廃屋詛~はいおくそ~ 

たんばたじかび

第一章 肝試しの謀


     



          *


「あいつ、今頃どんな顔してんだろ」

助手席の美弥が笑った。

 仲間の一人を心霊スポットと呼ばれる廃屋に置き去りにし、四人はすでに山の麓まで下りて来ていた。

 だが、楽しそうな美弥へ水を差すように乃里子が引き返そうと言い出した。


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 肝試しに行こうと最初に言ったのは四人のうちの誰だったのだろう。

 まだその時期には遠い、肌寒い春の夜だった。

 グループは男二人、女三人の大学の仲間で、わたしだけいつも浮いていた。

 肝試しと言う言葉に嫌な予感がしたのを覚えている。そういうことに鋭くなっていた。

 だが、行きたくないと言えないまま、車は心霊スポットの廃屋を目指して深夜の山中を走った。

 車内は静まり返っていた。みんな怖いからだとばかり思っていたけどそうじゃなかった。

 彼らにはたくらみがあったのだ。その浮きたつ心を抑えるために沈黙していただけ。

 それは目的地に着くとすぐわかった。

 二人一組で入ろうと手渡された懐中電灯。ちっぽけな明かり一つで暗闇に取り残されるのはわたし。

 じゃあねと言って、二組のカップルは次々と楽しそうに入っていった。

 恐る恐るライトで照らす。浮かぶ廃屋は雑木林の闇に囲まれていた。

 立派な造りの日本家屋は何十年か前まではちゃんと人の住み家だったのだろうが、今は蔦がはびこり朽ちかけている。家の中にまで繁る雑草が開け放された玄関から見えていた。

 きっと肝試しが済むまで帰れない。前に進むしかないとため息をついた。

 割れて散らばった引き戸のガラスを踏みしめ、ライトを頼りに三和土にあがる。

 すぐの板の間の中心に囲炉裏が見えた。もちろん鍋などなく、鉤の付いた棒が釣られているだけだ。

 光をあちこち向けてみる。

 襖が外れて隣の和室が丸見えだった。畳は乱雑にめくられ、床板の穴からたくさんの雑草が覗いている。これでは外と変わらないと思った。

 散らばる畳は腐っていてひどい臭いがし、倒れかけの襖には顔のような茶色い染みが無数に浮き出ている。

 早く通り過ぎたいが、床板を踏みぬきそうでゆっくりした歩調でしか進めない。

怖いのに、つい光を向けてしまう。

 鴨居の上に何かいてどきりとした。欄間に施された龍だった。埃をかぶっていても精巧で見事な造りだとわかる。

 柱や梁にもこの家を建てた人のこだわりを感じたが、今や心霊スポットだ。

 ずっと先から楽しげな悲鳴が聞こえてきた。あの人たちに畏怖はないのか。

 光の輪に浮かぶ様々なゴミ。菓子の空袋やペットボトル、使用済みの避妊具まである。ここは単なる若者たちの遊び場、心霊スポットなんて誰も本気で思ってやしないのだ。

 こんなことさっさと終わらせて、帰ったらこのグループから抜けよう。

 わたしはそう決心して歩を進めた。


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「びびって泣いてるんじゃないか」

「ちびってたりして」

「ちょっ、そんなの車に乗せんのイヤだぞ」

「じゃ、置いていけばいいじゃん」

 浩郎の腕にすがりつき美弥はけらけら嗤った。

「もういい加減、あのこ抜きにしたいんだけど」

 先を行く瑛士と手を繋いだ乃里子が振り向いて二人に光を向ける。

「眩しいなあ。やめてよ」

 美弥が浩郎の肩に隠れた。

「いじめるの楽しいのはわかるわよ。でももうめんどくさいのよね」

 乃里子が光を前に戻すと、開けっ放しの押し入れが輪の中に浮かんだ。

 あそこに誰か座ってたら怖いな、と瑛士がおどける。

「もう変なこと言わないで、さっさと行きましょう」

 ぐいっと乃里子に引っ張られ、瑛士が勢いよくつまずいた。

「なによ。自分だって楽しんでたくせに。ふんっ。

 そうだ。本当にあのこ置いていっちゃわない?」

 美弥が浩郎に耳打ちした。

 光を自分の顔に当て、浩郎はやんちゃな子供のようににっと笑った。


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 先に進んでも彼らの姿はなかった。わたしが追い付くのを待つつもりはないらしい。さっきまで聞こえていた悲鳴も笑い声も今は聞こえなかった。

 奥に入るほど床板の傷みが激しく、急げないのがもどかしい。

 突然、外からエンジン音が聞こえ、車の走り去る音がした。

 まさかとは思ったが、やっとたどり着いた裏口から表に回ると、停めてあった浩郎の車がなかった。

 我慢していた涙が冷えた頬を伝う。

 ここから真っ暗な山道をひとり歩いて帰れと言うのか。ううん、いつものいたずらだ。しばらくすれば帰ってきてくれるだろう。

 玄関に戻り、上がり框に腰掛ける。

 物音ひとつない暗闇に自分も溶け込んでしまうような気がした。懐中電灯の光は頼りなく、自分の体を抱きしめる。

 遠く走行音が聞こえてきた。

 慌てて外に出ると、木々の間をちらちらとヘッドライトが近付いてきた。


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「あいつ、今頃どんな顔してんだろ」

 助手席の美弥が笑った。

 浩郎が運転する四駆車は山の麓まで下ってきて、カーブの多い細道から二車線ある道路に出たところだった。

「悪趣味ね」

 後部座席に座る乃里子が鼻を鳴らす。

 美弥は振り返り、「何言ってんのよ。あんただって同じ穴のムジナじゃない」と睨み付けた。

「ま、そうだけど。でもそろそろ引き返しましょう」

「ここまで来て、なんで。いやだよオレ。ガソリンもったいねーし。疲れたし」

 浩郎が細い眉をひそめた。

「あんなところに置き去りにして、面倒なことにでもなったらたいへんだわ。わたしたちのためよ」

「あのこの心配してるわけじゃないんだ。さすが乃里子ね」

 美弥はふふんと笑って、浩郎の二の腕をつついた。

「ちっ、わかったよ。戻ればいいんだろ。戻ればっ」

 浩郎は車をUターンさせ、来た道を戻る。

 しばらくすると廃屋がヘッドライトに浮かんだ。

 手前で車を止め、浩郎が辺りを見回す。誰もいないので、あいつまだ中にいんのかよ、と不機嫌な声を出した。

「もう山を下りたんじゃないか」

「それはないでしょ」

 瑛士と乃里子のやり取りを聞いて、「ちょっと見て来てよ」と浩郎が振り返る。

「いやよ。浩君が美弥と一緒に見てきたらいいじゃない。あんたたちが言い出しっぺなんだから」

 乃里子はてこでも動かない意思を示すように、座席に深く体を沈めた。

「わかったよ。行こ」

「もう、ほんっとに乃里子って我がままよね」

 浩郎と美弥は仕方なく車から降りた。


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 ――寒い。

 わたしは廃屋の中でぼんやりと立っていた。

 立派な床の間のある一番奥の部屋だった。足下に転がっている懐中電灯が床板の暗い穴に光の輪を映している。

 あのヘッドライトは迎えに来た車ではなかったのか。なぜまだここにいるのか。何も覚えがなかった。

 腰をかがめて懐中電灯を拾う。光が床下の闇にいるものを照らした。

 よく見ようと穴を覗き込んだ。

 首に古縄を巻かれた女が俯せに倒れていた。髪が乱れ、衣服は埃や泥にまみれている。どう見ても生きている人には見えない。

 確かめようとした時、土気色の顔がこっちを向いた。女は濁った眼球でわたしをじっと見つめ、ゆっくりと這い出してきた。


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 美弥と浩郎は再び廃屋の玄関先に立った。誰もいる気配がない。

「ったく、どこ行ったんだよ」

 二人は板の間に上がり込み、懐中電灯で辺りを照らす。

 がたんと奥のほうから音がした。

「おーい。さっさっと出て来いよ」

 浩郎が面倒くさそうに呼びかけたが応答はない。

「あいつったら何してんの。あーあ、戻って来なきゃよかった。乃里子のせいよ」

 美弥もうんざりした顔で髪をくしゃくしゃとかき上げた。

 廊下から床の軋む音が近付いてくる。

 浩郎が光を向けると、首に縄を巻き付けた女がゆっくり入ってくるのが見えた。


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 そうだった。あの車は浩郎のものではなかった。

 降りてきた三人の男は玄関先で佇むわたしを見て一瞬驚いたが、すぐ下卑た笑いを浮かべ襲い掛かってきた。

 力の限り抵抗した。叫び声をあげ、暴れるだけ暴れ、押さえ込みにきた男の手の肉も噛み千切ってやった。

 でも、我が身を守ることはできなかった。

 手から血を流した男がわたしにまたがり、落ちていた古縄で首を絞める。目には怒りと狂気が浮かんでいた。

 苦しくて声を出せず、見つめることで命乞いをした。

 だが男は力を緩めなかった。

 わたしは見つめ続けた。命が消える最後の時まで――

 ゴミのように床穴に捨てられたわたしは、仲間を呪い、男たちを呪い、すべての人間にわたしと同じ死を願った。

 そう、床下から這い出してきたのはわたしだ。


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「お、おい、ふざけんなよ」

 浩郎はぎこちない動きで少しずつ自分たちに近付いてくる女に怒鳴った。光の中の見知った顔がどこか違う気がする。まるで死人のような――そう思ったとき足下から震えがきた。

 逃げなければ。とっさに美弥と手を繋いだ。

「ねえ、なにあれ。ばかじゃないの?」

 美弥はまだ何も気づいていなかった。

 女がつぶやいている。

「えっ、なに? 聞こえないわよ。気持ち悪いわね。

ねえ、もうほっといて行こう」

 美弥が浩郎の手を軽く振ったが、もう動けなかった。

「――シネミナシネミナシネミナシネミナシネミナシネミナシネミナシネ――」

 声が聞き取れるほど女が近寄り、やっと異常に気付いた美弥が短い悲鳴を上げて手を引っ張った。

 だが、首を絞められているように苦しくて、美弥の手を振り払った。

「なにやってんのっ」

 伝えたくても返事ができない。

 浩郎は懐中電灯を捨て両手で喉を掻きむしった。指先が肉に食い込んで暖かくぬめる。

「――ミナシネミナシネミナワタシトオナジ――」

 女の呪詛は続く。

 血にまみれて浩郎が倒れた。両目を開けたまま動かない。それを見て美弥が腰を抜かす。尻の下で温い染みが広がっていった。



「遅いわね。何してるのかしら」

 暗い窓を見て乃里子がつぶやいた。

「ほんとにいないんじゃないか? やっぱりもう山を下りたんだよ」

 持っている携帯ゲーム機から目を離さずに瑛士が返事をする。

「じゃさっさと戻ってくればいいのに。早く帰りたいわ」

「中でよろしくやってんだろ」

「こんなところで?」

 乃里子はぷっと吹き出し、ないないと手を振った。

 幾度となく聞いたゲームオーバーの音がして瑛士が舌打ちしたあと、「見に行こっか」とドアを開けた。

「えー。めんどくさい」

「何してんのか、ちょっとだけ覗こう」

「いやだぁ、瑛ちゃんってそんな人だったんだ」

 乃里子は言うほど嫌なふうでもなく、車を出た瑛士のあとを追った。

 突然脳裏に不吉な記憶が過ぎり、乃里子は足を止めた。胸がざわざわと騒ぎ出す。

「瑛ちゃん――行くのやめよう。なぜか行っちゃいけない気がする」

 瑛士が振り返り、手を差し出した。

「何言ってんだよ。早く行こう」

 乃里子は仕方なく歩を進め、廃屋に入った。

 板の間に浩郎と美弥が倒れていた。ふたりとも両手で喉の肉をえぐっている。

「なんだよ。これ――」

 瑛士は呆然として立ち尽くした。

 ぶつぶつと声が聞こえ、二人は顔を上げた。部屋の隅にうつむいた女が立っている。

 乃里子は思い出した。

「瑛ちゃん、逃げよう」

 しかし、瑛士が突然苦しみ出し、喉を掻きむしり始めた。

 そうだ、逃げられないんだ。この呪いは繰り返されている。何度も。何度も。何度も。

 誰も逃げられないんだ。

 乃里子も喉を掻きむしった。

「もう許して――」

 血と肉片の付いた手を合わせて懇願しても、女の白く濁った瞳は何も映さず、ただ呪詛を吐き続けているだけだった。

「ミナシネミナシネミナシネミナシネミナシネミナワタシトオナジ――」


           *


「あいつ、今頃どんな顔してんだろ」

助手席の美弥が笑った。

 仲間の一人を心霊スポットと呼ばれる廃屋に置き去りにし、四人はすでに山の麓まで下りて来ていた。

 だが、乃里子が後部座席から身を乗り出し忠告する。

「そろそろ引き返しましょう。あんなところに置き去りにして、面倒なことにでもなったらたいへんだわ。わたしたちのためよ」

 そして、「でも、もう遅いのよね」と、なぜか自分でもわからない独り言をつぶやいた。






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