第十六話 錯謬(Calamitous mistake)

 にわかに信じられない内容だった。

「どういうことでしょうか?」知鶴は『ヒデタカ』に質問せざるを得なかった。

「彼の名前は『ソウマ スグリ』というらしい」『ヒデタカ』は淡々と答える。

 瞬間的にはピンと来なかったが、菓子オーナーの発言ではっきりした。

「ス、スグリ? グーズベリーの?」

「そういうことだね。彼のスマートフォンのグループチャットのアプリを開いても『グーズベリー』でログインされるから間違いない」

 彼の発言は間違いではないのだろうけど、それでも確証を得たくて知鶴は近寄った。

 学生証には確かに『そう すぐ』と記されていた。

 そしてスマートフォンのチャットアプリ上のハンドルネームは『グーズベリー』だった。


 何ということか。

 犯人はここに来て殺人予告とは異なる人間を殺している。知鶴はまたさらに意味が分からなくなった。

 殺人現場および殺人未遂現場の横に用意された、被害者のハンドルネームと同じ果実。この果実は実際に行われた犯行を真似て、例えば絞殺なら果実にひも状のもので巻いてみた状態で置かれていた。そしてその付近には、これまでの法則から次に狙われるハンドルネームの果実が設置されていた。

 しかし、未遂も含めて五番目の被害者のときに、その法則を変えてきた。その意図とは何だろうか。

 そろそろ次に狙われると予告を受けた人間は、警戒して身構えているかもしれない。逆に言えば、それ以外の生存者は、自分はまだ大丈夫だと油断しているかもしれない。その心理を突いて、見せしめのように『グーズベリー』こと相馬を狙ったのだろうか。そうして、戸惑う生存者たちを見てほくそ笑んでいるとでもいうのだろうか。

 ただ、犯罪者の心理や美学など知鶴は知る由もないが、そんな理由で敢えて別の標的を狙ったりするだろうか。ベリー類のハンドルネームを持つ者だけに参加資格を与えられた『ミックスベリー・オフ会』にして、殺害現場に置かれたベリー類の果実。この果実たちは、ある意味この事件の象徴ではないか。犯人にとって、もっともこだわるべき『美』と称しても過言ではないような気がするし、殺人に芸術性があるとすればこれがそうではないのかとさえ思う。そう思えば、いちいち殺害方法や襲撃方法を変えてきているのも納得がいく。それが犯人の美学ならば。

 しかしながら、逆にその心理を逆手に取った今回の『グーズベリー』殺害である、と言われればそれまでなのだが。

 もし犯人が、法則性を守ったでいたらどうだろう。その場合、『マルベリー』を狙ったつもりだったが、実は違っていた。犯人が勘違いしたという可能性だ。これまでまったく尻尾を掴ませていない(知鶴が気付いていないだけかもしれないが)犯人なので、おそらく用意周到に計画してきたのだろう。そんな犯人がいちばん求められる被害者の取り違えなどしでかすとはちょっと考えにくい。しかし、そう考えると納得のいく部分もある。なぜなら、今回も部屋に置かれた果実はマルベリーだからだ。血塗れの灰皿に入れられているあたり、灰皿が凶器に使われたのだろう。もし、犯人が、相馬が『グーズベリー』だと分かっていて襲ったのなら、灰皿の中に置かれた果実はグーズベリーにすればいい。ところが実際にはマルベリーが置かれている。マルベリーとグーズベリーの果実の外見は似ても似つかない。果実を間違えて置いたなどというケアレスミスはもっと考えられない。

 と言うことは、もし本当にそうであれば、犯人は相馬が『グーズベリー』であることを人間になる。もっと言えば相馬が『マルベリー』だと人間である。

 その人間は一体誰と訊かれてもさっぱり分からない。知鶴自身、相馬が『何ベリー』なのか今はじめて知ったのだから。

 ただ、『マルベリー』が『クラタ』だと推測していた彩峰は、その候補から外れるだろうか。しかし、それも見越して嘘をついている可能性も否定はできない。そういえば、この現場に彩峰がいないのが気になる。寝てしまっているのだろうか。


 気付くと、『ワカバヤシ』と『ミホ』と『ヒデタカ』と菓子オーナーが見合わせて何やら話をしているようだった。凶器に使われたであろう灰皿を取り囲んで。後ろに不安そうな顔で『カワバタ』もたたずんでいる。

「ど、どうしたんですか?」知鶴は思わず尋ねた。

「いや、さっきまでは、被害者を模したベリー類の果実の横に、次の犯行予告の果実があったじゃないですか。今回はそれが見当たらないんですよ」『ヒデタカ』が答える。

 そう言えば、確かにその近くに置かれているはずのもう一つの果実がなかった。

「ひょっとしてこれでもうおしまいなの?」少しばかりの期待を含んだ声で『ワカバヤシ』が問うた。

「いや、そいつはどうでしょうかね? 犯人はまた俺たちを油断させてるだけかもしれませんよ」『クラタ』は後ろから現れて平然と不安にさせる発言をする。知鶴は彼の声が聞こえるだけで、寒気が走る思いだ。『クラタ』は続けた。

「犯人がもしターゲットを油断させるためにわざと違う果実を置いたのかもしれないのなら、今度はもうこれで殺人は終わりと思わせておいて襲撃することだってあり得る」

「くっ……」『ヒデタカ』は悔しそうにする。

 確かに悔しいが、『クラタ』の意見は一理ある。しかしながら、知鶴は何だかそうではないような気がして仕方がないのだ。これは勘や第六感の類いのもの以外の何物でもないのだが。

「とにかく、油断は禁物ということですよ」『クラタ』は簡潔にまとめる。

 すると、今にも泣きそうな声で絞り出すように『ミホ』が言った。

「わ、私、もう耐えきれません……! ここを出ます……!」

 もともと気が弱そうな彼女だ。こんな極度のプレッシャーの中、終わりの見えないデスゲームのような舞台に閉じ込められている事態に、『ミホ』が耐えられるとは到底思えない。知鶴も可能なら逃げ出したいくらいだ。

 同時に、先ほどからずっと沈黙を保っている『カワバタ』も、そのしんちゅうこそ正確に把握できないが、純粋そうな風貌から推察するに、彼女もきっと極限の緊張を感じながら過ごしているに違いない。彼女の失声症ないし場面緘黙かんもく症とも疑われるような状態も、この極度のストレスに由来していると考えれば納得がいく。

「ミ、『ミホ』さん。こんな真夜中、灯りひとつない樹海に出る方が危険です」菓子オーナーが必死に止める。

「もう私、嫌……!! 帰りたい……」『ミホ』が泣いて訴える。

「あの、皆さん。全員でロビーに集合しましょう。眠たいかもしれませんが、交代で寝るんです。外部犯の可能性だってあるんです。もし誰かが我々を襲おうとしているとしても、全員が一致団結して構えていれば、襲撃されないと思うんです」

 菓子オーナーの提案に、一同は一瞬黙りこくった。

 今更かもしれないが、そろそろ冗談では済まされないと思ったのだろう。施錠して自室に閉じ籠っていれば大丈夫という綺麗事は通じないと思ったのかもしれない。その証拠に訓覇が口を開いた。

「オ、オーナーの言う通りかもしれませんね。全員がロビーで固まっていれば狙われない。単純な話です。内部犯なら絶対犯人は行動に移せないわけですし」

「確かにそうだ。じっくり休めないだろうが、殺されるよりはマシだ」『ヒデタカ』も同調する。

 正直、知鶴自身も確実に身を守れる方法を思い付けずにいた。もし『クラタ』の言うように、犯人が次の標的を明示しないのは自分たちを油断させるためであり、次なる殺人の機会を窺っているのなら、知鶴が次に狙われる人間かもしれないのだ。改めてそう考えると、とても恐ろしい。

「で、ではそうしましょうかね」菓子オーナーが賛同を求めた。反対意見はないようだ。

 今ここにいるのは、『ヒデタカ』、『ミホ』、『ワカバヤシ』、『カワバタ』、『クラタ』、訓覇、菓子オーナーそして知鶴の八名だ。知鶴は自分の中で点呼を取るように確認した。

「『メグ』さんと、彩峰さんはどうします?」

「あ、そういえば『メグ』さんと彩峰さんは?」訓覇が今思い出したように声を出す。

 そうか。訓覇は『シルバーベリー』が標的にされていたことは知っているが、まだ彼女が襲われて間一髪で命を取り留めたことを知らないのだ。知鶴が詳細を知らない訓覇に手短に説明する。

「『シルバーベリー』の正体が『メグ』さんでした。予告どおり彼女も狙われましたが、幸い生きています。でも今は自分の部屋で寝ています。彩峰さんも自室で寝ているようです。どうやら相当お疲れのようです。それから訓覇さん、あなたも襲われたんですけど犯人の顔見てます?」

「えっ!? 襲われた? 俺が? ほんまに? 誰に?」訓覇は自分が標的にされていたことすら知らなかったようだ。

「先生、まったく気付かなかったのかい?」『ヒデタカ』は眉をひそめる。

「ええ、全然。俺は酔って部屋で寝てただけなんで……。でも起きたら、ハックルベリーらしき実と桑の実が置いてあったんで、何や? と思ったんですが」

「本当に、同じ被害者なのにエラい差だなぁ」ちょっと呆れたように『ヒデタカ』は言う。知鶴も同感だ。彼は悪運が強い。いや、悪運と言っては失礼か。

「あいつらは、ほっときゃ良いんじゃないの? だっていねぇんだし」突然『クラタ』が悪態をついた。瞬時に知鶴は一気に不快感が増した。

「はぁ!? あんた何言ってんの? 生存者は皆集めるべきでしょ?」『ヒデタカ』が反論する。「あんたはさっきから何なんだ?」

「俺は、疑心暗鬼になってるだけだよ」

「あんた、そう言って、彼女たちをおとりに使おうって考えてるんだろう!?」激昂した『ヒデタカ』は『クラタ』の胸倉を掴む。菓子オーナーは慌てて止めに入る。

「や、やめて下さい。今は仲間割れしている場合じゃないでしょう?」

 菓子オーナーは常に冷静だ。宿泊客同士のいさかいを止める責務をオーナーとして感じているのだろうか。たしなめられた『ヒデタカ』は、『クラタ』から手を離したが、まだその目は睨み付けていた。

「とにかく、二人も呼びましょうよ」訓覇が悪くなった雰囲気を少しでも緩和しようと、行動を促した。

「そうですね。取りあえず、呼びかけに応じる方だけは声をかけて差し上げないと……」菓子オーナーは同調した。

 チッと『クラタ』は舌打ちする。本当にこの男はつい先日まで仲良くチャットを交わしていた『ミックスベリー』の一員なのだろうか。ひょっとして替え玉ではないかと思ってしまうほどだ。知鶴は改めて『クラタ』に嫌悪感を抱いた。

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