エピローグ
Call Sign - キャノンボール
――2024年9月22日、岐阜県、各務原市――
インヴィンシブル・ウィング社は、3月末から正式に『テンペスト』のサービスを開始した。同社は、フェニックス・アイ社との関連が取りざたされていたはずなのだが、どういう経緯で疑惑が解消されたのかは、涼子には知る由もない。
一般のユーザーにとってはフェニックス・アイ社との関連疑惑は、逆に良い宣伝だ。軍事技術を不正に入手した疑いが持たれているという事は、『テンペスト』がそれほどリアルなシミュレーターであることの証明にもなるからだ。
『テンペスト』では公開以来、注目すべきことが起きている。
今や『テンペスト』は、無人機パイロットの人材確保のためのプラットフォームになりつつあるのだ。『テンペスト』で良い成績を上げれば、世界中の国々の軍のリクルーターの眼に留まり、エリートとして迎え入れられる可能性だってある。
涼子の属していたファントムチームの面々も、連絡が取れなくなって久しい。噂によれば、もう既にどこかの国の空軍に入隊しているようだ。
涼子のTACネーム、パインツリーは、『テンペスト』の世界では既にカリスマ化している。当然ながら涼子のもとには、世界中のほぼ全ての国からスカウトメールが来た。
中でも涼子の心が動いたのが、アメリカ空軍のスペンサー・ボイドという人物からのメールだった。ボイド氏はアメリカ空軍のテストパイロットで、同じアメリカ空軍で伝説のパイロットと呼ばれる、フレディ・カーク氏の親友なのだという。
ボイド氏の名は、涼子が『テンペスト』の中で出会った謎のトレーナー、フェニックスから聞かされたものと一致する。
もしもフェニックスがあの時に言っていた、『これまで教えた中で、最も優秀なパイロット』というのがこのボイド氏なのだとすると、逆に言えばそのフェニックスこそが、伝説のフレディ・カーク氏という事になる。
ボイド氏は涼子に、エドワーズ空軍基地内にある、飛行試験センター・AFFTC(Air Force Flight Test Center)で、無人機のテストパイロットをやってくれないかとのオファーをくれた。
AFFTCと言えば、やはり伝説中の伝説と言っても良い、あのチェック・イェーガー氏が所属していた部隊だ。イェーガー氏を主人公の一人として扱った映画、『ザ・ライトスタッフ』は、もう何度繰り返し観たのか分からないほどだ。
しかし涼子は、ボイド氏のオファーを泣く泣く断った。自分には長年温め続けた夢があるからだ。
「明日は、いよいよ航空自衛隊航空学生の一次試験の日だ」
中学生のころから6年越しの夢を実現する時だ。以前から噂されていたが、今年で航空学生の募集は終わるのだそうだ。だから本当に今年が最後のチャンス。一発勝負だ。
それもあってだろうが、倍率が凄まじい。例年でも60倍以上の狭き門なのに、今年はなんと300倍を越える。半数は記念受験なのだろうが、それでも凄い。
親友のバウは、「幕僚長に一声掛けておいてやるよ」と言ってくれた。「パインツリーの『テンペスト』での実績を話せば、間違いなく合格するよ」とも。
しかし涼子は、そのありがたい話も断った。何故ならば、自分は有人機、とりわけ戦闘機のパイロットになりたいのであって、無人機を操縦したい訳ではない。
無人機のエキスパートという前評判で入隊してしまえば、きっとその看板が一生ついて回ることになる。
「明日は、本当に大丈夫かな?」
考えれば考える程、緊張してくる。
フライトシミュレーターの世界では、どんなに大きな大会でも、どんなに強い相手との対戦でも、ちっとも臆することが無くなったというに、一次試験のペーパーテストごときでドキドキするとは情けない。
涼子は、自分のTACネームを呼んで、自分を励ましてみる。
「しっかりしろよ! パインツリー!」
それだけで、ほんのちょっとだけだけれど、勇気が湧いてくる。
コンピュータの中でなら何度もやり直しが効くのに、現実世界ではペーパーテストに、受験番号を書き忘れただけでも落第してしまうのだから、困ったものだ。
融通が利かないんだよな、現実って――
――2025年9月22日、沖縄県、那覇基地――
宮本の高高度迎撃隊には、年が明けてから3名が赴任し、ようやく正式な6名体制での運用が始まった。F3/Hはまだ1機だけしかないが、今年中には2機が配備される見込みだ。
中国人民解放軍の閃光は、まだ一度も日本上空には飛来していない。開発が中止になったのでは、との噂もあるが定かではない。
「このままじゃ、商売あがったりだ」
と、人には冗談めかして言ってはいるのだが、内心は穏やかではない。
本当ならば、高高度爆撃機など世の中には無いに越した事は無い。しかしこのまま閃光が飛ばなければ、自分の隊が、解散の憂き目にあってしまうのは明らかだ。
不謹慎を承知で、
「頑張れ中国」
と、応援もしたくなってしまう。
あの潜水艦も相変わらす、行方をくらましたままだ。
山口とは、潜水艦が現れるかどうか賭けをした。山口は現れない方に賭けて、自分はその反対に賭けた。
現れない方が、世の中はきっと平和なのだろう。しかし、その平和って何だ? とも思う。ときどき現れて、たるんだ世の中に喝をいれて欲しいと思うのは不謹慎だろうか?
「不謹慎だよな。やっぱり……」
誰もいないDDCの中で、宮本は1人、頭を掻く。
――宮本二佐、ミッションの予定時刻です――
若い飛行管理官の声が、スピーカーから響いた。
F3/Hは鋭い刃物だ。錆びないようにいつも研いでおく必要がある。パイロットの飛行訓練と同じように、エンジンには定期的に火を入れてやらなければならない。
「よし行こう」
宮本は見るとはなしに手に持っていた新聞を、脇に置いて立ち上がった。
※
レオタード式の耐圧服は身軽だ。宮本がF3で限界高度試験をしていた頃と比べれば隔世の感がある。
DDCを出てF3/Hに乗り込み、滑走路をタキシング。
――キャノンボール01、クリア・フォー・テイクオフ――
管制塔からの離陸許可と共に、弾丸のように天に駆け上るF3/H。
宮本はこの瞬間の躍動感が、たまらなく好きだ。
空が薄紫色に、そして濃紺色に変わる。地球が球体に見え、大気の層がはっきりと分かる。地面にへばりついているこんなに薄い大気の中で、人間が暮らしているなんて、奇跡だとしか思えない。
この光景を皆が見れば、きっと戦争なってあっという間に、この世の中からなくなってしまうのにと宮本は思う。
「そう言えば、明日はパインツリーの試験日だったな」
宮本は、急に若い親友のことを思い出した。
壮大な空間の中では、なぜか身近なことがとても大事に思える。
「心配だな」
彼女はシミュレーターの中では超一級品だが、現実世界では、ただの上がり症のかわいい高校生だからな。
「上手く行くと良いな、パインツリー」
以前に、幕僚長に口を利いてやるよと言った時、あいつは一丁前に断ってきやがった。不器用だよな。俺にもあんな時代があったな。
もっと要領よくやれば良いのに。
「でも、それはそれで良いか」
彼女の人生は、彼女のものなのだから――
―― 了 ――
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