序章

第一話 失われた世界

 少年は──歩いていた。

 北の荒野に吹きすさぶ寒風の中、少年は歩いていた。

 焦点の定まらぬ虚ろな眼差しのまま、砂嵐に身を任せるが如く、当てもなく枯れた大地をゆく。

 透けるような白い肌と、吸い込まれるような黒い髪。

 それは対照的な二つの色を合わせ持つ、どこか不穏さを覚える少年だった。

「……ぜ……ぜ……」

 乾ききった喉から聞こえる、老人のような息遣い。

 少年が一歩足を踏み出す毎に、苦しげな呼吸がひび割れた唇から漏れた。

 傷だらけの身体に削げた頬、旅支度さえ何もない。

 それは──であった。

 一体どれほど歩き続けたのか、靴もない両足の爪はとうに剥がれ、とても満足に歩けるような状態ではなくなっていた。また少年の首には一本の麻縄が括りつけられており、それをずるずると引きずって歩く様は、異常というよりもむしろ、不気味ですらあった。

 細く、今にも折れてしまいそうな骨と皮だけの四肢は、自らの意思ではなく、まるで何者かによって操られているかのよう。夢遊病者のような少年の瞳は一切の光を宿しておらず、深く穢れた闇の奥底に沈んでいた。

 明らかに旅人といった風ではなかった。

 年の頃はまだ六歳から七歳か。一人旅が出来るような年齢でもない。

 ましてその身体にはあちこちが擦り切れ、もはや原型も分からなくなったボロを纏うのみで、少年は防寒着の一つすらも持ち合わせていなかった。特に衣服の腰から下は引き裂かれたように傷みがひどく、だらしなく伸びた繊維が吹きつける風に寒々となびいている。

 浮浪者か、奴隷か──あるいは、孤児の類だろうか。

 旅に必要な一切はなく、少年のただ一つの所持品といえば、その胸に抱いた丸い

 それは少年にとって、よほど大切な物なのだろう。

 初めての使いを頼まれた子供のように、少年は枯れて節くれ立った指を複雑に絡ませながら両手でそれを抱いている。

「は──」

 突然、少年の体が弾かれたように傾いだ。

 親指ほどもない大地の凹凸に足を取られ、姿勢を崩したらしい。

 両手が塞がっているため受け身が取れず、強かに頭を打ちつけてしまう少年。額が勢いよく跳ねあがり、固く乾燥した地面は少年の薄皮を易々と裂いて、そこに新たな血を滲ませた。

「……」

 だが倒れ伏した少年の表情は、厭に穏やかなものだった。

 痛覚どころか、まるで感情そのものが欠落しているかのような。その顔にはいささかの変化も見受けれず、あるのはただ底知れぬ絶望という、光射さぬ暗闇だけ。

 やがて少年は何事もなかったかのように、震える足を踏み出した。色のない荒野に麻縄の痕だけを引きずりながら。

 少年は一体、何処へ向かおうとしているのか。

 その瞳にはいま、何が映っているのか。

 それは誰にも分からない。恐らくは少年自身にも。


 ──ただ、一つだけ確かな事。

 少年は光なき暗がりの中を歩いていた。

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