駄作

 よく、自身の作品紹介欄に、駄作、愚作、凡作、その他、卑下する様な言葉を載せている方がおられます。

 気持ちはわかります。これは一つの予防線なのですから。

 

 誰も、自身が作り上げた作品を酷評されたくはありません。

 自信を持って掲載したいけれど、その作品に、


「なんだこれ?くっそつまんねぇ!」


 と言った様なコメントが添えられていたら、そのダメージはいかばかりか知れたものではありません。

 それならば事前に、自身の作品を「駄作」と称しておけば「駄作ならしょうがない」と辛辣なコメントを回避できると言う考えなのでしょう。

 それは、作家自身が受けるショックから身を守る、一種の護身術かもしれません。


 しかしちょっと待ってください。


 自分が丹精込めて作った「力作」を、そう言った言葉で、自分自身で卑下する事は、自分自身でその作品を否定する事に繋がっているのです。


 俗に「言霊」と言う言葉があります。


 これは何も「言葉に霊気が宿って、不可思議な現象を伴う」現象ではありません。当然、魔法を使う際に用いられる物でもありません。

 人が発する言葉には言霊、つまり魂が宿ると考えます。

 もちろんこれは抽象的な意味で「言葉に力が宿る」と言い換えた方が良いでしょうか。

 一番解りやすいのは「自己暗示」

 同じ言葉を言い続ける事によって、徐々にそう思い込み、そうである事が必然であると思う様になるのです。

 言霊は何も言葉だけに作用する訳ではありません。文字にも宿ります。

「駄作」と評された作品を見続ければ、当初はそう考えていなくても、いつの間にか「そう言う作品だ」と考える様になるかもしれません。

 

 本来、日本人は誰かに挨拶をするとき、自分を謙遜して控えめに話します。

 そういった行為は、古来より「美徳」とされ、今も日本人の心に根付いているのでしょう。

 他の作家さんに対してコメントする際に「自身は非才ですが」や「稚拙な文章ですが」等、自分を控えめに表す事はあるかもしれません。

 

 しかしそう言った事以外で、必要以上に自身やその作品を卑下したり、貶めたりする事は、もはや美徳とは言えないでしょう。ただ単に卑屈であるとしか見えなくなります。

 

 自分の作品を「駄作」だと卑屈に言い放つ作家の作品を、誰が好んで読むと言うのでしょうか。「駄作」と言い切った作者は、その後どのようにその作品と付き合っていけると言うのでしょうか。


 言葉には力があります。言霊が宿っています。

 ですから、安易に貶める様な言葉は使わないようにしましょう。

 例え、レビューやコメントでその様な言葉が使われたとしても、作者自身が自分の作品に向けて使う様な事は控えるべきです。


 その作品は、多大な労力と時間を使いようやく書き上げた、唯一無二の「力作」なのですから。

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