始まりの終わり(一)

 異様な風貌だった。

 その男の姿をはじめて見たとき、たいていの者はギョッとして目をそらす。

 ケロイドか重度の皮膚病患者を思わせる、青黒く変色した顔。

 しかし近寄ってよく見れば、じつはそれが火傷や病気の痕ではないことがわかる。

 男の顔には、すき間なくびっしりと文字が書かれていた。ルーン文字だ。顔だけではない、裸になれば全身くまなく文字が刻まれているのがわかるだろう。まるで耳なし芳一だ。両者の違いは、文字が墨で書かれたのではなく刺青であること。そしてその内容が般若心経ではなく、魔法を無力化させるためのアンチマジック・スペルであるということだ。ようするに、自分のからだに対魔法処理をほどこしているのである。

 ――この男にはいっさいの魔法攻撃が通用しない。

「いやはや、それにしても派手にやってくれたものだねえ……」

 男は今、岩山のてっぺんに立ち、ニヤニヤしながら双眼鏡をのぞいている。昨夜ブルームーンたちが占領していた場所だ。視線のさきにはダーリェン丘陵の頂上が見えている。ほんの数刻前までは不夜城の威容を誇っていた砦も、今は黒く焼け落ち、無残な瓦礫の山と成り果てていた。

「あの陣地はたしか、厚さ千二百ミリの鉄筋コンクリートで造られていたと聞いてるが」

 となりに控える部下が、生真面目な顔でこたえた。

「おっしゃる通りです。しかも内側から三十ミリの鋼板で補強してあり、なみの武器ではまず破壊することは不可能ということでした」

「ならば、いったいどうやって爆破したのだろうね」

「考えられるとすれば、正面にある鋼鉄製の二重扉がひらいたタイミングで自爆する車を突っ込ませたのでしょう。ですがリスクと成功する確率を秤にかければ、あまりに無謀な行動と言わざるを得ません」

 男は白い麻のジャケットからハンカチを取り出すと、それでひたいの汗を拭いながら言った。

「ところで、フェリックスはまだ生きているだろうか?」

 部下が神妙な面持ちでこたえる。

「いえ……あの状況ではヘス中尉の生存は絶望的かと」

「だろうな。優秀な男だったが、軍も惜しい人材を失ったものだ」

 男はハンカチをきれいにたたみなおすと、ふたたび双眼鏡をのぞきはじめた。夜明け近くまで丘陵のあちこちからあがっていた火の手は、すでに鎮火されている。

「夜襲を仕掛けてきたのは、ペーシュダードの騎馬隊だと言っていたね」

「はい。総局のデータと照合したところ、指揮していたのは国王付きの近衛騎士であることが判明しました。名まえはブルームーン・シェパード、歳は二十一」

「ほう、それはまたずいぶんと若い騎士じゃないか」

「幼少より剣の道場へ通いつめ、軍の学校を出て魔法や銃火器にも精通しているようです。エリートぞろいの近衛騎士団のなかでも、あたまひとつ抜け出た存在だとか」

「ついでに命知らずときたか。フェリックスも災難だったな」

 男は頭にのせていた白いフェドラハットを脱ぐと、その鍔でタトゥーだらけの顔をあおぎはじめた。

「ふう、今日はずいぶんと蒸すなあ。雨でも降らなきゃいいが」

「あの、ドロノフ大佐……」

 部下が恐るおそる訊ねた。

「いかがなされるおつもりですか?」

 ドロノフ大佐と呼ばれた刺青の男は、部下をギョロリと睨んだ。

「いかがとは、なにをだね?」

「いえ……軍の拠点を敵に奪われたままにしておいて良いものかと」

「砦を奪還するのは我々の仕事ではないよ。そんなものは軍のやつらに任せておけばよい。それより……」

 ドロノフ大佐は背後の岩場を振り返ってみた。ブルームーンたちの運び込んだ軽カノン砲が、朝日を浴びて鈍い輝きを放っている。その台座のまわりには、陽動作戦のためこの場所に残った砲兵たちの死体が折り重なっていた。

「こういうことをしでかすバカは早めに始末しておいたほうが良いかもしれん。悪い芽はさっさと摘み取っておくにかぎる。それが私たちの仕事なのだから」

「大佐のおっしゃるとおりです」

 かしこまる部下にドロノフ大佐は、急に愉快そうな顔になって言った。

「まず殺してから考えろ、と言ったのはたしかジョン・オーウェン・ブレナンだったかねえ……ふふ、至言だとは思わないか?」

「はあ……」

「あの女騎士はひとつ私の手で斬ってやろうと思うのだが、どうだろう」

「えっ、大佐みずから敵中へ乗り込んでゆかれるのですか?」

「決闘を申し込むのだよ。武人として一対一のね。むこうも騎士ならばイヤとは言うまい」

「しかし、それでは……」

「退路の確保は君にまかせる。なあに案ずることはない。指揮官の首が落ちれば敵も動揺するだろう。逃げ出すチャンスなどいくらでもあるさ」

 そう言ってからドロノフ大佐は、不意に白一色でコーディネートされた自分の服装を見て、苦笑いした。

「でもしまったなあ。返り血を浴びることになるなら、こんな格好してくるんじゃなかった」

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