第32話 敗北

 信じがたい光景でした。

 まさか、個としては魔物の国で最強の、いえ、世界でも最も強いと信じられてきた魔王が、不利な状況とはいえ、一人の人間に敗れるなんて。


「さあ、降伏しろ魔王エテルナ。あなたが降れば、我々はこれ以上魔物の国に侵攻する必要はなくなる。あなたの命の安全も保障しよう」


 そう言って、ルキアは再びエテルナ様に剣を突きつけます。

 しかし、激闘の間、僕もただ茫然と戦いを見守っていたわけではありません。

 僕は自分の右腕を掲げながら、精一杯大きな声で告げます。


「ルキア将軍、そこまでです。剣を下ろしてください。さもなければ、この爆弾をここで爆発させます」


 船上にいる兵士たちの注目が、一斉に僕の右腕に集まりました。

 そこには、通常では考えられないような、高圧縮された魔力が込められています。


「“黒の涙”と呼ばれた、古代の超魔法です。魔物の国の地下に封印されていたものから魔力の核だけを抜き出し、僕の右腕に封じてあります。威力は元の百分の一以下ですが、ここで起動すれば、少なくともこの船に乗っている人々を皆殺しにすることはできるでしょう」


 ルキアは、僕の言葉に眉をひそめ、反論します。


「……確かに、怖ろしいほどの魔力がきみの腕の中に集まっているのがわかる。しかし、この船上には爆発型の魔法を妨害する結界が張られている。その爆弾も、起動できなければ意味がないぞ」


「確認してみてください。多重結界のうち、爆発型の魔術を阻害する機能は、すでに停止しています」


 その言葉に、兵士たちがざわめきます。


「確認しろ。単なるハッタリを言っているようには見えん」


 ルキアの言葉に、魔術師らしき兵士たちが一斉に動きます。

 報告はすぐに行われました。


「ま、間違いありません! 魔術妨害機構の一部が書き換えられ、機能を停止しています! 復旧を試みていますが、かなり悪辣な改竄が行われており……」


「……結界はこの船だけでなく、艦隊に分散して構築したはずだ。この船の魔法陣に介入されただけでは、機能停止しないはずでは?」


 ルキアの問いに、僕が代わって答えます。


「エテルナ様が後ろの船に使い魔を飛ばした時、僕は別の船に向かって、自分の使い魔を飛ばしました。僕たちの仲間、シメオンが占拠している船に向かって」


「……なるほどな」


「この艦隊の魔法陣は、ギルモア伯の反乱が発生したころから構築が開始されたようですね。規模に対してかなりの短期間で仕上げられており、冗長化は最低限にしか施されていません。二隻の魔法陣に介入することで、一部ではありますが機能を破壊することが十分可能な構成でした」


 ルキアは笑って言いました。


「名前を聞こう。きみのような若年で、それほどの力をもった魔術師は、私の得ている情報に無かった」


「エルンスト・フェリックス・バルトルディです。以後、お見知り置きを」


「バルトルディ候のご子息か……ふっ、彼の宰相は死してなお、私の思い通りにはさせてくれないらしい」


 ルキアはなぜか、少しうれしそうにそう言って、剣を鞘に戻します。


「仕方がない、交渉決裂だ。魔王エテルナを医務室に運べ。あくまでも丁重にな。全艦に転進命令。ネグロス島を経由し、帝国本土に帰還する」


 ルキアの命令に、兵士たちが一斉に動き出しました。


「なっ、何を! 僕の警告を聞いていなかったのですか!? エテルナ様を解放しなさい! そうでなければ、爆弾を起動しますよ!」


「バルトルディ候のご子息と言えば、魔王エテルナとは姉弟同然に育ったはず。主君にして肉親同然の彼女もろとも、この船を吹き飛ばせるならやってみるといい」


 そう言われて、僕の背筋に冷たいものが走りました。

 爆弾も、結界の解除も、決してハッタリではありません。

 しかし、それでも、最後の一点、全員を巻き込んでの自爆、それを実行する決意までは、持てていませんでした。

 それを、ルキアははっきりと見抜いていたのです。


「……そう怖い顔をするな。私もこの戦い、勝ちとは思っていない。最低限の魔術拘束はかけさせてもらうが、彼女やきみの自由を奪うことはしない。そのうえで、改めて交渉しよう。きみは自分の船に伝令を送ってくれ。魔王エテルナは健在、帝国軍への追撃は禁ずると。得意の使い魔でな」


 そうして、僕とエテルナ様を乗せたまま、帝国の船は進路を真逆に変え、帝国本土へ向かって進み始めてしまったのでした。

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