第3話

 「今日から魔法のお勉強を始めますよ」

 「はいですな、お母さま」


 今日は待ちに待った魔法教室の入学の日だ。とうとうダフニも魔法使いの仲間入りなのだ。


 魔法教室はダフニの家から馬車で10分くらいの所にある。歩いても行ける距離だと思うが、わざわざ馬車なのは王子様ということなのだろうか。誘拐とかされたら大変だろうし。それに、今日は王妃様も同伴だからなおさらなのだろう。


 教室に着くと入り口で母と別れて中へは一人で入った。母は授業が終わるまで待合室で待つのだ。中に入るとそこには女の子が一人先に席に着いていた。その子は同じくらいの年頃で、気のきつそうな目つきの金髪ブロンドの女の子だった。


 「ダフニですな。よろしくですな」

 「ふん」


 席に着く前にダフニが近づいて握手をしようと手を差し出したが、その子は不愉快そうにダフニを一瞥して握手を無視した。


 「挨拶をされたら返すのが礼儀ですな。無視するのは良くないですな」

 「早く座りなさいよ」

 「挨拶が先なのですな」


 と、その時教室へ先生らしい人が入ってきた。


 「そこのあなた、席に座りなさい」

 「先生、おはようございますですな」

 「座りなさい!」


 先生にいきなり怒られたダフニはちょっとむっとしたがおとなしく自分の席に座った。女の子はその様子を見て呆れた様子だった。


 「私は今日からあなた方の先生になるヘシア先生です」

 「私はダフニですな」

 「誰がしゃべっていいと言いました!?」


 進んで自己紹介をしてまた怒られたダフニは随分忘れていた学校というものの理不尽さを思い出して吐きそうな気分になった。


 前世で奈都だったときも、中学校くらいまではしょっちゅう態度が悪いと言われて何もしていないのに理不尽に怒られたものだった。中学の先生に、お前は絶対第一志望に受からせない、と宣言されたこともあった。高校くらいからは勉強さえできていれば誰も何も言わなくなったものだけど。


 こういう手合いには結果を残して実力で文句を言わせなくする以外のいい方法をダフニは知らない。媚びを売って取り入ろうとしたところで、何を考えているのか理解不能なので何を押さえれば喜ぶのかさっぱり分からないからだ。


 そこでダフニは、とにかくあまり怒らせないように気を付けて授業だけを聞いておくことにすることにした。


 「いいですか。この教室は優秀な魔法使いの卵になるためのお勉強をする場所です。決してお遊びをする場所ではありません。誰もがここに入りたいと思って一生懸命勉強し、厳しい試験を通ったものだけが入学を許されるのです。やる気や実力がないならここにいる資格はありません」


 そう言ってヘシア先生はダフニの方をじっと見てきたので、ダフニが肩をすくめて見せると先生は目を見開いて驚いた様子だった。その後、授業の間、先生は一度もダフニの方を見ることはなかった。


 授業の後、先生は、待合室にいる保護者と面談をするのでそれが終わるまでダフニたちは教室で待つようにと言って教室から出て行った。


 「お主はイリスというですな。仲良くするですな」

 「変なしゃべり方」

 「変じゃないですな」

 「あなた、しゃべらない方がいい」

 「そんなことを言うのはよくないですな。仲良くするですな」

 「……うわーん」


 ダフニがイリスという名の女の子に仲良くしようと話しかけていると、ダフニの積極的な態度に怯えたのかイリスは大きな声をあげて泣き始めた。


 「泣かなくてもいいですな。何もしてないですな」


 3歳時に目の前で泣かれてどうしたものかとおろおろしていると、ヘシア先生ともう一人女の人が入ってきた。2人目の女の人はイリスの母親だったらしく、泣き続けるイリスを抱きかかえて教室から出て行った。


 「ダフニくん。今日は初日だから大目に見ますが、次も今日みたいなことを続けるようならすぐにでも止めていただきますよ」


 イリスが帰ってからそうヘシア先生に言われてダフニはようやくこの教室でのルールを理解した。


 ――どうやら、この教室では私は一言も口を聞いてはいけないということなのですな。


 帰り道、母はそのことで叱ったりすることはなかったが、押し黙って考え事をしている様子だった。


 それから、魔法の授業は2日おきに行われた。付き添いには母が来たりマヤが来たりした。授業でダフニは挨拶もせず話しかけもしないようにしていたので、ヘシア先生は何か文句を言ってくることはなかった。


 授業の内容はすべて呪文の暗唱だった。口頭で教えられた魔法の呪文をひたすら暗唱する。とにかく暗唱を何度も繰り返していると、あるとき突然魔法が使えるのだと言っていた。先生曰く、100万回繰り返さなければならないのだそうだ。いい大人が「100万回」「100万回」と馬鹿の一つ覚えのように繰り返すのは滑稽だが、付き合わされるほうにはたまったものではない。


 教科書もノートもなく口伝えの文句を一字一句間違えないように覚えるのは丸暗記の苦手なダフニには苦行だった。しかも、授業が休みの日には家でも呪文の暗唱をしなければならず、次の授業の最初には何回暗唱したかを報告させられて、回数が少ないと怒られる。嘘をついても付き添いの母やマヤからも別に報告させているのですぐにばれるのだ。


 案の定、ダフニはすぐに嫌になった。


 あるとき止めたいとマヤに相談したが、マヤは困った顔をするだけだった。ただ、呪文の暗唱の回数については嘘をつくときに口裏合わせをしてくれることになった。


 マヤの協力で時間の余裕ができたダフニはようやく落ち着いて魔法のことについて考える時間を取ることができた。まず、暗唱している呪文というのはこんなようなものだった。


 『豊原に集いし炎の精霊に請い願い奉る。我、汝に一つの求めあり。眼前の木片に向かい炎の回廊を作りたまへ。さすれば我、汝に魔力1を与えるものなり。コール』


 魔法の種類が変わると呪文の内容が変化するが、その時にも文中の構成要素が変化するだけで基本形に変化はない。


 ――まず気になるのは、精霊、回廊、魔力というあたりですな。


 この3つの構成要素はどんな種類の魔法の呪文でも変化することはないようだ。とすると、これが魔法の実行において重要な役割を果たすものなのではないかとダフニは考えた。


 ――といっても、精霊も魔力も見たこともないものなので想像もつかないですな。回廊というのは何かの比喩ですかな。


 考えるにしてもその材料となるものがなければ考えを深めることができないので、まずはマヤに魔法や精霊に関する本をねだって沢山集めてもらうことにした。一般向けの本でいいのでとにかくキーとなる概念がどういうイメージで捉えられているものなのかを知ることが大切だと思ったのだ。魔法教室では呪文の意味の解説は全くしてくれないのだから。


 その結果分かったことは、この世界の人も精霊や魔力が何を意味しているのかあまりよく分かっていないらしいということだった。とにかく魔法というのは、精霊にお願いして魔力を消費することで超常現象を引き起こすものだという程度の認識が一般的だということしか分からなかった。後、回廊というものが何を意味するかはさっぱり分からなかった。


 それから、呪文というものには意外にもいろいろなバリエーションがあるということも分かった。ヘシア先生は一字一句間違えてはいけないというが、世の中には魔法の流派があってそれぞれに微妙に異なる呪文を教えているようだ。ただし、それぞれの流派では自分の呪文こそが正しいと互いに主張しているようだが。


 あれこれと本を前にして思い悩んでいると、ちょうど兄のレオが屋敷を訪ねてきた。


 「ダフニ、お勉強か?」

 「お、お兄さま! 何時いらっしゃったのですかな!?」

 「ん、今来たところだよ」


 レオがダフニの顔のすぐそばに顔を寄せて本を覗き込んだので、ダフニはびっくりして顔を真っ赤にしてしまったが、レオはそんなダフニの様子に気づくこともなく本を読み始めた。


 「なかなか難しい本を見てるな。本当に読めるのか?」

 「よ、読めますですな」

 「じゃあ、何が書いてあるのか言ってみろよ?」


 レオはまだ3歳のダフニが背伸びをしているだけだと思ったのか、からかうような口調で問いかけてきた。だが、ダフニにはそんなニュアンスは伝わらず、敬愛する兄からの質問に真剣に答え始めた。


 「この本は魔法5大流派の1つのへスペリア派の大家ダルダーニが子供向けに書いた魔法の入門書ですな。子供向けなのに魔法の成り立ちまできちんと書いている珍しい本ですな。惜しむらくは自説にこだわりすぎて、標準的な説を軽視しているところが入門書としては問題ですな。それと、結局精霊や魔力や回廊というものが何なのかについては何も説明はなかったのですな。残念ですな」


 レオは完全に斜め上の回答の言葉を失った。そもそも本の内容を読み取ることすら3歳児の知能では難しいのに、その本の魔法学の体系の中での位置づけやそこに書かれていない内容にまで言及するというのはただ事ではない。


 「お兄さまは魔法は使えるですかな?」

 「ん、もちろん使えるぞ」

 「見せていただいてもよいですかな?」

 「いいぞ」


 ――やったですな!


 ダフニは内心でガッツポーズを取った。実はこれまで魔法教室に通っているにも関わらず、魔法の実演を一度も見たことがなかったのだ。来る日も呪文の暗記と発動なしの詠唱練習だけの日々だからだ。


 もっとも、その方針そのものが必ずしもおかしいとは言えないとはダフニも思ってはいた。例えばひらがなを覚え始めたばかりの子供に中学で使うような論説文の読解をさせても意味がないだろうし、数を覚え始めたばかりの子供に方程式を見せても意味がないだろう。


 だが、ダフニはただの3歳児ではなく中身は大学院まで修了した成人だ。そんな配慮は逆効果というものなのだ。


 「じゃあ、まずは水の魔法からいくぞ」

 「はいですな」


 中庭に2人で出て、レオはダフニを下がらせて呪文を詠唱した。


 「豊原に集いし水の精霊に請い願い奉る。我、汝に一つの求めあり。眼前の小岩に向かい水球の回廊を作りたまへ。さすれば我、汝に魔力1を与えるものなり。コール」


 呪文を唱え終わると同時に、レオの手元から離れたところに鎮座する小岩に向かってこぶし大程度の水球がふわりと飛んでぶつかりぱしゃっと弾けた。


 「私もやってみるですな」


 そう言って、レオに代わってダフニがやってみたが、やはりどういうわけか魔法は発動しなかった。


 「何が違うのですかな」

 「そうだな。魔法が成功するときと失敗するときだと、成功するときには言葉がただの言葉じゃなくて何かを操作してるみたいな手ごたえを感じることがあるんだよな。もしかするとそういうのを意識してみるといいかもしれないぞ」

 「何かを操作ですかな……?」

 「うーん、自分でも何を言ってるかよく分からないな。忘れてくれよ。じゃあ、次の魔法いくぞ」


 レオはその後、いくつか種類の違う魔法を実演して見せてくれた。それを見ながら、ダフニはレオの言葉の意味を考えていた。

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