屍体とシタイ女(四)

 まえかがみでトイレへ駆け込むと、便座のフタを持ちあげるのももどかしくジェイコブは盛大に吐瀉した。嘔吐しながら涙を流し、そして今見たものを思い出していた。

 なんなのだ、あれは?

 屍体であるには違いなかった。立派な体格をした成人男性のように見えた。内臓を抜くためであろうか、腹腔はたてに大きく裂かれアジの開きのように左右へ押し広げてあった。それはまあ良い。解剖台なのだから想定できうる範囲だ。

 しかし問題は首からうえだった。あれは明らかに人間の頭部ではない。びっしりと長い毛に覆われ、湾曲した立派なツノが額の左右に張り出していた。アメリカンパイソンか、さもなくばオスの黒山羊といった外観だ。

 どうやらそこは医療目的の解剖や、戦死者のエバーミングをおこなう場所というわけではなさそうだった。なにが目的かは不明だが、女は人間の胴体にわざわざ動物の頭部を縫い合わせていたのだ。彼女が手を動かすたび部屋の貧弱な明かりを反射して、縫合糸がキラッキラッと光っていた。

 吐くものが尽きても胃壁の痙攣はおさまらず、ジェイコブは低い唸り声を漏らし苦しさで身をよじっていた。

 しばらくしてトイレのアルミ製ドアが乱暴に叩かれた。

「こらオッサン、いつまで便所こもってるつもりや。うち忙しいねんで。早ようこっち来て仕事手伝うてくれな困るやんか」

 最後にボコッと蹴りが入って、音は止んだ。ジェイコブは口もとの汚れを拭うと、便器を支えにしてなんとか起きあがった。ふたたびあのおぞましい光景を目にするのかと思うと足がすくむが、ずっとトイレに閉じこもっているわけにもいかない。

 便器のなかを洗浄し、ドアを開いた。

 そこに女が立っていた。

 腰に手を当て、じっとジェイコブの顔を見あげている。

 二十歳そこそこといった感じか。

 背は低く、一五〇センチあるかなしかだ。

 野暮ったいロイド眼鏡をかけているせいでパッと見こそ垢抜けないが、よく見るとファッションモデルのように整った顔立ちをしている。

 どうやら部屋のなかには、その女ひとりしかいないようだった。

「どや、少しは楽なったか?」

 女がため息まじりに訊いてきた。たった今マグロの解体ショーを終えたばかりのように、水色のサージカルガウンに血と肉片がこびりついている。ジェイコブは、ふたたび胃がムカムカしてくるのを堪えながら頭をさげた。

「……すまない。死体洗いのアルバイトというから、ある程度は覚悟していたつもりだったんだが」

「べつにええよ、便所で吐くぶんには」

 ジェイコブは、解剖台のほうへチラチラ視線をやりながら言った。

「ここは医療関係の研究施設かと思っていたんだが、どうやら違うみたいだな」

「そんなことあらへんよ。まあ、なかには細菌兵器こさえとる物騒な連中もいてるけど、基本的には傷病に対する新しい治療法やら、軍隊内での衛生管理みたいなもん研究のメインに据えとるねん。せやけどうちとこの研究テーマ、ほかの連中のとはちょっとちゃうで。もっと建設的で、かつ未来主義的なスケールのでかい研究やねん」

「ほう、あの継ぎはぎだらけの屍体がか……?」

「そうやで。この部屋はな、ひとことで言いあらわすなら兵士の再処理工場やねん」

「再処理工場だって?」

 いぶかしむジェイコブに、女は自慢げに鼻をうごめかせてみせた。

「戦場で亡くならはった兵隊はんの屍体にはな、まだぎょうさん使える部分残ってるねん。病死した人間と違ごて、骨格や筋肉はぜんぜん衰えてへんさかいな。そういう再利用可能なパーツここへ集めて、五体満足なるよう組み合わせて、命吹き込んだるのがうちの仕事ちゅうわけや。まあ、いうなれば兵隊はんのリサイクルやね。どうや、エコやろ? うちは地球に優しい少女やねん」

 ジェイコブが首をかしげる。

「しかしホルマリン漬けの腕や足をつなぎ合わせても、それはただの屍体だろう。君はどうやってそれに命を吹き込むというんだ?」

「フフフ、ほんなら正体明かしたろ。うちは魔術医や。いちおう連邦の医師免許は持っとうけど、専門は魔術のほう。いわゆる神秘主義的思考に基づく伝統医学ちゅうやつやな。イングリッシュやと、ウィッチドクター。ドゥーユーアンダスタン?」

「……魔術医?」

「そう。科学やったら解決できひん様々な困難を魔法のちから使こうて解決に導くちゅう、不可能を可能に変える最先端医療や。すごいやろ。それとジブン、うちのこと君言うのやめてくれへんかな。これでも連邦では軍医少佐やねんで。ちゃんとクスノキ少佐呼んでほしいわ」

 目のまえにいる小がらでメガネをかけた可愛らしい娘が少佐だと聞かされ、ジェイコブは驚愕しながらも態度をあらためた。

「そ、それは失礼した。いや、しました。クスノキ少佐」

 うんうんとクスノキ少佐が満足げにうなずく。

「自分はある男から紹介されこの施設で働くよう勧められた、ジェイコブ・ベイカーといいます」

 また、うんうんとうなずく。

「あの、ところで少佐、死体洗いのアルバイトというのは、いったいどのような仕事をするのでしょうか?」

 クスノキ少佐はうーんと可愛らしく小首をかしげてから、ジェイコブのいるほうへ近づいてきた。

「まあ、死体洗いちゅうのは、少ゥしニュアンスちゃうんやけどな」

 そう言うと、いきなりサッと腕を振りあげた。その手には、いつの間にか外科手術用の尖刃刀がにぎられていた。悲鳴の代わりにヒュッと息を飲む音が聞こえた。次の瞬間には、幼児向けの人形劇に登場するキャラクターが口を開けるみたいに、ジェイコブの首はパックリと横一文字に裂けていた。

 大量の血があふれ出し、飛沫でクスノキ少佐のサージカルガウンに赤黒いレオパルド模様が描かれてゆく。

 彼女は微笑みながら言った。

「ジェイコブはん。死体洗いやのうて、正しくはおのれ自身が死体になるアルバイトやで」

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