


(…この人達は1日に何時間、ここで集会を開いてるんだろう?そんな事する暇あったら、勉強でもすれば良いのに……。)


 私は、高校にも通っていない……。

 でも!可愛い勇気がいるからそれも悲しくない。



 不良達を避けて店に入ろうとしたけど、彼らは入り口で立ち憚り、中に入れようとしなかった。


「何よ!まだ何か用があるの!?」

「……。」


 私は言いつけを守られずに、最初から怒鳴り口調で話した。

 すると……。


「昨日は、済みませんでした!もう、あんな口叩きません。許して下さい!」

「………?」


 調子が狂う。不良達は、余りにも弱腰だった。

 あの人は不良達に、一体何をしたんだろう??顔を見ても、殴られた後や傷もないのに……。

 とにかく私はこれで、遅い時間でもコンビニに足を運べそうだ。



 何があったか分からないけど、私からももう1度、不良達に釘を打つ事にした。


「今度、私の悪口言ったら、あの人……いや、尚人に言って、あんたらをぶん殴ってもらうんだから!」

「はい!2度としません。済みませんでした!」

「…んじゃ……さっさと道を開けなさいよ!」


 私が怒鳴ると不良達は道を開けて、片手を扉の方へ差し出して店の中へと促した。


(やっぱり、何か調子が狂う……。)


 多分、不良達は生意気だっただけで、ちょっと背伸びをしたかっただけで、本当は悪い人達じゃないのかも知れない。

 何となくそう思った。昨日は夜だったから分からなかったけど、よく見たらこの人達は高校生ぐらいの、私より少しお兄ちゃん達だ。

 背伸びをしたくて悪者ぶったけど、尚人さんが入れてくれた喝のおかげで、ちょっと優しくなったみたい。



 それよりも、さっき言った事が恥かしくなってきた。あの人の事を、尚人と呼んでしまった。仲が良いと思わせる作戦だったけど…恋人でもないのにそんな口を利いた事があの人にばれたら…怒られそうだ。

 それとも、少しは喜んでくれるんだろうか?


(……また、こんな事考えてる……。莉那!あんたは、勇気の母親なの!)



 買い物を済ませて店を出る時も、不良連中は私に頭を下げてきた。

 何か、ヤクザの姐さんみたいに扱われている気がする…。尚人さんを親分か何かと勘違いして、私を、あの人の女とでも思っているのだろうか…?


(この連中…頭悪いな…。)


 この人達の態度に気分が良いのか悪いのか…。とにかく私は戸惑いながらも、無言で片手を上げて食堂に戻った。




 晩になると、またあの人が店に来た。

 尚人……さんだ。


「豚生姜定食…。」


 注文を取りに行ったけど、恥かしかったのか、声を掛ける事も出来ずに注文だけを取った。


(それはそれとして…あの人は、今日で3回連続、豚生姜定食を頼んでる…。どれだけ好きなんだろう……?)



「嬉しいね。毎日頼んでくれるなんて…。私の、一番の得意料理だからね。」


 高山のおばちゃんは嬉しそうに注文を聞いたけど、ちょっと残念だ。豚生姜定食も美味しいけど、他の料理も、美味しい物がいっぱいあるのに……。



「お待たせしました。豚生姜定食……ご飯大盛りです!」


 最後の言葉は小さく話して、彼の前にお膳を置いた。

 彼は無言でそれを受け取り、食事を始めた。私はそれを、じっと見ていた。


「…………。」

「………?どうした?」

「あっ、いえ……。その…。…豚生姜…大好きなんですか?」

「…………そうでもなかった。でも、ここのは美味い。だから食べてる。」

「…………。」


 優しい人のはずなのに、何故か愛想が悪い。クールを気取っている風でもなく、本当に愛想が悪い。


「……………。」

「………?何だ?」

「あっ、何も……。ごゆっくり!」


 少し長い間、彼を見ていたようだ。それに気づいた私は自分が恥かしくなり、お皿を洗いに台所へ向った。



 お皿を洗っている内に、あの人は帰ってしまった。

 昨日もその前もそうだったけど、あの人はここでゆっくりして行かない。食事が終わると、さっさと帰ってしまう。


(……………。)




 お店が終わって2階に上がった私は、また買い物をし忘れている事に気付いた。勇気を汗疹から守る、ベビーパウダーが切れていた。昼間にでもスーパーで買えば良かったんだけど、最近、忙しさのせいで忘れがちになっている。

 明日に延ばす事は出来ない。大変な事になる。勇気はかなり汗っかきで、汗疹も出来やすい。

 昨日の不良はもう怖くない。私は、今日の内に買い物を済ませる事にした。



 昨日とほぼ同じ時間にコンビニに向うと、昼間と同じように不良連中が集会をしていた。


(どれだけ暇な人達なんだろう?)


「あっ!こんばんは!買い物っすか!?」

「……ちょっとね。」


 愛想なしに挨拶して、コンビニに入る。


「あれっ?」


 ベビーパウダーがない。コンビニには何でも揃っていると思っていたけど、ここにはない。


(って言うか、今日の昼もここに来たのに、どうして思い出せなかったんだろう……。)


 働き過ぎて、少し疲れているみたいだ。


「?何も買わなかったんですか?」

「……欲しかったものがなくてね。」


 店を出ると、また不良連中が声を掛けて来た。面倒臭いな…。


「欲しいものって、何っすか?」

「ベビーパウダーよ。子供が汗っかきだから要るの。」

「それなら、近所の薬局に行けば良いっすよ。そこ、12時まで開いてますから。」

「本当?何処にあるの?」

「このまままっすぐに行けば、歩いて10分ほどのところにあるっす。晩も遅いんで、俺達がボディーガード役、買って出ますよ!?」

「…………。」


 親切なんだか面倒なんだか……。


(…って、この近所に薬局ってあったっけな?)


 この町に来て半年になるけど、働いてばかりで近所の事をよく知らない。

 一緒にいるのは面倒だけど、道を知らない私は不良達の案内で薬局に行く事にした。




「薬局って、何処?何か、道も暗くなってきたけど……?」


 10分が過ぎても、辺りに薬局は見当たらない。それどころか建物も減っていって、道も暗くなってきた。


「…………。薬局なんて、ある訳ないだろ?」

「えっ?」

「頭悪いな?そんな事だから、ガキ作っちまうんだよ。」


 前を歩いていた不良達が振り向き、突然襲い掛かってきた。


(えっ!?嘘!?)


 不良達の作戦に気付けないまま、両手を掴まれて動けなくなった。


「単純だな?ちょっと優しい顔すれば、信じてついて来た。何をされるかも知らねえで……。」


 1人の男が私の口を手で塞いで、何処かに連れて行こうとする。

 一生懸命に逃げようとしたけど、5人の男を相手には無意味だった。


(本当にヤバい…。)


 抵抗も虚しく、近くの公園まで連れて来られた。

 ここは田舎町だ。ここに来るまで、誰にも会わなかった。公園にも誰もいない。


 遂に私は押し倒され、手足を掴れて大の字にさせられた。


(こんな事、あり得ない…。私が馬鹿で、無防備過ぎた…。)

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