第30走 お姉ちゃんと往生際の悪い女たち

「君たち姉妹ヲ――《鬼憑き》とシて逮捕すル」


 ローター音が、耳朶じだを叩いた。

 落ち葉を纏う風が、今度は通り過ぎることなく千隼と飛鳥の頭上で滞空する。幾本ものロープが垂らされたかと思うと、それを伝って《SCT》隊員が降下。流れるような動きで刀を抜くと、千隼と飛鳥を取り囲んだ。

 そして、最後にくだびれたスーツ姿の男が降りてくる。


「いやあ、活躍したねえ。水無瀬千隼さん」


 奧山がヘラヘラとした笑みを浮かべてそう言った。

なにが「活躍したねえ」だ、この狸オヤジ。千隼は内心で毒づく。


 つまり、このおくやまかずしげという男は最初からこの結果を望んでいたのだ。

 飛鳥が《左脚の鬼憑き》であると最初から知っていたことは、国立競技場で椛が言った通りだ。千隼は『気づいているなら護衛などするまい』と考えて、その可能性を無視していた。いるはずのない《左脚の鬼憑き》への『撒き餌』として、水無瀬姉妹を利用している。そう推測していたのだ。


 その推測は『撒き餌』という部分のみ正しかった。

 ――つまり、深山幸に対する『撒き餌』。


 椛は「この事は奧山と自分しか知らない」と言っていた。そんな重要な事を内部にも秘匿するという事はつまり、本当の目的は《SCT》内部にあるという事。つまり《SCT》内部に《鬼憑き》が紛れ込んでいることも、それが深山幸である事も判っていたのだ。

 だが、幸が《鬼憑き》かもしれないからと言って、無闇に拘束するわけにもいかない。《鬼憑き》と判る前では首も落とせない。

 奧山はどうにかして、幸が《鬼憑き》になる瞬間を捉えねばならなかった。

 だから《左脚の鬼憑き》を利用した。飛鳥を《餌》にしたのだ。

《鬼憑き》は本来、他の《鬼憑き》を喰らうように《鬼肢》要求されているという。それは幸も同じ。だが《SCT》に逮捕された《鬼憑き》たちは警戒が厳重で手が出せない。幸は相当に悔しい思いをしていただろう。


 そこへ《SCT》にバレていない《鬼憑き》が現れたら、どうするか。

 しかも、すぐ手の届く場所にいたとしたら。自身が護衛役として選ばれたとしたら。

 つまり最初からこの護衛は、奧山が描いた茶番だったのだ。


 千隼もそこまで気づいたからこそ、幸の携帯をわざわざ森の中まで持ってくることで《SCT》に幸の居場所を伝えたのだ。想定外だったのは、飛鳥が千隼のもとへ戻ってきてしまったこと。本当なら飛鳥だけは《SCT》からも逃がすつもりだった。


「ああ、。椛に何か着るものを」


 奧山は飛鳥の背と同じくらい大きなライフルを担いだ隊員に声をかける。

 伊賀瀬と呼ばれた男は、覆面で顔を隠したまま声もなく頷き、椛へ自身のコンバットジャケットを羽織らせた。そこでようやく椛はショットガンの銃口を下ろす。既に、腹部の傷は完全に癒えていた。

 常の落ち着きを取り戻した椛が、千隼へ告げる。


「さア、千隼クン。両手を挙げタまへ」

「待ってくれ、鬼無里!」


 刀を構える《SCT》隊員たちが包囲を狭めるのを見て、千隼はたまらず叫んだ。


「だから飛鳥は誰も喰ったりしていない。証拠ならいくらでも――」

「黙レ」


 椛は千隼の言葉を最後まで聞かなかった。


「前にモ言ったハずだ。願いを叶えてイないだケでは人を喰ワない証明にはならンとな。《鬼憑き》といフだけで危険なノだそいつハ」

「何を言ってるのよ、椛ちゃん」


 とつじょ、優しげな声が響いた。

 まさか、と全員が声のした方向を見る。

 切り裂かれた肉の山。

 そこから深山幸の声だけが聞こえてきていた。

 流石に千隼の仏頂面が崩れる。あんな『挽肉よりはマシ』程度のにっかいになっても、まだ深山幸は意識を保っているのか。

 まだ、諦めていないのか。

 まだ、何か企んでいるのか。


「人を喰わない《鬼憑き》が欲しいなら、飛鳥ちゃんに千隼ちゃんを食べさせればいいだけじゃない。千隼ちゃんなら喜んで飛鳥ちゃんに食べられるでしょう、椛ちゃんだってそうやって――」

「黙らせろぉッ!!」


 椛の叫びに応じて、伊賀瀬と呼ばれた隊員が動く。即座に肉塊の中から、動き続ける幸の口を見つけ出すと、担いでいたライフルを口の中へ突っ込み引き金を引く。途端、肉塊は血煙となって消え去り、優しげな声もさんした。流石に声帯を失ってまで喋ることは出来なかったらしい。

 だが、恐らく深山幸の目的は達せられてしまったのだろう。


「お、お姉――」


 震える声で飛鳥が呟いた。

 途端、担いでいた千隼の腕を振り払う。支えを失った千隼は落ち葉の上に尻餅をついた。


「動くナッ」


 椛が叫び、《SCT》隊員たちが飛鳥へ刀を向ける。

 だが飛鳥はそのどれも見ていない。ただ千隼だけを見つめて、弱々しく首を横に振っている。――まずい、と千隼は直感した。

 飛鳥のそうぼうが金色に輝く。


「あたし、お姉を食べたくないッ!!」


 悲鳴にも似た叫びに呼応して、飛鳥の髪が地面に広がるほど伸びた。額には二本のツノ。そして両脚には、黒と黄色のまだらようが現れる。「斬れッ!」誰かが発した命令に応じて《SCT》隊員が動いた。《鬼肢》の擬態を解いた飛鳥へ、幾本もの刃が殺到する。


 だが、飛鳥は刀を相手にすることなく真上へ跳躍した。

 途端、まるでロケットでも発射されたかのような衝撃波が周囲へと広がる。舞い上がる落ち葉を払いのけ、千隼は空を見上げた。

 燃えるような夕陽。その中に飛鳥の影があった。

 それも一瞬のこと。飛鳥の姿はすぐにやまあいへと消えてしまう。

 いつかと同じように、飛鳥は千隼の手の届かない場所へと飛んでいってしまった。


「くそッ! ――支援班にヘリで追跡させろ。捕縛班は上の山道まで戻って二係と合流だ、急げ」


 隊長らしき男の指示で《SCT》隊員が一斉に動き出す。その場には椛と奧山、伊賀瀬、そして千隼の四人が残された。


「さて、水無瀬さんにはちょっくら《研究病院》まで来て貰おうか。すぐに二係の回収班が来るからよ」


 言いながら、奧山は着ていたスーツのジャケットを千隼に羽織らせる。ふと奧山は千隼の左脚を見やり「その足も早く診てもらわねえとな」と眉をひそめた。

 だが、千隼はその気遣いを無視する。その代わりに「奧山さん」と口を開いた。


「おう、なんだ?」

「提案があります」

「言ってみな」


 途端「オい、奧山」と、椛が色めきたつ。だが奧山は手をヒラヒラとさせながら

「まあ、いいじゃねえか」と椛の言葉を流した。

 千隼は奧山がこちらへ意識を戻した事を確認して、口を開く。


「もう一人――『人を喰わない《鬼憑き》』が欲しくないですか?」

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