9:異世界に来た理由

「見た目はまるっきり人間なのに違うの?」

「はい。実は私」

 そこで言葉を切ると、メイドは右手を首の後ろに回した。

 髪で隠れているうなじに何か秘密があるらしく、かちっという謎の音が聞こえる。

 すると、冗談のように首が前にぽろりと落ちた。

「……っ!!」

 希咲は声にならない悲鳴をあげた。笠置も隣で瞠目している。

 メイドの胴体はボールでもキャッチするように両手で落下途中の頭を受け止めて、身体の横に掲げてみせた。

 どういう原理なのか、胴体と分離している頭は以前と変わらず平然と瞬きしながら、口を開けて解説してきた。

「このように古代文明の技術の粋を集めて作られた機械人形でして――」

「ぎゃあああああああああ生首ぃぃぃっっ!!」

 皆まで言わせず、希咲は絶叫した。

「やかましいっ」

 部屋の壁を震わせるほどの大音量に、竜の子がしかめっ面で両手で耳を覆った。

 それに構う余裕もなく、希咲は笠置に無我夢中でしがみついた。

 生首。グロい。怖い!!

「もうマジ勘弁してよホラーは本当に無理なんだってばぁぁぁ!! うわあああああああああああああ」

 非難したいが錯乱してまともな言葉も紡げない。

 笠置の迷惑も顧みず、希咲は彼の肩に顔を押し付けてとにかく見ないようにした。

 首と胴体が分離した光景をまた見てしまったら今度こそ恐慌状態に陥るだろう。既にその一歩前ではあるのだが。

「あらあら、驚かせてしまったようで申し訳ありません」

「いいから繋げて!! とにかく繋げて元に戻して頼むから!!」

 大きく首を振りつつ半泣きで喚く。

 しがみつかれている笠置は文句一つ言わずになされるがままだった。

 出来た男である。

「騒がしいな。たかだか首と胴体が離れたくらいで情けない」

 竜の子の呆れたような台詞の裏で、またかちっという音がした。

「立花さん、元に戻ったよ」

 至近距離から声が降ってきた。

 笠置の肩に額を押し付けたまま、ゆっくりと視線を上げ、横目でメイドの様子を確認する。

 メイドはすっかり元通りだった。

 摩訶不思議なことに、繋ぎ目も特に見当たらない。

「…………はー」

 ぐったりと脱力する。

 肺に残っていた空気を残らず吐き出してから、希咲はのろのろと笠置から身体を離した。

 あまりの衝撃映像に目眩すら覚え、額に手を当てながら言う。

「すみません、ご迷惑おかけしました……」

 詫びると、笠置は「どういたしまして」と返してきた。

 そのやり取りを見てなんの勘違いをしたのか、竜の子が首を傾げた。

「タチバナキサキとカサギはこいびとどーし、という関係なのか?」

「なっ!? ちちちち違う違うっ!! 笠置くんはただのクラスメイトだよっ!!」

 真っ赤になって手と首を振り、全力否定する。

 笠置は仮にもこれまでずっと宿敵と思っていた相手なのだ。

 この数時間でだいぶ印象が変わってきたとはいえ、恋人なんてとんでもない。

 第一、笠置だっていい迷惑だろう。

「そうだよねっ!?」

「うん」

 同意を求めると、彼は自分のように慌てることも照れることもなく、それだけ言った。

「…………」

 彼があまりに冷静すぎて、希咲の頭にのぼっていた熱は急速に冷めていった。

 振っていた手を止め、元の膝の上に戻す。

(この人はこんなふうになんでも受け流してきたのかしら)

 都合の良いことも悪いことも、全てを他人事として流してしまえば傷つかない。

 一体いつから、彼はこんな目をするようになったのだろう。

 どこか遠くを見ているような、冷めた目。

「むう? それにしては随分と親しげだが。抱きしめておったし」

「それはメイドさんが驚かすから! 私ホラーとか本当に駄目なんでもう二度と身体を分離させないでくださいっ!!」

「はい、わかりました」

 きつく睨みつけると、メイドは勢いに呑まれて頷いた。

「それと、タチバナキサキって長いですし、呼ぶならキサキでいいですよ」

「ではカサギとキサキか……ややこしいな。どっちか改名しろ」

 無茶なことを命令してきた竜の子に、笠置が言った。

「俺の呼び方は昴でいいよ」

「スバル?」

「笠置昴。それが俺の名前だから。これからは昴でいい」

「スバルとキサキか。これなら混乱せずに済むな」

 満足したらしい竜の子を尻目に、笠置はこちらを向いた。

「統一しないとまた混乱させるかもしれないし、立花さんも良かったら名前で呼んで。その代わり俺も希咲さんって呼んでもいい?」

「え? うん。笠置くん――じゃなかった、昴くんも、あの子みたいに呼び捨てでいいよ。異世界に落ちてしまった者同士、元の世界に戻るまで一蓮托生だもの。絆は深いに越したことはないわ」

「そう? なら希咲も呼び捨てでいいよ」

「……じゃあ、昴で」

(うわああなんか気恥ずかしい。恋人でもないのに男の人の名前を呼び捨てにするなんて)

 提案したのは自分だというのに、ほんのりと頬が熱を帯びる。

 それをごまかすべく咳払いして、希咲は竜の子に向き直った。

「聞くのが遅くなってしまったけど、あなたたちのお名前は?」

「む? 魔王だが」

「メイドですが」

 二人とも当たり前のように言ってきた。

 苦笑いして、首を振る。

「そうじゃなくて、名前よ。個人を区別するための呼び名。魔王とかメイドはただの肩書きでしょ?」

 二人は顔を見合わせた。

 竜の子はむ、と眉間に皺を作り、メイドは困った顔をした。

 唖然として、訊く。

「……ないの?」

「はい。この『檻』の中には私たちしかいませんし。名前など必要なかったんですわ」

「そうなんだ……うーん、でも竜くん、メイドさんっていうのもなんだし……私がつけても良いかな?」

「え? それはまあ構いませんけれど」

 メイドはすんなり認めてくれたが、魔王はそうはいかなかった。

 尖った牙を剥いてにやりと意地悪く笑い、人差し指を向けてくる。

「はっ、人間風情が魔王たる我に命名しようなど笑止! どうしても名づけたいというならば跪いて許しを乞うが良――」

「調子に乗るなよ?」

 ぴきっ――と。

 空気が凍った。絶対零度の眼差しを笠置――もとい、昴が竜の子に叩きつけている。

 背後に吹雪が見えるのは気のせいではないだろう。多分。

(か、笠置が怖いっ!)

 傍にいる希咲でさえ戦くくらいなのだから、直接の対象になっている竜の子の恐怖は計り知れないだろう。

 竜の子の指がふるふると震える。

 よく見れば身体そのものも震えていた。

 壊れたぜんまい仕掛けの人形みたいに、ぎこちなく竜の子が顔を向けると、昴は完璧な無表情で言い切った。

「魔王様だかなんだか知らないけど、肩書きだけで人を屈服させられると思ったら大間違いだ。『女神の右手』を持ってるとかどうでもいいし興味もない。お前に値する感情が尊敬か軽蔑か、決めるのは俺だ。敬意を払ってほしいなら行動で示せ。少なくとも俺はいきなり女の子を殴るような奴はクズだと思ってる」

 言葉が胸に刺さったらしく、竜の子はなんともいえない顔をして、手を下ろした。

「今度彼女に失礼な態度を取ったら問答無用で殴るから、そのつもりで」

 言いたいことを言い終わって喉が渇いたらしく、昴は再びお茶に口をつけた。

 沈黙が訪れる。

 竜の子は俯いて黙っているし、昴はお茶を飲んでいる。

 メイドは決まり悪そうに微苦笑した。

 主を止めるどころか応援したことに罪悪感を覚えているらしい。

 改まって、背筋を伸ばす。

「……申し訳ありませんでした、キサキ様。弁解させてもらいますと、あのときは本当に、あなたたちが魔王様を殺しに来た刺客だと思ったもので。王様との約束通りきちんと『檻』の中で慎ましく暮らしているというのに、約束が破られたと勘違いしておりました」

 すまなさそうにメイドは一礼してきた。

「い、いえ。そういった事情があるんでしたら仕方ないと思いますし、顔をあげてください、ね?」

 しどろもどろに言いながら、隣を見る。

 場の空気を壊したのは昴だというのに、彼はどこ吹く風という感じでお茶を飲んでいる。

(なんで私がフォローしなくちゃいけないのよっ。そりゃあまあ、私のためを思って怒ってくれてるんだから、強くはいえないけど……どうすりゃいいのよこの空気)

 途方に暮れそうになりながら、希咲は竜の子に視線を移した。

 竜の子は口元を引き結んで俯いている。

 少々生意気とはいえ、小さな子が落ち込んでいるのを見て胸が痛まない人間はいないと思う。

(反省できるんなら、やっぱりいい子じゃないの。改善の余地はいくらだってあるわ)

「……なんだ。何を笑っている」

 希咲の微笑に気づいたらしく、竜の子は不機嫌そうに睨んできた。

「いえ、ごめんなさい。あのね、竜くんが私を殴ろうとしたのって左手だったじゃない? 右手に特別な力があるんなら、ちゃんと加減してくれてたってことよね? だからもう良いわ。私は気にしてない。それでももし悪いと思ってくれるなら、謝るより色々教えてくれると助かるな」

 カップを持ち上げ、喉を潤してから言葉を続ける。

「そもそもね、なんで私たちはこの世界に来ちゃったんだろ。異世界召喚ときたらその目的は魔王討伐と相場が決まってるものだけど、いまの魔王は竜くんで、ここで平和に暮らしてたんでしょ? 他に何かの脅威があるのかな?」

「さあ……何しろここは閉ざされた空間なので、外の世界の情報は一切入ってこないんですよ。あの頑丈な魔法障壁を突破できる人間なんていませんし」

 メイドは頬に手を当てて首を傾げた。

「まあでも、いつの間にか第二再三の魔王が現れているという可能性はありますね。事実、先代魔王には三人の娘がいました。魔王とともに悪逆非道の限りを尽くしたあの娘たちは七賢者の手によりいまなお封印されているはずですが、もし何らかの手段を講じて封印を突破したとしたら、国の一つや二つは簡単に消えているでしょう。ひょっとしたらこの『檻』の外は既に滅んでいるのかも」

「怖いこと言わないでよ……」

 この世界の住人がそんなことを言っても良いのだろうか。

 苦笑いを浮かべてから、テーブルに視線を落とす。

「そう……なんで私たちがこの世界に来ちゃったのかは謎なのね……」

 ただの不幸な事故なのだろうか。隣で笠置も神妙な顔をしている。

「……手がかりになるかどうかはわかりませんが」

 メイドはふと思い出したように言った。

「先代魔王を倒されたばかりの頃、スズキタロウ様が気になることを仰っていましたね」

「なに?」

 希咲は食いついて尋ねた。昴も興味を引かれたようにメイドを見ている。

「『一つだけ心残りがある。俺は約束を守れなかった』と」

「約束……? 何?」

 問いかけると、メイドはかぶりを振った。

「曖昧に笑ってごまかされてしまいまして。内容までは教えてくださいませんでした」

「そう……」

 ならば、その約束を果たすために希咲たちがこの世界へやってきたのだろうか?

(でも、約束って何なんだろう? 無事に魔王討伐を果たしたのに……その過程で誰かと約束をしたのかな?)

 一体誰と?

 何を約束したのだろう?

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