第31話 ミクロで決死圏

 俺は、昔、テレビでやっていたのを見たアメリカのSF映画のことを思い出す。確か『ミクロの決死圏』とか言うやつだ。

 瀬死の天才科学者を救うため、ミクロ化した医療チームが体内に潜入、中から脳の治療を行うとかいうものだ。体内の抗体から逃げたり、血流に流されたりいろんなピンチを乗り越えてついに治療に成功する。そんな話だったような気がする。

 なんとも幻想的な人間の体内(サルバドール・ダリが美術を担当したと言うのは間違った情報のようだが)をハラハラドキドキのドラマをもって駆け抜ける。詳細はもう忘れてしまっているが、それを見た子供の時感じた、とても面白かったなという記憶だけはしっかりと覚えている。そんな映画だ。

 で、俺は今回、そのミクロの決死圏をやろうと思ったのだった。外部から入れないのならば、キメラの中に取り込まれ入り込み、内部から倒す。映画の治療とは真逆の行動だが、そんなことをしようと思ったのだった。

 もちろんただ取り込まれたのではあっという間にキメラの一部になってしまいそうだし、単なる凡人の俺が、いくら内部に入り込んだからってキメラを破壊することなんてできそうもない。なのでロータスによる聖なる加護で魔物に精神が取り込まれないようにした上で、ローゼの破壊魔法を封じ込めた魔石を持ってその内部に侵入したのだった。まあ、侵入といっても、ローゼの魔法でつくった人間大砲に込められて打ち込まれたら勝手に取り込まれただけだが、ともかく俺はキメラへの侵入にはまんままと成功したのだった。

 

 ただ、なんか思ったのとちょっと違った。別にミクロになって取り込まれたんじゃないが、キメラの大きさに比べればミクロな俺は、その体内を件の映画のように動き回れるのかなと思っていたら、その体内は想像の斜め上の状況になっていたのだった。

「ようこそいらっしゃいました」

「は……はい」

 体内に取り込まれた俺は、なんだか会社の受付のようなカウンターの前に立っていた。そこに座っているダークエルフのお姉さんが俺に向かってニッコリと笑いかけながら軽い会釈をする。

「入社希望の方ですね?」

「は……はい?」

「えっ、違うんですか?」

 お姉さんの目がギラリと厳しくなる。

「いえ……違いますではなくて……そうですでもなくて……入社希望です! 御社に入社を熱烈望みます」

「あら……すみません。疑うようなことを行ってしまいまして……時々冷やかしで入って来て免疫魔物の餌食にしなきゃいけないような人もいて……あなたは違うようで安心致しま……」

「そうだね。その気迫。良い感じだね」

 俺が手に脂汗掻きながらしどろもどろの対応していると、奥から出て来たのはロマンスグレーの上品そうな紳士。口元にキラリと光る牙を見ると、吸血鬼なのだろうか。

「はい。やる気だけなら誰にも負けません!」

 俺は、今まで何回もバイトの採用面接で言ったその言葉をこんな異世界のキメラの体内でもまた繰り返すのだが、

「ううん、みんなそう言うんだけど……どうかな我が社キメラは結構仕事きついよ……」

「……う」

 バイトの時と同じようにかえってやる気を疑われる俺であった。

「もし、仕事きついと言われてひるむ程度の根性ならば……さっさと免疫魔物に喰われてしまった方が幸せ……」

 吸血鬼の紳士の横から凶悪そうなどす黒いスライムが俺を飲み込んでしまおうとするすると動き出す。

「いえ、いえ、待ってください」

 俺は焦りながら言う。

「仕事がきついなんて全く問題ありませんよ」

「ほう?」

「なぜなら御社こそが私が望むものそのものなのです。御社こそが私の自己実現そのものなのです!」

「なぜ?」

「なぜなら御社の崇高な理念に私は惚れ込んだからで……」

「理念? 君は我が社の理念を本当に理解しているのかな?」

「はい……」

 俺は、受付の後ろに貼られたこの会社キメラの企業理念をちらりと横目で見る。

 ——友情、努力、世界滅亡。

 なんか一昔前の少年漫画雑誌みたいな理念だな。最後があれだけど。

 でも、俺は、その最後の言葉になんだかこの面接をされているこの瞬間、妙に共感を感じる。

 俺は、今までバイトで不採用にされた時に感じた万感の思いを込めながら、

「この……世界などつまらぬものです……」

 そう言うのだった。


「はい、採用!」


   *


 この会社キメラに入って、俺は心を入れ替えたように働いた。前の世界で、ずっと部屋でゴロゴロしてた自分が嘘のように、やりがいをもって何事にも取り組んだ。

 そうしないと俺はここで異物となる。ならばこのキメラの免疫機構により排除される。ネットで検索した免疫の仕組み。自然免疫と獲得免疫。俺はその仕組みを思い出す。

 自然免疫は体内に侵入した細菌やウィルスのような異物を、その異物特有のパターンから認識して排除する仕組み。異物を、それらに見られる一般的なタンパク質構造パターンに応じてすぐに判断。即効性のある免疫機構だ。今回のキメラ侵入で言えば、入るなりいきなり行われた面接で企業キメラ理念にうまく合致する人間なのか見られた。そのような認識、そして排除の機構だ。

 他方、獲得免疫。これは、人間とかの高等哺乳類などに見られる免疫機構で、自然免疫をくぐり抜けたウィルスなどの異物を認識、排除するものだ。具体的には、あらかじめ侵入が予想される異物のタンパク質パターンなどを認識するような免疫細胞を作っておき、実際にそれがやって来たら認識、攻撃細胞にを排除を指示する。そんなしくみになっているようだ。

 入社面接——自然免疫——をパスした俺は、今は獲得免疫——日々の査定——に晒されていると言うことか。成果を出すことを求められているのだ。

 俺は、滅私奉公、粉骨砕身。今時めずらしい昭和スタイルの愛社精神あふれるモーレツ社員として会社キメラにつくした。働いている時に時間を忘れ、思わず徹夜をしてしまうようなこともあるほどだった。

 とはいえ、俺はブラック企業に入りその中で、洗脳搾取されているのと言うのとも違う。

 入って見るとこのキメラ社は、社員のことを考え、それぞれの個性を生かし伸ばし全体の発展を目指そうとする模範的な企業であった。現代にあわせ働き方も変えていかなければならないと、勤務時間や役職もさ様々な個性に合うようないろんな形態を採用しているし、休みもきちんととらせ、出産や病気の際のケアも完璧。今の時代に求められるような模範的な会社。それがキメラ社であった。

 しかし、そんなホワイト企業にあっても、その環境に安心することなく俺は一生懸命に業務にうちこんだ。

 それは、このキメラの中に、異物として、ウィルスとして入り込んだおれが免疫モンスターに目をつけられないようにと過度なくらい会社人間に見えなければならいと言う思いも当然あった。でも、実は、なんだかこうやって初めて一生懸命に働くと言う経験をしてみれば——それにとても充実感を感じてしまっていたのだった。

 同じようにキメラに取り込まれた仲間たちとも随分と気があった。特に異能があるわけでもないただの人間である俺の役目は総括や企画的な仕事であったが、そんな身近な職場の仲間だけでなく、最前線で異能を振るっているモンスターたちのもとにも頻繁に足を運び現場の意見を聞き取って会社キメラ全体の改善に向けてさらに頭を絞ることも行った。すると、同僚からは激しい意見の応酬となるが、結局はみんな会社のことを考えてやっている者たち、最後には気持ちも一つとなり……そのあとんみんなで飲むお酒の美味いことと言ったら!

 俺は、もしかしたら生まれて初めてといってもよいかもしれない、充実感、高揚感に包まれていた。当初の、キメラに入った目的を忘れたわけでないが、この会社キメラの中で働くことの素晴らしさをどうしても否定できない。俺は、ウィルスとしての自分のことはひとまずおいておいて、ますます精力的に仕事に取り組むようになっていったのであった。

 すると、傍目から見ても一生懸命で、成果も上がっている俺の評価はあがる。気づけば役職もついて、おおきなプロジェクトを任されるようになり、それが成功すればさらに責任ある仕事を任されて……


「……君が我が社キメラに入って来てくれて本当に良かったよ」


「は……ありがとうございます」


 俺は、ある業務改善プロジェクトの成功で直々に社長に呼ばれお褒めの言葉をいただいているところだった。社長は、随分と俺のことを評価していてくれていると言うことで、直々に一対一で会って話したいとのことであった。

「君の業務改善プロジェクトで感心したのは、企画部だけで机上の検討をするだけでなく現場に足を運んで、本当の問題点を拾い出して新たな業務を確立したことだよ。これは、自分のことだけでなく会社キメラ全体のことを自らのこととして考えていなければできないことだ。感服したよ」

「いえ、そんな過大なお褒めの言葉、恐縮いたします」

「いやいや、謙遜しなくて良いよ……君の働きは大したものだ。おかげで我々の仕事も大分進展があった……見たまえ」

 俺は突然目の前、空中に現れた映像を見る。

 それは、キメラと戦うローゼの姿であった。

 ローゼはこちらキメラに向かって火球を打ち込んでくるが、それは対抗して打ち出された水球によって阻まれる。逆にすかさず打たれた雷撃がローゼの周りの地面を吹き飛ばし、ローゼとサクアが宙を舞う姿が見えた。

「ローゼ……」

 俺は思わず、それを見て、と言葉を漏らしてしまうが、

「ふふ……主人がやられている姿はやはり気になるのかね? ローゼの使い魔くん」

「……っ」

 バレてる。

「うまく侵入したつもりだろうが……私の目をごまかせると思ったかね?」

 というか、なんの工夫もなくただ俺が飛ばされて取り込まれただけだからな、ごまかすも何も、最初から丸バレだったわな。でも、それなら? なぜ?

「……なぜ君を排除しなかったのかと不思議そうだね」

 うわ。完全に読まれてる。この人できる人だわ。

「異分子を簡単に排除する。君は、そんなやり方でこんな会社キメラが経営できると思っているのかね」

 この反語。質問に見えて質問じゃない。

「できない……」

 そう答えるしかない言葉を俺が伝えると、

「ふふ。ご名答、君くらい取り込めなくてなにがキメラだ。どうだ、君はこの会社キメラが結構楽しかったんじゃないかね?」

「うっ……」

 俺は思わず口ごもる。

 なぜなら、その通りだったのだ。もしかしたら生まれてから一番と言えるほど充実していたのかもしれない。

「君には、一切の精神操作は使ってないよ。あの聖女様が対策打ってるのもわかっていたからね……」

 映像の中では、大気の凍りつく冷気を霊気で必死に防御しているロータスの姿。

「君は……自らの意思で会社キメラに共感して……取り込まれていったのだ。正直それは幸せな体験ではなかったかね」

「……くっ」

 悔しいが、その通りだった。俺はこの会社キメラが好きになりその中にいたいと思うようになっていた。それは精神操作などでむりやりそうなったのではなく、自分自身がそう思って行ったのだったと、俺は自分自身が一番よくわかっていた。

「どうだね。元の世界に戻ってもろくなことはないとは思わないかね? どうせ人生いままでろくなことはなかたんだろ」

「……くっ」

 またまた悔しいがその通りだった。前の世界では基本引きこもりの人生。ここキメラ以上に需実したことなんてあるわけがない。この世界に来てからもローゼたちに振り回されて、充実というよりは心労の連続だし。

「私は、君のように、むしろ反意を持ってここキメラに来て、しかし我らに取り込まれた者こそを信用するのだよ。我らと真に歩みを同じくできるものとね」

 キメラの社長コアは俺に向かって手を差し出していた。握手を求めているのだろう。これを握れば、俺は完全にこのキメラの一部となる。それが直感的に俺にもわかった。そして、それを俺は望んでいる。それも直感的に俺にはわかった。

 逡巡する俺の手が微妙に前に動き、社長コアがニヤリとするのがわかった。

 一度動き出した手はジリジリと前に進んだ。

 そうだな。正直、前の世界でもこっちブラッディ・ワールドでもろくなことのなかった人生。このキメラの目的が世界滅亡だとしても……それは別に俺も心の底で望んでしまっていることなのではないか?

「……使い魔づかいの荒い主人のことなど気にしなくても良いのではないか。あとドジな聖女につきまとわれて困ることもなくなるぞ。なんならこの世界を滅亡させたあとは君の世界にまで攻め込んで、全てを消し去って、今までの嫌なことも何もなかったことにしてしまっても良いぞ。その崇高な目的を実施するため、君はこの会社キメラの幹部として活躍ができるのだ」

「…………」

 俺は、黙り込み、しかし手はジリジリと前に出てしまう。俺にはわかっていた。俺はそうなること——世界滅亡——を望ましく思っているのだろう。


 しかし……


 俺は、次々に打ち込まれてくる岩石を魔法陣で防ぎながら苦しそうに顔を歪めるローゼの姿を見る。霊力を使いローゼの傷を癒しているロータスを見る。

 確かに、この連中にはこの世界に来てから迷惑をかけられっぱなしであるが、彼女らなりに悪意はなく、みんなのことを思った行動がそれなのであって……とはいえ、いい加減にしてほしいと思ったことはなんどもあったが……しかし……

 俺は、少なくとも一宿一飯の義理以上のものはある彼女らを見捨ててしまえるのだろうか? そう思うと俺の手は止まるのだが、

「なに、世界滅亡といっても気にすることはないよ。間違った世界が消滅して、よりよい世界をやり直すきっかけを我々キメラが作り出すだけだ。いろんな神話にあるような世界の再創造。それが始まるだけだ。ろくなことがないこの世界をやり直してしまおうというだけだ。君はそれに同意してくれる人災と見受けるが?」

 ああ社長コアの言う通りだよ。俺には、今までの人生ろくなことなかったと思うし、こんな世界消えてやり直した方が良いと思ったことも一度や二度……十度や二十度……いや十万度や二十万度……

 ——ともかく、俺がこの会社キメラの理念に賛同してしまうような人間であることは否定しない。

 でも、

「コモちゃん……」

 俺はローゼたちが必死に守ってくれている幼地味の秋桜コモちゃんの胸元に、やすっぽいプラスチックのペンダントがある。彼女がそれを必死に握りしめているのを見る。

 うん、それを見てしまったら……

 俺は、この世界を、前の世界を、どれくらいあるかわからない全ての世界を……無意味に思うことはできなくなってしまう。

 ならば、

「な……なに! やめろ! お前……自分が何を……消滅こそが全ての世界の救済……それをお前は!」

 俺は、ポケットからローゼから渡された魔石を取り出し、どす黒く光るそれに向かって念を送りながら、言われた通りの呪文を唱える。


「バル……」


 それはあの有名な呪文そのものであった。

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