第6話;生い立ち

 7つ目の事件現場で、犯人と思われる人物が置手紙を残したが、警察はその内容を信じる事が出来なかった。むしろ吉田を犯人と疑い、共犯者の存在を確信した。

 手紙の内容は、吉田は犯人ではないと言うものだった。しかし警察は吉田を逮捕した事を、世間に対して極力隠していた。逮捕時に失態を犯したもののマスコミはこの事をまだ知らず、新聞や雑誌にも公表されていない事実なのだ。

 吉田の逮捕を、誰も知らないはずだと思った警察は、やはり共犯者が存在し、他の事件の時と同様、吉田が拘束されている間に、その者がおとりとして殺害を起こしたものだと判断した。

 そこで警察は、安田の失態に目を付けた。彼は吉田が大学で講義を受けている時に彼を逮捕した。つまり吉田が逮捕された事を知っている人物は、授業に出席していた生徒、そして授業を行っていた教授だけなのである。アルバイト先には、吉田は事故で入院していると告げていた。

 勿論、逮捕を目撃した者が第三者に事実を伝えた可能性は否定出来ないが、偶然に話を聞いた第三者が共犯者だと言う構図は、余りにも出来過ぎている。吉田を逮捕した際、あの場にいた人間の中に共犯者がいたと考えるのが妥当であった。

 警察は大学の教授、そして吉田と仲が良かった級友を共犯者として疑い始めた。

 そうなると、新たな推理も生まれる。


 果たして吉田は、授業に出席していたのか?


 吉田のアリバイの幾つかが、大学で授業を受けていたと言うものだ。しかしそれは教授や級友が共犯者なら、嘘の証言から作られたアリバイかも知れない。

 3つ目の事件では、彼は安田の電話を受け、数人の人間と共に現在の居場所を確認させられたが、それも共犯者の協力があったとすれば?教授と共に撮った写真も、携帯電話で撮ったものだ。合成写真だったとして、それを見抜けるほどの鮮明な写真ではない。そしてその直後、吉田は交番に立ち寄り、自分の存在を確認させたものの、よくよく考えれば交番にいた警察は、吉田の顔を知らない。名前だけを確認し、それを証拠として残したのだとしたら?

 また、吉田は留置場にいる間、自らが外部と連絡を取る事はせず、面会に来た人間とだけ交流をしていた。勿論、交流と言っても直接会う事は叶わず、面会人の差し入れや簡単なメッセージだけが、警察官を介して吉田に伝えられた。

 面会に訪れた人物は、大学教授と施設の管理者である深川、そして、数名の大学の級友だ。彼らは吉田の無罪を信じ、彼を励ます為に面会に訪れた。

 しかし警察はこの人物らに、共犯者の可能性を見た。


 警察は、深川を共犯者と考える事が出来ても、直接に犯行に及んだ人物ではないと考えた。施設は殺害現場らから遠く離れており、彼女は60代の女性だ。距離的にも肉体的にも、実行犯にはなり得ない。

 何よりも深川は、身長が150センチほどしかない小柄の女性である。被害者が受けた傷は全て喉仏あたりから始まり、右斜めに上がりながら付けられた傷だ。もし彼女が実行犯であったのなら、付けられた傷は右斜めに下がっているはずなのだ。身体的な無理もあるのだ。

 しかし反対に、彼女が共犯者である疑いは強くなった。彼女は児童養護施設の管理者であり、そこで生活をする多くの子供達は親の事情で施設に入った者達なので、彼らの不幸を思う余り、親と同じ世代の人間を憎んでいるかも知れない。


 大学教授には、より強い疑いを掛けた。彼は吉田のアリバイを何度か立証し、彼に対して親身な態度を取っている。彼は50代だが、肉体、身体、行動範囲の全てが実行犯と結び付けるに無理がなかった。

 写真の件も引っ掛かる。仮に捏造だったとしたら、大学教授だけでなく吉田のアリバイも崩せる事になるのだ。




 そして、更に時間は流れた。

 それでも警察は事件に関して、DNA鑑定以外の証拠を探し出す事が出来ずにいた。深川と大学教授は警察の捜査に積極的に協力し、それでも疑われる素性や素振りを見せる事がなかった。


 そこで警察は、大胆な行動に出る事を決めた。この時、吉田を拘束して、50日ほどが経過していた。

 警察はDNAの鑑定結果を元に、1件だけの事件で吉田を公訴しようとも考えたが、そうなると他の事件が解決出来ないと判断し、吉田を一旦は解放して泳がせ、共犯者と接触させる事で事件の全貌を暴こう考えたのだ。

 1度は、この方法で成功している。6件目の事件において被害者を泳がせ、結局は犯人が男を殺害してしまったものの、DNAを採取する事に成功したのだ。

 復讐劇の的になった男は、あと1人残っている。警察は、犯人達が必ず次の行動に出ると確信していた。


 吉田を解放するにあたって、警察はマスコミの反応が気になった。安田と佐藤が彼を逮捕した時、周囲には人が多過ぎた。その場にいた学生が吉田の解放を知れば騒ぎ出し、マスコミの耳に届くかも知れない。危険な賭けになるのだ。

 警察は常に監視役の人間を吉田の自宅周辺に待機させ、彼を見張る事にした。吉田には、外出する際にだけ尾行し、携帯電話などの通話には自由を与えた。

 彼の家には盗聴器が仕掛けられた。携帯電話にも仕掛けたかったが留置場にいる間、警察は吉田に携帯電話を持たせていたのでそれが出来なかった。


 吉田の見張り役としては、改めて佐藤が起用された。彼は、任されていた仕事を終えていた。ちょうど良いタイミングで監視役を任されたのだ。

 佐藤は、それにも少々の疑問を持った。果たして請け負った事件が解決していなかったら、自分は呼ばれなかったのか?それが気になった。



「なかなか、尻尾を見せないな…。」


 佐藤の報告を受け、安田はそう答えた。彼の尾行を始めて数週間、相変わらず事件の進展が見られない。

 吉田は衰弱していたものの、潔白の身である事を証明しようと必死だった。無闇な外出や電話連絡を避け、アルバイトは、卒業を控えているのでこれ以上の学費を払う必要もなく、貯金もあるので辞める事にした。




「今日は、少し遠出をしたいんですけど…。」


 自宅周辺で駐車している怪しい車の窓を叩き、吉田は、中にいる佐藤に声を掛けた。

 内定を貰った施設を訪れ、管理者に挨拶をしたいと申し出たのだ。留置場にいた際、何回か面会を求めて足を運んでくれた事に礼を述べ、内定を取り消してもらうつもりでいたのだ。


「………。」


 佐藤は吉田の行動に慌てた。尾行がばれていた。

 こうなると、吉田を泳がせた意味がなくなる。


「…いつから知っていたんだ?」

「留置場から出た時から、怪しいとは思ってましたよ。」

「……。」


 佐藤は固唾を飲んだ。吉田にばれていた事は、自分の能力不足のせいか?それとも、やはり吉田には共犯者がいて、常に自分を監視をしているからなのか?仮にそうだとしたら、その巧みなやり口を恐ろしいと思った。



「……。分かった。僕も同行しよう。」


 しかし佐藤は、そこで開き直った。施設へ一緒に向かい、深川との会話を、全て側で聞く事にした。…吉田がそう願った。

 開き直るまでには時間が掛かったが、佐藤はそれで、気が楽になった気がしていた。



「色々と、君には苦労を掛けている。…本当に済まない。」


 佐藤は吉田を車に乗せた。

 出発して20分ほどは会話がなかったが、詰まった息を全て吐き出すかのように、佐藤が吉田に声を掛けた。彼への懺悔でもあり、立場を理解している事を伝えたかった。

 佐藤の謝罪は、吉田にとって意外ではなかった。吉田は彼の優しさと、自分を疑っていない事を知っていた。


「DNA鑑定の結果は…本当に、僕のDNAと犯人のものが一致したんですか?」

「………。」


 吉田が佐藤に質問する。佐藤は答えられなかった。彼自身も結果には驚いている。彼が犯人のDNAを採取した時、首元に引っ掻き傷を作ったが、数時間後の吉田にはその傷がなかったのだ。


「…専門家の判断は分からない。でも、犯人のDNAは君のものと一致した。」

「…………。」


 佐藤は、安田の性格と仕事のやり方、一時は担当から外された事を、疑問として思い出した。


「…そうですか……。」


 吉田は諦めたように溜息をついた。佐藤はその姿を見て、吉田は犯人ではない事を、今更ながらに確信した。


「なら…仕方ないですね…。」


 身の潔白を証明しようと、これまで警察に協力的な態度を取っていた吉田だが、それは、並大抵の精神力で耐えられるものではない。彼は、命を削ってまで気丈に振舞ってきた。大学の卒業や就職も、今後はどうなるか分からない。将来が不安だった。留置場では不自由な暮らしをし、常に誰かに見張られていた。

 そんな生活を、2ヶ月近くも過していたのだ。

 気を許せる佐藤と、車内と言う密閉された空間で2人になれた事に、吉田はこれまで我慢していた本音を吐いたように見えた。

 彼は、諦めかけていた。警察が他の証拠を掴めていないと共に、彼も彼で、身の潔白を証明出来る材料がなかった。


「……済まない。」


 佐藤は彼の気丈さと苦労、そして諦めの表情に、重い一言を返した。




「僕は、車の中で待ってるよ。」


 施設に到着した佐藤は、少しでも吉田に自由な時間を与えようと車の中で待機する事にした。


「それは困ります。僕も嫌ですし、ここの施設長さんも嫌がります。佐藤さんが横にいる事で、僕らのアリバイは成立するんです。」

「……。」


 ここで息抜きでも与えたかったのだが、それを拒む吉田を見て、佐藤は彼の気丈さと、警戒心を知った。自分はまだ警察側の人間として、一線を置かれているのだとショックを受けた。

 しかし、それと同時に疑いも抱いた。好意を断られたせいなのか、何故そこまでして、吉田はアリバイに拘るのか?と疑った。


(これも…演技なのか?ひょっとして彼は…強いられているのか?)


 主犯でなく、弱みを握られた共犯者だとすれば、吉田はやりたくもない演技をこなさなければならない。佐藤をここに呼びつけて吉田と深川のアリバイを成立させたところで、別の場所で、違う共犯者に因る事件が起きる…。そう推理する事も可能であった。


 佐藤は、吉田の誘いに乗る事にした。それが黒幕の作戦かも知れないが、それよりも吉田に気を使う事にした。

 吉田は今、むしろ1人でいる事が怖いのだ。1人でいると色んな事を考えてしまい、疑いも掛けられてしまう。佐藤は刑事である。吉田は、彼の横にいる事が一番落ち着けるのだ。

 安田には連絡を入れられない。尾行がばれた時点で彼からは大目玉を食らうだろうし、8人目の被害者になる者も、共犯者も分からないのだ。連絡を入れたところで、安田や警察が動けるものではないのだ。



「あら、吉田君!?こんな所に来ても良いの?」


 施設の管理者である深川は、吉田の訪問に驚いた。

 吉田は、訪問前の連絡を取らなかった。事実は知らないものの盗聴器を怪しんでいた彼は、彼女に電話する事を拒んだのだ。自身は衰弱しているのの、慣れている。それよりも、深川に必要ない心配や苦労を掛ける事が気に食わなかった。


「今日は、刑事さんにも同行してもらいました。」


 吉田は佐藤を紹介し、佐藤は、申し訳なさそうな顔で深川に挨拶をした。

 深川は佐藤の性格を知っているので、彼の訪問を歓迎した。


 3人は、事務所で話をする事にした。


「それは許しません。あなたには、ここで働いてもらいます。」


 吉田は少し世間話をした後、内定取り消しの申し出をした。

 しかし深川は拒否した。吉田の無罪を信じており、彼を助けたいと思っていた。

 彼女は、吉田を担当する大学教授を知っている。彼は、教育界で有名な人物だ。彼に敬意を払う深川は、その愛弟子でもある吉田を信じた。また、深川と教授は吉田の、留置場への送還をきっかけに知った仲になっており、無実を切実に信じる教授の姿を見て、深川も吉田の無実を強く確信するようになっていた。


「今は大変でしょうけど、だからと言って、人生を棒に振る事は許しません。あなたが本当に無実なら、自分の人生に、胸を張って生きなければなりません。こんな事には負けないで…。」


 彼女は吉田にそう伝えると、佐藤の顔を伺った。

 佐藤は、罰の悪さに顔を下に向けた。


 吉田は何度も内定取り消しを嘆願したが、深川は最後まで拒んだ。何年掛かっても良いから、必ずここで働くようにと彼を説得した。他に就職先が見つかったのなら諦めるが、自分の容疑が施設の迷惑になると言う理由で内定を断る事を許さなかった。

 やがて吉田は取り消しを求める事を諦め、涙目で彼女に礼を言い、容疑が晴れた暁には、必ずここで働かせてもらう事を約束した。


 それを聞いた深川は大いに喜び、話してはいけない事を吉田に尋ねてしまった。


「ところで…ご両親はお元気ですか?」


 それは…吉田の過去に関係する質問だった。

 その質問に最初、吉田は戸惑った。そして6年ほど前に起きた、両親の不幸を話し出した。


「両親は、数年前に交通事故で亡くなりました。急に飛び出して来た子供を避けて、その拍子に乗っていた車が信号機に激突して…。」

「…あら…そうだったの…。私、そんな事も知らないで…。とても優しい方達だったのに……。」

「え?園長さんは、僕の両親をご存知なんですか?」


 吉田は、彼女の言葉に驚いた。明らかに両親を知っており、過去に会った事もあるようなのだ。


「あっ…。」


 吉田の返事に、深川は自分の失態に気付いた。この事は吉田に、自らのタイミングで話してはいけない話だった。彼がここで働くようになって、彼の口から出るのを待つべき話題であった。

 自分の失態に黙り込んでしまった彼女だが、吉田と、そして佐藤は執拗に彼女に問い質した。吉田は、若くして失った両親の事を少しでも知りたいと願い、佐藤は、両親の過去と事件に何らかの関係性があるのでは?と思った。

 

 頭を悩ませた深川であったが、2人の強い押しに負け、吉田の生い立ちを告白した。


「吉田さん…。あなたは、両親から何も聞かされていませんか?」

「聞かされるって……何をですか?」


 深川の質問に、吉田は疑問符を打った。それを聞いた彼女はもう1度反省した顔を見せ、吉田にこの事を伝えるべきか悩んだ。


「………。」


 彼の両親は、数年前に他界している。つまり吉田が、成人を迎える前に他界したのだ。

だから吉田は、何も聞かされていないのだ。

 それを、自分が伝えるべきなのか…?それとも両親は、最後までこの事を黙っているべきだと考えたのか…?

 深川には、その判断が出来なかった。


 だが2人の執拗な問い質しに、根負けをしてしまった。


「吉田さん…いや、一哉君……。」


 深川はそこまで言うと、もう1度話す事を躊躇った。下を向いて自分の失態を反省し、もう1度吉田の両親が、どのような考えであったのかを考え直した。


 そして遂に彼女は吉田に、彼の両親の話をする事にした。

 吉田も聞きたくて必死な顔をした。衰弱した彼にとって両親の昔話は、少しでも気を安らがせてくれるものになるかも知れない。


 しかし深川が話そうとしている内容は、決して吉田が求めるようなものではない。

 彼女は吉田が、自らの生い立ちを知っていると思っていた。だから、この施設での就職を希望したのだと考えていた。

 吉田が内定を受けた際に訪問して来た時には、深川は気付けなかった。

 彼女は、吉田の顔に見覚えがあった。彼が去った後にそれ思い出した深川はいつかこの話を、吉田と交わしたいと思っていた。

 だが、この話は余りにもプライバシーに関わる話なので、自分からは決して持ち出してはならない事であった。


「一哉君…。あなたは孤児として…ここで1歳まで暮らしていたのよ…。それを吉田さん夫婦が引き取って…。つまり、養子として迎えたの…。」

「!!?」


 心が和む話が聞けると思っていた吉田にとって、それは衝撃以外のなにものでもなかった。彼は両親から、自分の過去を何1つ聞かされていなかった。


「僕が…孤児……ですか?」


 驚きを隠せない吉田が深川に迫ると、彼女は自分の失態を改めて後悔し始めた。そしてうつむいたままの姿勢を続け、やっとの思いで首を縦に振った。


 彼女の返事に吉田は声を失い、佐藤もまた、声を失っていた。

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