あと九十四本... 「ビデオ」

 オレは葉子とその友人の美紗を部屋に呼び出すと、DVDをセットした。


 葉子がオレと付き合っているのを知っている美紗は、お邪魔していいの、とか、二人の方がいいんじゃないの、なんてらかいながら言ってきた。葉子たちを今日呼び出したのは、なんてことはない。ちょっと面白い映画を見つけたから、一緒に見ようという他愛ないものだった。後から先輩も来ると付け足して、最初のうちはCMばっかりだろうし、さきにはじめてていいからと言われたとか言って、適当に画面をつけた。

 ザーザーという画面に映る砂嵐。


「あれ? なんだこれ」


 そう言いながら、ボタンがやたらと並ぶリモコンをポチポチと押して見せる。

 オレが子供の時は再生と停止、早送りと巻き戻しぐらいしかなかったけど、最近のリモコンは色々設定できるわりにボタンが多いとは思う。

 葉子たちは電子機器に疎いから、ちょっと貸してということもできずに待っていた。


「お、ついた!」


 画面に映ったのは、オレの部屋だった。部屋の隅から撮ったような位置取りで、座ってケータイを弄ったり、キッチンに向かってジュースを取ってきたりする様子をひたすら撮っていた。


「……何コレ?」

「……これ、リョータ君だよね?」


 時間を確認し、小さめの茶色いズックにサイフやらを入れ替え、カーテンを閉めてぶらぶらと玄関に歩いていく画面内のオレ。撮られている事などまったく知らないかのように頭を掻き、癖のように首の後ろに手を当ててから靴を履く。

 二人と一緒に画面を食い入るように見ていると、画面内のオレはそのまま扉を開けて外に出て行ってしまった。二人が何か信じられないものを見たようにオレを見た。

 オレはリモコンを一度見ると、そのまま少しずつ早送りにした。しばらくは誰もいない部屋が続いた。当たり前だ。窓も閉めているし、ペットもいないから単調な画面を映し出していた。そしてやがて扉が開く場面が映し出された。

 だがそこに入ってきたのは、予想外の人物だった。


「きゃっ」


 葉子が小さく悲鳴をあげて、口元を抑えた。

 キッチンの備え付けられた短い廊下を抜けて部屋に入ってきたのはオレではなく、赤いレインコートを着た女だったからだ。手にはナイフのようなものを持ち、髪の毛は長くて顔はわからない。そいつはぼうっとしたように暫く突っ立っていたが、やがて部屋の中の物を物色するように色々と触れはじめた。PCを覗き込み、タンスの中を開け、飾ってある写真を覗き込む。その動作の一つ一つがひどくゆっくりしたものだった。


「誰なのこれ」


 美紗がひきつった声で言った。

 女はしばらくの間画面内で部屋を物色していたが、突如まるで画面の外にいるオレたちを見透かすように、カメラのあるはずの場所を見た。小さな悲鳴があがる。

 そして、それを見ながら――オレは内心ほくそえんでいた。


 うまくいった!


 ニヤニヤしそうなのを必死で堪えて、オレは固唾を飲んで映像を見守っているふりをした。

 つまり、この映像は作り物なのだ。協力してくれたのは部活の先輩で、あのもじゃもじゃした薄気味悪い髪の毛はカツラだ。演劇部の先輩にも頼み込んで、部室に置いてある演劇用の服とカツラ、それから化粧道具を使って変装してもらったのだ。

 あとは映像が終わって二人が怖がっているところに、押し入れ(オレの部屋にはクローゼットではなく引き戸の物置があるので、押し入れと呼んでいる)から変装した先輩が「ドッキリ」と書かれた紙を持って出てきてくれれば完璧だ。今までの様子は全部隠しカメラで撮ってあるし、動画投稿のサイトにアップする気は満々だった。


 このドッキリを思いついたのは、都市伝説で似たような物を聞いたからだ。

 詳細は覚えてないけど、部屋の中の様子がおかしい事に気付いた主人公が、今のオレと同じように見えない場所にカメラを設置して出かけた。ビデオには当然、無人の部屋が映し出される。しかし今の映像と同じように、長い髪の女が包丁を持って入ってくるのだ。そいつは部屋の中を物色した後、押し入れだかクローゼットだかの中に入っていく。凄い映像が撮れたと思ったところに、鍵が開いて主人公が帰ってくる。そしてビデオを止める自分が映るところまでが映っている……というわけだ。

 オチとしてはまだこのストーカーは押し入れにいるというもので、怖いのは幽霊じゃなく人間だと思い知らされるような話だ。


 この後の展開も都市伝説と同じだ。

 映像の中で女が押し入れの中に入って行き、暫くしてからオレが帰ってくる。コンビニで買ったと思しき袋を持っているのは、実は後々いたずらに協力してくれた先輩と成功を祈って買ってきたビールとつまみだったというのはここだけの話だ。

 とはいえ、いつの間にか隠し撮られていたものという設定なので、画面の中のオレは部屋の真ん中に座ってテレビをつけるところで唐突に終了するというものだ。


 不意に葉子たちの悲鳴が届いた。

 反射的にテレビを見ると、ザーザーとビデオ再生が終わった後の画面が映っていた。


「あ、終わったのか……」


 しまった、最後だけつい目線を逸らしてしまった。

 ついつい口に出てしまった時はまずいと思ったが、二人は茫然とテレビを見ていて、気が付かなかったようだ。ほっとする。


「最後……開いたよね、あれ」

「覗いてたのかな……」

「え?」


 ほっとしながらも、葉子と美紗が妙な事を震えながらいうので、思わず聞き直した。


「最後に、押し入れが開いたでしょ?」


 何を言っているのかわからなかった。

 押し入れが開いたって? そんなところは撮っていない。

 一度だけ映像を見ていたが、最後に何かを仕掛けた思い出はない。二人の見間違いかと思ったが、二人が二人とも見間違うとも思えないし、二人はしきりに最後が一番怖かったと言いながらオレを心配してきた。

 その時だった。がばっと押し入れが開き、また二人の悲鳴が響いた。


 その後の騒動はわざわざ思い返す事もないだろう。

 カツラを脱いだ先輩がニヤニヤしながら二人の前に立つと、二人は混乱しながらもようやく何が起こったかを把握したようだった。美紗は腰が抜けたようにへたりこみ、葉子は葉子でぎゃんぎゃん喚きたて、最終的にオレの奢りと新しいアクセサリーだか何だかを買ってくれるまで許さない、と結果的に高くつく事になってしまった。

 押し入れが開いた事をすっとぼけたのも演技か、と言われたが、オレは返答に困った。


 二人を送るのを先輩に任せ、オレは部屋でふと一人になって木がついた。

 二人は何を言っていたのだろう?

 ぼんやりと、入れっぱなしになっていたDVDをそのまま最初から再生した。どれぐらいぼーっとしていたのか、途中から先輩が帰ってきた。

 途中までは演技通りだ。画面の中のオレは部屋の真ん中に座り込んで、テレビをつける。

 その後、そっと押し入れが数センチほど開いて、映像が終わった。


「あれ、俺、最後開けたっけ?」

「もう一度確認してみましょうか」

「おう」


 葉子と、美紗と、更にあらかじめ知っていた先輩も見たとなると、見間違えではないらしい。二人が恐怖のために何か勘違いをしたわけでもない。現に自分も見ている。

 もう一度再生する。

 まったく同じ映像が流れた。

 テレビの中でオレが部屋に戻り、テレビをつける。

 ところが、さっきと一つだけ違和感があった。

 押し入れは、こんなに開いていただろうか。

 オレとまったく同じ感想を抱いたのか、先輩はしばらく首を傾げていた。ちょっとずつ開いているだなんて、そんな馬鹿な話があるわけがない。見間違いだ。

 葉子と美紗に聞けば確実だろうが、今二人にメールしても悪戯の延長と思われるだけだろう。


「……さっき、こんな開いてましたっけ?」


 オレは今にも立ち上がって、押し入れを開けてしまいたかった。


「……何もいなかったぞ、知ってるだろ」


 察したらしい先輩の一言は、妙に耳についた。


 オレはその日から、食い入るように最後の数秒の映像に見入った。

 自分でも何かに魅了されたようだと思う。


 押し入れが開く広さは段々と大きくなっていった。カメラの向きもあってか、中に何がいるのかはわからない。暗い空間が見えるだけで、どこまでも続く闇に思えた。そんな妄想を振り払っても、事実押し入れは再生するたびに開いていく。


 画面の中の自分が部屋の中で寛いでいるところから始まり、先輩と仕掛けた悪戯を経て、そして押し入れが開く。どんどんと、記憶の中での大きさと違和感を感じるようになっていく。

 もはや新たな日課と化したある日、何度も繰り返した悪戯の場面が流れた後、とうとう押し入れは半分からそれ以上開ききった。

 もうこれ以上開かないのかもしれない。何度も繰り返し再生したが、それ以上は開かない。

 オレは溜息をついた。ひょっとしたら先輩が嘘をついたのかもしれない。まだオレはからかわれているのかも。

 そう思って、横に置いてあったリモコンに手を伸ばした。


 闇の向こうから包丁を持った白い手が伸びたところで、スイッチを切った。


 オレはそれからすぐに引っ越し、バイトも辞めてしまった。

 あのDVDもあれ以来見ていないし、引っ越しのゴタゴタのせいかいつの間にかなくなってしまっていた。捨てた記憶もないが、どこに行ってしまったのだろう。

 葉子とも別れる事になったが、悪戯が原因か、それともキッカケの一つにすぎなかったのかはともかく、今はどうでもよかった。


 もしあのままずっと見ていたら、あの押し入れからは何が出てきていたのだろう。

 万が一あれを拾った奴が、うっかり見ない事を祈る。


 そんなことがあったら、多分オレは――

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