第2話 鶏小屋

 店から自室に戻ってすぐ。ノックなしでいきなり扉が引き開けられ、入ってきた母が咎め口調で詰問を始めた。


「るい、どこへ行ってたの?」

「気晴らしの散歩だよ」

「まだ手術が終わったばかりなのに……」

「術後にじっとしてないとだめっていう医師の指示はないでしょ?」

「そうだけどさ」


 うっかり職探しに行ってたなんて口に出そうもんなら、部屋に二重三重に鍵をかけて閉じ込められるかもしれない。既成事実がきちんと固まるまでは、行動を悟られないようにしないとね。


「そろそろ植田さんが見える時間よ」

「分かってる」


 植田さんには、これまでみたいにリビングでカウンセリングするんじゃなくて、私の部屋でやってくれと頼んである。問題は、植田さんが私のリクエストをちゃんと守ってくれるかどうか、だ。何せ植田さんは、私とのコンビが長い分、母とも長い付き合いなんだよね。その間に、植田さんが母に取り込まれて手先になっていないとも限らない。


 私はいずれこの鶏小屋から出るつもりだけど、すぐにそうするのは無理。鶏小屋暮らしが長い分、社会馴化訓練がどうしても必要なんだ。もちろん母も、手術を済ませた私が外に出る必要性は認めてくれてると思う。でも心配性の母に私の馴化計画を立てさせたら、私は馴化する前に年を取ってしまい、結局小屋から出られなくなるだろう。それじゃあ、わざわざ手術を受けた意味が何もなくなる。


 こんこん。ドアをノックする音で我に返った。


「植田です」

「どうぞー」


 背後霊のような母を従えて、植田さんが私の部屋に入ってきた。


「どう?」

「どうもこうもないですけど。ああ、母さんは退出」

「ええー?」

「いつまでも母親同席のカウンセリングでもないでしょ? 私はもう成人したんだし」

「そう……」


 不服そうな表情を浮かべて、それでも渋々母が私の部屋から出てドアを閉めた。


「まったく。自分の子供を何歳だと思ってるんだか」

「ははは。それだけ類くんのことを心配してるんだよ」

「心配してもらう年齢は、とっくに過ぎてますって」

「まあね」


 背広を脱いでぽいっとソファーに放った植田さんが、白髪が目立つようになってきた頭をがりがりと掻いた。それからドアの方を向いて、小声で私に確かめた。


「相変わらず?」

「ええ。相変わらずですね」

「そうか。僕は君のカウンセラーをずっとやってきたけど、今度はお母さんの方のカウンセリングを真剣にやらないとだめだろなあ……」


 やっぱりね。


「でも、それは母が絶対に認めないですよ」

「だろうね。でも、どこかで君とお母さんとの歪んだリンクを切り離しておかないと、共倒れになるからね」

「そうですね」


 植田さんは、カバンから分厚い資料を出してぱらぱらとめくった。


「で。どういう馴化プログラムを組む?」

「それなんですけど」


 切り出すなら今だ。ここでぐずぐずすると、本当に鶏小屋から出られなくなる。冗談じゃない!


「植田さんやかてきょの前沢さんとはながーい付き合いだったから、よくご存知だと思うんですけど」

「うん」

「私のいるこの鶏小屋は、完全密閉型の純粋培養器じゃないんですよ」

「そらそうだ。先々の馴化を見越して、現実との接点をずっと確保してきたからね」

「ですよね? 制限はかかってたけど、私はテレビも携帯もパソコンもいじることが出来た。そこは外に向かって開いていた窓です。その窓では、母や植田さんたち以外の人たちとほとんどやり取り出来なかったっていうだけ。私の意識の中では、閉鎖系じゃなくて、半開放系なんですよ」

「その認識でいいと思うよ」


 植田さんが、私を見ずに何度か頷いた。


「じゃあ、馴化に関しても、ファーストステップはとっくに終わってると考えていいんじゃないかと」

「ふうん。学校に行かなかったことによる、コミュニケーション能力の発達不全は考えなくてもいいって?」

「さあ。それは私の考えることじゃないです。私と会話を交わした相手が考えることでしょう」

「うん」

「で、私は入門編すっ飛ばして、応用編から入りたいんですよ」


 植田さんが、思い切り顔をしかめた。そんな顔したいのは私の方なんだけどな。


「無茶じゃないの?」

「どうでしょうね。植田さんや前沢さんがいくら私向けに会話内容を調整してくれてたって言っても、それは会話ロボットに文脈教えるってわけじゃなかったはずです」

「そう。確かにそう」

「相手の印象や感情の中に手を突っ込んでそれを変えることが出来ないっていうのは、私でも植田さんでも同じでしょ?」

「まあね」

「それなら、まず自己表現ありき。それから、相手との対話技術の向上。それが馴化の中身かなあと。身体能力的には特別劣ったところはないんですから」


 ぐいっと腕を組んだ植田さんが、難しい顔のまま長考に入った。私にはこなすのがまだ難しいと考えているんだろうか?


「うーん。正直に言えば、いきなり外に飛び出すよりは、前庭みたいなところで慣らしをした方がいいと思うんだけどな」

「今更慣らしもないでしょう。選ばれた人と慣らしをやれば、それは植田さんや前沢さんとやり取りするのと何も変わんないです。無駄」


 苦笑した植田さんが、両足をぽんと前に投げ出した。


「確かにね。君のお母さんの心配性に毒されてるのは、君じゃなくて僕の方かもな」

「勘弁してください」


 もう、うんざりだよ。


「で、ですね」

「うん」

「私は、もう自力で馴化を始めてます。それを、植田さんにだけは伝えておきます」

「は!?」

「それがどういう方法かは、今はまだ明かせません。すでに自力でやってるんだっていうことだけ、分かってください」

「む……」

「もしこの事実が植田さんから母に漏れて、母が私を閉じ込めにかかったら、私は自殺します」

「!!」

「それは、私という自我を否定する行為。二十年我慢したんですよ。もうまっぴらです」

「そ……うか」


 真っ青になった植田さんの顔に、ぽつぽつと冷や汗が浮かび始めた。


「申し訳ありませんが。私を心配するのでしたら、その分母のケアを真剣に考えてください。それをお伝えしたくて、打ち合わせ場所をリビングじゃなくこっちにしたんです」

「ふうっ」


 がりがりと両手で頭を掻きむしった植田さんが、椅子の背もたれに体を預けた。


「正常と異常。十五年の間に、逆転したってことだな」

「もちろん、母が私を心配してくれることはありがたいですし、それを恨むことはありません。でも、そろそろ距離を開けないと」


 私は、握っていた右拳をぱっと目の前で開いてみせた。


「どぼん、です」

「ああ、確かにね」


 腕組みを解いた植田さんは、びっしり書き込みのあるノートをめくると、何行かの文章を書き足してからぱたっと閉じた。


「なあ、類くん」

「はい?」

「僕は、約束は守るよ。その代わり、僕との約束も守って欲しい」

「約束? なんですか?」

「僕の仕事はカウンセラーだ。君のカウンセリングに携わることで報酬をもらってる。今ばさっとそれを終わらせると、お母さんの異常な執着が君に全部集中することになる」


 ……。ぞっとする。


「それを僕が押し返すためには、僕が君の馴化ステータスを知っておかないとならないんだよ」

「なるほど」

「君が、現時点でどういう心理状態にあるのか。それだけでいい。カンセリングの時にきちんと教えて欲しい。それだけあれば、僕は君のお母さんを説得することが出来る。嘘や絵空事ではお母さんを騙せない。それこそ付き合いが長いからね」


 それは仕方ないか。渋々だけど、私はその約束を飲むことにした。


「分かりました」

「僕は、君自身が立てたプログラムの中身には立ち入らないよ。当然、リスクはいろいろ生じる。でも、君はそれを覚悟したんだろ?」

「もちろんです。この部屋にいて得られるものは、もう何もありませんから」


 今ので、私がどういう行動をとったのか、植田さんにはもう分かったと思う。


「単刀直入に聞くね。接触は?」

「しました

「大勢と?」

「いえ、じっくり話したのはまだ一人です」

「若い人?」

「いえ、年配の男の人です」

「なんと言われた?」

「変わってる、と」

「そうか……」


 閉じていたノートを開いて、植田さんが書き込みを始めた。これまで、十数年間見慣れた光景。


「それ以外には何か?」

「特に……」

「君は、その人にどういう印象を持った?」

「乾いた人だなあと」

「ふむ。君にすごく興味を持ったってことじゃないのね」

「違うでしょうね」

「そうか。表面的な付き合いの域を出ないってことだな」

「たぶん、そうだと思います」

「分かった。それ以外の人との濃い接触は?」

「まだないです」

「了解。でも、これから増えそうってことだね」

「はい」


 ぱたっとノートを閉じた植田さんが、天井灯を見上げながら呟いた。


にわとりは小屋を出る、か」


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