第二十三話 解錠(Solving vigilance)

「絶対、私では殺せないわ。きっと自殺した彩峰さんが相馬さんとタッグを組んでったのよ。そして口封じのため相馬さんを殺した。相馬さんは『グーズベリー』なんでしょ? 訓覇さんの事件で敢えて『マルベリー』を用意して、相馬さんに自分は次の標的ではないと油断させて、襲ったのよ!」銀鏡は独自の推測を展開した。

「相馬さんには、枡谷さんや後藤さんを殺す動機なんてないですよ」知鶴はきっぱりとそれを払いのけた。

「じゃあ、私だって!?」銀鏡は顔を赤くして反論する。

「順序立てて説明しますから」知鶴の発言に銀鏡は怒りの表情を見せた。何か言いたげだが言葉を飲み込んだ。知鶴は続ける。

「この事件は、枡谷さんが転落死、後藤さんが絞殺による縊死いし、そして銀鏡さんが溺死、訓覇さんが感電死を装ったような演出、相馬さんは撲殺による失血死か脳挫傷、ここまではバラバラの殺害あるいは襲撃方法に見えます。ところが、彩峰さんは、自殺に見せかけたとはいえ、ロープで首を絞められたという点では縊死です。つまり後藤さんと一緒なんです。私自身は、犯罪に手を染めたことはありません。まして連続殺人事件なんてしたことがないし、犯罪者の心理なんて分からない。でも仮にもし犯罪者にも美学が存在するるのなら、と考えたときに、それまでわざわざ殺害あるいは襲撃方法を一人ずつ変えているのにも関わらず、最後で同じ手法を取っているというのがせないんです」

「それがどうしたのよ!」銀鏡は明らかに苛々いらいらしている。知鶴自身かなり聞き手をらした論理展開をしているという自覚は芽生めばえていた。

「体格のいい後藤さんを、非力な女性がどうやって殺害したのか。スタンガンで気絶させたところに絞殺したのかもと思いましたが、スタンガンは訓覇さんの時に使用している。しかもスタンガンは殺傷器具ではないから、直接的な決め手は絞殺であることには変わらない。もし、それが犯人の美学に背くのであれば、別の方法を用いて殺害した可能性がある。それは後藤さんの死体からも物語っています」

「何なのよ! さっさと言いなさいよ!」銀鏡はいきり立った。しかし知鶴は怯えることなく冷静さを貫く。

「つまり、実は後藤さんと彩峰さんの死因は違っていたんじゃないかという可能性があるんです」

「死因が違っていた?」『ヒデタカ』が怪訝そうな表情で声を出した。

「後藤さんの死について、皆さんは変に思いませんでした?」知鶴が問うも一同は顔を見合わせるだけで返答はない。

「あのとき心肺蘇生しましたね。胸骨圧迫、いわゆる心臓マッサージは訓覇先生が先陣を切って、交代で多くの方がやられました。私は人工呼吸をしました。そのときにいくら肺に空気を送り込んでも胸郭が挙らなかったんです。ちゃんと頭部を後屈してあご先を挙上したにも関わらず……」

「人工呼吸のやり方が悪かっただけじゃない?」銀鏡の口調は乱暴なものになっていた。

「いいえ。私、実は言うと医療従事者なんです。訓覇先生みたいに医者ではないですけどね。一次救命処置の講習くらいは受けています」

「確かに、『タチカワ』さんはちゃんとした方法でやっとったな。この人素人やないなって思っとったけど」訓覇からも今更ながらお墨付きを頂く。

「そのとき口の中を覗いたんです。もちろんライトもないし真っ暗だし、隣で心臓マッサージして揺れるから見づらかったけど、何か口の中が変でした。どことなく浮腫を起こしているように思いました」

「ど、どういうこと?」『ヒデタカ』は疑問の声を出す。

「つまり、同じ気道閉塞でも、死因は絞殺ではないということです。敢えて表現するなら、後藤さんはしたのです」

「びょ、病死ぃ!? はっはっは! 笑わせないでくれる!?」銀鏡はこうしょうしながら言った。しかしどこか作り笑いのようにも見える。

「病死と言っても、それを人為的に惹き起こしたんです。もちろん銀鏡さんによってね。実は人工呼吸中に彼の口の中からは甘いにおいがしたんです」

「甘いにおい……」『ワカバヤシ』が小さく呟く。

「そう、思い当たる方もいるかもしれませんね。後藤さんは重度のナッツアレルギーだったんです。あのときにおった香りはピーナッツバターで、それを摂取させることでアナフィラキシーショックを惹起させたのです。アナフィラキシーショックは重度だと気道閉塞による窒息に至る可能性もあります」

「なんと!?」『ヒデタカ』がまた驚きの声を上げる。

「ではどうやって彼にピーナッツバターを盛ったのか。そこである仮説を立てると、おのずと部屋を開けさせた方法も明らかになるんです」

 銀鏡は図星なのか、険しい表情をしながら知鶴を凝視している。

「どうやったんだ? 教えてくれないか」『ヒデタカ』が答えを催促する。

「簡単なことです。後藤さんと銀鏡さんはキスしたんです。おそらくピーナッツバターを口に含んだ状態でね」

「キッ、キス!?」川幡が大きな目をさらに見開いて口を押さえて驚いている。

「つまり、こういうことです。銀鏡さんは後藤さんに夜這よばいをかけたんです。この場合は女性から男性へ、ですけど。後藤さんは、推測するに性に奔放ほんぽうだったかもしれません。しかも次に自分が狙われるかもしれないという極限の状況で、ひょっとしたら冥土の土産にせめて一回だけ情事にふけたいと思ったことでしょう。この心理の変化は、後藤さんの警戒心を容易に解きました。鍵を開けたのです。この可能性に辿り着いたとき、この後藤さん殺害方法は、美人な銀鏡さんにはうってつけの方法だったのです」

 一同は意外すぎる方法だったのか、声を失っている。しかし、この第二の事件の舞台裏にはまだからくりがあるのだ。知鶴は再び続ける。

「ところが、ここでトラブルが起こってしまった」

「ト、トラブル??」再び川幡の声だ。ここに来て川幡は口数が増えてきている。

「そう。彩峰さんがドアをガチャガチャさせたんです」

「あ、彩峰さんが最初に後藤さんの死体を発見したときか」訓覇が思い出して答えた。

「そうです。今回の一連の連続殺人計画は、彩峰さんを犯人にするために練られていたんです。だから、どの事件も彩峰さんのアリバイが確定していない時間に行われています。『ブラックベリー』こと彩峰さんは、チャットで、私は午後八時四十分に絶対入浴するようにしているという発言があったのを覚えていますか?」

「確かにそんなこと言っとったな」今度は『ヒデタカ』が頷いている。

「だから、それくらいの時間帯を狙って犯行が行われました。翌日の銀鏡さん、訓覇さんの襲撃事件もそうです。ところが、銀鏡さんが後藤さんをめでたく殺害し、現場の後処理をしようとしているときに、予想外にも早く彩峰さんが現れようとした。もちろんこのときは彩峰さんだってことは分からなかったかもしれませんが、銀鏡さんは急いで現場を立ち去る必要性に迫られました」

「何で? 後藤さんの部屋の鍵をかけたら済む話じゃないか?」と『ヒデタカ』は問う。

「いや、銀鏡さんは後藤さんの部屋の鍵をかけられなかったんです」

「だからどうして?」

「銀鏡さんは、先ほども言ったように彩峰さんを犯人にしたかったんです。ですからあくまで内部犯説に導くために部屋の鍵を開けておきたかったんです。内部犯に見立てるなら、普通に扉から出入りした方が自然ですからね。死亡推定時刻に、部屋の扉が閉まっていたら、それだけで不自然です。ここには特に訓覇先生という死亡推定時刻を言い当ててしまうかもしれない人物もいましたから」

「なるほど!」『ヒデタカ』が舌を巻いたようにそう答えた。

「後藤さんを殺したあと、部屋に紐に巻いたラズベリーと次なる殺害予告としてシルバーベリーを置いた。ここまではできたんです。ところが突然、廊下で乱暴にドアをガチャガチャ開けようと音が鳴り響いたから、銀鏡さんは肝を冷やしました。とにかく急いで、後藤さんの首に索状痕を残そうとしたのです。一方の彩峰さんは後藤さんに用事があったようですが、その部屋がどこかを知らなかったので、しらみ潰しに客室のドアを開けようと躍起になっていたのです。そのガチャガチャの音が後藤さんの部屋に近付いてきて、索状痕を付与したもののそれは浅かった。彩峰さんのと比べて首が、何と言うか綺麗だったんです。パワーのありそうな大男が必死にもがいたような傷はどこにもありませんでしたし、部屋も抵抗して暴れたような痕跡がなく、綺麗だったんです。銀鏡さんは仕方なく、痕跡を中途半端にしか残せず、部屋の窓からの脱出を余儀なくされました。そのとき雨が降っていましたから、バスタオルを一枚拝借してスリッパを履いて窓から辞去し、客室の非常口で泥を払い落としました。そして彩峰さんの悲鳴を聞いて、何食わぬ顔で後から合流しました」

「確かに銀鏡さんの部屋と後藤さんの部屋は二つしか離れてなかったと思うけど、その割には後ろの方にいたよな」『ヒデタカ』が状況を振り返っている。

「ばかばかしい! 全部そんなの想像よ!」銀鏡がついに怒鳴った。「証拠はあるの!? だって、今の推理なら、あなたにだって犯行は可能じゃない!?」

「えっ!?」知鶴は盲点を突かれたように立ちすくむ。自分が犯人ではないことは知鶴がいちばんよく知っているが、それはあくまで自分の中の話であって他のメンバーからすれば知鶴が犯人であると疑っている可能性もあるのだ。

「だって、『タチカワ』さん、私が言うのもなんだけどあなただって男をたぶらかすには充分すぎるルックスを持っているし、あなた自身、後藤さんが殺されたとき部屋に一人でこもっていたでしょ!? 枡谷さんが殺されたとき、ペンションを出入りしていないと証言できる人はいる!? 私や訓覇さんが襲われたときだって、あなたは一回も席を外したりしなかった!? 相馬さんや彩峰さんのときだってアリバイがあったって言い切れる!?」銀鏡はたたみかけるようにして知鶴を追及した。ここで、論破されたら、一気に形勢逆転で、知鶴は冤罪えんざいを被ってしまう。

「そう言えば、『メグ』さんが襲われたとき、誰が食堂から席を立ったか確認していたよな」『ヒデタカ』が思い出している。

「『ヒデタカ』さまと『カワバタ』さまと『ソウマ』さま、あと『ワカバヤシ』さまも、ずっと食堂にいらっしゃったと思います、ってオーナー言ってたよな?」とにんまり不敵な笑みを浮かべながら発言したのは『クラタ』こと本名丸森桑麻だ。

「ほら! あなたにだって私や訓覇さんを襲えたでしょ!?」と銀鏡はしたり顔だ。しかし、知鶴は思い出した。相馬殺害時、丸森が一緒にいたではないか。知鶴は強姦レイプされていた。それが忌まわしいほど皮肉なことにアリバイとなっている。

「丸森さん、いや『クラタ』さん! あなた、相馬さんが殺されたと思われるとき、私と一緒にいましたね!」思わず、知鶴は『クラタ』さんと呼び直していた。言外に彼に助けを求めていることが伝わってしまっていた。しかし、丸森の回答は信じられるものではなかった。

「はぁ? 知らねーな! 俺は!」『クラタ』の顔は侮辱するような笑みで満ちていた。

「ちょ、ちょっと!?」

 知鶴は耳を疑った。と同時に、丸森を激しくけた。丸森にとってもそれは相馬を殺したときのアリバイになり、自らを犯人にさせない証言になるはずなのにも関わらず。丸森は知鶴を襲った事実が露呈するのを忌避している。

「残念ながら、あなたのアリバイも立証されていないようね。しかも、こんな奇抜なトリック、私にはとても思い浮かばないわ。あなた自身が考えて実行したんじゃない?」

「な!?」

 何かないか。証拠となるものは。この期に及んで、それをしっかり用意していなかったことに、自分の愚かさ加減を痛感し、激しく悔やんだ。

 そのとき訓覇が知鶴にジェスチャーを送った。何だろうか。人工呼吸のような仕草だ。

 その瞬間だった。

 知鶴の頭の中に閃光が走った。それは見えるものではないものだが、知鶴には非常にばゆい光に感じた。

「証拠ならあります」知鶴は言った。訓覇がそれに気付きながらも敢えてヒントとしてジェスチャーを送ったのは、最後まで犯人を追及する役割を知鶴に託した彼の優しさかもしれなかった。

「どこにあるの!?」銀鏡はあくまで強気に訊いてきた。

 知鶴はポケットを探った。取り出したのはフェイスシールドだ。訓覇が後藤の心肺蘇生の際に知鶴に渡してくれたものだ。よく見ると中央部がわずかながらキラキラ光っていた。

 それを見た銀鏡は、一変して表情をこわらせた。その真意に、聡明な銀鏡が気付いた瞬間だった。

「これは、後藤さんの心肺蘇生のときに使った、感染防護用のフェイスシールドです。このフェイスシールドの一方の面には私が口をつけました。反対側の面には後藤さんの唾液が付着しているはずです。しかし何かリップグロスのようなキラキラしたものがありますが、これは一体何でしょうか? こんなもの男性である後藤さんがしているはずがありません。これは直前まで誰かと口づけしていた裏付けになります。また、ピーナッツバターの成分が出てくれば死因の傍証となり得ます。さらには、唾液には口腔粘膜の遊離細胞が含まれており、ごくごく微量でもそこからDNAを検出することが可能です。後藤さんの唾液以外に銀鏡さんの唾液も付着していれば証拠になるんじゃないでしょうか? 銀鏡さんがさっき言った、生前の後藤さんには接触していないという証言も含めてね」

 銀鏡は肩を震わせた。そして蚊の鳴くような声で言った。

「ま、参りました……」先ほどの勢いはまるでどこかに忘れてきてしまったかのように。

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