第19話 会話不成立

「いいですか? 私は、二度と鶏小屋に戻るつもりはありません。それなら、私をレンタルした人たちがふっかける無理難題くらいは自力で押し返さないとならない」


 指を突き出し、お客さん一人一人を指し示していく。


「普通の登録者は海千山千。客扱いに馴れていて、お客さんを手玉に取れる猛者ばかりなんでしょう。彼らは、お客さんのリクエストをどこまで満たすか計算出来る」

「せやな」

「ですよね? でも、私には計算する余裕なんかまるっきりありません。理不尽な要求をただ跳ね返すしか能がないんです。私をレンタルした人が、それで満足するはずないですよ。あいつは全然役に立たん、金返せってことになる。だから、みなさんはここにいらしてるんですよね?」


 誰も返事をしない。だけど内心そう思っているはずさ。


「でもね、今のままなら何回会っても同じ。私は同じ反応しか出来ません。強気で一方的に押しまくるだけの柳谷さん、瀬崎さん、メリー、ジェニーの要求は断固拒否。私を自分より低いところに置いて安心しようとするトムや先生には、そんな思惑には付き合えないよと言わざるを得ません。だって、あなたがされたら我慢出来ますか?」


 トムも先生も、ひっそりと俯いた。


「事実として、オーダーをきちんとこなせない私はお客さんを満足させられません。レンタル品としては出来損ないもいいとこです。それでも、こういうのは駆け引きだと店長に伺ってます。カネ払った分、俺を完璧に満足させろって威張るのは無粋なんでしょう。レンタル品を上手に使えるかどうかは、貸し出された私の資質じゃなく、借り出したお客さんのテクニック次第。さっき言ったように、私はあなたたちの奴隷じゃないので要求全部は満たせませんよ」

「せやな。借りたのが合わへんなら他のを借りればええ。それだけやからな」


 店長が同意してくれて、ものすごくほっとする。


「もちろん、そんなことはお客さんたちも分かってるでしょう。またここに来たのは、満足出来なかったからカネ返せじゃない。私へのアプローチをやり直して、今度こそ元を取りたいってことじゃないですか?」


 私の投げかけへの反応は様々だったけど、強い反発や否定の声は出なかった。よし。続行だ。


「私がレンタル品としてプロを目指すなら、リマッチをさばかないとならないんでしょうね。でもさっき言ったように、私がここに登録した目的は会話を通して世間というものに馴れること。そして、ここにいる限り私の目的は達成出来ないと分かった。だからやめることにしたんですよ」

「どういう意味よ?」


 メリーが不機嫌そうに突っ込んでくる。


「さっき言ったじゃないですか。誰との間にも会話が成立していないって」

「は?」

「会話っていうのは、一方通行じゃ成立しないんです。今だってそうですよ。私の事情をずっと話していますけど、私の話に対するみなさんの積極的なリアクションがほとんどないんです。私は、看板やお地蔵様に話しているのとほとんど変わりません」


 私をレンタルした六人の客。それぞれの目をしっかり見据える。


「柳谷さんとの会話は、私が拒絶しました。人を人とも思わない態度を押し付けられて、したくもない会話を無理強いされる筋合いはありません。警察の取り調べじゃあるまいし」


 おじいさんが怒りで真っ赤に茹だっているけど、そんなの私の知ったこっちゃない。


「メリーさんとの会話は、成立しているように見えました。でもメリーさんは、私があっちの要求に応えられないと分かった時点で私への興味を無くした。その後はただの暇潰しでしょう? 交わしたのは、中身のない会話もどきでしたよね?」

「ふん?」

「メリーさん。あの時私と何を話したのか、覚えていないでしょ?」

「そうだね」

「私も覚えていません」


 さっき私が無性であることを示した時点で、メリーはもう私への興味を完全に無くしただろう。今メリーが事務室に残っているのは、単なる野次馬としてだと思う。


「トムとの時は、最初がトムが私の、その後は私がトムの、ネタの聞き出し役になりました。それは一方向の情報発信で、決して会話なんかじゃない」

「ん……」

「少しだけ双方向に、会話っぽくなったのは、私がずっと不登校だったとトムが知ってからです。強い劣等感に捉われているトムは、学校に行けていた分私よりましだと感じた。私より上にいると思えた。だから、そこからは少しだけ積極的になった。でもね、惨めさ比べをしても、まし比べをしても、何も残んない。そんな会話はしたくないし、実際にまともな会話にはなっていなかったと思います」

「……ああ」


 しょげきったトムが、俯いたままで指摘を認めた。


「瀬崎さんは、私を騙すことしか考えていません。自分の素性や魂胆を探り出されることをものすごく警戒していますから、頭の中にあるシナリオを棒読みしてるだけ。最初から、私と話をするつもりなんかないんです。私に関心がないことなんて、私でなくてもすぐに分かりますよ。もちろん、私は瀬崎さんのちゃちな誘導になんか引っかかりません」

「けっ!」


 おばさんは、私に正体を暴露されても平然としている。ここにいる人たちは誰も自分の正体を明かしていない。直接の利害関係が発生しない限り、互いに関わり合いたくないはず。だから開き直って徹底的にシラを切ればいいと考えているんだろう。それは正しい判断だと思う。

 でもおばさんは、詐欺師としてはあまりにお粗末でへたくそだ。人を騙してカネを掠めとることが目的というより、ホストやレンタル彼氏に騙された恨みみたいなものが元になってるのかもね。私は、そこに突っ込むつもりはないけどさ。


「騙すという意味ではジェニーもそうでしたね。ユウちゃんを私に傷付けるさせることを企んでいたジェニーは、私と会話するつもりなんか最初からありません。やり取りでぼろが出たら計画がおじゃんですから」


 真っ青な顔で、ジェニーが俯いてる。それを、ユウちゃんの兄貴がものすごい形相で睨んでる。ジェニーをぼこったのは店長の筋じゃなくて、ユウちゃんの兄貴だろうなあ。私を嵌めて金を巻き上げるのが目的じゃなく、私にユウちゃんを傷付けさせることが本当の目的。その隠していた企みをシスコンの兄貴が知ったら、ただじゃ済まないだろう。兄貴に魂胆をタレ込んだのは、きっと店長のスジだと思う。

 ジェニーの気持ちも分からないではないけどね。カレシが妹の心配しかしないっていうのは……ねえ。ジェニーがユウちゃんに嫉妬するのは当たり前だと思う。なんだかなあ。


「でもね。偶然なんですけど、ユウちゃんとの間にちょっとだけ会話の芽が出来た。ユウちゃんが今いる世界、学校の世界は私にとっての憧れです。私はもう実体験することは出来ませんけど、自分の想像や憧れとユウちゃんの話を重ねられるんです」


 ユウちゃんに、ちょっとだけ笑顔を見せた。


「お世辞抜きに楽しかったよ」

「うん!」

「でもね、それはあくまでも芽だけ。会話には発展しません。だって、私はユウちゃんの今いる学校の世界を体験していない。話してくれたことに対して、私の持ってる何も返せない。聞き役しか出来ないんです」

「あ……」


 ユウちゃんが、顔を歪めた。


「そして、先生。先生は私の事情を全部知っています。つまり私から会話のネタを引き出す鍵を、六人のお客さんの中で唯一持ってるんですよ」


 そう。一番会話が成立しやすい組み合わせだったんだ。だけど、あんな結果で終わっちゃった。理由は明確さ。


「でも、先生は自分の話しかするつもりがなかった。もし私が聞き役に徹していたら、しょうもない愚痴をだらだら垂れ流し続けたでしょう? それで会話が成立しますか?」

「うう……」


 論外だよ。


「もう一度言います。私がここに登録した目的は、鶏小屋の中で縮こまってしまった感覚を会話を通して世間の水に慣らし、コミュニケーションのスキルを上げるため。そのスキルは、鶏小屋を出て暮らす上でどうしても必要なんです。でも六人のお客さんは誰も、誰一人として私のオーダーを満たせなかった。これじゃ、まるっきり訓練になりません」

「でも、あんたは家で母親やカウンセラーのおっさんと話してたんだろ?」


 おじいさんが、ごりごり突っ込んでくる。


「会話になんかなっていませんよ」

「どうしてだ?」

「私は、現時点でもまだんです。当然、鶏小屋の中で餌をもらうためには、自分が話すことを調整しないとなりません」


 その屈辱が、あんたには分かんないでしょ?


「飼育員に強く反発すれば、私は完全に幽閉されます。二度と小屋を出られません。でも飼育員の言いなりになれば、私は何一つ自分の意思を出せない。コミュニケーション能力が退化して、身体だけじゃなく精神までおかしくなる。だから、どうしても自分の出し方をぎりぎりまで調整して、ある範囲内に押し込んでおかないとならないんです」


 じろっ! 植田さんにガンを飛ばした。


「そしてね。母や植田さんに私の強い意志を悟られないようにって、話をする時にあちこち変なブレーキがかかってるんです。常に私が脱出するんじゃないかと疑っている二人を安心させるために、を回避しなければならないからです」


 詐欺師おばさんを指差す。おばさんはずっとそっぽを向いたままだ。


「瀬崎さんと同じですね。母や植田さんを騙すためには、自分で用意したセリフを読まないとならない。そんな風に調整したやり取りは会話ですか? 違いますよね?」


 一度話を切って、ぐるりとみんなを見回した。


 ずっと泣き続けている母。意気消沈している植田さん。呆れ顔のメリー。怒りをあらわにしたままのおじいさんと瀬崎さん。トム、ジェニー、先生はほとんど置き物と化していた。ユウちゃんだけが、まだ私への関心を失っていない。せわしなく、私に視線を投げかけてくる。


 なんとも微妙な表情だった店長に話しかける。


「ねえ、店長」

「うん? なんや?」

「そんな私が、唯一店長とだけは会話出来てるんですよ」

「お! そういやあそうか」

「不思議なんですけどね……」

「そうか?」

「店長にとって、私はたくさんいる登録者の一人にしか過ぎません。ただの商品ですよ。店長自身がそう言ってたじゃないですか。ここは単なる置き屋。俺は関与しないって」

「ああ、せやな」

「でもね、この中で一番乾いてるはずの店長から、一番柔らかい心の動きを感じるんです」


 そう。店長と話をしている間だけ、私は意思を持った人間でいられたんだ。自分を作ったり調整したりしないで済む、普通の人間に。


「店長に、一番最初に変なやつと言われました」

「ああ、言うた」

「でも、変なやつだから知らんと放り出すんじゃなく、逆に私を心配してくれた。客はみんな訳あり。あんた、ほんまに大丈夫か? そういう心配をね」

「まあな。実際心配やったし」

「母や植田さんが私に対して示していた打算塗れのアプローチじゃない。私を知らないからこそ、不自然な空白を心配してくれてる。私は……それが嬉しかったんですよ」


 店長に向かってこそっと笑いかけた。


「でも、私から店長に何か言葉を返そうと思っても、レンタルのことしか材料がない。店長はそれを聞いて、こいつ根性があると思ったかもしれませんね。違います。それしか私に言えるネタがなかったんです」

「うーん……」


 店長が、間違って腐ったみかんを食べちゃったみたいな顔になった。


「それでも。やり取りはぎごちなかったかもしれないけど、私は店長とのやり取りが嫌じゃなかった。もうちょっとで、まともな会話にまで膨らみそうな可能性を感じたんです」

「ふむ」

「だけど店長と話す機会は私に指名がかかった時だけだし、お客さんとの会話は成立しそうにない。それじゃ訓練にはなりません。店長との縁が切れるのは本当に残念だったんですけど、登録を外すことにしたんですよ。そうしたら、店長から思わぬ提案がありました」

「ああ、下の店員の後釜の話やな」

「ええ」


 床にしゃがみ込んでいた植田さんが、まるで爆弾で吹き飛ばされたかのように跳ね上がった。


「なんだって!?」

「ねえ、植田さん。この前私は言いましたよね? 鶏小屋を出ることだけが目標じゃない。他に二つ目標があるって」

「ああ、それが……」

「そう。一つは職を得ること。もう一つは実家以外の住居を確保することです。鶏小屋から出るだけじゃ不十分。私は、二度と戻れないよう鶏小屋を壊さなければならない。そのためには、経済的な自立と、母や植田さんの支配の及ばない場所がどうしても必要なんです。だから二つの厳しい条件の一つだけでも埋められたことが、私には最高の幸運に思えたんですよ」

「はっはっは。そういうことやったんか」

「はい!」

「まあ、バイト代は安いで。せやけど、やりくりすりゃあなんとかなるやろ」

「がんばります!」


 私の特殊事情を知った店長が約束を反故にするのが怖かったんだけど、そういうわけじゃないらしい。心底ほっとする。


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