十二花


弥三郎は、そっと椿女の肩へ触れた。

こんな姿になってまで、約束の場所で待っていてくれたのか。

こんな暗く寂しい山中で。


娘の想いがいじらしく、なぜあの時自分はこの場所を確かめなかったのか。只々後悔していた。後悔してもしきれないほど悔やんでいた。


「もし、貴女さえいいというなら、貴女が一緒にいてくれるっていうなら。私は今からだって」


椿女は悲鳴のような嘆きの声を上げた。


「遅い! もう遅いよ弥三郎。私は鬼になったんだ」


「そんなことはない。本当の貴方はやさしい女じゃないか。鬼でも幽霊でもいい。魂をすべて返して、あの時約束した通り、私と一緒に人目に付かない遠くへ行って暮らそう」


手を取って顔を覗き込む。

弥三郎とて未練がなかったわけではない。


ここを離れて以来、ほかの誰かと連れ添うこともなくずっと一人でいたのだ。仕事の為、やむなくこの峠を越えることになった時、あわよくば娘が幸せに暮らしている様子なり、話なり聞ければあきらめもつくと考えていたのだ。

それなのに。


「ここにいる魂を返しても。私が食らった魂は帰ってきやしない」


「それでも、こんなところへお前ひとりおいていけない」


鬼だった娘の顔はいつの間にか元へ戻っていた。

椿女と弥三郎の周りをうろついていた蜂が、戒めを解かれたように遠く飛び去ってゆく。それを合図に椿の木から無数の蛍が夜空へ舞い上がる。

渦を巻き揺らめきながら遠く、星の輝きに混じるように四方へ散っていく。


魂の抜けた花は枯れ、枝先から零れ落ちていった。

花散る音を聴きながら。


弥三郎は、愛しい娘をその手に取り戻すように抱きしめた。

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