第十話 融和(Reconciliatory attitude)

 ペンションに戻ると、もう何人かは起きていた。食堂には朝食が用意されている。

 今、ここにいるのは、『ミホ』、『ヒデタカ』、『カワバタ』、『ワカバヤシ』、『メグ』、そして菓子オーナーだ。男性陣の多くはまだここに来ていない。

「おはようございます。『タチカワ』さん。お早いですね」『ワカバヤシ』が知鶴に声をかけた。

「おはようございます」と知鶴も返す。

「どちらに行ってたのですか?」と訊いてきたのは『メグ』だ。どこかとげのある口調で怖い。

「あ、雨も上がったんで、ちょっと外の空気を吸いに」と、知鶴は適当な回答でつくろった。職場の上司に電話で相談に乗ってもらったとは、間違ってもここでは言えない。

 やはりさいしんがあるのだ。せっかく親睦を深めようと思って集まったのに、残念なことである。つい二十四時間前は楽しみでとても浮かれていたのに、天国から地獄と言っても過言ではないくらいの落胆だ。

 ところで、女性陣は彩峰を除いて全員揃っているようだが、この中に『シルバーベリー』はいるのだろうか。ということは無事だったということなのか。


 朝食はまた美味だった。長野県産高原野菜のサラダ、ほうれん草とベーコンのケークサレ、焼きたてパンなど、この瞬間は事件のことを忘れさせてくれる。昨日、『クラタ』は毒の混入の可能性を挙げていたが、だからと言っていつ脱出できるか分からないクローズド・サークルに閉じ込められているのに、ずっと何も食べないでいるのは、それこそ低血糖で死んでしまいそうだ。そう、知鶴は割り切った。菓子オーナーに悪意はない、と思いたい。

 すると、知鶴の食べっぷりに安堵したのか、ここにいる他のメンバーも食事に手をつけ始めた。これでは私が毒味をしているようではないか、と思ったがあまり気にしないことにした。

 食事をしていると、遅れて残りのメンバーも集まってきた。訓覇、彩峰、『クラタ』、『ソウマ』。皆、どこか眠そうだ。あれ、全員集まっているではないか。

 明くる朝には人が一人減っていると、どこかで知鶴は危惧していたが、どうやらゆうだったようだ。取りあえず揃うべき人間が全員揃っている、というごくごく当たり前の事実がとても有り難く感じられる。このままずっと杞憂で終わって欲しい、と心より願う。おそらく全員そう思っているはずだ。犯人以外は。

 しかし、互いに警戒心を抱いているところは変わりがなさそうだ。言葉数が皆少ない。おそらく安心して眠れなかっただけという参加者も多いだろうが、一方で何か適当に話をするとボロが出てしまうのではないかという懸念もあるはずだ。この無言のあさの雰囲気は、いささか堪え難いものがある。まだ一人で食事を摂っている方がかもしれない。


「あの、雨も上がりましたので、もし良かったらせっかくなので、私のベリー農園をご案内致しますが、いかがですか?」

 見かねたように菓子オーナーが発言する。正直、オーナーこそそんな気分ではないのに、客に気遣う姿勢に感服させられる。

「ごめん。アタシそんな気分じゃない」と彩峰が言う。

 何てことを言う。その気持ちは分からないでもないが、ここはオーナーの気持ちを汲み取ってあげなさいよ、と知鶴は心の中で彩峰に毒づいた。

「まぁ、取りあえず、みんな時間を持て余していますし、何たって『ミックスベリー』のオフ会だよ。ここはオーナーのご厚意に甘えてベリー農園を探索するのも一興じゃないですか?」と、彩峰をなだめすかしたのは『ヒデタカ』だ。『一興』なんて言葉、今の若者は使わないだろう。彩峰のような若者に通じるのだろうか。と、知鶴は若者らしからぬことをいちいち考えた。

「でも、面白そうですね。ここにいる皆の共通点はベリー類好き、のはずです」『ワカバヤシ』は前向きだ。

「ここに何をするわけでもなく、いても仕方ないし、行かへんか?」訓覇も同調する。

「……まぁ、分かったよ」彩峰は渋々同調した。

 もともと二泊三日のオフ会のスケジュールにおいて、夜には宴会を予定しているのだが、日中は天気に恵まれればベリー農園でのベリー狩りやバーベキューなどを楽しむ予定だったらしい。

 食堂に食器類をそのままにして、一同は玄関に歩み始めた。ここに来ると犯行をまるで告知するような、ベリー類でかたどられた忌まわしい模式図を思い出してしまう。皆、意に介していないように装っているが、しんちゅうは決して穏やかではないはずだ。いちばん怒りをこらえているのは、菓子オーナーだろう。靴箱から各々の靴を出してスリッパから履き替え外に出る。


 空気はまだいくぶんか冷たかったが、先ほど知鶴が電話をかけたときよりは多少暖かくなっているようだ。雲の切れ間から少しだけ太陽が顔を見せている。

 ペンションの入口を出て、客室の方向に農園はある。まだじめじめとしてぬかるんだ土壌を踏みしめ、一同は向かった。川上犬のシンは吠えずに大人しくしている。

 菓子オーナーの説明によると、『ベリーズファーム&ペンション・カシス』の顔とも言えるベリー農園は、約三千平米へいべいの大きさを持つという。

 ここで栽培されているのは、ラズベリー、グーズベリー、ブルーベリー、ブラックベリー、カシスの五種類。またそれぞれの果実について幾つかの品種を導入しているようだ。例えばラズベリーなら、『インディアンサマー』、『サンタナ』、『ファンタジーレッド』、『レッドジュエル』という赤実のものもあれば、『ゴールデンエベレスト』という黄実のものまで栽培している。ブラックベリーなら『ソーンフリー』、『メルトンソーンレス』、『サテンブラック』、『ビッドフォードジャイアンツ』があるとか。

 正直、ベリー類に造詣ぞうけいの深くない者にとっては何が何だか分からないだろうが、同じ果実の中でも品種の差によって、果実の大きさに特徴があったり微妙に収穫の時期が異なっていたりするのだ。また一季成りのものと二季成りのものがある。糖度も異なるらしい。

 イネにも、『コシヒカリ』、『ひとめぼれ』、『ヒノヒカリ』、『あきたこまち』などがあるように、またリンゴにも『ふじ』、『王林おうりん』、『ジョナゴールド』、『こうぎょく』などがあるように、さらにはネコにも『アメリカンショートヘア』、『アビシニアン』、『スコテッシュフォールド』、『ボンベイ』などがいるように、ベリー類にも品種が存在するのだ。


 知鶴もこのグループチャット仲間らしく、ベリー類には目がないが、実際に栽培されている風景には馴染みがなかった。実際に成っているいかにも美味しそうな果実に、この瞬間ばかりは心を躍らせる。

「うわぁ、美味しそ〜!」思わず知鶴は感嘆する。

「どうぞ、もし良かったら、食べてみて下さい。実が熟しているのは簡単にもげますから」と、オーナーはにこやかな笑顔でベリー類狩りを許可してくれた。

「じゃあ、私ラズベリーを頂きます」

 オーナーの言うとおり、しっかり濃い色がついて熟しているものは、簡単に実が外れた。そして口に入れて実をしゃくした瞬間、知鶴は驚きの声を上げる。

「何これ? すんごく甘い! ヤバい! 美味しい!」

 ラズベリーと言えば、どちらかと言うと酸味の強いイメージだ。それはそれで好きなのだが、穫れたての果実がこんなに甘くて美味であることを、恥ずかしながらはじめて知った。

 他の参加者たちは、こんな状況でも童心に返ったかのように美味しそうに食べる知鶴を見て、目を丸くしている。今まで、どちらかと言えばクールに振る舞っていたつもりなので、思わず本性が出てしまって、ギャップに驚かされているのかもしれない。でも仕方がない。美味しいものは美味しいのだ。美味しいものを食べるのは喜びであり幸せであり、そして精一杯のおもてなしをしてくれている菓子オーナーへの恩返しでもあるのだ。昨夜の夕食といい、今朝の朝食といい、食い意地が張った女性だと思われているかもしれないが、ここに成っている果実に毒など盛り込まれているはずがない。

 それにつられるように、他の参加者たちも果実をもいでいった。

「あ、ホンマや! 甘くて美味うまい!」訓覇も少年のような反応を見せている。

「美味しい〜!」『ソウマ』もその味に感動したのか、満面の笑みで溢れていた。

 『カワバタ』に至っては、その美味しさに加えて、緊張の糸がほどけたのか、ほんのり目に涙まで浮かべている。二重まぶたの綺麗な瞳の彼女がそのような表情をすると、女性の知鶴でも思わずどきりとした。と言っても恋愛感情的なものではなく、母性本能的な動揺であった。

 また、最初は渋っていた彩峰も、バツの悪さから表情には出していなかったものの、こっそりと次から次へと、果実をもいでは食している。もとは皆、無類のベリー類好きの人間であるはずなのだ。いくら疑心暗鬼になっていても、好物に出会ったときの自分の味覚は素直なのだ。

 こんな暗澹あんたんたる状況にも関わらず、客人たちに出し惜しむことなく最高級のもてなしで応じてくれる菓子オーナーの人柄は、敬服に値すると思う。多少なりとも、この猜疑心と恐怖心に塗り固められた参加者たちの心に、オアシスを与えてくれたのは間違いなかった。もしここに犯人がいるのならば、その殺意の炎までも鎮火してくれたのだろうか。


 そんな少し気持ちが和らいだときあっても、ふとした瞬間に事件に関わる疑問が知鶴の脳内をよぎる。事件を模式図化したベリー類の果実に、この農園では育てていないものもある。玄関に置かれていたイチゴと、後藤の部屋に置かれていたシルバーベリー。この二つはどこから持ってきたのだろうか。

 想像だが、もちろん菓子オーナーも、ひょっとしたらベリー農園のコネクションを持っていて、自分の農園にないベリー類を安く購入したりしているかもしれない。それか、ただ単に街に出てどこかの大型スーパーで手に入れたものがこのペンション内の冷蔵庫か冷凍庫に保存されているかもしれない。そうであれば、あの果実を用いたオマージュを容易に再現できる。

 もしそうでないのなら。その場合は犯人がわざわざ事前に購入するかなにかして準備して、持参したことになる。

 玄関や後藤の部屋に置かれたラズベリーは、果たしてもぎたてだろうか。それとも犯人持参の果実だろうか。知鶴にはよく分からないが、あの果実がっぱければ犯人が持ってきた可能性もあるかもしれない。食べてみたら分かるだろうか、などと妙なことを考え始めてしまった。もっとも、犯人の汚れた手で用意された、犯行現場を模倣した果実など、いくら好物であっても食べたくはないが。

 もし犯人が前もって用意したのなら、完全なる計画殺人だ。もちろん状況からして計画殺人以外は考えにくいのだが、犯人がわざわざ用意するあたり、確固とした意図が感じられる。いたずらに参加者に恐怖心を与えるためだけ、という快楽殺人的な理由でははっきり言って説得力に欠けるような気がする。もちろんどこにも確証などないのだが、ちょっとした違和感から消去法で犯人の思惑を推察することは大切だと思う。

 気になり始めると、気になってしまって仕方がなかった。オマージュに使われたラズベリーの味が甘いか酸っぱいかではない。イチゴとシルバーベリーがもともとこのペンション内にあるかどうかだ。イチゴはかなり一般的な果実なので普通に冷蔵庫に置いてあるかもしれないが、シルバーベリーとなると話は変わってくる。菓子オーナーに訊いてみようと、喉元まで言葉が出かかったがやめておいた。今ここでこの発言をすることは、ようやく気持ちが落ち着き始めた参加者たちをまた事件の凄惨な記憶へと引きずり戻すことになる。『クラタ』なら平気で訊きそうだが、知鶴はそんなことはしない。ちゃんとTPOはわきまえたい。


 心もお腹も満たされたところで、一同はまたペンションに戻ってきた。外に出るための唯一の連絡路が断絶されてしまっているので、他にどうしようもないのだ。どうしてもペンションに戻ると、暗い気持ちになる。『ラズベリー』こと後藤の死体が安置されているのだ。仮に彼が病死であっても良い気分になるわけがない。どことなくまた重苦しい雰囲気が漂い始めるが、二日目になって吠えなくなった川上犬のシンが、今や癒しである。

 しかし、参加者たちにはちょっとした気持ちの変化が現れたようだ。参加者同士でプレイルームにあるエアホッケーに興じてみたり、ある者は家から持ってきたであろうトランプを取り出してみたりした。

 お互いを疑う気持ちよりも、歩み寄る動きが現れ始めたのだ。自分たちは探偵ではないし、犯人探しの推理ゲームに参加しているわけではない。単なる宿泊客で、ベリー類が好きなものが集まるオフ会に参加しているだけなのだ。

 互いに初対面といえども、チャット上では少なからず仲は良かったわけだし、親睦を深めたいと思ってここに集まってきているはずだ。犯人を除いては。こんな残虐な事件や犯人探しの探り合いなど、絶対に望んでなどいない。

 ようやくここに来て、少しずつ融和の心が見え始めた。もちろん、険悪な態度をすることは自分に不利な状況になると思って、無理やり同調している者もいるかもしれないが、それでも全員が表立って互いにいぶかしんでいる雰囲気よりはずっといい。そんな状態が続くでは、精神的なストレスでどうにかなってしまいそうだ。

 最悪な状況から、ほんの少しだけ友愛的なアンビアンスにしてくれたのは、紛れもなく菓子オーナーの功績である。犯人に物申せるのなら、菓子オーナーの真意を忖度そんたくし、これ以上の愚行はしてくれ、と声を大にして言いたいところだ。


 こうして気持ちが少しずつ和やかになり互いに距離を縮めつつ、しかしながら決して自分のハンドルネームを推し量られないように細心の注意だけは払いながら、時間は過ぎていった。大きな事件も起こらずに、泰平を取り戻しながら、またゆうの時間を迎える。このままこれ以上何事も起こらずしゅうえんを迎え、できることなら犯人は正直に名乗り出て自白して欲しい、という知鶴の切実な願いは、このあと脆くも崩れ去ることになる。

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