第六話 猜疑(Suspicious eyes)

「毒は入っていなかったようですね」『クラタ』はぼそりと呟いた。席を一つ左に移ってから、『クラタ』は知鶴から見て左斜め前にいる。

「えっ?」と、驚きの声を上げたのは『ヒデタカ』だ。

「毒って、どういうことですか?」

 たまらず知鶴は問いかけた。生理的に拒絶反応を示している『クラタ』とはどことなく距離を置きたかったが、しかしこの『クランベリー』(と知鶴が思い込んでいる)男を詰問きつもんしたい気持ちが勝ってしまった。

 今まで、傍観者を決め込んでいた知鶴なのに、ここに来て珍しく発言したことで、他の皆が驚きの表情でこちらを見ていた。

「いや、さっきから他殺かもしれないって話が出たろ? だから、食事に毒を盛られている可能性もあるって考えて、観察してたんだけどな」

 周りがざわつく。そう言えば、『クラタ』だけはほとんど食事に手を付けていないことに今更ながら気付いた。あと、自己紹介のときと違って、発言が自信に満ちているよう見えた。どもっていない。その裏付けなのか、不敵な笑みを浮かべている。彼の中で何か心境の変化でも起こったのだろうか。

「じゃあ、菓子オーナーが事件の黒幕ってことが言いたいの?」知鶴は険しい表情でさらに問いかける。

「別にそうだと決めつけてるわけじゃない」

「じゃあ、何なの!?」知鶴はいらついた。

「ちょっと、あんた? 俺があんたに何か悪いことしたか?」

「……」知鶴は黙りこくった。あまり突っかかると、『クラタ』を意識しすぎていることが発覚してしまう。いろいろと勘繰られるかもしれない。口はわざわいの元だ。

「俺はこれを食べた人間が全員死んでしまうことも考えて、敢えて口を付けなかった。無差別殺人の可能性だってあるんだからな。もしそうなら、俺と同じように口を付けなかった奴が犯人じゃなかろうかって、そう思ったんだが、結局誰もが食事に手を付けていたし、誰もが死ななかった。俺は、この隔離された空間でまた事件が起こるとしたら、ここで起こるかもしれないと思ったんだが、読みが違ったようだな。でも姉ちゃん、気を付けた方が良いぞ。不用心すぎると本当に死にかねないからな」

「確かに、気を付けた方が良いかもね。私もかつだったわ」と『メグ』が言う。

「そっか、危なかったぁ……」『ワカバヤシ』も少し間の抜けたリアクションを見せる。

「これって正常性バイアスやな」訓覇はまるで他人事のように言った。

 悔しいが、『クラタ』の言うとおりかもしれない。知鶴も含め、いささか不用心だったかもしれない。死ななかったから結果オーライというものの、誰かが毒を盛り込むことだってできるかもしれないのだ。

「おい。それくらいにしたらどうだ?」知鶴の前にいる『ゴトウ』が、隣の『クラタ』をたしなめた。そして、今度は目線を知鶴に向けて言った。「ごめんなさいね、せっかくのご飯なのに。お気を悪くしましたか?」

「あ、いや……」

 そのように言う『ゴトウ』は、あたかも『クラタ』の保護者のように見えて、どこか滑稽だった。

「私は、そんなことは致しませんよ。大切なお客さまに対して」どこかで聞いていたかのようにオーナーはきっぱりと言った。やはりどこか不快そうな口調であった。

「すみませんね。疑心暗鬼になってるんですよ」『ゴトウ』が代わりに弁解する。

「でも、用心するにこしたことはないと思いますよ……」静かにオーナーは言う。「見てしまったんですよ。こんな暗い雨の中に黒い衣装を被った不審人物がうろついてるのを」

「えっ!?」思わず、知鶴は声を上げたが、ユニゾンのように同時に驚きの声を上げた者が他にもいた。『ミホ』に至っては、椅子の上で体操座りをして、頭を隠しながらうずくまっている。そういう話がいかにも苦手のようだ。

「ええ。不必要に心配などさせたくはなかったのですが、このように隔離されてしまっていますし、現にお一人に不幸なことが起こっていますから。取りあえず、お部屋の鍵はかけておいた方が良いかもしれませんね」

 そう言うと、菓子オーナーは静かにキッチンへと戻っていった。


「俺、もう部屋に戻ります。すごく疲れたし」『ゴトウ』が言うと、その発言を待っていたかのように「ぼ、僕もそうします」と『ソウマ』は言った。同調するように、皆、各々の部屋に戻ろうとする。

 こんな短時間、しかも夕食を食べるというだけなのに、どっと疲れが積もった。しかし『ミホ』は肩を震わせて怯えている。そんな彼女の肩を優しくさすって『メグ』はなだめている。

「大丈夫よ。何かあったら私に言って」

 小声だったが、そういっているように聞こえた。


 各々は部屋に戻る。

 知鶴の部屋は奥から三番目だ。いちばん奥が『アヤネ』、その次が『ゴトウ』で、さらにその横が知鶴である。知鶴から見て『ゴトウ』とは反対隣の部屋は『メグ』、さらにその隣が訓覇の部屋だった。その他の部屋はよく覚えていない。取りあえず、自分の隣に、薄気味悪い『クラタ』がいないことに、ちょっとした安心を覚えた。

 知鶴の隣の『ゴトウ』や『メグ』をはじめ、皆、扉に入るなり、がちゃりとしっかり鍵をかけているようだ。知鶴も部屋に戻り、内開きの扉を閉めてしっかりと施錠したことを確認した。無論、身の安全を確保するためである。

 部屋は、改めて見ると立派な作りになっており、一人で使うには贅沢な広さであった。と言っても、扉まで窓までは直線的な作りになっていて、すごく奥行きがある部屋ではない。それでも、リゾートホテルとまではいかないが一般的なホテルの客室に遜色ないレベルだと思う。浴室とトイレが部屋ごとに完備されている。また客室電話があり、フロント以外に客室番号をプッシュすれば客室どうしの電話が可能と思われる。

 今回の事件について振り返りつつ、ハンドルネームと参加者との照合作業に取りかかろうと思ったが、ダブルベッドに横たわった瞬間に、急激な眠気に襲われた。無理もない。今日はいろいろなことがありすぎた。特に、ペンションに到着してからは常に緊張感が保たれていた。久しぶりに一人だけの守られた空間と時間ができたことに、安堵した。と同時に、気付くと知鶴は、シャワーも浴びずに微睡まどろみに落ちていった。


 しかし、その心地良い眠りは長くは続かなかった。

 突然、部屋のドアノブを乱暴にガチャガチャと回す音に見舞われた。どこか鬼気迫るものがある。

 知鶴は、一瞬にして眠気は吹っ飛び、文字通りベッドの上で飛び上がった。まさか、菓子オーナーの言っていた不審人物であろうか。そんな恐怖が頭をよぎった。鼓動が早くなる。

 知鶴は、何かものになりそうなものを探す。客室にめぼしいものは何もなかったが、取りあえずスタンドライトのプラグをコンセントから引き抜いて、すぐに持てるように構えておく。ドアをもし蹴破られでもしたら、逃げるか応戦しなければならない。逃げると言っても、外は相変わらずの雨降りだし、外に安全が待っている保証はどこにもない。知鶴は息を殺す。鼓動もいっそう早く、強くなったが、その音がドア越しの何者かに伝わっていないか心配した程だ。

 ところが、ガチャガチャとドアノブを回す音は、二十秒ほど鳴り続けてからぱたりと止んだ。ドアを破ることまではしなかったようだ。でも窓から入ってきたらどうしよう。知鶴はすぐに窓の施錠を確認し、カーテンを閉め直す。


 おそるおそる扉に近付きドアスコープを覗いてみると、そこにはもう誰もいないようだ。安心したが、外が気になる。いったい何者が扉をガチャガチャと開けようとしたのか。しかしそれを確認する勇気はなかった。次の瞬間までは。


 そう。そのせつ、思わずドアを開けざるを得ない出来事が起きたのだ。館内全体に響き渡る程に大きなとある女性の悲鳴が、知鶴の鼓膜を強烈に震わせたのだ。

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