第25話 F3 / H 高高度心神

 宮本が金本司令に案内されたのは、懐かしい心神のハンガー(格納庫)だった。

「あー、宮本さん!」

 遠くから、良く通る声で話し掛けてきたのは、機付長の丹沢だ。

 満面の笑顔で、「これを見に来たんですね」と言って丹沢が視線を向けた先には、宮本が最後に操縦したトリコロールカラーの機体があった。


「F3改か、懐かしいな」

「嫌だな、宮本さん。これはもうF3改ではなくて、F3/Hです。良く見てくださいよ」

 言われてみると、垂直尾翼が大きくなっており、それに伴ってラダーが拡張されている。

「機首の方も良く見てください」

 そう丹沢に言われて、主翼の下をくぐると、機首部分が大きく膨らんで、左右の斜め後ろと、下方向に小さな噴射ノズルが飛び出していた。


「これは?」

「急制動用のスラスターです。機首部からのロケット噴射で、強引に姿勢を変えるんです。荒っぽいけども、メインエンジンの偏向ノズルよりもずっと効果的です」

「機首側にまでロケットモーターを積んだのか。燃料はどうする? 固形燃料か?」

「元々F3は補助電源用にヒドラジンを積んでいたじゃないですか。そのタンクを拡張してやって、スラスター用のロケット燃料として供給しているんです」

「なるほど、良く考えたな」

 宮本は感心しきりだった。


 金本実験団司令が宮本の脇に来て声を掛けた。

「宮本さん、これらの改良は、あなたが最後のフライトで指摘して下さった問題点に対し、忠実に対策を行った結果です。世界中のどこを見ても、これ以上の高高度迎撃機は存在しませんよ。空自の誇りです」

 宮本は、自分の行ったテストフライトの結果が実を結んでいることを、心から嬉しく思った。

「宮本さん、もう一つ、極めつけの目玉が有るんですよ」

 丹沢が嬉しそうに言った。

「目玉?」

「そう、目玉です。それは……」

 と、丹沢が話をしようとしたところに、「待て待て、丹沢君」と金本実験団司令が割って入り、「宮本さんは、今のところはまだ民間人なんだ。極秘事項は空自に復帰されてからにしようじゃないか」と言った。


「それもそうですね」

 と、丹沢は頭を掻いた。

「宮本さん、もう一度お願いします。空自を助けてください」

 と小山内課長が深々と頭を下げた。丹沢も「宮本さん、帰って来てくださいよ」と声を掛けた。

「今、返事をしなければなりませんか?」

「出来れば」

 と小山内課長は言った。その後ろでは金本司令が、じっと宮本に視線を送っていた。宮本は目をつぶった。陽子の顔がまぶたの奥に浮かんだ。


「分かりました。妻を説得します」

 言い終えてから宮本は、「すまんな陽子」と心の中で思った。しかし後悔はなかった。今、宮本は心の底は、目の前のF3/H心神を、あの静粛せいしゅくな高高度域で、思う存分駆ってみたいという強い思いに支配されていた。



――2024年9月10日、神奈川県、岐阜県、各務原市――


 涼子たち『テンペスト』のテスターが、全翼機の操縦に慣れて、4対4のドッグファイトを何とかこなせるようにまでに、たっぷりと1週間掛かった。しかし一旦そうなってしまうと、テスター16名の錬度は飛躍的に高まって行った。

 9月の2週目には、模擬戦の仕上げとして、チームの順位を決める大会が行われた。結果はイーグル、ハリアー、トムキャット、ファントムの順で、残念ながら涼子のファントムチームは最下位に沈んだ。

 

「わたしのせいで――」

 と、涼子は自分を責めた。実際のところ、チームの4名の中では、涼子の操縦が一番未熟だった。全翼機ならではのヨーイングの特性が、どうにも涼子にはなじめず、コンマ1秒ほど反応が遅れてしまうのだ。

 普通のプレイヤーであれば、気付きもしないだろうほんの僅かなタイムラグが、上級者同士のドッグファイトでは命取りだった。


「大丈夫、パインツリー。次で挽回できるよ」

 ファントムチームのリーダー格、ゴールドが、意気消沈する涼子を気遣って声を掛けた。他の2名、リバーとバードも涼子を責める事は無かった。



――2024年9月15日、沖縄県、嘉手納基地――


 ボイドは嘉手納基地に来て以来、毎日F22ラプターの操縦桿を握っていた。チャイナ・サークルのフライトを確実に成功させるためには、ラプターを意のままに操れるまで、飛行訓練を繰り返す必要があると考えていたからだ。


 思えばボイドが日本に入った9月頭の時点では、横田基地で毎日のように、チャイナ・サークルの調査に関して、防衛省の面々と無意味とも思える会議を繰り返していた。

 驚いたことに防衛省側の関心は、調査実施に関しての国際法上の根拠や、日本の国内世論への対応手段、周辺諸国への説明手順など集中しており、ボイドが探ろうとしている本質的な事柄――つまりチャイナ・サークルの発生理由や、中国政府による関与の有無、周辺諸国に与える影響――については、時折議題には上るものの、具体的にそれが深く検討されることはなかった。


 業を煮やしたボイドから報告を受けたカーライル少将は、防衛省との協議は適当なところで切り上げて、嘉手納基地に向かうようにボイドに指示を出した。最終的に日本側は、国防総省や政府ルートで圧力を掛ければ、どうにでもなると判断したようだった。


 ボイドが嘉手納基地に降り立った時には既に、本国からボイドの愛機となるラプターが移送されていた。テストパイロットをやっていたために、ここ何年も固定した機に乗る事が無かったボイドは、久しぶりに愛機を持った嬉しさから、早速機体の側面に、これまでの模擬戦の成果である撃墜マークを描かせた。

 21個の星の内、最後の1個は金色だった。もちろんそれは、カーク大佐に勝利した時のものだ。


 ボイドは嘉手納の地で、初めてラプターを操縦した。聞きしに勝る良い機体だった。ボイドはテストパイロットならでは手法で、一つ一つラプターの性能や挙動の限界を確かめながら、米空軍最強の戦闘機を我が物にしていった。



――2024年9月15日、神奈川県、岐阜県、各務原市――


 9月の第3週に入ると、『テンペスト』のプロジェクトにロバート・クラークという男が、プロデューサーとして参加するようになった。テスターたちは皆、彼の事をボブと呼んだ。

 ボブはハリウッドで、長くVFX(ビジュアル・エフェクト)のテクニカル・アドバイザーをやっていたのだと、自分の経歴を紹介した。


 ボブの仕事は、『テンペスト』のシステムにシナリオモードを追加して、アミューズメント性を高めることだった。シナリオモードはソニック・ストライカーにも備わっているものなので、涼子もいつかはそうなるだろうと考えていた。


 最初にボブから提示されたシナリオ。その舞台は何と日本。

 アメリカ空軍内に組織されたテロ対策特殊部隊が、テロリストによって占拠されてしまった国会議事堂を爆撃するという、荒唐無稽なもので、ずばり『国会議事堂爆撃作戦』と名付けられていた。


 作戦で使用する機体は、対地攻撃能力の高いX47Fストライク・ペガサスが4機。原子力潜水艦を改装した母艦で、伊豆七島沖の日本の排他的経済水域に侵入した特殊部隊は、垂直離陸によってストライク・ペガサスを発進させる。

 浦賀水道を抜けたストライク・ペガサスは東京湾に侵入。レインボーブリッジを通過後、隅田川を遡上し、永大通り手前で左旋回。続いて八重洲通り上空を直進して東京駅の直上を舐め、二重橋直前で再度左旋回。

 テロリストの監視に気付かれないように超低空に高度を下げながら、国会議事堂に正面から突入する。

 相手の武器は携行式の地対空ミサイルだけ。それを発射される前に空対地ミサイルを発射すれば任務完了。

――のはずだった。


「簡単すぎるぞ、ボブ!」

「わたしたちを馬鹿にしているんじゃないの? ボブ!」

 ボブの用意したシナリオは、涼子たちテスターの不評を買った。

 初心者用に用意されたのではないかと思われるそのシナリオは、全チームの全メンバーが、難なくクリアすることができた。何しろストライク・ペガサスの飛行を妨げるものは、ほぼ何も無いに等しいのだ。

 操縦を誤ってビルに激突しない限り、国会議事堂近くまでの侵入は容易。後はテロリストの視界に入らないように低空でアタックするだけだ。初心者用にしても簡単すぎると言うのが、メンバー全員の評価だった。


 ボブはシナリオを変更し、日本の自衛隊員の一部がテロリストに同調し、基地とレーダー監視網が奪われてしまったという、バックストーリーを追加した。これによってミッションは二段構成となった。


 まずストライク・ペガサスは、自衛隊のレーダーに引っ掛からないよう、超低空を保って東京湾に侵入。

 レインボーブリッジを始めとして、隅田川に掛かる4つの橋は、全て川面ぎりぎりの飛行でくぐらなければならない。当然ながら、川を往来する船舶は障害物となる。八重洲通りでは両側に迫るビル群の中央を低空飛行で通過。

 そしてテロリストに気付かれないように、超低空で国会議事堂に接近して爆撃。ここまでがミッションの前半だ。


 新シナリオではここで、テロリスト寄りの自衛隊反乱分子が、市民からの通報によってストライク・ペガサスの侵入に気付く。そして横田基地に配備されている早期警戒管制機、AWACS-E767が離陸準備を始める。


 国会議事堂の爆撃に成功したストライク・ペガサス4機は、散開した後に超低空飛行を保ったままで個々に東京湾に離脱。レーダー網を避けて飛行後、浦賀水道を経て更に南下。外洋にて急速浮上した母艦に垂直着陸。

 これがミッションの後半だが、ここにはE767の離陸前に作戦を終了させなければならないという条件がつく。

 時間切れの場合は、E767の上空からのレーダーで、ストライク・ペガサスの飛行コースが炙り出されてしまい、スクランブル発進したF35の攻撃を受けて、ミッションは失敗に終わるのだ。


 超低空飛行の連続と、時間的な制約が加わった事で、ミッションの難易度は各段に上がり、新シナリオでの最初の試行では、全員が離陸して間もなく橋か川面に激突した。全高3mの航空機が、高さ10mほどの隙間を抜けていくのであるから、その困難さは並大抵ではない。

 なんとか隅田川を切り抜けても、更にその先にも難所があった、八重洲通りに入るともっと難易度が上がる。幅25m程しかないビルとビルの谷間を、両翼19mの機体が飛ばなければならないのだ。


 ファントムチームは毎日のように、無残な墜落と激突を繰り返し続けたが、全員の士気が下がる事はなかった。

「今度こそ負けない!」

 涼子はそう考えていた。

「9月の第2週に付けた順位戦最下位の汚名を、是が非でもここで晴らさねばばらない」

 それが、チーム全員の総意でもあった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る