第31話 アルゴの岩場

 ディカーン歴504年3月20日

 フシュタン公国歴107年3月20日


 朝まで足が痛いと呻いていたアレッサンドロさんは、俺の太腿マッサージを受けて何とか歩けるようになり、足を引きずりながら俺の部屋を出て行った。


 「僕は絶対この足を魔法で回復しませんから……」


 そう言って笑顔で振り返るアレッサンドロさんに向けて俺も笑顔で応える。


 「無理はしないでくださいね」


 「……はい」


 アレッサンドロさんの小さな後ろ姿が、俺がまだこの宿舎に来て一度も出ていない扉から消えるまで眺めていると、入れ替わりでミシェルさんが現れた。


 あれ? もうそんな時間?


 俺は部屋の中の時計を見る。まだ7時過ぎだ。勉強を始めるにしては早すぎる。だが、ミシェルさんはまっすぐ俺の前までやって来た。


 「君に教える事はもうないね」


 ミシェルさんが俺を見上げてそう言った。まだ俺の言ったことを怒っているのだろうか? 


 「昨日はみっともない姿を見られてしまったね。私のあの態度は君のせいではないんだよ。私の個人的な感情……そういったものだね。君に教える事はもうないというのはね、今日から巡回に出てもらうからなんだよ」


 「巡回!?」


 ということはこの宿舎から外に出る事ができるのか!? 俺はこちらを見上げてそう告げたミシェルさんの顔を見つめる。相変わらずミシェルさんの表情は読み取りにくいが、言葉の通り怒ってはいないようだ。


 「そうだよ。最初に色々説明する事があるからね。今日は早めに来たんだよ。君の方はどうだね? 直ぐに出る事ができるかね?」


 「は、はい! あ、でも朝食がまだです」


 アレッサンドロさんを送り出すことに必死でまだ朝食を食べていないという事を急激に訪れた空腹によって俺は思い出した。


 「それなら大丈夫だよ。朝からやっている店で食べれば良いからね」


 そう言ってミシェルさんは歩き出した。俺はその後をミシェルさんを蹴り飛ばさない様に距離を保ちながらついていった。一般局員の宿舎は魔法局の塔の西側にある為、朝7時になっても巨大な塔の陰がかかっており少し薄暗い。その塔を背にするように宿舎の間の通路を進む。特に朝早いと言うわけでは無いが、宿舎の周りには他の局員の姿は見当たらなかった。俺が周りをキョロキョロと眺めていると、ミシェルさんはこちらを振り返りもせずに俺が感じた謎の答えを教えてくれた。


 「魔法局は24時間体制で3交代制だが、その交代の時間は何時かね?」


 そうだった。魔法局は24時間体制で1日を3つに区切り、その区切りに隊を振り分けていたのだった。3つに区切るから3で割り切れる数字、9つの隊があるとミシェルさんが教えてくれたのだった。


 「朝8時、夕方4時、深夜0時の3回です」


 「正解だよ。良く覚えていたね。つまり朝8時になれば宿舎から皆が慌てて出て来るよ。では、今月朝8時から夕方4時までの勤務を担当しているのは何番から何番の隊かね?」


 これはすぐに分かる。


 「一番隊から三番隊が担当します」


 「正解だよ。だが、これから向かう場所は正規の巡回の順路とは少し異なる場所でね。君には申し訳ないが、私の事に興味があるよなので朝から付き合ってもらう事にしたんだよ」


 正規の巡回の順路とは違う場所? ミシェルさんはどこに向かっているのだろう。


 「私の好きな場所を見せてあげるよ」


 ミシェルさんの好きな場所? それは面白そうだ。正直一週間まともな筋トレが出来なかった俺は、どこでも良いから広い場所で思い切り体を動かしたかった。高い山や壁を登るでも良いし、重い物を遠くまで運ぶでも良い、大きな穴を掘り続けるなんていうのにも憧れる。


 「ありがとうござます!」


 俺の元気な返事を聞いてミシェルさんが振り返った。その顔には薄っすらと驚きの表情が浮かんでいる。


 「やっぱり君は変わっているね。私はこうやって新局員を連れ出して嫌な顔をされなかったのは初めてだよ。君は変わっているね。うん、変わっているね」


 俺が変わっていることがうれしいとでも言う様な口調でミシェルさんは1人頷いている。一般宿舎の西側には宿舎と同じような長屋が並んでいる。確かこのフシュタン公国は学園都市国家と呼ばれていて、特にこの首都のロマにはエルコテ魔法学園と肩を並べるロマ魔法学園があり、その魔法学園の生徒達用の建物がたくさんあるという事だった。その中でもあまりお金のない生徒達が住んでいるのがこの西側だ。


 苔や草が建物の石の壁を覆いつくしている事から建物自体かなり年季が入っている様だ。一部崩れた壁などもあり、応急処置の様に板や布で塞がれており、その板や布も苔やカビの様なもので覆われている。宿舎だけでなく、この辺りでもまだ魔法局の塔の影になる陽で陽当たりが悪くジメジメしているせいなのだろう。路地の地面も雨が降ったわけではないのにしっとりと水分を含んでいた。


 廃墟の様にも見える街並みだが、俺は何故か嫌いでは無かった。細く入り組んだ路地は少しゴミゴミして異臭を放つが、吹き抜ける風は冷たく気持ちよかったし、ガラスの填まっていない窓からは朝食の準備中なのか、何かが焼ける匂いと生活の音がしている。オデさんと居た時の野生の森やエルコテの魔法学園のような場所も悪くないが、こういう場所の方が過ごしやすいな。


 ただ路地に転がる生ごみの様な物だけは綺麗に片づけておきたいが。


 「君はこの西区が嫌いではない様だね。やっぱり君は変わっているね」


 そうか、ここが西区か。魔法局から真っすぐ西に向かっているのだから西区なのは当たり前なのだが、実際にその場所に行くのとただ勉強するのでは意味が違う。西区は魔法局の西側にあるなだらかな崖沿いに建っている。その為、路地には崖の段差に合わせて下り階段が並んでおり、遠くから見ると魔法局の塔の土台の様にも見えるらしい。


 魔法局の塔が出来る前は、朝日が差し込むと崖の下の白い岩場に青とも紫とも言える影が延び、とても美しい景色が評判で、崖に並ぶ建物は人気の物件だったらしい。だが魔法局の塔が出来て以来、つまりこのフシュタン公国が建国して以来、ほぼ正午まで影に覆われるようになったこの西区は、人気がガタ落ちとなり、徐々に治安が悪くなって行った地域と書かれていた。


 全部、魔法局が出来たせい。


 と西区の誰もが思うだろう。当然、西区に長く住んでいる者達はそう思う。そうなると、その古くからの住民は魔法局の巡回に協力してくれないのだと言う。協力してくれるのは魔法局と仲良くしておきたいロマ魔法学園の生徒か、その卒業生と受験生だけで、それはこの西区の1割にも満たないし、西区について良く知らない人々だ。つまり怪しい人物が居ても、この西区にさえ辿り着ければそれ以上の捜索は難しくなるという事らしい。


 陽当たりって怖いな。


 フシュタン公国の城よりもでかいという魔法局の塔が悪いんだから仕方が無いか……俺は背後にそびえる魔法局の塔を見上げながらミシェルさんの後を追った。魔法局を出てからずっと下り坂だった道が急に平坦になる。どうやら西区の坂を下りきった様だ。目の前にはゴツゴツとした岩場が広がっている。路地から見下ろしていた時には気が付かなかったか、白い岩の所々が光っている様だ。


 反射? ってそれは無いか。まだ、ここに陽は届いていないんだから。


 「この岩場はアルゴと呼ばれていてね。かつてはこのロマでは有名な観光地だったのだよ。この白い岩に伸びる影と光の反射がとても美しかったんだね。この少し光っている様に見えるのは岩の中にある小さな生き物の化石なんだよ。極々わずかな魔力を有しているから光って見えるのだね」


 ミシェルさんはそう言って目の前の岩に手の平をあてた。すると、手の周りの岩が一瞬だけポッと輝いた。


 「今のは何ですか?」


 「これは私の魔力に化石の結晶が反応しているんだよ。結晶の大きさや純度によって反応する光の強さや、時間が異なるのだけど、この土地ではこの程度しか光らないんだよ。フシュタン公国の岩石は全体的にその含有量が少ないからね」


 そう言ってミシェルさんは岩から手を離した。


 「まあ、魔法局の局員になれるような魔力を持った者でしか、この岩場の岩を光らせることはできないからね。巡回の度にここに来て、この岩に触れる事が私がまだ魔法局に局員としてやって行けるかどうかの試金石見たいなものという事だね」


 「それは魔感紙と同じ効果という事でしょうか?」


 俺がそう尋ねるとミシェルさんは少し考えてから答えてくれた。


 「うん。反応結果としては近い物があるかも知れないけど、魔感紙と結晶では反応の内容自体が異なると言えるね。魔感紙は魔力というより生命力に反応して光るものなんだね。どんなに微量な魔力や生命力であっても反応する事ができるのだけど、それだけなんだよ。でもこの化石の結晶は違うんだね。結晶は魔力や生命力ではなく放たれた魔法を吸収して結晶内にその魔法を保ち続ける事ができるんだよ。そして、その結晶を破壊する事でその魔法を解放する事もできる、これってすごい事だよね」


 魔法をためたり解放したりできるのか!? そんな結晶があれば、誰でも魔法を使えるんじゃないのか?


 「すごいです。そんなものがあれば、誰でも魔法を使えるのではないですか?」


 俺の質問にミシェルさんが頷く。


 「そうだね。でもそれには大きさと純度が必要なんだよ。そしてそんな純度はここいらにある化石ではなく、宝石と言われるような高価な鉱石でないとありえないということなんだね」


 「宝石ですか」


 「ディカーン帝国にはそういった良い鉱山がたくさんあるらしいね。フシュタン公国がディカーン帝国から国として独立を許されたのも、この鉱山が全くなく、周りに危険な森しか無かったからと言われているぐらいだからね」


 なるほど。フシュタン公国には魔法使いという人材以外の資源が少ないと習ったが、それは本当の様だ。俺はミシェルさんの真似をして岩に手の平をあててみた。


 岩は何の反応も示さない。


 「……僕じゃだめみたいです」


 「魔法を使えないと難しいね。この岩に魔法を放つことで岩の中の結晶が光るからね」


 魔法が使えない俺では光らせる事は無理、そう言われた俺はなんとなく残念な気持ちになって触れていた岩を軽く撫でた。


 パギッ


 俺が撫でていた部分の岩が盛大に欠け落ちる。


 カラン


 「ああっ!」


 俺は足元に落ちた岩の欠片を拾い上げた。握りこぶしと同じぐらいの歪な欠片を左手に握って俺はミシェルさんを見つめる。


 「す、すみません!」


 「気にすることはないよ。この岩には何の価値もないんだからね」


 「でも、ミシェルさんの大事な場所なのに」


 「たしかにそうだけど、岩はそれだけじゃないからね」


 ミシェルさんはそう言って辺りを見渡す。西区の崖の下のこの岩場は大きな競技場ぐらいのサイズはある。これが全部同じ岩なら確かにこれぐらい欠けても問題はなさそうだ。


 「ここにも結晶は含まれているんですよね?」


 「もちろん、微量だけどね」


 結晶が微量に含まれているなら、高い圧力をかければその純度が上がったりしないだろうか? 炭素に高い圧力をかけてダイヤモンドにするとかそういう話を聞いたような気がした俺は、左手に握っていた石に力を込めてみた。


 パキキキキキキキキイイィィィィィッ


 聞いたことも無い何かが擦り合わさる様な音が鳴り響く。


 「な、何をしているんだね!?」


 ミシェルさんが耳をふさいで聞いてきた。


 「あ、すみません。ちょっと試して見たいことがあったのでつい」


 そう言って俺は左手で握りつぶした岩の欠片を見てみた。


 「ん!?」


 思わず俺は声が出た。掌に転がるそれは一辺が1cmぐらいの立方体だった。俺の手にあった歪な欠片は直径が20cmぐらいの石だったはずだが、それがサイコロのような綺麗な立方体になっていた。しかも、水色と白が混ざったような美しい結晶になっていたのだ。


 「こんな感じになりました」


 俺は手の上の結晶をミシェルさんに差し出した。


 「なんだね?」


 俺が差し出した結晶をミシェルさんは目を細めて見つめる。


 「ま、まさか……そんな……これは……アルゴ……ナイト……」


 ミシェルさんはそれだけ言うと声も無く口だけをパクパクと動かして何度も俺と結晶を見比べた。この結晶はアルゴナイトと言う名前なのだろうか?


 「さ、触っても良いかね?」


 「え? あ、はい、どうぞ」


 俺がそう言うと、ミシェルさんはとても貴重なものを掴むかのようにそっと指先でつまむと、すぐにもう一方の手の平に乗せ、その手をもう一方の手で支える様にして自分の顔の前まで持って行った。


 「んんん……こ、ここでは暗くて良く見えないね。仕方が無い、一度、宿舎の私の部屋に戻ろう。いいね!? いいよね!?」


 ミシェルさんが何だか嬉しそうだ。


 「は、はい。でも、巡回は?」


 「君ね! それどころじゃないよね! アルゴナイトだったら大変な事になるよね!?」


 ミシェルさんが今度は怒り出した。


 「そう……なんですか?」


 ミシェルさんは怒りを通り越して再び笑い始めた。


 「そうだよね!? だってこれってアレだよ!? アレなんだよ!?」


 アルゴナイトという言葉が出てこない程、ミシェルさんは興奮している様だ。


 「君ね! もうね! 私はね!」


 やばいやばい、ミシェルさんが今度は首を左右にひねり出した。


 「わかりました! す、すぐに宿舎に戻りましょう!!」


 俺がそう言うと、ミシェルさんは両手で結晶を包み込むように握りしめたまま走り出した。なんだか危なっかしい走り方だ。落としてなくしそうだな。そうなったらもっとやばい事になりそうだ。俺は周りにある岩を軽く砕いて同じぐらいの大きさの欠片を両手に1つずつ掴んでからミシェルさんの後を追った。


 あれ? ミシェルさんは?


 さっきまで目の前を走っていたミシェルさんの姿がない。視線を上げてやって来た路地を目で追うと、西区の建物の陰からチラチラとミシェルさんの小さな後ろ姿がものすごい速さで駆け上がっていくのが見えた。


 はやっ!!


 ミシェルさんってあんなに早く走れるのか。それが魔法の力なのか何なのかはわからないが、伊達に魔法局の局員ではないという事なのだろう。俺は慌ててその後を追いかけた。

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