第38話 皇帝との対面

 貧民街を抜け、街と王宮とを隔離するように植えられた人工林を抜けると、堀を隔てて白い宮殿が見えてきました。


「話には聞いていたが……あれが大理宮か」


 帝都の王宮は、外壁から床面までことごとくが希少な大理石で築かれており、別名を大理宮と呼ばれています。


 その様相は、壮麗にして幻想的。

 このおとぎ話から抜け出してきたかのような宮殿を仰ぎ見る者たちは、自分たちの住む世界と、この宮殿に住まう者たちの世界とを、隔離されたもののように感じたことでしょう。


 しかし今、こうして帝国が内部から崩壊する時を迎えてみれば、その豪奢は、壮大なる愚行と見えてしまうのです。


「近年は成長が停滞していたとはいえ、世界最大の経済規模を誇る帝国が、なぜ内部から崩壊しつつあるのか不思議だったが……その理由の一端が見えるようだ」


「エテルナ様、堀には外敵排除の魔術が施されています。と言っても、耐魔力武装のほとんど無い侵入者を想定したものです。僕たちには泳いで渡っても影響が無い程度のものですが……」


 僕がそう報告すると、エテルナ様は沈んだ声で答えました。


「エル、もうわかっただろう。帝都が主敵とみなしているのは、私たち魔物の国ではない。自国の民衆だ」


 エテルナ様は僕の腰に手を回し、魔力の翼を広げて言います。


「行こう。もはや身を隠す意味もない。宮殿にいる兵たちも、高位の魔物と戦うための装備など用意していないはずだ。威圧すれば逃げ出すだろう」


 僕たちは、宮殿と月の明かりに照らされながら、夜の空を飛びました。

 宮殿の見張り塔からは、きっと僕たちの姿がはっきりと見えていたはずです。

 それでも、反撃はありませんでした。




 そうして僕たちは、大理宮に足を踏み入れました。

 そこで僕たちが見たのは、人のいない、無人の宮殿だったのです。


「……すでに逃げた後か。まさか、もう爆弾を起動させたのか?」


 大広間にぽっかりと空いた、脱出経路と思しき空洞を覗き込んで、エテルナ様は言いました。

 僕は宮殿内部の構造を探知しながら具申します。


「いえ、あれだけの大規模魔術であれば、起動自体で大きな魔力の動きが感知できるはずです。いつでも起動できるよう、王族の避難は終了したというわけでしょう」


「急ごう。幸い、床をぶち抜いて抜け穴を探す手間は省けたようだ」


 僕たちは、大理石でできたトンネルを駆け抜けます。

 自国民を見捨て、王族だけが逃げるためにつくられた逃げ道。それは、あまりにも壮麗で、あまりにも醜悪でした。


「……エル、身を隠すぞ。誰かが居る」


 トンネルを抜けると、広く開けた場所に出ました。

 奥に、巨大な“黒の涙”の魔法陣構造が見えます。

 そしてその前で、二人の人間が言い争っているのでした。


「リューベック! さっさとこいつを起動させろ! あの目障りな反乱軍どもを焼き払うのだ!」


 甲高い声で叫ぶ男は、黄金に輝く装束を身にまとっていました。

 その男の目の前には、一人の老人が跪いています。


「陛下、どうかお待ちを。兵たちに放った噂が間もなくルキアの耳にも入り、“黒の涙”の存在に奴らも気づくはずです。そうなれば、反乱軍は進退窮まりまする。陸軍が統制を取り戻し、エルフどもを退ければ、勝利は目前。その時まで、どうかご辛抱を……」


 金の装束をまとった男が、老人の顔を蹴るのが見えました。


「待てん!」


 蹴られて転げた老人を踏みつけながら、男は言います。


「そもそもリューベックよ、貴様に絶大な権力を与え、国政を取り仕切らせてきたのは何のためか! かかる事態を防ぐためであろうが!」


「面目次第もございませぬ」


「ルキアごとき下賤の将に侮られ、牙を剥かれるような貴様の知恵など、もはや信用能わん! さっさとこの爆弾を起動し、帝都周辺の反乱軍を消し飛ばすのだ。余はここを去り、新天地にて軍を再編し、反乱軍の残党どもを殲滅したのち、新たな帝都を築く! この古びて汚れた、貧民どもの巣食う都ではなく、新たな美しい都をな」


「なにとぞ、なにとぞお考え直しくだされ。この帝都は帝国建国のはるか以前から続く千年の都。これを焼けば大義が立ちませぬ!」


「くどいわ!」


 男が再び老人を蹴り上げようとしたとき、エテルナ様が飛び出しました。


「そこまでだ、皇帝。その足を下ろせ」


 エテルナ様の声に、男は驚き、うろたえます。


「なんだ貴様! どうやってここへ入った!?」


 エテルナ様は、男の言葉には答えず、倒れている老人、リューベックに向かって問いかけます。


「リューベック、貴様は私が帝都に侵入したことに気づいていただろう。貴様ほどの男が、何をしていた。そこの愚かな皇帝をなだめすかすことに、ひたすら時を費やしていたとでも言うのか?」


 リューベックは顔の血を拭いながら立ち上がり、これに答えます。


「黙れ、魔王よ。もし魔物の国に同じことが起これば、バルトルディもこうしたであろう。誇り高き魔王がルキアめの先兵となるとは、恥というものを知らぬのか」


「王の誇りなど、民の命に比べれば軽いものだ。それを貴様らは……」


 激しい怒りからか、エテルナ様の背から強い魔力の瘴気が立ち上がっています。

 それを見た男が、おびえた声でつぶやきました。


「ひっ……! 魔王エテルナだと? そんなやつがなぜここに……」


 男をかばうように、リューベックがその前に立ちます。


「陛下、ご安心めされよ。ここは私が」


「リューベック、やめろ。貴様一人で私に敵うはずがないことはよくわかっているだろう」


「魔王よ、何をためらう。私は貴様の父代わりだった男を殺したのだ。そこにいるのはバルトルディの養子であろう。義父の仇を討つがいい。私の命はくれてやろう。その代わり、貴様らはそのままここを出て、その小僧が知っている転送路から魔物の国へと帰るがいい」


 リューベックはそう語ると、地に膝を突き、頭を下げました。


「頼む。私の命でもって、帝国の命をあがなわせてくれ」


「やめろ! 私はそんなことを望んではいない!」


 エテルナ様が叫ぶと、リューベックは畳みかけるように言葉を続けます。


「貴様らが退けば、罪なき帝都の住民たちの命も助かる。ここに来るまでに見たであろう、無数の民の姿を。もし“黒の涙”が起動するようなことになれば、あの者たちはすべて焼かれるのだ」


「……卑劣な。自国の民を盾にするのか」


「いかなる汚名、いかなる罪業を背負おうとも、国家の命脈を保つのが我が使命である」


 リューベックの言葉は、もはや狂信的なものに思えました。

 民でもなく、権力でもなく、富や名声でもなく、純粋に国家という概念に向かって自己のすべてを捧げる精神。

 それは僕の理解を超えた、何か化け物じみたものと感じられたのでした。


「リューベック……貴様はなぜ……」


 エテルナ様が苦しげに声を漏らしたとき、突然、あの男が走り出しました。


「あっ……!」


 奥へと走り去る男を追おうとする僕を制して、エテルナ様が言います。


「追わなくていい。逃げたところで、何もできまい」


 その瞬間、僕の背筋に冷たいものが走りました。

 空間の中心にそびえる巨大な立体魔法陣から、とてつもない量の魔力が、うなりを上げて動き出すのが感じられたのです。


「なんてことだ! エテルナ様、“黒の涙”が、起動されています……!」

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