侍に忍ぶ

ろーくん

第1話 とある宵闇の武家屋敷



 月が中天に差し掛かるとき。それはまだ夜半ばである事を意味する。



「………」

 灯火の明かりが小さくも力強く煌めく中で、4畳ほどの部屋には武士が一人、静かに書物と向き合っていた。

 障子に投影された人影が揺らめく……


「………」

 静かな夜だ。が、。動物の遠吠えも虫のさえずりも消えこない――――不自然。




 シュヒッ!!


 突如、障子と反対側のふすまが上下二つに切り分かれる。

咄嗟とっさに飛びのいたが、障子を背に構えた武士の左腕から、鮮血が吹いた。


「くっ、何奴っ!」

「………」

 問われた者は答えない。ただ沈黙のうちに間合いを詰めてくる。逆手に持った短めの直刀が、灯火の輝きを受けてギラついた。


「おのれ、曲者っ!!」



 ビュッ……ギィインッ!!


武士は腰より脇差を鞘ごと引き抜いて投げつけると、小太刀を抜刀しつつ敵に斬りかかった。

 鍛えられた金属同士が甲高い音を立て、火花を散らしながら幾度も斬り結ぶ。しかし、互いの身を傷つける事かなわず。


「はあ、はあ、はあ、くっぅ」

 出血が武士の意識を持ってゆこうとする。しかし彼は唇の端を噛むと、自らが座っていた座布団を蹴り上げ、そして―――


「ここだっ!!」


 ドッ!!!



 真っ直ぐに突き出した小太刀が厚手の布を貫いた。そして座布団の向こうにある刃先は確実に敵の肉体へと届いた……はずだった。


「がはっ! …はぁ、はぁ、はぁっ」

 血を滴り落としたのは武士のほうだった。敵は座布団の目くらましに惑うことなく、背をかがめて彼の腹に下から刃を突きつけていた。


「小細工は通じない。諦められよ」

「そう…か、はぁ、はぁ…忍び…か…、…がふっ!」

 口いっぱいに鉄の味がこみ上げ、そして腹から徐々に体の感覚が消えてゆく。苦痛と共に、夜より暗い闇が視界の端から侵食し、やがて何も見えなくなった。


「な…ぜだ…、それがしを手にかけ…、なんの…い…み…、が……」

 武士は絶命した。

 名があるわけでも、高禄でもないどこにでもいる貧乏侍。その絶命を待って、彼は初めて頭巾を取り、その素顔を晒した。



「汝を選んだのは俺と顔が似ていたからだ。これも使命ゆえ悪く思うな、迷わず成仏してくれ」

 しのびは片手のみで簡単に祈りの所作を取り、殺害した相手の冥福を祈った。


 数瞬の後、所作を解くや否や武士の遺体は黒き風が吹きすさぶと共に跡形もなく消え去る。

 灯火の消えた室内に、また火が灯る。死んだはずの武士の、先刻と何一つかわらぬ影が障子に映された。




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