第十一章  復活? 摩醯首羅王

 藍は賢吾の殺気に満ちた視線を感じ、ギョッとした。

「千六百年。長き年月であった。われは闇を彷徨い、ようやく現世に甦りしことが叶う」

「お前はやはり!」

 藍は賢吾のそばに降り立った。雅も彼女の後ろに降りた。賢吾はニヤリとして、

「うぬの方から我のそばに来るとはな。覚悟を決めたか? 出雲の借りは返させてもらうぞ」

「お前のような邪な力を持った者を、甦らせるわけにはいかない!」

 藍は天津剣を中段に構えて言った。賢吾は剣を下ろして、

「下らぬ。我はうぬらと争うことすらせずとも良いのだ。わからぬか?」

「えっ?」

 藍はその問いかけの意味がわからなかった。雅は舌打ちして、

「そいつは不老不死。小野一門が死に絶えるまで待っても、何の差し支えもないという事だ」

 賢吾は雅を見て、

「さすが、黄泉路古神道を修めし者。雅よ、今一度訊くが、我に服さぬか?」

 雅はその言葉を聞き終わらないうちに、

「俺は化け物の配下になるほど、自分に絶望してはいない」

 賢吾は高笑いをして、

「減らず口は変わらぬか。ならば致し方なし。皆死を選ぶという事じゃな」

 その言葉にそこにいた一同がギクッとした。

「来るぞ」

 雅が藍に言った。藍は黙って頷いた。

「黄泉の国に神留まります黄泉津大神に申したまわく!」

 賢吾はそう唱え、柏手を二回打った。

「黄泉津大神を召喚するのか?」

 雅が呟くと、賢吾は、

「そのような神、召喚する必要なし。我が黄泉の国の最高神なり。今の祝詞は、我が力の召喚である」

「何?」

 次の瞬間、四方からどす黒い妖気が集まり始めた。

「何だ、これは?」

 大吾が護符で結界を張り、仁斎を庇いながら言った。丞斎と康斎も、光の結界を作って、妖気を防いだ。雅はその妖気を手で探り、

「これはまさか……」

 雅はその妖気が、以前小山舞が集めていたものと同質なのに気づいた。集まって来る妖気を全身で吸収しながら、賢吾は雅を見た。

「うぬの感じた通りじゃ。それはあの小山舞が集めし妖気。彼奴(あやつ)が行った呪術も、全て我の目論見のうち」

「何だと?」

 雅は仰天した。

「それだけではない。源斎が為したる呪術もまた然り。筑紫の封印も、出雲の封印も、そして京の封印も、大坂の封印も、日光の封印も全て、我のために解いてもらったのだ」

 雅はもはや何も声に出せないほど驚いていた。

「……」

 一方、藍は椿が倒れているところに行き、結界を張った。

「椿さん、しっかりして!」

 藍が抱き起こして身体を揺すった。ほんの少し間があって、椿は意識を取り戻した。

「藍……ちゃん……」

「良かった……」

 藍は涙ぐんで言った。椿はそんな藍の様子を見て、

「どうして私なんか……。私は貴女に随分酷い事をしたし、言ったわ。それなのに……」

 藍は首を横に振って、

「貴女は利用されていただけなんです。悪くありません」

「藍ちゃん……」

 椿の目も潤んでいた。そして、

「今更償いなんてできないかも知れないけど、一つだけあの化け物に対抗する方法があるわ」

「えっ?」

 藍は椿の思わぬ話にびっくりした。

「私は確かに阿野廉子に身体を乗っ取られてはいたけれども、廉子が化け物から得ていた情報はみんな把握しているの」

 椿は藍の手を借りて立ち上がり、

「あいつの持っている剣は、光と闇の力を兼ね備えた魔剣。あれを持っている者はまさに無類無敵の力を持つわ」

 藍はその言葉に身震いして賢吾を見た。

「でも、それだけの力を発揮させるには、大量の神気と妖気の供給が必要なのよ。だから、そのどちらかの流れを完全に遮断して、その遮断した方の力より大きな力であいつを攻撃すれば、それは必ず致命的な痛手を負わせる事になるわ」

 藍は椿を見た。椿はフッと笑って、

「但し、それは一瞬のうちに決めないと無理。あの剣に流れ込む神気や妖気は、普通の人間にはそう長い時間は止められないわ。せいぜい数十秒が限界ね」

「数十秒?」

 藍はあまりの時間の短さに、思わず絶望しかけた。

 他方、康斎も丞斎に戦略を話していた。

「私はあいつとはほとんど接触がありませんでしたが、あの依り代の男を通して得ていたことがあります」

「得ていたこと?」

 丞斎は結界を強化しながら尋ねた。康斎の話は、椿の話と同様のことだった。

「この流れのどちらかを止めれば、勝機があるということか」

「そうです」

 丞斎は、藍に支えられている椿を見て、

「わしはこの命に代えても、お前の忘れ形見である椿を守らねばならん。何としても、その策、成就させるぞ」

「はい」

 二人は賢吾を睨み据えた。

「時は満ちた。我は現世に降臨する」

 賢吾が叫んだ。彼の身体中から、黒い霧のようなものが噴き出し始めた。

「何だ、あれは?」

 大吾が仁斎の右肩の手当を護符でしながら呟いた。すると仁斎が、

「あれは化け物の一部だ。少しずつこの世に戻りつつある証拠だ」

 大吾は悔しそうに賢吾を見た。

「兄さん……」

 賢吾の身体から噴き出した黒い霧状の物体は、そのまま上空に上がり始め、やがてその全てが出尽くすと、賢吾はバタッと倒れてしまった。

「依り代を離れたか」

 雅が言った。上空の黒い霧はやがて人間の姿になった。それは衣冠束帯の白髪の老人、建内宿禰たけしうちのすくねであった。

「我が真の摩醯首羅王。全ての神なり」

 建内宿禰がそう叫ぶと、吉野山全体が揺れた。

「日の本の民よ、我の世が始まる。我に服せ」

 建内宿禰は賢吾の手から剣を呼び寄せて振り上げた。

「出雲大社の時と妖気の強さが桁違いだな」

 雅は建内宿禰の発する妖気が、まだ全体のほんの一部に過ぎない事を思い、唖然としていた。その時藍が、

「雅、あの神気か妖気の流れを止める事はできない?」

「何? 流れを止める?」

 藍は手短に椿の策を雅に説明した。雅は疑惑の目で椿を見ていたが、

「確かにあれほどの剣を使うには、桁外れの神気と妖気が必要なはず。流れを遮断すれば、勝機はあるかも知れないな」

「何か考えがあるの?」

 藍が尋ねた。雅は建内宿禰を見上げて、

「舞バアさんを根の堅州国に封じた時の術を使ってみる。それがあの化け物にどこまで通用するかだが」

「えっ?」

 藍はキョトンとして椿を見た。椿は、

「多分使えるはずよ。この妖気の大半は、舞が集めてこの吉野山に封じていたものなの。あの依り代の男が張っていた呪符は、それを解除するためのもので、私が張っていたのが神気を解放するものだったのよ」

「何故そんなことを知っている?」

 雅が椿を見て尋ねた。椿は苦笑いして、

「私が舞にそうさせたからよ」

 椿の返答を聞いて、雅はまた建内宿禰を見上げたが、藍は仰天して椿を見た。椿は藍を見て、

「藍ちゃん、剣の使い方、間違っているわよ。本当の剣の使い方を教えてあげるわ」

「えっ?」

 椿は両手に神剣を出し、

「貴女の神剣合わせ身は、二つの剣を一つにするもの。でもね、本当の神剣合わせ身は、剣だけでなく、女王の力そのものも一つにするものなのよ」

 藍はハッとした。彼女の後ろの卑弥呼と台与が静かに頷いた。

「そうすれば、今まで以上の力を発揮できるはず。そうしなければ、建内宿禰をもう一度黄泉の国に押し込める事はできない。いえ、それも本当は結果がわからない賭けに近いのだけれど」

「どういう意味だ?」

 雅が再び椿を見て尋ねた。椿は雅を見て、

「建内宿禰を封じ込めたのは、当時存在していた姫巫女流の全ての神官。その神官達は、それぞれの聖地で術を使い、建内宿禰を黄泉の国に押し込める封印を作ったの。あいつを封じているのは、日本中の聖地なの。その中心がここ。ここを破られたら、もう止める事はできない。でも、今の小野一門は、源斎と舞が継承者を殺戮したせいで、当時の神官程の術者がいなくなってしまっているわ。呪力が足りないかも知れないのよ」

「それはお前が責任を取れ。お前がこの化け物を甦らせてしまったのだからな」

 雅の言い方は冷たかった。藍はムッとして、

「そんなことを言ったら、雅だって源斎に手を貸して、封印を解かせたじゃない! そんな言い方、酷いわ」

 雅は藍の言葉にフッと笑っただけだったが、椿は、

「藍ちゃん、雅がああ言うのも仕方ないのよ。確かにあいつを甦らせてしまった張本人は私なのだから、ここにいる誰よりも命がけであいつを黄泉の国に押し戻さなければならないの」

「椿さん……」

 藍は椿が本当に悲しそうに微笑むのを見て、誰に非難されても耐えられるが、一番言って欲しくない人に言われたのが辛いのだ、と感じた。それがわかって藍はまた複雑な気持ちになった。

( やっぱり椿さんは雅の事が……)

「迷っている時間はない。とにかくやるだけのことはやる。それでダメなら次を考えるしかない」

 雅は術に入った。藍は雑念を振り払った。そして二つの神剣をもう一度出し直して、

「女王の力も一つに……」

 神剣を合わせた。藍は頭の中で、神剣にそれぞれ二人の女王を宿し、それを一つにすることをイメージした。

「きゃっ!」

 二つの剣が合わさると同時に、卑弥呼と台与も一つになった。それによって強烈な光が発せられ、藍自身が驚愕してしまった。

「むっ?」

 その光に建内宿禰が気づいた。

「何をした、女王め」

 彼は剣を振るい、藍達を攻撃して来た。いくつもの剣撃が藍達に向かった。

「あれは結界が通用しない剣撃?」

 藍はすぐさま飛翔し、その剣撃の全てを弾き飛ばした。弾き飛ばされた剣撃は、建内宿禰に向かったが、建内宿禰はそれをいとも簡単に消し去ってしまった。

「おのれ、小野宗家の小娘め」

 建内宿禰は剣を下段に構えて呟いた。仁斎が藍の様子に気づき、

「藍め、ついに神剣合わせ身を極めたようだな。こっちも気合いを入れるか」

 大吾を見て、

「ここを脱出して、行ってもらいたい場所がある」

「えっ? どこですか?」

 大吾は仁斎の意外な依頼にびっくりして尋ねた。

「またしても我の邪魔をするか、姫巫女共め」

 建内宿禰は怒りの目を藍に向けた。しかし藍は、

「今度こそ、お前を二度と現世に戻れないようにする。この天津剣は、出雲の時とは違うものだ」

 建内宿禰はニヤリとして、

「その程度で今の我に勝つつもりか。我も出雲の時とは違うぞ」

「えっ?」

 藍はその言葉に改めて建内宿禰を見上げた。確かに出雲の時に感じたものとは比べ物にならない程の妖気を感じた。

「我は神。我に従え」

 建内宿禰は、妖気を吸収しつつ、巨大化した。そして先程の後醍醐天皇を超える大きさになりつつあった。

「今だ、行け!」

 仁斎が大吾に指示した。建内宿禰は藍との戦いに気を取られていて、大吾の動きに気づいていなかった。大吾は全速力で走ってレンタカーに飛び乗り、スタートさせた。


 その頃、剣志郎はようやく京都まで来ていた。

「藍はまだ戦っているのかな?」

 彼は見えるはずもない吉野山の方に目を向けた。東の空は、すでに白々と明け始めていた。

「藍……」

 剣志郎は自分がどれほど藍の事を愛しているのか、改めて知った。

「藍に会えたら、今度こそ俺の気持ちをはっきり伝えよう」

 彼は一大決心をして、インターチェンジを降りた。


 その時雅が、

「黄泉路古神道奥義、黄泉比良坂返し!」

 すると建内宿禰の足下に闇が現れ、妖気を吸い込み始めた。

「何をした? 小癪な真似を……」

 建内宿禰は雅を睨み、剣撃を放った。そして藍には黄泉醜女を数十体まとめて放った。さらに仁斎や丞斎達にも黄泉醜女を放った。

「何、あの数は?」

 藍はその黄泉醜女の団体を天津剣で次々に斬り裂いた。雅は黄泉剣で剣撃をはね除けた。そして建内宿禰を見上げて、

「焦っているようだな」

 仁斎も剣で黄泉醜女を消し、

「丞斎、力を貸せ。黄泉戸大神を使う」

「わかった」

 丞斎は剣で黄泉醜女を斬り裂くと、

「康斎、お前は五芒星を。奴の動きを止めてくれ」

「わかりました」

 康斎はスーッと飛翔し、建内宿禰から離れた。

「姫巫女流古神道奥義、黄泉戸大神!」

 仁斎と丞斎がそう唱えると、光の筋が走り、建内宿禰の周りに光の柱が何本も立った。

「何をしている、小野の者共?」

 建内宿禰は周囲を見回して呟いた。椿も、

「はっ!」

 呪符を投げ、建内宿禰の周囲に結界を張った。次第に建内宿禰に流れ込む妖気の量が減り始めた。

「何?」

 建内宿禰は剣が不安定になって来ているのに気づいた。

「おのれ、搦め手から攻むるか。そうはいかぬ!」

「臨兵闘者皆陣列前行!」

 康斎は建内宿禰を囲むように巨大な五芒星の結界を出した。

「おのれ!」

 ついに建内宿禰は数々の結界により、動きを止められてしまった。

「藍ちゃん、今よ! 建内宿禰に天津剣の剣撃をぶつけて!」

 椿が叫んだ。藍はそれに頷き、飛翔した。

「宗家の小娘か! うぬらの思い通りにはさせぬぞ!」

 建内宿禰は藍を睨みつけて叫んだ。藍は剣を空中に浮かべて柏手を四回打った。そして剣を大上段に構え、

「姫巫女流古神道究極奥義、姫巫女の剣!」

 自分の力の全てを剣に込めて、振り下ろした。すると今までとは比べ物にならないくらいの巨大な光の束が発せられ、建内宿禰に向かった。

「ぬうっ!」

 身動きの取れない建内宿禰はこの光の束をまともに食らった。

「グオオオオオオッッ!」

 光が建内宿禰を覆い尽くし、まるで昼間のような明るさになった。

「やったか?」

 雅が眩しさに目を細めて言った。仁斎、丞斎、康斎、そして椿が見守る中、建内宿禰は光の中に消えた。

「終わった?」

 藍が地上に降り立って呟いた。

「効かぬ。この程度では、我は滅さぬ」

 建内宿禰の声が聞こえた。藍達は唖然とした。

「そんな、あの攻撃を受けて、まだ……」

 藍は椿を見た。椿も信じられないという顔で藍を見た。雅は術を解き、後退しながら、

「奴の反撃が来るぞ。備えろ!」

 弱まって行く光の向こうから、無数の黄泉醜女と黄泉の化け物が現れ、藍達を襲った。

「くっ!」

 全員が剣を振るい、これを撃退した。

「許さぬ。我に対してここまで逆らうは、言語道断。うぬらは魂魄こんぱくも残さぬ!」

 建内宿禰が光の中から姿を現し、叫んだ。その身体のあちこちには、奇妙な魔物が蠢いていた。

「あれは、八種やくさの雷神?」

 雅が言った。仁斎はギクリとして、

「黄泉津大神の従えし最強の魔物か? まずいな」

 丞斎を見た。丞斎は頷いた。彼らの言う通り、建内宿禰の身体に蠢いているのは、八種の雷神であった。黄泉津大神たるイザナミが、イザナギに姿を見られた時に身体に宿していた魔物である。

「うぬらの魂魄、この雷神で砕く。覚悟するがいい!」

 建内宿禰は凄まじい形相で叫んだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る