第十二話 縹緲(Obscure passages)

 『カワバタ』の怯えようと『ヒデタカ』の怒りの表情に一同は一瞬沈黙が流れた。『ヒデタカ』が殴った壁がかなり大きく響いたからだ。殴った壁の向こうは訓覇の部屋だ。

 沈黙の間も『カワバタ』の表情は戦慄わなないている。ということは、『ブルーベリー』は『カワバタ』か。ハンドルネーム『ブルーベリー』は、これまでのチャットのやり取りから、たぶん女性だと知鶴は考えているが、『ヒデタカ』がなぜ剣幕なのかは謎である。

「ブルーベリーだって!? 冗談じゃない! ふざけるな!」『ヒデタカ』の怒りは収まらない。怒気を含んだ声で正体不明の犯人にいきどおりをあらわにした。

「ちょっと待って下さい。ちょっと」と、菓子オーナーが言う。

「何を待つんです?」

「これ、ブルーベリーじゃないです」オーナーは指摘する。

「へっ?」『ヒデタカ』は急に拍子抜けしたような声になった。

 ほぼ同時に他のメンバーたちも驚きの表情を見せた。

「あ、いや、これはブルーベリーの実に何か黒っぽいペンで塗ってあります」オーナーは実を手に取りながら言った。

 たしかにこの実は、大きさ、形ともにブルーベリーに瓜二つであるが、色合いが濃い。そして塗りムラがある。よく見ると黒く塗られているのが一目瞭然だ。

「でもブルーベリーであるのには変わりないんでしょうが」『ヒデタカ』はまだ何故か躍起になっている。先ほどまでの『ヒデタカ』とは異なり、明らかに感情がたかぶっている。これは酔っているせいではない。むしろ酔いは醒めているように見える。まさかのまさか『ヒデタカ』が『ブルーベリー』か。知鶴は混乱した。

「もしブルーベリーなら、何故わざわざ色を塗ったりしているのでしょう?」オーナーはすかさず指摘した。「これまで、一緒にあった次の殺害予告の果実には、特にこれといって加工はされておらず、そのまま無造作に置かれていただけじゃありませんか」

「……どういうことです」

「つまり、これはブルーベリーを何か別の果実に見立てているんですね」知鶴がオーナーに同意を求める。

「そうです。見覚えありませんか? こういう果実」そうオーナーが言った瞬間、知鶴は嫌な予感がした。

「ハックルベリー……」知鶴は静かに答えた。

「……はい。ブルーベリーとハックルベリーは実の形がそっくりです。色がハックルベリーの方が少し黒っぽいですが」

「ということは訓覇さん!?」『ソウマ』は驚きの表情を見せる。

 ハンドルネーム『ハックルベリー』が訓覇であることは、最初の本人による告白で周知の事実である。しかしここには訓覇はいない。隣の部屋で寝ているはずだ。

「この事実を、訓覇さんに伝えましょう! 身を隠して下さいって」『ワカバヤシ』は提案する。

「いや、身を隠すんじゃなくて、襲われないように誰かが監視するのがいちばんでしょう」と、『ヒデタカ』。

「で、でもその監視員が犯人だったらどうしますか?」『ソウマ』は反論する。

「じゃあ、監視員は最低二人必要ですね」『ヒデタカ』も負けてはいない。

「くだらねぇ。俺は部屋に戻る」と何が気に食わないのか分からないが、『クラタ』は捨て台詞を吐いて、現場を去って行った。


 皆、一つ大事な事実確認を忘れているではないか、と知鶴は思った。『シルバーベリー』イコール『メグ』で本当に正しいかということだ。実は、知鶴の中で、勝手に『シルバーベリー』ノットイコール『メグ』だと思っていた。それはあるときからそのような気がしていた。そのきっかけは思い出せない。

 しかし目の前の『メグ』は死んではいないが、気絶したように熟睡している。ここは『メグ』には悪いが免許証か何かで確認したい。知鶴は彼女のバッグをあさってみる。

「ちょ、ちょっと。『タチカワ』さん、何をしているんです?」少し慌てたように『ソウマ』が訊いてきた。

「いや、一応確認だけど、『メグ』さんが『シルバーベリー』で正しいのかな、って思ってね」知鶴は説明をする。

「あ、実は俺は、薄々気付いてたよ。『シルバーベリー』の正体が『メグ』だっていうことを……」そう発言したのは少し落ち着きを取り戻した『ヒデタカ』であった。

 知鶴は意表を突かれたように、目を見開いて発言した。「えっ? 何で?」

「あ、いや、単純なことでね。果物のシルバーベリーの別名って『茱萸グミ』だよね。『メグ』さんって、きっと『メグミ』っていうのが本名じゃないかって思うんだ。『メ』だから『グミ』で、だから『シルバーベリー』と名乗ったんじゃないかって」

 なるほど、とは思ったが、同時に疑問も浮上した。

「じゃあ何で、『メグ』さんはわざわざ、自分のハンドルネームを悟られるような呼び方を提案したの?」

「それは分からないけど……」それには『ヒデタカ』も返答できない。

 知鶴の鞄の中の財布から運転免許証を探していたがどういうわけだか見つからず、その代わりに保険証や診察券が出てきた。診察券は都内の総合病院のものらしい。図らずも、『メグ』が首都圏在住であろうことが判明したが、知鶴はどこかでこの総合病院の名前を聞いたことがあるように思えた。知鶴自身や親族や知人がそこに受診しているわけではない。情報源はテレビか何かだったと思う。

 それよりも、『メグ』の本名が、これまた珍姓だ。診察券には『銀鏡 恵深』と書かれている。はじめて見る上に読めない。『ハックルベリー』の『訓覇』も稀少な苗字に感じたが、これもたぶん負けてはいない。ペンネームとかアニメやドラマのキャラクターのようだ。

「『銀』の『鏡』と書いて何て読むの? ギンカガミ? ギンキョウ?」

 『ギンキョウ』と自分で発言してみると、高校の化学の授業で習ったぎんきょう反応を思い出す。アンモニア性硝酸銀水溶液にアルデヒド基を持つ化合物を加えるとジアンミン銀(Ⅰ)イオンが還元され、ガラス壁に文字通り鏡のように銀が析出する反応だ。知鶴は理系選択だった。懐かしい。無論この場合は何の関係もないが。

「たぶん、『しろみ』ですよ」『ヒデタカ』が答える。

「……えっ!」と声を上げたのは、珍しく『カワバタ』だ。

「シ、シロミ??」知鶴は予想外の読み方に思わず頓狂な声を出す。

 そのとき、下にエンボス加工されたフリガナを確認した。確かに『シロミ メグミ』と書かれていた。

「あ、本当だ! 『ヒデタカ』さん、凄い!」博識な『ヒデタカ』に知鶴は舌を巻いた。

 これのどこが一体『シロ』で、どこが『ミ』と読ませるのか、さっぱり分からない。教えられなければたぶん十年かかっても読めないだろう。

 同時に『メグ』が『シルバーベリー』であることもこれで間違いない事実となった。『銀鏡恵深』の『銀』から『シルバーベリー』、おまけに『メグミ』の『グミ』は『シルバーベリー』の和名らしい。まさしく、この『ミックスベリー』の『シルバーベリー』になるべく名前だと、勝手にそんなことを思った。

 しかし、知鶴の中で、一つの謎の氷解が、新たなる謎を生んでいた。

 なぜ、この『シルバーベリー』は『メグ』と名乗ったのか。しろめぐという氏名は姓も名も『シルバーベリー』に因んでいる。『茱萸グミ』とも呼ばれることを知っていれば、『メグ』から『メグミ』を経て『シルバーベリー』を類推するメンバーだっているはずだ。

 一方で『シロミ』と名乗った場合に、即座に『銀鏡』に変換できる人間は何パーセントくらいいるだろうか。知鶴の二十六年の人生で、もちろん出会ったこともなければ、見聞きしたこともない稀少で難読姓氏のはずだ。よって『シロミ』から『シルバーベリー』を連想することは一般的には極めて困難だと思われる。

 しかも『メグ』はハンドルネームを悟られない範囲での本名の開示にこだわっていたではないか。『メグ』は本名の一部と言っていたが、真っ先に自分の呼称を晒したのは彼女だ。

 彼女の行動には疑問が残ったが、これを本人に聞き出すのは難しい。本人は眠ってしまっているし、勝手に本名を探り当てたと聞かされれば、心証を悪くすること請け合いである。


「ところで、訓覇さんに教えてあげないと」『ワカバヤシ』が思い出したように言った。

「あ、そうだ。今頃彼寝てるでしょうけど、起こして危機感を持たせてあげましょう。あんまりこんな用件で起こしたくはないですけど」『ヒデタカ』も気がとがめる思いなのか、残念そうな表情をしている。

 そうだ。次は訓覇の番だ。ブルーベリーにマジックか何かで着色していたということは、ハックルベリーが手に入らずに、仕方なくブルーベリーで代用したのだと考えられる。彼のハンドルネームは全員に知られている。今彼がここにいなくて、次のターゲットに予告されている以上、それを伝えなければならない。

「訓覇先生の部屋はこの隣です。行きましょう」知鶴は言った。

 そう言いながらも、相変わらず犯人の意図は分からなかった。殺害動機も、被害者の関連性も、果実で見立てる意図も。被害者は『ミックスベリー』のチャットグループ繋がりだが、全員初対面である。共通して恨みを買う要因など見当たらない。ゆえに殺害動機も、快楽殺人としか説明がつかない。

 そして、『メグ』は襲われたが死んではいない。これは犯人にとって失敗なのだろうか。確かにあのままでは『メグ』は溺死していただろう。ただ、溺死させたいならもっと確実そうな方法がある。この場合一般的なのは、おそらく寝ている『メグ』の頭部を無理やり湯船の中に押し込んで殺すことだろう。なぜそれをしなかったのだろうか。この一連の事件は、知鶴にとって謎だらけである。

 一同は、訓覇の部屋に向かう。と言っても、すぐ隣なので、移動距離は無いに等しい。今ここにいるのは知鶴の他には『ワカバヤシ』、『ヒデタカ』、『ミホ』、『カワバタ』、『ソウマ』、そして菓子オーナー。いないのは被害者を除くと、訓覇、彩峰、『クラタ』。果たしてこの中に真犯人がいるのだろうか。

 訓覇の部屋の前に立つ。

「おーい、先生起きてるかい?」『ヒデタカ』は扉をノックしながら、中にいるだろう訓覇に呼びかける。しかし応答はない。

 ドアノブをガチャガチャ言わせて開けようとするが開かない。鍵がかけられているようだ。いくら酔って睡魔に襲われていても、部屋に鍵をかけるくらいの理性は保っていたとみえる。

 しかし、ノックを続けてもドアノブをガチャガチャ鳴らしても声を出して呼びかけても返事はない。物音すらない。余程深く眠っているのだろうか。それとも警戒して居留守を使っているのか。ちょっと心配になってきた。

「ま、窓から覗いてみます?」『ソウマ』が発言した。

「では非常口がありますから、そこから出ましょう」と、菓子オーナーは提案した。

 客室の廊下からT字形に分岐する非常口の外開きの扉を出て、客室の窓の外へと向かう。ペンション内は土足による移動ではないので、非常口の出口付近に外履きが何足か置かれていた。数は足りておらず三組しかない。知鶴はスリッパのままで出た。外は雨が上がって久しいのか、地面は乾いていた。当然ながら外は真っ暗だ。客室の窓からの灯りだけが外を照らしていた。

 訓覇の部屋の窓の前に来た瞬間、一同の顔が青ざめたものに変わった。カーテンの隙間から覗かせたのは、室内のカーペットにうつ伏せで横たわる、訓覇と思われる身体であった。ベッドではなく床の上であることが、光景の異常さを物語っていた。

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