血者落彗の永劫回路

おいぬ

学園長室にて


「お前が有馬か。思った以上にひょろいんだな」


 目の前にいる女性が足を組みかえた。スラリと伸びた足をデニール数値の高いストッキングが包み込んでいる。そんな女性は尊大な態度を崩さず、手に持っている報告書をひらひらと振りながらこちらへと問いかけた。

 ここは桜満学園理事長室。そしてその部屋の主――今俺の目の前で足を組み替えている女性こそが、この学園の理事長なのだ。確か名前は……園原、だったはず。それ以外はどう調べても出てこなかったので、情報規制でも敷かれているのだろうと自己解釈したのを思い出した。

 返答が遅いことが彼女の苛立ちを誘ったのか、眉間にしわを寄せて、コツコツと指で木製の机を叩き始めた。何故ここに呼び出されたかは少しも理解できないが、とりあえず返答することが吉だろうと判断して俺は口を開く。


「そう見えますか。鍛えてきたつもりなのですが」

「……そうか、この書類には配偶者だとかその人物の背景しか書かれてないからな。私のような素人にはお前が鍛えているかどうかなぞ判断がつかん」

「は、はあ」


 くすくすと、手に持っていたバインダーで口元を隠しつつ笑う。ころころと変わる表情と仕草で、俺もいつのまにか緊張を解いていたのだが。……もちろんそれだけが理事長が俺を呼び出した理由だとは誰も言ってないし俺も思っていない。

 数秒笑い、すっと表情を真剣なものにする理事長。その艶めかしいとも言える足を再び組み替えて、視線で俺を貫いた。


「で、本題なんだが――」


 一にらみだけで、この場の雰囲気が一気に重いものになる。噂に聞く桜満学園を束ねる女傑だ、と俺はその女性に少しばかりの畏怖を抱く。


「お前、なんで『こんな成績』を叩きだした。お前ならもうちょっと上を行けると思ったんだが?」

「……なんのことやら。私は最大限の努力をしてきたので、その正当なる結果ではないのでしょうか」


 その言葉を聞いて、顔をにわかに弛緩させた。そしてそのままバインダーに挟まっている資料をパラパラとめくり、ある一点でその動作を止めた。俺はというと、そんな彼女の仕草にの気配を感じて、瞬時に距離をとってしまう。その様子を見て少しだけ愉快そうに口を歪めると、ただの一言だけ、こうつぶやいた。


「――

「ッ!!」


 封印していた記憶がフラッシュバックする。まるで圧力をかけていたゴムホースを開放した時のように、堰を切ってあふれだす昔の記憶。俺が忘れようとしていたけれども、完全には忘れられなかったそれは、たったの一言で、俺の脳内を埋め尽くしてしまった。

 そんな複雑無比な感情が渦巻く心内で、ようやく見つけた隙間を使って俺は声をひねり出す。


「何故……何故そのことを……」

「秘密、としか言いようが無い。ほら、よく言うだろう? 女は多少秘密があったほうがミステリアスで魅力的に見えるって」


 そう言って彼女は柔らかそうなソファーチェアから腰を上げて、俺の前に立っていた。バインダーで下がっていた俺の顔をぐいっと釣り上げて、薄く紅が引かれた唇を再び開いた。


「この情報を踏まえた上で言おうか、有馬家分家次期当主筆頭候補、有馬ありま晴虎はるとら。お前は……なんで意図的にギリギリのラインで合格した。答えろ」

「………答えることはできません」


 図星を突かれて震える声で答えた俺の顔を、獲物を見るような目で覗き込む彼女。まるで猛禽類のような鋭い目線が刺さる。しかし、俺は答えない。これ以上のプレッシャーなど、この世にごまんと存在する。この程度のプレッシャーなど、有馬の家で化け物たちににらまれ続けた俺からしたら取るに足らない。

 学園長は興味を失ったのか、はたまた諦めたのか、俺から目を離すと、まるで俺を嘲るように鼻を一つ鳴らす。コツコツと床に靴底の音を響かせながらソファーチェアへとその身を深く沈めた。そして足を再び組み、睨み、吐き捨てた。


「お前がその気なら、私は深く追求はせん。だが覚えておけ……。高慢は、いずれ身を滅ぼすぞ」

「………しかと受け止めました。理事長」


 うむ、と鷹揚に頷き、理事長は机に存在しているティーカップを傾ける。その姿はやはり洗練されていて、所作一つ一つに美しさを感じてしまう。しかし、今はそれどころではない。興味を失ったのか、はたまたこれから用事があるのか。退室を顎で示されたことは、俺にとっては好都合と言えた。

 俺は心の中で学園長の顔面に唾を吐き捨てながら、そそくさと退室する。

 だが、俺が退室しきったところで、ああそうだ、と唐突に理事長から声が掛かる。少しだけ煩わしげに後ろを振り向くと、高そうな腕時計をちらりとみつつ、こちらへとしたり顔を向ける学園長の姿があった。


「お前、もうそろそろHR始まるぞ? 新入生がHRに遅れてどうする、早く行け」

「基本的に理事長のせいなんですがっ?!」

「ふふ、褒めるなよ」

「褒めてませんっ!」


 すっかり見ることを忘れていた腕時計を見ると、ホームルームへの残り時間を示す時計板がチクタクと動いていた。確かにこのままだと間に合うかどうかわからないところだ。

 少しだけ精神的に疲れた体に少しばかりムチを打って、その場から走りだした。

 ……だが、ここでも障害が発生する。学園長室の重厚なオークの扉の前に立っていた黒服の怖い人達に首根っこを掴まれて、廊下を走るなと小声だがドスが効いた声でつぶやかれたのだ。俺は背筋に走る寒い予感を抑えながら、すみませんと短く告げて大股で歩き出す。

 しかし、全国の学校敷地面積ランキングに毎年一位を刻みこむ桜満学園においては、そんなチンタラした歩き方では到底間に合うはずがなく……。


「……あのな。お前はただでさえ成績下位者なんだからな? ヘタすると退学になるぞ? ん、いいのか? わかったら席につけ。お前が来るまで自己紹介はやめておいたんだ」

「すみません……」

「謝罪は良いから。この汚名はどこかで返上したら良いから、なっ? 早く座れ。じゃないと遅刻の欄にチェックを付けるぞ。今なら、無遅刻で許してやるよ。出血大サービスだ」


 と、筋骨隆々の先生にどこか呆れたふうに言われるのは、火を見るよりも明らか。俺は入学して初めてで、遅刻という大ポカをやってしまった人間という烙印を押されてしまった。畜生め……。

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