第9話 醜いオークの子

 レミ姉との会談の翌日、僕とクリオは、べセスダの港から出港する船の中にいました。


「すごい船の数ですね、エル」


 海の風を受けて、クリオの金色の髪がなびいています。その姿がなぜか、僕の胸に、懐かしいような、切ないような、奇妙なむずがゆさを生むのです。


「エル? どうかしましたか?」


「……いえ。べセスダには、わが国の船のほか、周辺諸国の商船も多く集まります。人間の国、帝国の港を除けば、ここは世界最大の貿易港ですから」


 出港を告げる角笛が、海上に響き渡ります。船はゆっくりと、海原へ向かって進み始めました。


「次の目的地のアルサム地方は、のどかなところですよ。広大な田園地帯で、逗留先のコクマ村では、多くのオークたちが耕作を生業にしています」


 僕は内心の動揺を隠すために、あえてクリオに違う話題を振ってみました。


「オーク、ですか。不思議ですね、私の元いた世界では、オークというのは空想上の生き物でした。残忍で、好んで人を襲う種族だと……」


 あわてて僕はクリオの話をさえぎります。


「待ってください、誤解されますよ! この国では、すべての種族は平等なのです。白昼堂々そんな差別主義者みたいなことを言ってはいけません!」


 クリオも驚いて声を落とします。


「ご、ごめんなさい! 私、そういうつもりでは……」


「もちろん、クリオがオークに偏見をもっているとは思いません。でも今、あなたはヴァンパイアの姿をしています。ヴァンパイアは、歴史的に見ると、オークなど比較的魔力の弱い種族たちにとって、抑圧者でした。その姿をしたあなたが、オークについて否定的に語るのは、やはり危険です」


 クリオは罪悪感に打たれたのか、ひどく悲しそうな顔になってしまいました。僕はなんとか再び話題を変えようと試みます。


「ま、まあ、大丈夫。この船には見たところオークは乗っていないようですし。そうだ、いい機会ですから、この世界のオークについて、少しお話ししておきましょう」


 そう言うと、クリオの表情に明るさが戻りました。


「はい、ぜひ聞かせてください!」


 僕はひとまず安心してうなずき、さっそく講釈を始めました。


「ボンディ伯を思い出してください。彼の性格は典型的なオークです。もともとオークは穏やかな種族で、農耕を中心とした素朴な生活を営んでいました。彼らはよき農夫であり、さまざまな農作物の栽培法を知っています」


 クリオがさっそくメモを取り始めます。


「肉体的には頑強で、働き者が多く、農耕のほかに土木建築にもよく従事しています。反面、冶金術など材料加工の技術レベルは低く、金属細工や精錬といった工業的な職務に就く者は少ないのが現状です。総じて魔力が弱く、ワーウルフのような優れた魔法耐性ももたないため、ダークエルフやヴァンパイアなど高い魔力をもつ種族に隷従させられてきた歴史をもっています。こうした歴史的背景もあり、現在は奴隷制こそ存在しなくなったものの、国勢調査によれば、今もオークの大部分が年収百万モルド以下の低所得層です」


 うなずきながら聞いていたクリオが、年収を聞いて疑問を口にします。


「地方は都市部に比べて多少物価が低いとはいえ、年収百万モルドというのは、低所得というより貧困と言えるのでは? そのような収入の額で、暮らしていけるものなのですか?」


 事前に資料を読み込んでおいて助かりました。にわか仕込みの知識ながら、僕はクリオの問いに答えます。


「わが国では、統一以降、領主というものがなくなりました。これに伴って、農奴という身分もなくなっています。しかし、農耕に従事するオークのかなりの数が、まだ自らの土地をもたず、旧領主の小作人として、衣食住を保証されるかわりに、ごく低賃金で労働しているのです」


「なるほど、小作農ですか」


「かなり搾取的な体質でもあり、僕自身は大きな問題だと思うのですが、クリオはどう思いますか?」


 僕が聞くと、クリオはしばらく目を閉じて首を傾げ、考えるような姿勢を取ってから、答えました。


「そうですね。農地保有者が農地を貸し出して耕作させ、賃金を支払うこと自体は、問題だとは思いません。ただ、その賃金の水準があまりに低いと、小作人はいくら働いても財産形成ができませんから、これは国全体の発展にとって足かせとなるでしょう」


「改革の余地がありますか?」


 僕がそう聞くと、クリオは少し難しい顔をして言いました。


「もちろん、明らかに強制されている事実があれば、人道的にも改善すべきです。でも、こうした問題は、多くの場合、そう単純ではありません。小作人自身が、農業以外の職業技能をもたないために、他の職業に就くくらいなら、一生小作人を選ぶということもあるでしょう」


「奴隷のころと変わらないような生活でも?」


「そうです。奴隷といっても、身分の呼び方が変わっただけで生活が突然劇的に変わるわけではありません。不自由であっても誰かの庇護がある状態と、自由であっても何の保障もない状態とでは、誰かの庇護を選ぶ人もたくさんいるのです。いえ、むしろそうした選択のほうが普通であり、現実的でもあるかもしれません」


 クリオの答えは、僕の期待したものとは違いましたが、同時に、彼女が問題を現実的に捉えていることを教えてくれるものでもありました。

 黙っている僕を気遣って、クリオが穏やかに言います。


「でも、実際のところは、見てみないとわかりません。現実の農地を見れば、何か提案できることもあるかもしれませんよ」


 こうして僕たちは、新たな目的地、アルサム地方へと向かったのです。




 ベセスダを出て、およそ4時間。

 アルサムの港に船が着きます。当然ですが、べセスダの港に比べると、アルサムの港はその規模も、設備も、はるかに小さなものです。


「かわいい港町ですね、エル。見てください、あの色とりどりの屋根……」


「それより急いでください、クリオ! どうやら船の到着が遅れたようで、馬車の発車時刻まで間がありません。これを逃すと、今日中に逗留先まで到着できなくなってしまいます!」


 これこそ低予算の悲しさです。潤沢な資金があれば、今日はこの港に泊まって、明日の朝の馬車でゆったりと出発できたのですが、僕たちには予算も日程も限られているのです。

 大きな荷物を抱えながら、僕たちは馬車に駆け込みます。


「ふう、なんとか間に合いましたね……」


 ほっと胸をなでおろしていると、御者がなにやら口論をしています。少し不安を感じながらも、僕は御者に向かって話しかけます。


「どうかされましたか?」


「いや、すみません。このオークの子どもが、どうしても乗せてくれって……」


 御者の言うように、馬の足元で小さなオークが一人、こちらを見上げて、哀願するような様子で言います。


「ねえ、乗せてくださいな。僕、今日中にコクマ村へ戻らないと、大目玉を食っちまうんです」


 それを聞いて、考える間もなくクリオが言いました。


「行き先は一緒ですね。馬車にはまだ人が乗れるスペースもありますし、乗せてあげたらどうでしょう?」


 御者は頭を掻きながら、クリオに応えます。


「はあ、お客様がたがそうおっしゃるなら、私はかまわんのですが……」


 クリオが意見を求めるように僕を見るので、仕方なしに僕もクリオに同意しました。


「いいですよ。その代わり、運賃は自分でちゃんと払ってくださいね」


 僕が言うと、オークの子どもはにっこりと笑って、お礼を言いました。


「ありがとう、ありがとう! 僕、コクマ村のベベといいます。母ちゃんは、村で宿屋をやってるんだ。もしよければ、今夜はうちに泊まってください。たくさんサービスしますよ!」


 そう言いながら、ベベは大量の荷物とともに乗り込んできました。馬車が、馬のいななきとともに走り出しました。


 しかし、オークにしては小さい体だから大丈夫と思ったのは、完全に間違いでした。ベベの荷物で車内はぎゅうぎゅうです。

 クリオが苦笑いでベベに問いかけます。


「す、すごい荷物ですね……何が入っているんでしょう?」


 ベベはにこやかに答えます。


「本です! べセスダで出版された新しい本、輸入されたホビットの国の本、人間の国の本もあります! 読んでみますか? これなんかとってもおもしろいですよ」


 そう言ってベベは、『人間の国の姫と2,456人のホビット』と題された小説を取り出します。


「それからこれも……」


「い、いえ、馬車の中で文字を読むと酔っちゃいますから……でもすごい量ですね。これを全部読むんですか?」


 どんどん本を出そうとするベベを押さえて、クリオが聞きます。


「うん、読みます。人間の国の言葉も、ようやく読み書きできるようになってきたからね。やっぱり人間の書くものは、抜群におもしろいです」


 ベベの言葉に、僕は驚いて、思わず聞きました。


「人間の国の言葉が読める!? どこで習ったんですか?」


 僕の問いに、ベベはこともなげに答えます。


「月に一度、港に遊びに来るんです。そこで、辞書を買ったり、商人に聞いたりして、覚えました。人間の国の言葉以外にも、エルフの言葉、ホビットの言葉、ドワーフの言葉……今のところ、8つの国の言葉が読み書きできます。間違いもありますけど……」


「いや、本当ならすごいことです。魔法学院の研究者でも、8カ国語を使える人は多くありません」


 僕が言うと、ベベは得意げに胸を張ります。


「本当ですよ、簡単な言葉なら、通訳もできます。人間の学者が捕虜になって港に来たとき、教えてもらったんです」


「将来は貿易かなにかをしようと考えているのですか?」


 クリオがそう聞くと、ベベは急にうつむいてしまいました。


「僕、こんなブサイクで力も弱いから、村にいてもバカにされてしまうんです。だから、本当はオークの村を出て、旅に出たいんです。でも、そんなお金もないし……」


「ブサイク……なんですか?」


 クリオが首を傾げます。たしかに、僕たち異人種から見ると、オークの美醜は少しわかりにくいところがあります。僕も本で読んだ知識ですが、ベベのために少し解説しておくことにしました。


「オークの文化は独特です。エルフが物静かな知性、洗練された振る舞いを美として尊ぶのに対して、オークは豊かな肉体や豪放磊落さを誇示する傾向が強いそうです。男性ならば筋肉、女性ならば乳房がセックス・シンボルとして強く機能するともいいます」


 僕の言葉に、ベベが強くうなずきました


「そうなんです。僕、もう16歳になるのに、子どもにしか見えなくて……同じ年の子たちは、背丈も大人と同じくらいありますし、筋肉もがっしりしています。でも、他の国の人は、あまりそういうことを気にしません。だから、僕、ベセスダに行きたいんです。いろんな人種が集まる街で勉強して……そうしていつか、自分で小説を書きたいんです」


 ベベがそうつぶやいたとき、馬車が丘を越え、涼やかな風が馬車の中を吹き抜けていきました。


「あっ、見えてきました! あれが僕の住む村、コクマ村です」


 ベベが指さす先には、かわいらしい家々と、そして、黄金にきらめく麦穂の海が広がっていました。

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