第一話 来集(Gathering together)

 九月も終わりに近付いていて、ようやく残暑から解き放れようとしている季節だ。

 知鶴は気分を昂揚こうようさせながら、スカイブルーのパッソを運転していた。カーオーディオからは知鶴の好きなLadyレディー Gagaガガの曲を流している。気分の乗っている時もそうでない時も、好んでLady Gagaをはじめとする洋楽を聴いている。今日のように浮かれている時は激しいロック調や明るいポップな曲を選択している。ちなみに今聴いているのは『Born This Way』という曲である。BPM(Beats Per Minute)がおよそ124というアップテンポで軽快な音楽だ。知鶴は車の中で歌いながら中央自動車道を走り進んだ。車内で一人の時はよく歌いながら走っている。ただ洋楽をよく聴く知鶴であっても、決してバイリンガルというわけではないので、歌っていて英語の歌詞についていけないことがたびたびあるのが情けないところだ。


 今日は『第一回ミックスベリー・オフ会』の開催日だ。しかも二泊三日である。主催者であるハンドルネーム『ストロベリー』が企画したのだが、参加者の住所がばらばらであるので、遠方から来た人に対して日帰りではさすがに申し訳なかろうということで、ハッピーマンデーを利用した二泊三日の泊まりがけのオフ会となったのだ。しかも開催場所は長野県の諏訪すわぐん富士見ふじみ町というところらしい。学生時代はスキー旅行で長野県によくおもむいたものだが、最近ではその機会もめっきり減った。長野県に行くのは実に久しぶりであった。

 なお、知鶴の住所は埼玉県富士見ふじみ市である。同じ『富士見』でも、県も違えば風景も人口も大幅に違う。まったく似て非なる町並みだが、最初に会場の住所を聞いた時は、偶然の『富士見』の一致に笑ってしまいそうだった。最初は埼玉県富士見市と勘違いしたくらいだ。

 関越かんえつ自動車道、圏央けんおう道、中央自動車道と乗り継いでいく。ふと、この先渋滞は大丈夫だろうかと気になる。カーオーディオをMP3プレーヤーからFMラジオへと切り替える。すると、威勢のいい溌剌はつらつとした女性ラジオパーソナリティーの高い声が聞こえてきた。どうやら首都圏のおすすめの居酒屋を取材するコーナーのようで、店主とラジオパーソナリティー(もとい今回はグルメレポーターと呼んだ方が適切だが)の対話が主であった。時間短縮のため、注文した品が提供されるまでの時間がカットされているようだ。つまりは中継ではなく、事前に収録したものであろう。コーナーは終盤に差し掛かろうとしていた。

『今回は私の育った東京都八王はちおう市のスペインバル「デリシオーソ」をご紹介しました! ではスタジオのクマケンさんにお返しします!』

『アオイちゃん、素晴らしいレポートありがとう! いやー、みやざきとっを使用したパエリア美味しそうでしたね! ああ、僕も食べにいきたいっ!』

 ラジオなので、無論パエリアの映像は映らない。しかし、音声だけの媒体であっても確実に食欲をそそるようなレポート、店員へのインタビュー、食べた時の美味しさをふんだんに表現したレポーターのリアクションはさすがである。

 どんな職業であってもプロは凄いな、などと嘆息していると、すっかり当初の目的である渋滞情報を聴くのを忘れていた。しかし道は混雑していない。道路情報掲示板にもそれらしい情報は示されていない。まあいいか、と思いながらFMラジオをそのまま流した。今日の音楽の特集は『家族の絆・特集』だそうだ。福山雅治ふくやままさはるの『家族になろうよ』や、かりゆし58の『アンマー』などが流れてきて心地良い。明後日が敬老の日だからだろうかと知鶴は想像する。たまにはラジオもいいものだなと思いながら運転を続けた。

 結局のところ道はすいていて、意外にも三時間弱で最寄りの淵沢ぶちさわICインターチェンジに到着した。小淵沢ICは山梨県にある。つまり諏訪郡富士見町は長野県であるが山梨県に隣接する。このあたりはやつたけふもとであり、標高が高く、夏は冷涼で冬は厳寒の地である。

 今回の会場も、富士見町の中心部ではなく、山麓付近にある。途中から九十九つづらおりの山道を延々と進んでいった。途中、注意しないと気付かないようなところにT字路の交差点があり『ベリーズファーム&ペンション・カシス』の看板を見つけた。これが今回のオフ会の舞台である。T字路を右折して進むと、道はさらに細く、舗装状態も悪くなっていった。ここからは先ほどまでの崖が切り立つ山路ではないが、代わりに周囲の樹木が細い道を覆い被さるように鬱蒼うっそうと茂みはじめる。信号機や街灯もなくなり、小さな丸いデリネーターだけとなる。走行していてだんだん不安になってくる道だ。T字路を曲がって十分弱ほど走ると、深い渓谷をまたぐ吊り橋を前にして、じゃの駐車場へと突然道が開けた。吊り橋の向こうには木造の大きなコテージ風の建物がある。どうやらそこが会場の『ベリーズファーム&ペンション・カシス』らしい。砂利の駐車場に駐車し、吊り橋を渡って建物に入ると言うのか。荷物の多い者は、それを抱えて、いかにも揺れそうな長い吊り橋を渡らねばならないので、ちょっとこくだ。ペンションと対岸の駐車場の周囲だけは一部ひらけていたが決して広いわけではなく、その背後は急斜面になっており樹海で覆われている。


 ペンションの入り口に鎖に繋がれたイヌが立っている。毛の色は茶色だが部分的に黒が混ざっている。柴犬だろうか。知鶴はあまり犬種に詳しくないが、柴犬よりもどことなく凛々しく、どことなくオオカミに似た野性的な顔貌を呈していた。日本犬であるのは間違いないだろう。

 野性的と表現したのは、決して見た目だけではなく、その性格もだ。知鶴が入り口に近付くなり、「ワンワンワンッ!!」と大きな鳴き声で吠え立てた。その威嚇めいた鳴き声に、知鶴は思わず怯んでしまう。入り口の横をよく見てみると『猛犬注意』の札が貼られていた。

「こらっ! シン! お客さまだから吠えるんじゃない!」

 ご主人に叱咤されて、『シン』と呼ばれたその日本犬は落胆したようにうなれていた。

「ごめんなさいね。この子ははじめてのお客さまにはこんな感じで吠えてしまうんです。今日はこんな感じで吠えられると思いますが、明日からは吠えなくなるはずなのでご安心くださいね」

 そう釈明する人物は初老と思われる男性で、穏やかな顔つきをしていた。

 こんなに吠えまくるイヌは番犬向きかもしれないが、ペンションの看板犬としては不相応ではと知鶴は思った。しかしながら、さすがに初対面ではそんなことは言えない。

「あ、いえ。大丈夫です」と言って少し間を置いてから「柴犬ですか?」と知鶴は問うた。

「これは『川上犬かわかみけん』って言って、今や日本でも珍しいイヌです。川上村かわかみむらっていう長野県でもここから比較的近い村が発祥の犬種なんですが、長野県の天然記念物にも指定されているんですよ」とにこやかに説明したあと、思い出したように「あ、紹介が申し遅れましたが、私がここのペンションオーナーの『菓子かしすみ』です」と言って名刺を渡してきた。他人ひとのことは言えないが、なかなか聞き慣れないユニークな姓である。『ベリーズファーム&ペンション・カシス』の『カシス』とは、オーナーの氏名に由来しているのだ。偶然だろうが、カシスも別名クロスグリやブラックカラントとも呼ばれ、ベリー類の仲間である。

「こちらこそはじめまして。私は──」

「あ、お客様。今回のオフ会の主催者さまから、『自己紹介は夕方の食事会の時で、それまではお互いに秘密にして下さい』と言われております。私がうっかり漏らして、企画を台無しにしてしまうといけないので、食事会までは聞かないようにします」と言って、菓子と名乗るオーナーは、人差し指を自分の口に付けて立てた。いわゆる『シーッ!』と静粛を促すポーズをしながらも、その顔はあくまでにこやかであった。

 このオフ会を行うにあたって、主催者『ストロベリー』から、ペンションに到着しても、夕食時の宴会まで互いの自己紹介をしないようにしよう、という旨が言い渡された。その意図は分かりかねるが、何かサプライズ企画でも用意しているのだろうか。一斉に自己紹介することによって得られる、面白いイベントでも企画しているのかもしれない。

 直後、同じくオフ会の参加者の来訪だろうか。もう一人、到着したようだ。川上犬のシンは座って大人しくしている。茶髪のミディアムショートの美女だ。やはりこのオフ会の参加者のようなのだが、偏見かもしれないが、あまりこういう会には興味がなさそうな容貌に感じられた。かくいう知鶴自身もそのように見られるかもしれないが。彼女のハンドルネームは『何ベリー』だろうか。菓子オーナーがまた嬉しそうに応対しはじめた。知鶴は靴を脱いで館内に入った。


 時刻は午後四時。

 フロントには参加者と思われるメンバーが続々と集まってきていた。参加者が到着するなりシンが吠えるので、まるでドアフォンのようだ。その度に、調理の手を休めて応対している菓子オーナーは忙しそうだった。

 ロビーにはソファーやスツールに囲まれるようにして木製のテーブルがある。そのテーブルの上には、ベリー農園らしくブルーベリーやラズベリーなどのベリー類が容れられたかごが置かれている。また立派な柱時計に暖炉もある。暖炉の横には火かき棒が立てかけられている。

 正直、自己紹介がまだなので、部屋の割り振りができていない。正確には幹事である『ストロベリー』の企画書(と呼べるものがあるかどうか分からないが)に記されていると思われる。しかし、誰がどのハンドルネームかというのは、今はまだ明かされてはならないらしい。ゆえに部屋は分かったとしても、部屋に入ったり荷物を置きに行ったりすることは出来ない。

 これから二泊三日もの間、うたげを楽しむ仲間であったが、全員初対面である。また誰がどのハンドルネームか分からない。さらにだいたい同じくらいの年齢層が集まっているので、類推することも困難である。

 チャット画面上では意気投合していても、この状況では会話することも出来ない。早く自己紹介してハンドルネームを知り合いたいなと思いながら、バツが悪そうにスマートフォンをいじる他、場を繋ぐ方法がなかった。

 ふと、知鶴が顔を見上げると、菓子オーナーとは別に、二十〜三十歳代とは思えないような、壮年の男性を見かけた。四十〜五十歳代に見える。明らかに従業員には見えない。ということは参加者だろうか。『ミックスベリー』の参加資格その三には、『二十〜三十歳代の独身であること』なので、絶対そうである必要はないということなのだろうか。

 こうやって見渡してみると、参加者は決して女性ばかりではない。男女率は半々くらいだ。『ミックスベリー』という、いかにも女性の多そうなネーミングセンスであるにもかかわらず、である。もちろんチャット画面上では、男と名乗る者もいたし、発言内容が男らしいメンバーもいたのだが、それもせいぜい四人くらいだったと記憶している。ここにいま集まっているだけで男が六名もいる。『ミックスベリー』のメンバーは十四名で、うち二人はどうしても都合が合わず来られないと聞いている。ゆえに本日の参加者数は十二名だが、まだここに全員集まっているわけではないようだ。自分が女友達と思って意気投合していた者の中に、男が性別を偽って調子を合わせていた者もいるのかもしれない。男だからといって落胆することはないのだが、だったらはじめから男だと言ってくれれば良いのに、と思ってしまう。

 しかし、男性の参加者の中には、顔立ちの整った者が二名ほどいた。一人は長身で爽やかなタイプの、いわゆる『イケメン』である。やや中性的な面持ちだが凛々しくもあり、その身だしなみは清潔に整えられていた。先ほどから慌ただしく動き回っている。ひょっとして幹事の『ストロベリー』だろうか。いや、チャット画面上では、『ストロベリー』の発言は決して男っぽくない。かと言って女性っぽくも、ゲイっぽくもないのだが、『ストロベリー』すなわち『イチゴ』が名前に含まれるとすれば、そのまんま『いちご』という名前の、若い女性を勝手に予想していた。彼が『ストロベリー』だとすれば、本名が気になるところだ。

 もう一人のイケメンはタイプが異なり、清潔感やオシャレでは引けを取るものの、換言すれば野性味のある無精髭を蓄えている。顔立ちは彫りが深くクールな印象で、パッと見た感じ喋りかけにくそうなオーラが漂っている。彼が何『ベリー』か分からないが、仮に女性を偽っていたとしたら幻滅である。

 皆、食事会が始まるまではロビーにいても何となく気まずそうにしており、ある者はトイレに立ってみたり、ある者は窓から外の自然溢れる景色を眺めてみたりしている。やることがなくスマートフォンをいじっている者もいる。無論、食事会時に自己紹介をする趣旨のため、この場での参加者同士のグループチャットは禁止されているが。

 しかし入り口を通過するとシンが吠えるのを警戒してか、ペンションの外に出ようとする者はあまりいないようだ。

 気付くとこの場に十一名の参加者と思われる人物を確認した。女性参加者の面々は今ここに六名、いわゆるギャルのような風体の者、ボーイッシュな雰囲気な者、清楚な見た目の者まで多種多様だが、概して顔立ちが皆整っている。ベリー類が好きな女性は美人が多いのか。そんな話は聞いたことがない。もし皆、知鶴のように交際相手がいなくて、この機会に男女の出逢いを求めていたとしたら、この二人のイケメンに人気が殺到するのだろうか。知鶴が男の出逢いをまったく求めていないと言えば嘘になる。たとえ遠距離でも良いから、心のどころになるような彼氏が欲しかった。しかしこれだけ『美人率』が高いと、いくらルックスに多少の自負がある知鶴であっても大したアドバンテージにはならないと思った。別に勝負しているわけではないが、明らかにルックスで負けたと思ってしまう美人が二名はいた。うち一人は知鶴の直後に来た茶髪のミディアムショートの女性だ。その女性を美女と表現するなら、もう一人は童顔で可愛らしい女の子だ。少し垂れ目だがその大きな瞳は美しい。男性参加者諸君よ、せいぜい喜んでくれたまえ。


 そんなことを考えながら待っていると、イケメンのうち幹事ではないと思われる男性が知鶴のもとに近寄ってきた。

「こんちはっ! 君ぃ美人やね! 何『ベリー』ちゃんかなー?」と、その男は関西弁に似たイントネーションで話しかけてくる。

 知鶴は心の中ですぐさま前言撤回した。クールで喋りにくそうなオーラを持っていると思ったが、全然違う。ただのナンパ野郎ではないか。

「何ですか?」知鶴は勝手にその男に良い印象を抱いていただけに、期待を裏切られた。それを無意識のうちに反映してしまったか迷惑そうな表情で応答していた。でも男はまったく意に介さない。

「宴会のとき、俺と一緒に話そな!」と笑いながら去って行った。いくら顔立ちが良くても軽々しい男は嫌だ。幻滅しながら、他の男性参加者たちを目で追っていた。


 あれっ。そのとき知鶴は違和感を感じた。十一名が現在ここにいて、菓子オーナーを除いて男性陣を六名、女性陣も六名確認済だ。『ミックスベリー』のメンバー十四名中の十二名が来るそうなので、今日来るうちの全員が到着したことになる。そしてここにいる十一名中の六名は女性だから、男性一人が今ここにいない。誰かが外出したのだろうか。ここにいる男性陣の顔ぶれを見てみると、先に述べた長身で爽やかなイケメンが今ここにはいない。その爽やかなイケメンは玄関を出入りしてもシンが吠えないようだ。ゆえにこの場からいなくなったことに知鶴は気が付かなかった。オフ会を行うにあたって、まさか下見でもしたのだろうか。ということで、やはり彼が今回の幹事であり、車で足りない食材や飲み物などを買い足しに行ったりしているのだろうか。ご苦労様というねぎらいの気持ちと同時に、全員もう集まっていて、自己紹介の出来ない気まずい雰囲気をどうにかしてくれ、と知鶴は心の中でつぶやいていた。

 時刻は午後五時半を過ぎようとしていた。

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