第十三話 晦渋(Mysterious chain)

「訓覇先生!」知鶴は叫びながら窓をドンドンと叩くが、部屋の中にいる男の身体は身動きひとつない。

「どうします!? 窓を叩き割りますか!?」『ソウマ』は動揺しているのだろうか。顔に似合わず過激な発言をする。一応、このペンションの主である菓子オーナーが目の前にいるのに。

「取りあえず、普通に開けてみましょう」オーナーが落ち着かせるように言った。その通りである。鍵が締まっているとは限らない。

 しかも施錠されていれば密室である。まさしく推理小説的なトリックでも施されているのかとどきりとしたが、窓は施錠されておらず簡単に開けることができた。

「中に入りますよ!」知鶴は確認するように言った。先頭を切って窓のサッシの部分に足をかける。スカートじゃなくてパンツでなければ男性の前ではできない体勢を取ってみせた。勢い良く中に入ると、外を歩いていたスリッパのままであることも忘れて、そこにふく臥位がいで横たわっている男に駆け寄った。紛れもなく訓覇のようだ。本当に死んでしまっているのか。

「く、訓覇先生!!」知鶴は呼びかける。続々と菓子オーナーや、他のメンバーたちが部屋の中に入ってきた。

 知鶴は訓覇に触れる。その身体はまだ温かかった。力が抜けてぐったりとした身体を仰向けにするのはなかなか女性一人では辛いが、すぐにオーナーたちが駆け寄り手伝ってくれる。

 その口元に知鶴は耳を近付けながら彼の胸元を確認する。そして首もとを右手の指で触ってみる。確かに呼気の流れと胸郭の上下運動、そして総頸動脈にて脈拍を触知した。

「生きています。眠っているだけのようです」

 一同は安堵する。知鶴も同様だ。

 カーテンから覗かせた訓覇の身体を見たとき、皆、彼の死が頭をよぎったはずだ。こんな立て続けに被害者が出るなんて正直思っていなかった。今日一日が比較的平和に過ぎていっただけに、気が緩んでいただけかもしれない。しかし、その現場をいざ見せつけられてしまうと、完全に目が覚め昨日の悪夢がフラッシュバックしたかのように身体を硬直させた。

 しかし、訓覇は眠っているだけだろうか。彼は酔っぱらっていたし、いかにも眠たそうだった。それなら、襲われてなんかいなくて、はじめから床の上で眠っていただけかもしれない。

 そんな知鶴の憶測を一掃する発言を耳にした。

「これ、人為的にやられていますよ」『ヒデタカ』が口走った。

「何で……?」

「だって、ほら、あれ見て下さいよ」

 『ヒデタカ』の指の差した方向に見えたものは、確かに事件であることを物語っていた。そこにはスタンガンの電極部に刺さるように、先程と同様に黒塗りされたブルーベリーが置かれていた。これで、ブルーベリーをハックルベリーに模していたという仮説は紛れもない事実となった。

 しかし、ここで凶器がスタンガンとは。やけにマイルドなものになっている。これは護衛用のアイテムで、殺傷道具ではない。正確には凶器とすら呼べない。おそらくこんな道具では、気絶させることが関の山だ。たぶん火傷やけどの跡すら残らないのではないか。ますます知鶴は意味が分からなくなっていた。そして案の定、訓覇は息絶えてはいない。犯人の狙いは彼の命ではないというのか。

 一方で、ハックルベリーの傍らに添えられていた果実とは。

「桑の実……」

 知鶴は呟いた。一般的に『桑の実』の方が馴染みあるかもしれないが、ここでは英名が通用する。

「マルベリー!」『ヒデタカ』が言い直した。

 その瞬間を睨むようにメンバーを観察した。次の標的ターゲットの公開に恐れおののく者はいなかった。動揺を隠しているのか、それともここにいないだけか。

 これでハンドルネームと名前が一致したのは五名。

 『ストロベリー』=枡谷ますたにいち。転落した最初の被害者。

 『ラズベリー』=とういち。絞殺された二番目の被害者。

 『シルバーベリー』=しろめぐ。溺死の未遂の被害者。

 『ハックルベリー』=くるいち。電気ショックの被害者。

 『ブラックベリー』=黒岩くろいわあや

 また公言していないが、私、『クランベリー』=立河たちかわづるを含めれば六名。

 以上から、次なる被害者、『マルベリー』の正体は絞られる。残されているのは『ミホ』、『カワバタ』、『ワカバヤシ』、『ヒデタカ』、『ソウマ』、『クラタ』だ。

 誰だ。少なくとも先ほどの反応から『カワバタ』ではないと思う。

 あとの五名のうちの誰かだろうか。ちなみにチャット上での『マルベリー』の一人称は『私』であるので、女性と仮定すれば『ミホ』か『ワカバヤシ』だ。しかしこの二人は、マルベリーの果実を見ても動揺を見せなかった。

 単に動揺を隠しているだけか。それとも死を覚悟しているのか。分からないが、知鶴の予想では、『ミホ』か『ワカバヤシ』のどちらかが、極度の精神状況で戦っているはずだ。穏やかな気持ちでいられるわけがない。いくら殺人未遂が二件続いていても、だ。


「訓覇先生は、ここに取りあえず寝かせておきましょうか?」『ヒデタカ』が賛同を求めるように言う。

 そうだ。彼はいちばん軽い被害ですんでいるとはいえ、標的にされた男だ。ここに寝かせたままでは風邪を引いてしまうだろう。成人男性の身体を持ち上げるのは大変な作業なので、床のカーペットの上に彼を寝かせたままで布団をかけてあげた。ペンション内はスリッパなので、床はさほど不潔ではない。と言いながら、いま知鶴たちは思いっきり外履きや外を歩いていたスリッパで室内をうろついているが。

「ところで、訓覇さんにこんなことしたの、誰なんでしょう」『ソウマ』が純粋だが単刀直入に疑問を投げかけた。

「……」

 皆が顔を見合わせていると、『ソウマ』は続けた。

「だ、だって、『メグ』さんが殺されそうになって、そこからわずか短時間の間で、犯行が行われているんですよ。少なくとも、あれからずっと一緒にいる僕たちは外れますよね」

 確かに『ソウマ』の言う通りだ。彼の発言は正鵠せいこくを射ている。犯人は犯行をある意味予告して、その順序を示している。ルールに則れば、まさしくこのわずかの時間に犯行が行われていなければならない。つまりここにいる知鶴および『ワカバヤシ』、『ヒデタカ』、『ミホ』、『カワバタ』、『ソウマ』、そして菓子オーナーのアリバイは互いに証明される。『クラタ』はいつの間にかまたいなくなっている。

「でも、悪気はないんだけどさ、この中に部屋を抜けた人がいたよな?」『ヒデタカ』はちょっと申し訳なさそうに言う。「オーナーと『ワカバヤシ』さん。二人が犯人だとは到底思えないんだけどさ」

 知鶴はすぐに反論する。「二人には無理だと思います」

「何でさ?」『ヒデタカ』は問いかけた。

「なぜなら、オーナーはリネン類を持ってきただけ、『ワカバヤシ』さんは着替えさせる服を持ってきただけ。これは私が『メグ』さんに風邪を引かせないために施したから、それに応じて動いた行動で、部屋を離れた時間もわずか。訓覇さんへの犯行は、少なくとも窓から出ないと成立しません。扉が施錠されていましたから。オマージュの果物とスタンガンを用意して訓覇さんの部屋で果実を並べてから、窓から外に出て戻って、そのあと、リネン類あるいは着替えの洋服をもってくるだけの時間はさすがになかったと思います」

「なるほど」『ヒデタカ』は納得の様子を見せる。

 となると、内部犯とすれば犯行可能なのはここにいない『クラタ』か彩峰だけだ。

「そこで、オーナーと『ワカバヤシ』さんに訊きたいんですが、訓覇さんの部屋に侵入しようとする人物は見ましたか?」

「いえ、見ませんでした」『ワカバヤシ』は首を振りながら答える。

「私もです」と、菓子オーナー。二人とも嘘をついている様子は窺えない。

 だが、犯人は窓から侵入した可能性だってあるのだ。普通に考えれば、扉は身の安全のため施錠されている確率が高いのだ。窓はそのあたり施錠を忘れられている可能性がまだ高いのだ。

 しかし、犯人は鍵が開いているか締まっているか分からない状況で、そんな一か八かの賭けに出たのだろうか。犯人は予告犯行を行っている。しかもわざわざブルーベリーを黒く塗って、ハックルベリーに見立ててまでして、だ。さらには、『ハックルベリー』は訓覇であることは周知の事実。すぐに気を利かせて一同が訓覇にしらせに行くことは十分予想できたはずだ。ゆえに、与えられた短時間に他の人に見つかってしまう危険性を押し切ってまでして、締まっている部屋に出たとこ勝負で犯行に及び、そしてやったことと言えば訓覇を殺さず気絶させるだけ。こんなハイリスク・ローリターンな犯行があり得るだろうか。そこまでのリスクを抱えてまで、訓覇を狙った意図に疑念を感じざるを得なかった。

 また一方で、犯人は次なる標的である『マルベリー』の正体まで知っていることになる。知鶴は『マルベリー』の正体を突き止められていない。断定できる材料がないのだ。どうやって犯人はそれを探り当てたのか。


 このオフ会での一連の事件は、謎が謎を呼んでいる。

 内部犯であれば通常、被害者が増えていけば自ずと犯人の候補者は絞られていく。そのうちアリバイのある者は外されていく。解決に導かれると思うのだ。少なくとも推理小説やミステリードラマの世界では。

 しかし、この事件は、犯行が繰り返されるたびに、不可解さを増していく。考えれば考えるほど、釈然としないのだ。容疑者は絞られる一方で、動機や犯行現場の状況は謎だらけ。ひょっとして、知鶴の思いつきもしない真相が眠っているような気がしてならなかった。

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