第6話

蓼崎は口を半開きにし、アゴをシャクらせて口を閉じるという動きを、幾度となく繰り返していた。

これは蓼崎流の口臭確認法で、仕組みを説明すると、シャクらせた下顎を閉じる時に「ハー」と息をする。すると、下顎が息の壁になって、閉じると同時に上方に息が上がる。すかさず「スー」と鼻で息を吸うのである。

この原理を利用して、顎の役割を舌でまかなうというやり方もある。このやり方だと、顎の負担が掛からない分、楽だし、舌の匂いがダイレクトにくるので、ピンポイントで舌の匂いを確認したい場合はこれがよい。しかし、口臭というのは、やはり口内のパーツ全て、および、胃から登ってくる匂いや喉の匂いを総合して判断するもので、できるかぎり自然体に近いアロマを感覚したいと拘った蓼崎は、やはり最初のやり方を自らに推奨するのであった。

蓼崎は昔から口臭を気にしていた。小学校の中頃に、彼は朝飯でニンニク系の何かを食った。そのことをクラスの友だちに言うと、「うわぁ、ニンニクだぁ~、くせぇぞ~」と、揶揄われたのだ。それ以降、三十年近くずっと彼は口臭を気にし続けてきた。

先の技もその賜物である。

彼はそのようにして、自分の至らぬ部分を確認したがるフシがあった。


蓼崎のツムジのすぐ左側に逸れた位置には、少し薄くなった部分があった。これも小学校の中頃に原因があった。

その頃、密かに流行った遊びで、不意を突いて相手の髪の毛を一本「ピン!」と抜くというスリルゲームがあった。

相手に気づかれないように近づいて、暗殺者のようにその一本の黒き魂を奪い去るのである。

蓼崎の知る限りでは、そのかけがえのない魂をもっとも奪い去った者は『新城』という、医者の息子にして、人並みの頭脳を持つ者であった。新城の有利な点は、その高い身長と、リーチの長さにあった。高い位置からは獲物が狙いやすく、長いリーチであれば、遠くから気づかれないで獲物に手が届く。何より新城は、この遊びを誰よりも楽しんだ。好きこそ物の上手なれである。そして不幸にも彼の前に席を位置した者が、蓼崎だったのである。

このゲームは、間も無くアッサリと幕を閉じることとなる。

新城は、教室の掃除時間に取り掛かる前に、隙を突いて『末家』という、小柄ではあるが、勝気で短気者の一本を奪い去ることに成功した。これにブチ切れた末家が椅子や机を投げつける騒ぎを起こし、これが学級の問題となった。問題の原点となったこのゲームは、永久に封印されてしまったのだ。

生き甲斐を失った新城は、暫く活力を失った。


蓼崎がこのゲームによる後遺症に気がついたのは、それから少ししてからだった。

ふと頭に触れると、ツムジの左隣に頼りない感触を受けた。ツムジから始まって、耳の頂点に向かって、人差し指の第二関節ぐらいの長さに、分け目のような感触があったのだ。鏡を二枚使って頭のテッペンを見てみると、成る程、ツムジから左耳に向かって、五センチほどの薄っすらとした白い地肌が見えた。

蓼崎はこれを分け目のようなものだと仮定した。分け目であれば、同じ方向にばかり分けていれば、段々と分け目を中心にハゲが広がっていく。だから、たまに別の所を分け目にしてやる必要があった。だから彼は、その新たな分け目のすぐ隣に、別の分け目を寄せ作った。すると、さっきまで頼りなかった部分に、髪が寄せて被さることによって、ハゲが治った錯覚が味わえた。寄せ作った方の分け目の頭皮は、生きた毛がたくさんあったので、見た目もこれで隠れると彼は安心した。これはバーコードハゲと同じ考えであった。

しかし、その時寄っただけの髪はやがて元の位置に戻っていき、時間が経てば再び不自然な位置に白い頭皮を晒すのであった。彼は暇さえあれば、分け目を隠す作業を繰り返し、手汗と頭皮の脂で分け目をベタベタにした。

彼は、分け目付近を全体的にカミソリで剃ってみたこともあった。剃った毛は太くなると聞いたからだ。しかし、ハゲが余計目立ち、周りに「十円ハゲ」と揶揄われただけで、何の効果もなかった。

さらに、中二でタバコを吸っていた彼は、よせばいいのに、タバコの灰を分け目に刷り込んだりした。不潔な皮膚を守ろうとする、新たな戦力を期待したのだ。

こうして、三十六歳になった今でも、頼りない分け目に触れて、自分の至らなさを確認するのである。しかし、今の蓼崎は分け目をベタベタにするような子供じみた行動は改めている。触る時も、フワッと指先で触れるか触れないかでその状態を確認し、寄せる必要とあらば、髪全体ををかき上げるフリをして、さりげなく寄せる。

分け目に関しては、彼は大人になっていたのだ。

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