第二十七話 奇遇(Unexpected meeting)

「お久しぶりだね」知鶴は若林に言った。知鶴は笑顔を向けたが、その口調は決して明るいものではなく、どこか落ち着いたものであった。

「そうだね。チャット上ではいつも会話しているのに、会うのはあのとき以来か……」

 あのとき、とは言うまでもなくあの血塗られたオフ会のときである。

 若林は髪を伸ばしたようで、今はベリーショートからショートという方がより近いかもしれない。これはこれで似合っていて美しい。オフ会に参加した女性参加者は全員顔立ちが整っていたと記憶している。若林とて例外ではない。

「髪伸ばしたんだね」と、知鶴は思い付いたことを率直に言った。と言うのも、何を切り出せば良いのか実はよく分からないのだ。チャット画面上では何も考えなくても話題が尽きなかったのに、会うと何を話せば良いのか、と戸惑う。この二人の共通項は『ミックスベリー』のチャットグループがきっかけであることと、そのオフ会に参加したことなのだ。当然、話題はそのオフ会での事件になると思われるのだが、いきなりその話を切り出すのははばかられた。

「あ、これね。あのときはまだ九月だったし、短くしていたけど、今はもうすぐ冬だからね」

 そう言って若林は皮色はだいろの髪をかき上げてみせる。少し隠れた耳が露出して、そこにはピアスがぶら下がっていた。オフ会のボーイッシュなイメージから一転して、どこか妖艶な色気まで醸し出している。

「似合ってるね。ところで立ち話もなんだし、どこかでお茶でもしようか」

「そうだね。この近くに『DEWBERRYデューベリー CAFÉカフェ』があるよ」

 『DEWBERRY CAFÉ』と言えば、生前の銀鏡恵深が働いていた店だ。しかし、鎌形の話から銀鏡恵深は車で勤務していたと推察されるので、渋谷ではない店舗だろう。いくつかチェーン店があるのだろうか。スターバックスコーヒーやドトールコーヒーのように数多く見かける珈琲コーヒー店ではない。ベリー類が好きな知鶴も、『DEWBERRY CAFÉ』に入ったことはなかった。

「そこにする?」知鶴は少し苦笑いを見せながら言った。

「冗談だよ。事件のことが思い浮かぶでしょ?」

「もう純奈さんと会ってる時点で、嫌でも思い浮かんでるよ」

「まあね」若林は自嘲気味に言った。

「いいんじゃないかな。私たちが知り合ったのは『ミックスベリー』なんだし、女二人だけの『第二回ミックスベリー・オフ会』ということで、相応しい場所じゃない?」

 どうしても、『DEWBERRY』に入りたかったわけではないが、知鶴は少し強引に『第二回オフ会』ということにして理由をこじつけた。でも本当の理由は次に示すものであった。

「あと、銀鏡恵深さんと、事件で亡くなった人たちに、二人だけで黙祷を捧げようか」

「……そだね」若林は静かに頷いた。


 その店は渋谷駅から少し離れた道沿いのビルの一階に存在していた。大手チェーン店の珈琲店に客を持って行かれているのか、そこまで混雑はしていなかった。二人用のテーブルも空いていた。日曜日なのに、奇跡的に待たずして窓際の席を確保することが出来た。

 さすがベリー類に力を入れている珈琲店だけあって、様々なベリー類のドリンクやスイーツがメニューにあった。

 これも何かの縁だろうと思いながら、知鶴は『クランベリージュース』を、若林は『ジューンベリージュース』をそれぞれ注文した。


 着席して、ドリンクが提供されるまでの間、二人は静かに黙祷を捧げた。周囲の客や店員、さらには外を歩く通行人から奇異の目で見られていたかもしれないが構わない。三十秒ほど、事件で犠牲になった人々のご冥福を祈った。殺される理由の有り無しは関係なかった。どんな人間でも生きる尊厳は有している、と思っている。どんなに憎まれていようと、人が死んで良い理由なんてどこにもないのだ。

 だからこそ、殺人を未然に食い止められなかったことが、いっそう悔やまれる。二ヶ月以上の月日が経過しても、その自責の念は変わらない。


 黙祷を終えると若林は口を開いた。

「この二ヶ月どうだった?」

 いきなり、黙祷中に頭の中を駆け巡っていた内容について言及されたので、若干周章しゅうしょうした。

「た、大変だったよ。警察の事情聴取もはじめての経験だったし、仕事に穴をあけるわ復帰してもしばらく手につかないわで」

「そうだよね。私も……」若林は苦笑した。そして続けた。「事件の後から気になってたんだけど、知鶴さんって、何の仕事してるの? 確か医療従事者って言ってたよね?」

 そういえば、チャット上ではどういうわけか、あまり自分の仕事の話をしてこなかったように思える。本名はもちろん、職業などを詮索することは、暗黙の了解でタブーとされているのか。今になってこのグループチャットの不文律に気付かされた。

「あ、私? 歯科衛生士だよ」

「そうなんだ! あの事件の真相を究明したからどんなに頭良いんだろうと思ってたけど、医者ではないって言ってたから……」若林は驚いていたが、少し反応に困っているようだった。

「でも、実は勤務先の院長に意見を聞いて、それが解決の助けになったんだ」

「そうなんだ! いや、それでもあれだけの推理を展開できるのはすごいよ。衛生士さんだったとは……」

「衛生士って聞いて意外?」率直な疑問を投げかけてみた。

「──ちょっとね」

 日本では歯科衛生士はさほど人気な職業ではない。社会的地位だって高くはないかもしれない。しかし実は、患者の生活の一部として乳児から老人に渡って、ケアすると言っても過言ではない。そんな仕事は医科にはないであろう。そして患者のさいな変化をもしっかり捉えなければならない職業だと思っている。患者の精神衛生状態は、容易に口腔衛生状態に直結する。例えば、夫婦喧嘩や職場のことなどで思い悩んでいる人は、歯磨きを一日三回しっかり時間をかけて実行することは難しい。食生活は乱れ、歯肉の炎症やしょくを招く可能性がある。口腔衛生は生活の背景が反映される、とよく院長は言っていた。歯科衛生士といえども、歯科医師並みの知識レベルを要求されるし、患者の小さな変化も見逃してはならない観察眼だって必要なのだ。

 でも世間的にはそのように認知されてはいないのだな、と思うとちょっと残念な気持ちになる。これはオフ会とはまったく無関係の内容ではあるが。

「純奈さんはどうだった?」

「私も同じ。さすがに一週間体調不良だって言って仕事を休ませてもらったよ。私はスポーツジムでインストラクターしてるんだけど、そんな健康第一の仕事してるのに情けないよね……」

 スポーツジムのインストラクターか。確かに若林の健康そうな体つきは、スポーツをしているように見えなくもない。特にベリーショートだった頃の髪型からはそう窺えた。

「ところで、純奈さんは何で『ミックスベリー』に入会しようと思ったの?」

「私はたまたまSNSのコミュニティーで探して興味持っただけだよ。オーナーや鎌形さんや、英恭ひでたかさんと蒼依さんおやみたいな、明確な動機はないよ」

「そっか。まぁ私もなんだけどね」知鶴も尋ねておきながらその明確な理由がないことに、自嘲気味に笑った。

「強いて言えば、知鶴さんみたいなお姉さんが欲しかったなって」少しだけ間を置いて若林は言った。

「嘘でしょ? いまたまたま私と会ってるからお世辞でそう言ってるだけでしょ?」

「バレた? でも半分は本当だよ」

「半分?」

「そう。これと言った理由なく『ミックスベリー』に入ったけど、今回のオフ会で、一緒になりたくてもいろいろな障壁があってそれが難しい家族の絆を感じたよ。そうしたら私もお姉さんが欲しくなっちゃって。私は一人っ子で、ずっとお姉ちゃんが欲しいなって思っていたんだけど、またそれが再燃しちゃった」と、はにかみながら若林は言う。

 知鶴は二十六歳。若林は二十四歳だそうだ。それはチャット上での会話で把握していた。

「そのお姉ちゃん役が私?」知鶴は大きな目をさらに見開いて問う。

「そう。知鶴さんみたいな賢くて綺麗なお姉ちゃんがいたら、自慢だよ。しかも、きっと頼れるし、話しても楽しいんだろうなって、勝手に想像してる」

「そんなことないよ。実際お姉ちゃんになったらかなり面倒だと思うよ。私、こう見えて理屈屋だし口うるさいし……。大学生の弟がいるけど煙たがられてるし」

「えっ!? 本当に?」

「本当だよー」

 そう言いながら、ようやく二人は笑い合った。あのオフ会の凄惨な光景を共有している二人だが、もとは仲良くチャットを交わしていた仲間なのだ。


 でも、ふと我に返り、事件のことを思い出す。

「私、事件解決して良かったのかな、って今でもちょっと思っている」

「え、何で? 良かったに決まってるじゃない!? 事件がずっと解決されなければ、彩峰さんは濡れ衣を着せられたまま死んでたんだよ。相馬さんなんてもっと可哀想だし」

「そう、それはそうなんだけど、でももし、私がもっとはじめの方で真相に気付いていたら、二人目、三人目、四人目の犠牲者を出さなくてもすんだかもしれない。そうでなくても、もしもっと早くオーナーが警察に通報していないことに気付いていれば、事件はそこで終わっていたかもしれない。でもそれが出来ず、結果的に、鎌形さんにとってみれば、一通り計画をすべて実行することを許してしまった。それなら解決しなかった方が良かったのかなって……」

 頭の中では、真相解明できて良かったと理解はしている。しかし、どうも釈然としないのだ。私が暴いたことによって、結果として皆を不幸にしているのではないか。漠然とした憂鬱ゆううつが、ずっともやとなって知鶴の胸中を支配していた。

「でも、知鶴さんが解決してくれたおかげで救われた人もいると思うよ」

「え?」

「だって、蒼依さんはお姉さんを探していたって言ってたじゃない」

「でも、お姉さんの銀鏡恵深さんはもう亡くなってしまってるよ」

「そうだけど、ずっとその事件の謎を追ってたんでしょ。それがようやく晴れたわけじゃない。そしてお姉さんは亡くなったけど、義理のお姉さんになるべき人には会えたわけじゃない? 犯人だったから逮捕されたけど、最後に名前で呼び合えたんだよ。あのとき見せた顔は決して悲しみだけのものではないと思う」

「そうかな」まだ知鶴には自信がなかった。

「その証拠に……」と言って、若林は鞄の中からスマートフォンを取り出した。それを操作して表示された画面には『ブルーベリーのハッピー備忘録』という文字があった。

「これは……?」

「そう、蒼依さんのブログだよ」

 川幡蒼依は衝動的な犯行とはいえ、殺人未遂犯である。当然、ラジオパーソナリティーの仕事はできない。ラジオ局を始め関係マスメディアはそれを公表していない。幸か不幸か、ローカルタレントでありそこまで名が知れ渡っていなかったためなのか、大きな波紋にはなっていない印象だった。

「彼女、どうなってるのかな。ブログ更新してないでしょ?」

「それが、更新しているんだな。一回だけ」

「ほんとに!?」

「ほら、見てみてよ」と言って、若林は知鶴にスマートフォンを差し出した。


 そのブログにはこう書かれていた。

『この度は、一身上の都合で急なお休みを頂き、ファンの皆様、関係者の皆様には多大なるご迷惑とご心配をおかけしてしまったことを深くお詫びします』

「謝罪文じゃない?」

「そうだけど、問題はそこじゃないよ」

 続きにはこう書かれていた。

『私のブログをずっと読まれている方はご存知かもしれませんが、私には家族がいません。唯一の家族であった母が亡くなってからは一人暮らしが続いています。実は長年に渡って探していた人がいました。その人とは生き別れの状態になった姉であり、残念ながら亡くなってしまっていることが分かりましたが、代わりにその人の大切な家族たちと出会うことができました。皆とても優しそうな人でした。また本当の家族のように名前で読んでくれて涙が溢れそうになりました。母が亡くなってからは特に、家族の絆というものにとても憧れます。今はまだすぐには叶わないけど、いつか本当の家族になれる日を夢見て。 蒼依』

 事情を知らない者が見れば、きっとこの人は複雑な事情の家庭で育ったのだろう、ということくらいしか分からないだろう。

 しかしその現場にたまたまいた若林と知鶴にはよく分かる話だ。無論生き別れになった姉とは異父姉妹である故・銀鏡恵深であり、家族たちというのは銀鏡泰オーナーと鎌形恩だ。銀鏡恵深が夭逝ようせいしたため鎌形は実際には法律的に家族ではないかもしれないが、心の中では太い絆で繋がっているのだ。そして家族と表現されるところには、川幡蒼依の実父である荒金英恭も含まれているかもしれない。川幡は、世にごくごくありふれた普通の家族の絆というものをかっきゅうしていたのだ。

 彼女は至って前向きだった。

 川幡も鎌形も、そして銀鏡オーナーも加害者ではあるが、それを取り巻く背景は被害者と呼んでも差し支えないかもしれない。ストーカーらの手によって、大切な人を自殺に追い込まれたのだから。

 近いうち裁判が始まるのだろう。何卒なにとぞ温情ある裁定を願うばかりである。

「前を向いて歩いてるんだね、蒼依さん。強いな」知鶴は思わず感心してしまった。自分もいつまでもくよくよしてはいけないんだな、彼女のように前を向いて歩かなきゃ、と心の中で呟いた。


 突然、窓からゴンゴンと音がした。若林のスマートフォンの画面から目を離し、ガラスの窓に目をやると、スーツを着た人物が二名立っていた。それをみて知鶴は周りを気にすることなくすっとんきょうな声を出してしまった。

「えええ!? 何でこの二人が?」

 窓越しに見えたのは、訓覇と院長だった。

 ニコニコと手を振ってこっちを見ている。

「え、訓覇先生だよね!? 隣の人は?」

「うちの勤務先の歯医者のボスです」

「えええ!?」若林も驚きの声を出す。

 店内の客や店員が一斉にこちらを注目したのは言うまでもなかった。

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