番外――佐伯京介の災難

前編

「直せないこともないが」


 立ち上がって振り返ると、黒ずんだ軍手を外した。

 その自転車は、”壊れた”と形容するに相応しかった。いちいち説明せずとも一目瞭然、ひしゃげた後輪部分だけを見ても、車にでもぶつかったかしたような壊れ方だ。


「これなら、直すより新しいの買った方が早いな。経年劣化もあるし……というか、聞いてるのか?」

「うむむむむ……」


 店の片隅では、自転車の一つをにらみつけながらしゃがみこんでいるセーラー服がいた。カタログを両手で握りしめながら唸っている。


「……よしっ!」


 彼女はがばっと立ち上がると、俺に自転車を指さしながらカタログの一つを押し付けてきた。良く知られたメーカーの赤い自転車が写真付きで載っている。値段はそこそこだが、通勤・通学用としてはそれほど悪くはない。


「これ! ここで買うからさ、ちょっと安くしてよ。ねっ!」

「おい、なに勝手に」

「好きに”ちゅーんなっぷ”しちゃっていいから!」

「任せろ」


 俺は親指を立てた。

 一も二もなく決まった”商談”を、今度は書面で処理するために動きだす。しかしよりにもよって赤い色を選ぶとは趣味が悪いが、まあいい。


「一週間後だ。それまでにお前用に改造してやろう。金は用意しておけよ」

「やった!」


 諸手をあげて喜ぶ様子に、思わず笑みがこぼれる。

 それは単純に微笑ましいというだけではない、どんな改造を施そうかという俺の内面の発露でもある。こうも簡単に改造できる自転車など限られている。


 俺の名前は佐伯京介。

 どこにでもいる、ごく普通のサイクルショップの店長にしてオーナーだ。


 ……。


 ……というのは世を忍ぶ仮の姿。


 にこやかに帰途につくセーラー服を見送った俺は、時間を確認する。

 ちょうどいい時間だ。

 おもむろに店のシャッターを閉めると、真っ暗になった店内に非常灯がついた。翠色に光る非常灯を三度押すと、壁の一部がせり上がり、現れた隠し扉から地下へと向かう。

 ぱっと灯りがついたそこには、俺のもう一つの仕事場が現れた。

 表向きの仕事着であるデニムのエプロンを勢いよく外すと、すべての視界から消えた一瞬のうちに着替えをこなした俺は、既に悪の秘密結社総帥へと変貌を遂げていた。


「……くくくく」


 思わず笑みがこぼれる。

 奥の壁を埋め尽くすほどの巨大なモニターが動きだし、画面に映った地図上にこの近辺の自転車駐輪場と、無断駐輪の常習場の場所が次々と指し示される。

 そして、この近辺を守るヒーローどもの情報が次々に映し出された。

 最後に映ったのは――。


「今日こそ邪魔はさせんぞ――ガクセイファイブ!!」






 * * * * *






「あああああ……ッガクセイファイブめえええ……!!」


 俺が外からその部屋の窓を開けると、視界に急に缶コーヒーが現れた。


「うごっ!?」


 額に衝撃とともにぶち当たる。

 ひっくり返りそうになるのをなんとか抑え、宙に浮き上がった缶コーヒーに視線をやると、とっさに腕を伸ばした。缶コーヒーは地面に落ちるギリギリのところで俺の手の中におさまった。


「……おい、何をする!?」


 缶コーヒーの代わりに文句を投げ返すと、その張本人である椎名キョウが、ふりかぶった腕を戻しながらノートPC越しに話しかけてきた。


「窓から入るなと何回言ったらわかるんだ」


 こいつの名前は椎名キョウ。この研究室……もといこの大学の日本史学の講師をしていて、高校時代からのほぼ十年来の友人だ。ただし、それは表向きの話。

 その実体は永遠のライバルにして俺の部下だ。


「おい、今、非常に事実と異なる事を考えたろ」

「何も言ってないが」

「いや、私の直感が……まあいいけど、居るなら静かにしてくれ。あともうちょっと進めたいんだ」


 椎名は視線をノートPCに戻す。

 俺は窓から奴の研究室に侵入すると、ソファを占領して冷えた缶コーヒーを開けた。


「ふん! 貴様には俺の部下だという意識が足りんのだ」

「部下になった記憶はないからな」

「…………」

「…………」

「部分的な記憶喪失か?」

「違いますけど!?」


 まったく、いつまで経っても諦めの悪い奴だ。

 だが、否定し続ける椎名の心を折り、真の意味で部下とするには、いつかこの手でひねり潰さねばならんのも事実。つまりはそういう事だ。

 しばらくの間、研究室にはカタカタとキーボードを叩く音と、時折ぱらりと書類をめくる音が響いた。

 適当な本を物色しながら缶コーヒーを飲み終えた頃に、ふと椎名が顔をあげた。


「それで?」

「……む。それで、とはなんだ」

「いや、お前も懲りないなあって」


 沈黙に耐えられなくなったに違いない。奴は偶に気が向いてはそういう話を振ってくる。いやがらせか。


「懲りないとか懲りるとかそういう問題ではない。奴らは敵だ、それも俺の野望を邪魔する憎っくき宿敵……!! 大体、昨日奴らが――」

「知ってる。お前が性懲りもなく駅前のチャリを盗んでるところを倒されたとかそういう奴だろ。ローカルニュースのヒーロー枠でやってた」

「馬鹿な事を言うな。盗んでいるのではない、奪っているのだ」

「えっうんどこが違うんだ……いやまあいいけど」


 いまいち納得していない顔をしていたが、ひとまず理解はされたようで何よりだ。しかし今後要説明の必要がある。

 椎名はため息をつく。


「……お前、顔だけはいいのにな……。知ってるぞ、イケメン店長がいる自転車屋があるって有名になってるの。一部で」

「俺様はもっと漁師や大工にいるような男前な顔と体躯に生まれたかった」

「それはもう神を恨め」


 どういう意味だ。


「そんな事より、ガクセイファイブには一度一泡吹かせてやらねばならん……いつまでも負け続けるわけにはいかぬ」

「ああ、うん。がんばれ」

「がんばれじゃない、貴様はそれでも俺の部下か!」

「部下じゃないからな!?」

「くっ……、やはり貴様ともいつか決着をつけねばならんようだ……」

「はいはい。ところで、そこの棚に小さい段ボールがあるだろ? これくらいの」

「は?」


 椎名が両手で示したのは三十センチほどの大きさだった。見回すと、確かに棚の上にそれぐらいの段ボールが置いてある。

 立ち上がり、既に開けられた箱の中を確認する。


「その中に、表紙に蛇の絵が描いてある本があると思うんだが、それちょっと寄越してくれ」

「蛇の絵?」


 たしかに中には幾つかの本が入っていて、その中に一冊、蛇の絵のものがあった。それを手に取り、椎名に見せる。


「これか?」

「ああ。ありがとう」

「うむ」


 ……。


「だからなぜお前の仕事の補佐をせねばならんのだ!!」

「え? ああ、すまん。ちょうどいいところにいたから」


 立ってる者は上司でも使えと、そういうことか!?


「というかお前、ツッコむまで完全に素だったろ」

「だから何を言っているんだお前は」


 相変わらずわけのわからないくだりを挟みつつ、手に取った本を椎名に向ける。

 俺が本を投げつけると、椎名はすぐさま片手をあげてその本をキャッチした。


「もういい、俺様は帰るぞ!!」

「おう。またな」


 窓を全開にしてそこから立ち去る。

 後ろから、「いや、窓は閉めてけよ」と聞こえてきたが、知ったことか。学内はいまだ最後の授業中なのか、人は少ない。時間としてももう帰った人間が多いのだろう。裏口から出ると、町中へと繰り出す。

 人気のない場所までくると、苛立ち紛れに壁を殴った。


「おのれ……どいつもこいつも……!!」


 叫んだが、叫んでどうにかなるわけではない。

 どうにか落ち着かせるように息を整える。どうしたものか……。

 とにかく、今は気を紛らわすように町の様子を観察することにした。

 主に自転車の駐輪場と、そうではないのに自転車が置かれている場所の捜索が目的だが、もう一つの目的は正義のヒーローのアジトになっていそうな場所を探りだすためだ。

 複雑な心境のまま、気分を変えるべく町の外れの方まで出向いた。

 流行っているのかわからない古びた洋品店のあるビルを曲がり、暗い高架下の入り組んだ裏道に入りこむ。ここは一世代前の世界をそのまま残していた。少し行けば黒く染まった小さな町工場が立ち並び、その合間により中途半端な高さのビルが建っている。

 レンガ造りの洒落た装飾のあるビルの入口には、見たこともない古い邦画のポスターが雨風にさらされていた。昔はここに小さな上映所があったはずだ。だが今は売地という張り紙だけが空しく貼られていた。


「うん?」


 どうしようもなく前時代的な風景の中、不意に奇妙な建物が現れた。

 単なる雑居ビルの廃墟ではあったが、なぜかとても興味を惹かれた。見上げると、同時に言語化できない不安のようなものも感じたが、俺は結局中に入ることにした。興味に負けたのだ。

 雑居ビルの入口は開いていた。だが埃の積もり具合からして、しばらく誰も立ち入っていないようだ。

 こういう場所だとふざけた落書きが多い印象があるが、裏通りにひっそりと建つ立地のせいなのか、きれいなものだった。狭い建物内は一つの階に一部屋しかなく、ポストにも何も入っていない。空気もよどんでいる。何かのテナントが入っている気配はなく、完全に廃墟だった。

 俺の足は何かに導かれるように階段をのぼり、最上階の四階で足をとめた。


 しかし、なんだここは?


 ノブに手を伸ばすと、やはり鍵は掛かっていなかった。そっと扉を開ける。

 広い部屋が目の前に現れた。ブラインドは閉まっていたが、ほとんどが壊れていて、外から僅かに光が入ってきている。一番奥には事務机と事務椅子があり、周りには紙の束が散らばっていた。

 後ろの白いボードには何か消した跡が残っていたが、残念ながら何が描かれていたのか読み取れない。代わりに事務机に視線を戻すと、そこには興味深いものが散らばっていた。


「これは……」


 懐から白い手袋を取り出すと、両手に嵌める。

 手袋越しにホコリにまみれた机を物色すると、上に広げられていたのは、この町の地図と思しき古い紙だった。紙には赤いペンで幾つかバツ印が描かれている。地図といってもコピーのようで、ややにじんでいる。

 そして、辺りに散らばった写真。

 裏返しにされた一枚に書かれた年数を確認すると、一番最近のものでも十数年は経っていた。街角や駅など、なんらかの場所を映したものもあるが、驚くべきことに写真はほとんどがヒーローたちだった。それらの写真も赤いペンでバツが描かれているものもあれば、書きこみがしてあるものもある。特にそういった写真には、裏側にびっしりとメモが描かれていることもあった。まさしく調査資料、といったところだ。

 今現在であれば我ら悪の組織にはとてつもない貴重な資料になっただろうが、写されたヒーローのほとんどは引退済みのようだ。

 言い換えれば、写真が撮られた当時に活躍していたヒーローに違いない。

 と、いうことは。


「なるほど。ここは悪の秘密結社の……、今はその残骸というべきか」


 打ち捨てられたか、世界征服を諦めたか、何がしかの理由で使われなくなったアジト。

 そんなところだろう。

 しかし、こうにもしっかりと残っていると、まだ誰かここにいるような気がする。それもはっきりとした物理的なものではなく、残影のようなものが。


「……」


 ……思わず、らしくない感傷に浸ってしまった。

 気分を変えようと、埃だらけの過去から踵を返す。


 と、不意に人の気配を感じて、俺は足をとめた。


 管理人あたりがやってきたのかもしれない。どこか隠れられる場所はないかと周囲を改めて見回すと、妙に霧が立ち込めているのに気がついた。

 自分の眼がおかしくなったのかと思ったが、やはり霧がかったように視界が白い。

 おまけに、人が来るのなら足音ぐらいはしそうなものだ。

 だが、確かに人の気配だけがある。


「誰だ……、姿を現せ!」


 そう叫んで周囲を見渡しても誰もいない。何よりこんなところでは隠れられるような場所はない。

 気配を探ってみるが、――ただの人の気配ではない。

 異様で、異質で、冷たく悪寒のする気配。


「……そこか!」


 振り向いた瞬間、青白い顔と目があった。


「ッ!?」


 その青白い顔の、黒服の男は、いつから居たのか俺の事をじっと見つめていた。

 思わず後ずさる。


 ――この世のものではない!


 見開いた目と口の中には、どこまでも続く闇が広がっていた。一瞬にして俺の間合いまで近づくと、意識は暗転した。


 ……。


 ……それから、どのくらい時間が経ったのだろうか。

 おそらく実際には数秒、しかし俺の中ではかなりの時間が経ったように思われた。うっすらと目を開けると、そこにはもう誰もいなかった。


「っく……」


 徐々に先ほどまでの記憶が戻ってくる。

 見間違い……?

 しかし、あんなにもはっきりした見間違いがあるものだろうか。幻覚を見るほど落ちぶれてもいないつもりだ。この廃墟の残影のようなものだったのか?

 人の気配ももう感じられなかったが、俺は急な薄気味悪さに襲われた。妙に疲れているのもそのせいか。もうこんな所に用はなかったし、人に見つかるのも面倒だと、俺はそっとその場を後にした。




***




 その日はいまいち気分が乗らなかった。注文された自転車を改造しようにも、真っ白の設計図を前に唸るだけになってしまった。いわゆる”モヤッと感”にあふれ、早々に切りあげることになった。

 あんなものを見たせいなのか。翌朝になってもそれは治らなかった。

 おとといまではあんなにも心が躍っていたというのに、このままでは改造に着手できない。大体、せっかく正規に改造できるんだから、スピードアップのギアを基本として、ほかにもいろいろとイイ感じに取りつけたい。

 ……が、今のままでは根本的にそれもままならない。

 何か気分を変える必要がある。

 そもそも気分を変えるために町をうろついたというのに、本末転倒だ。何度気分を変える必要があるんだ、俺は。


 こういうとき、尾長町の住民であればどうするか。甘いものを食べに行くと答える者が8割を占める。そしてその中の半数以上は駅前にある和洋菓子店・花千の甘味を食べに行く。

 むろん俺もそうだ。

 大多数の中に埋もれるのは悔しいが、あそこの甘味はそもそも美味いので文句のつけようがない。そしてこの正義と悪が入り乱れる前線においては唯一といえる停戦地帯でもある。

 それゆえ、店長の持つ名前プレートを入手したものはこの町を手に入れたといっても過言ではない。というか、まだ記憶も薄れていないころに一度そんな騒乱が起きた。それ以前にも何度か大規模な戦が起きているらしい。プレートはもともと、店長がこの町を救った正義のヒーローだった頃に使用していた何らかのカードキー……という伝説が囁かれているが、真偽は定かではない。

 店の客足も途絶えた頃を見計らい、駅前に向かって歩きだす。

 普段通りの風景が、いつもよりゆっくりと過ぎていく。


「……なんだ?」


 駅前がざわついている。たいていある程度人がいる場所ではあるものの、これほど人が集まっているのも珍しい。

 珍しいというより、理由はただ一つしかない。


「この駅はたった今から、我々悪の組織シャークスネーク団が乗っ取った!!」


 だいたいいつもの理由だった。

 駅前には、なんと形容すればいいのか……、駅員なんだが駅員よりも黒くてメタルっぽい駅員服に身を包んだ集団がいた。そのうちの一人は鞭を手にして、事あるごとに地面をぶっ叩いている。たぶん団長だと思うので、団長(仮)ということにしておく。

 どのあたりがサメでヘビで駅員なのかはさっぱりわからないが、ひとまずごく普通の駅員らしき人物が一人、人質にされていた。


「くそっ! サメだかヘビだかわからない名前の悪の組織にやられるなんて……!!」


 ついでに悔しそうな普通の駅員もいる。なんで駅員が悔しそうなんだ。


「大体なんでそんな駅員っぽい恰好でシャークスネークなんだよ!」

「このセンスは貴様らただの駅員にはわからないだろう……」

「お前らのコスチュームセンスも駅員と変わんなくない!?」

「ふ、我々の組織名には深い理由がある」

「そ、それはいったい……?」

「いいか? たとえば新幹線というのは一体何をモチーフにしているのか。あの鼻先が突きだしたような形、あれはサメがモデルになっているのだ。そして、あの長さは蛇をイメージしている」

「え……、そ、そんな話あったっけ?」

「……という説を流布したい!!」


 違うのかよ! とその場の全員から総ツッコミが入る。


「事実かどうかはさておき、誰もがそれを信じれば真実になる!」

「それはそうだけど、今それを言っていいのか!?」


 至言だ。


「まあ、電車は四角いのもあるしなー」

「ふっ、だが私たちがこの駅を占領した暁には、すべての四角い電車は取り払われ、スピードとフォルム重視のシャーク型に変更させるのだ……」

「蛇要素はどこにいったんだ?」

「車両を繋いでるところが蛇腹だろ!!」


 スパーン、と地面が鞭で叩かれる。

 関係あるのかそれは。……とはいえ、いまだ正義の味方も現れていないようだし、自転車を奪われていないならあとはどうでもいい。むしろ、奴らがこの駅を乗っ取ったあたりで頭を叩けば自動的に駅が俺の物になる。

 早いところ花千に行くか、と思ったそのとき。


「っていうかさあ、あそこ、私の自転車置いてあるんだけど、どうなるんだろう……」

「あー、あそこちょうど駐輪場の前だしね」


 駐輪場の前……?

 ギャラリーの会話を聞き取ったのか、首領と思しき黒い団長(仮)が鼻で笑う。


「ふん。我々はすべての移動は電車だけになるのだ!!」

「えっ、車とか飛行機は?」

「廃止だ」

「自転車は」

「廃止だ」

「徒歩は」

「建物の中のみ許可する、外は電車に乗れ! あと船も廃止な!!」


 便利なようで絶妙に不便だ。


「じゃ、じゃあ、ここに置いてある私の自転車は!?」

「ここの自転車も、むろん車もだ!! 我々が征服し次第、かたっぱしから解体してくれる!!」

「ちょっと待ったあああ!!!」


 参戦を決めた。

 全員の視界が逸れたその一瞬、俺は、もとい! 私は悪の総帥に変身していた。

 その場にいた全員の視界が元に戻った時には、人垣がさっと割れてどよめきが大きくなっていた。実に気分がいい。

 ちなみに、毎度のごとく椎名に「お前それいつもどうやって着替えてるんだ」と真顔で聞かれるが、だいたい悪の組織の人間か正義の味方なら変身ぐらいできて当たり前だ。だがそう答えるとますます微妙な面をされる。この説明で納得できない理由がサッパリわからない。

 とまあ、そんなことはさておき。


「私を差し置いて自転車を剥奪するだと!? そんな事が許されるものか!!」

「はっ! 新手!?」


 人質になった駅員の表情が絶望した。

 私が近づくと、団長(仮)がやや距離を取りながらも体勢を立て直す。


「貴様は……そうか、なるほど。どちらの方がより優れているか決めようじゃないか……だが、一対多数に勝てるかな?」

「ふん。望む所だ!」


 後ろのギャラリーのざわめきが大きくなった。


「やべえ、俺、悪の組織同士の対決なんて初めて見る!」

「テンション上がってる場合か! どうなるんだ、これ!?」

「正義のヒーローがいないんじゃ、大変なことになるんじゃ……」

「くそっ、こんなときにかぎって!」


 悪の組織が複数現れることに見慣れていない奴らもいるのだろう。それに対する反応は様々だったが、正義の味方のいないこの状況に焦りはじめているのが見て取れる。


「……む?」


 ふと、妙な違和感を覚えた。

 めまいのような、一瞬景色が遠くになったような……。


「ふん。どうした、我らの数に怖気づいたか?」


 ……気のせいか?


「まさか」


 気を取り直して、肩を竦める。

 手下のような奴らがずらりと団長(仮)の前に並び、戦闘体勢をとる。


「さあ行けっ! 我がしもべたち!」

「ふん、何人いても同じことだ! 全員まとめて――」






「ちょーーーーっと待ったぁぁぁぁーーーーー!!!!」






「はっ……この声は!?」


 全員の目が声の主へと注がれる。


「ご近所の平和を乱す奴らは、俺たちが許しはしないぜっ!!」


 駅前の広場中央に立つビックベン、もとい突っ立っている時計の前に、たなびく姿があった。赤い色が風で流れる。


「ガクセイファイブ・レッド!!」


 忌々しいほどの声が響く。


「クッ……ガクセイファイブだと!」


 団長(仮)が舌打ちをする。


「俺たちもいるぜ!」

「なに!?」


 別々の方向から、それぞれの声が上がる。


「ガクセイファイブ・ブルー!!」


 ええい、こんな奴らの紹介など聞いてもいい事はまったくない、他は全員以下略してくれる!

 ともあれ憎きガクセイファイブが駅前に堂々と現れた。そのうえ全員集合というわけだ。


「やった! ガクセイファイブが来てくれたぞー!」

「いいぞー! レッドー!!」


 人質の駅員をはじめとして、ギャラリーが盛り上がる。


「現れたな……、ガクセイファイブ!」

「フンッ、勝負は一時お預けか。お前たち! まずはこいつら倒すぞ!」


 私に向かっていた駅員っぽい手下が、一斉にそれぞれガクセイファイブの方へと向かっていった。

 レッドとブルーが目の前にやってきた手下を蹴散らし、別のところではグリーン以下略の合体技によって弾き飛ばされる。

 ギャラリーの歓声が激しくなった。


「ふん、あれだけいるのに圧されているようだな」

「フッ……だが、我がシャークスネーク団の精鋭を舐めてもらっては困る!」


 団長(仮)が腕を振ると、どこに潜んでいたのか、いかにも下っ端という感じの駅員もどきがまた現れた。


「どれだけいるんだ、シャークスネーク団」


 思わず言ってしまうと、団長(仮)はフッと笑ってこう言った。


「電車の数ほどいる!」


 ……星の数ではないらしいが、とにかくたくさんいるのはわかった。


「く、くそっ、いつの間にこんなに…!!」

「いくらガクセイファイブ相手でもこの人数相手に…」


 人員増加に、悔しげな声があちこちからあがる。

 しかしこれはチャンスだ。

 さすがのガクセイファイブもシャークスネーク団の団員の多さに戸惑いが隠しきれていない。電車の数ほどと言っても限度はあるだろう。ガクセイファイブとシャークスネーク団がお互いに潰し合えば、労せずして両方潰せる可能性が高まる。


「……ん?」


 また、違和感。

 いったいどこからしているんだ?

 ガクセイファイブの方から――いや、ガクセイファイブがおかしいわけではない。

 思わず手をとめ、その正体を探るべくじっと見つめる。


「なんだ?」


 俺の視線は吸い込まれるようにガクセイファイブの……もとい、その中にいる明らかな場違いなものへ注がれた。

 そいつはガクセイファイブの中に紛れるようにして突っ立っていた。

 最初は黒ずんだ影のようだったものが、次第にはっきりしてくる。それは人型をしていて、青白く沈んだ顔、黒い衣服、そして白目の無い黒い瞳、歪んだ笑み……。

 血の気が引き、時が止まったような気がした。


「お、お前は……」


 間違いない、あの時の男だった。


「え?」


 私の突然の動揺に、レッドが妙な顔をする。

 隣のブルーと顔を見合わせ、すぐに気を取り直したが、後ろにいる男には気付いていない。それどころか、後ろにいるグリーンやイエローでさえ、男がいることに何の反応もない。誰もその男の存在が視えていない。

 青白い男は、ゆっくりとレッドの肩に手を伸ばす。背後からぐっと近づいて顔を寄せ、ごく自然にぽんと手を置いた。

 なにをするつもりなんだ。


「ッ……?」


 途端に、レッドが不自然に後ろを振り向いた。


「どうした、レッド?」

「えっ……いや、今……」


 隣にいたブルーが声をかけたが、レッドも戸惑っているのが目に見える。男の姿が視えているわけではなさそうだが、まさしく肩を叩かれたような反応だった。他のメンバーも同じだ。

 視えてはいない。しかし、

 だが……一体何をしているんだ?


「今、確かに……いっ!?」


 レッドは突然頭を抑え、そのまま膝をついた。


「レッド!?」


 ブルーの声にも反応しない。その代わりに、目を見開いている。何が起こったのかわからない、といった表情だ。

 その間にも青白い男は悠々とガクセイファイブの合間をすり抜けていった。ブルーが何かに気が付いたように顔を上げたが、その男を視てはいないようだった。予感めいたものはあるが、それが何なのかわからない、そういう顔をしている。


「……これは……」


 あの男の影響なのか。

 明らかな異常事態が広がりつつあった。

 シャークスネーク団の奴らも、金縛りにあったように動かない。腕を動かそうともがいてはいる者もいたが、まるで鎖か何かに縛りつけられたように空中に固着している


「な、なんだ? 何が起こっている!?」

「総員、状況を確認しろ!」


 動揺が広がり、シャークスネーク団もたちまちに指示系統が崩れる。


「うう……」

「どうしました? 大丈夫ですか!?」


 ギャラリーの中にも、気分の悪さを訴えるものが出ていた。

 頭痛に金縛り、それから吐き気、わけのわからぬ恐怖。これは――霊障か?

 ギャラリーの間にも動揺がさざ波のように伝播し、黒い霧としか形容できないものが広がっていった。それぞれが腕を伸ばし、黒い波打つロープのように。

 そしてその中心には、あの男がいる。


 ――邪魔をするな!


 青白い男に対してそう叫んだつもりだったが、私の口から出た声は、もっと低い別人のもので――明らかにガクセイファイブに向けられていた。


『――邪魔をするな』


 ノイズのように重なり合う声に、私は思わず口を覆った。

 めまいに襲われ、駅前の景色が動いて見える。だが、まだここで倒れるわけにはいかない。それよりも、本能的な危機が勝った。

 私はとっさに距離を取ると、ギャラリーのいない方向を見つけて走りだした。


「ま、待て! ……いったい、どうしたっていうんだ!」


 背後からレッドの叫び声のようなものが聞こえたが、私は構わずに走り続けた。


 人に見つからぬように駅前から遠ざかり、どこかの裏路地に身を隠す。

 強烈なめまいで倒れ込みそうになったが、なんとか膝をつくまでにおさまった。それでもまだ視界は意思とは無関係に揺れ、吐き気を覚える。変身を解き、這うようにして自宅のガレージに戻った頃には、疲労と憔悴で見るも無残なありさまだった。

 床に落ちた脂汗を拭くこともできず、回復しきるまでにもかなりの時間を要した。

 ようやくめまいと吐き気がおさまってきたころには、すでに午後の6時を過ぎていた。

 あのあといったいどうなったのか。

 混乱の中でも、一つ思い当たることがあった。急いでテレビの前に行って電源を入れる。この時間なら夕方のニュース番組が既に始まっているはずだ。且つ、ニュースの中にヒーロー枠のあるチャンネルに合わせる。

 しばらく見ていると、見覚えのあるニュースキャスターが地元のニュースを紹介していた。


『それでは次です。本日の午後5時頃、尾長町駅前にて、シャークスネーク団と……』


 これだ。

 番組をそのままに、流れるニュース映像を見る。視聴者提供の映像らしい。

 だが、そこには奇妙な物体が映っていた。


「……なんだ、これは?」


 カメラに映る自分に、黒い煙のようなものが視える。この、妙な……失敗しているのかというような黒い色について、撮影者からも変な声が上がっている。ただ、うまく映らないとかそういう発言ではあった。

 よくよく見ると、幾つもの縄状の触手めいて見える。映像自体も上下したり揺れているのではっきりとした事は言えないが――それを見ていると、妙に心がざわめいた。

 やがてテレビの中は次のニュースに移ってしまった。煮え切らないままテレビを消し、途方に暮れそうになる。

 無言のままじっとしていると、背後に人の気配を感じた。

 嫌な気配だ。

 だが、振り返らずにはいられない。

 視線を向けると、そこには青白い顔があった。

 憑いてきたのだという事実にぶち当たった時、自分の愚かさを呪った。

 当初の希薄さに比べて、現状いやというほど感じているプレッシャーは、相手が生きとし生ける者の範疇外に存在し、呪われた存在であること、そして一筋縄ではいかない相手であることをまざまざと見せつけてきた。


「……あれは、貴様の仕業か」


 男は白目の存在しない顔で肯いた。

 ぱくぱくと口が動く。


『その通り』


 音となって聞こえはしないが、ノイズのように伝わってくる。

 おそらくあのビルのアジトを使用していた悪の怪人……の、なれのはてといったところか。言葉に出して聞いたわけではないのに、男はそうだというようににやりと笑った。


『私は志半ばにして、つまらない事故で命を落とした……落としたはずだった』


 男は思い出でも語るように言う。


『しかし、気が付けば私はアジトにいた。私の姿に気付く者は長らくいなかった……しかし運命は訪れた』

「……私の訪問か」


 男は頷き、私をその黒い瞳で見る。


『私はまだあきらめてはいない……尾長町を、世界を。貴様とて、悪に生きるものならわかるだろう?』

「……」

『私は自分の運命を呪ったが、今は感謝している……、生きていたときには手に入らなかった力まで手に入ったのだからな。私はあの正義のヒーローどもを決して許さない……!』


 私は言い返す言葉を持たなかった。

 こいつは、危険だ。まるで私の心を見透かしたかのような……。

 いや、落ち着け。今のところ、こいつが心を読んでいると決まったわけではない。

 だが、もう一つ。

 こいつは今、確かに言葉を操った。これがどういうことなのか、理屈ではない本能が訴えかけてくる。つまりは、奴は確実に人間らしさというべきか、死者でありながら生者であった時の感覚を取り戻しているのだ。

 取り戻したそれが確実に歪んでいるのだとしても、他者にはもはやどうにもできないレベルで。


 リリーン。


 不意に、懐から自転車のベルの音が鳴った。ベルといってもどこか機械的なこの音はスマホの通知音だ。

 こんなときにと思ったが、無視するのも変だ。

 奴の視線を感じながらも、ゆっくりとスマホに手を伸ばす。指先で画面をタップすると、アプリからの通知により、椎名キョウからのメッセージが表示されていた。

 伝言画面を開くと、奴のアイコンから出た吹きだしに複数のメッセージが書かれている。


【お前さ、明日ちょっと暇な時間あるか?】

【私のデジカメなんだが、ちょっと様子がおかしくて】

【いや、私が何をしたとかじゃない。触ったら壊れた】


 ――こいつのタイミングはどうなっているんだ!?

 高校時代に貸した自転車がなぜか一日で壊れてかえってきた記憶が蘇る。い、いや、今はそんな事を考えている場合じゃない。こいつが壊滅的な破壊魔なのはわかりきっていたことだ。だが、よりによって今か!?

 その後もなにごとか書かれていたが、まったく頭に入らなかった。


『そうかね』


 思わずビクリとする、というのはこのことなのだろう。できるだけ奴に伝わらぬようにつとめたが、背中が冷えていくのがわかる。私は画面を見続け、奴を見ないようにした。


『行くんだろう?』


 血の気が引き、喉が渇いていくのがわかる。


「……なにを」


 ……する気だ。という言葉は、声にならなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る