第20話

「ここが文芸部の部室だ」

 図書室の、その横にある司書室兼閉架式書庫。そこで立ち止まった七星さんは、

「ここはアニメ同好会でも漫画同好会でもない、文芸部だ」

 横の窓に貼られた、漫画風の絵の入ったポスターを目にした彼女は、大きくため息をついた。生徒会の許可印のない、同好会の部員を募るポスターに手を掛ける。

「部員は、私一人だ。私は、漫画やライトノベルなど本とは認めん。オタク共はみんな追い出してやったら、このポスターを嫌がらせのようにここに貼り付けるんだ」

「佐々木先輩の前でそれ言ったら、絶対怒りますよ」

 ま、あの人には俺自身も相当迷惑被っているのだが。先輩も悪い人ではないんだけどな、と思いつつ、苦笑いを浮かべざるを得なかった。

「この前、殆どヒモみたいな服を着ろ、といって押しかけてきた。ハサミで木っ端微塵に切り裂いてやった」

 そう言いつつ、七星さんは携帯電話のボタンをせわしく打つと、おれにその画面を見せてくる。そこには、まるでキャベツのみじん切りのような、ずたずたに切り裂かれた布片が描写されていた。

「意外と高いそうですよ。作るにも、手間がかかるそうですし」

 ま、それも佐々木先輩から聞いた話しであるが。

 ……本当のところは、その溢れんばかりの胸に対する隠蔽をギリギリまで抑えたその衣装を着た七星さんの写真が見たかったのだが。

「私には関係ない」

 そう言い放つと、携帯電話をさっと収納し、今度は銀色に光る金属片に持ち替えた。彼女は立ち止まると、それをドアの鍵穴に差し込む。

 シリンダーが回り、解錠の音がした。

「この部屋だ」

 七星が引き戸を開けると、視界が一気に開く。と言っても、目の前に広がるのは巨大な本棚。

 俺を先に通して、七星が後から部屋に入る。文芸部の部屋は、図書室の隣、図書準備室に設けられている。閉架式……ハンドルで動かす本棚の隙間を縫うようにして、部屋の中へと分け入っていく。

 そして、鈍く金属がこすれる音がした。

「鍵、かけた……誰も入って来ないから、聞いて欲しい」

「誰も入って……って」

 思わず息をのむ。

 一方の七星は、すぅーっと大きく息を吸い込む。そのまま、少し間を置いて吐き出す。そして、左胸の上に右手を置き、自らの胸の鼓動を確認して、口を開く。

「単刀直入に言おう。祐佳里くんを更正させるために、花村、お前は私の彼氏になれ!」

「はぁ?」

 確かに俺は、密かに恋い焦がれていた七星さんが俺に告白してこないかな、という妄想としか言いようのない願望を抱いていたのは確かだ。しかしながら、更正、という名目で彼女になることを要求されるとは予想だにしなかったことだ。

「祐佳里くんはお前の従妹だ、それはお前がよーく分かっていることだな」

「はい、そうですけど」

 妙に迫力ある物言いと、大きな瞳をさらに見開いて近づける顔に気押しされて、事実かどうかはさておき、とにかく首を縦に振った。

「法的に、関係を持つことは問題ない、しかし、だ」

 本棚の前に立った七星さんは、ハンドルを回して本棚を動かす。大きな割に静かに動く本棚。棚を三つ動かしてその隙間に入り込んだと思うと、七星さんはすぐさま本を抱えて飛び出してくる。

 ハードカバーの分厚い本ばかり。その肩口に色とりどりの付箋が飛び出していた。

「とりあえずだ、これを見ろ」

 そう言って七星さんが取り出したものは、メンデルの遺伝研究の本であった。

「同じ遺伝子を持つ種子どおしを掛け合わせると、一定の割合で、劣性の遺伝的特性が表れる。これが兄妹による婚姻を法的に規制する根拠よ。習ったでしょ。生物である以上、人間でも勿論、起こりうる話」

 その本を開いて、俺の前に置く。確かに、中学の生物で記載された図を見た記憶はある。

「次、これを見ろ」

 続いて取り出した本は、医学書であった。遺伝的な障害の事例が、写真入りで紹介されているのをパラパラとめくる。

「これは、もし……もしもお前と祐佳里が……けっ……結婚したなら、こんなことになって」

 そう言って七星さんはその写真群から目を背ける。

「その子供に責任があるわけではないけど、少なくとも、アンタの子供がこうなってしまうことをアンタが選ぶことに私は耐えがたい。……というか」

 七星さんはそう言って言葉を濁す。

「ちょっと待て、俺は祐佳里と結婚するとか、……性的関係を持つとか、そういう話になっているんだ。まぁ、祐佳里は俺が好きだと言って憚らないから、そう思われるのも仕方ないかもしれないが……」

 そう言って言葉に詰まる。

「そ、そうよね! じゃ、約束してよ。祐佳里さんともう仲良くしないって」

 目の色を変えて俺に迫ってくる七星。しかし、

「いや、さすがに従妹だし、無関係って訳にはいかないよ。これからアパートを移ったりとかいうのも大変だし、身内である以上、追い出す訳にはいかない」

「で、でも」

「祐佳里がずっと俺のことを想い続けているのであれば、応えなきゃならないかとも考えている」

 七星が俺のことを心配そうに覗き込む。彼女が手元に目を戻すと、また別の本を拡げて俺の前に差し出す。

「近所の目もあるのよ。平安時代じゃないのだから、従妹の結婚なんて一般人の許容の範囲外だわ」

 そう言うと、七星は本を全て除けて俺の顔に近づいてくる。彼女の吐息が俺の顔を撫でる。

「はっきりして。従妹の祐佳里さんと結婚したいの、結婚したくないの?」

「今、彼女との結婚なんて考えてないよ」

「本当?」

「本当だよ!」

 俺は、七星の言葉を全力で否定した。顔を左右に、手も左右に振り……身振り手振りで否定、否定、否定。

「いつまでやっているの? わかった……じゃ、証明してよ」

 証明、って言われても……。

「何すればいいんだよ?」

「……えーっと」

 答えに窮する俺に呼応するように、七星が口篭もる。

 実際には十秒とか二十秒とか、そんなわずかな時間。その沈黙が一分か、二分か、もっと長い時間のように思えた。

「花村が、妹ではなく、私を好きになればいい。いいか、私は花村の恋人だ」

 その沈黙の後に出てきた言葉に、俺は心臓が飛び出るかのような言いようのない衝撃と高揚感に包まれた、のだが、

「もっ、もちろん、あくまでフリだからねっ」

 そんなことはどうでもいい。七星が恋人、恋人、恋人……。

「私とお前が……その、ラブラブなところを見せつければ、祐佳里さんを近親相姦という奇異な発想から少しでも遠ざけることができる」

 近親相姦……って。

「どうなんだ、花村。祐佳里さんと性的関係を持ちたいのか……はっきりしろ」

「性的、って……とにかく、祐佳里とはそんな関係には……いまのところ、ならない。ちょっとは、ちょっとはかわいいと思っているさ」

 それが率直な今の心境だった。とにかく、従妹。大切な、身内。

「心情的には、従妹と言うより、彼女が俺を慕う時に言う『ぉ兄ちゃん』じゃないけど、一緒に暮らしているから『妹』って感じだな」

「恋愛対象、という訳ではないのだな」

 俺をまじまじと見つめる七星の瞳……。

「そ、そんな恋愛とかじゃないって」

「よかった」

 七星さんが安堵の言葉を漏らす。

「花村、では、私の申し出を受けてくれないかな? わ、私の恋人になってくれる、よね?」

 ちょっ、ちょっと待って。心の準備が。

「聞いてる? 彼女にして、って言っているんだけど?」

 か、顔が近すぎますっ!

「いいの? ダメなの??」

「お、お願いします」

 その、言葉を聞いた七星は突然血相を変えて、

「ただし、祐佳里さんの為なのだよ。フリだぞ、フリ。決して、恋人になることが目的じゃないんだからね。手・段! あ、あと、花村が男として成長するための社会勉強も含まれている、ってことも忘れないのだよ。いい? わかった? ねぇ、そこのところだけは間違えないでよねっ!!」

とまくし立てる。

「わかった、わかったから」

 実は、ちょっとそこに落胆。しかし、

「いい? ま、まず、お互いに恋人……じゃなかった、恋人を演じる訳だから、恋人として、メールと携帯番号を交換しておくのは当然だよね」

「わ、わかったよ」

 恋人になった上に、メアドと番号までゲット。はやる気持ちを抑えながら、携帯電話の画面をオンに。

 あ、やばい。

 七星の待ち受け画面。

 これを見られたら、勝手に七星を撮影したことがばれて、嫌われる?

「な、まず、お互いを待ち受け画面を設定しないか?」

「えっ? あ、でも……私、やり方が」

「携帯見せて」

 俺の言葉に、七星はすっと携帯電話を差し出す。俺は、彼女の手に触れないように注意しながら、その電話機を手にする。

「七星さんの機種の方が新しいから、七星さんので撮影するから」

 こくり、と頷く七星。サイドのボタンから手早くカメラモードを呼び出すと、七星をディスプレイに捉える。

 機体から、メロディーが漏れる。

 俺は、撮影した画像とアドレス情報をはやる気持ちを抑えながら自分の電話機に転送、すぐさま待ち受けに設定した。

 ……前の画像より、鮮明な画像。やや頬を赤らめているところがなんとも言い難くかわいい。

「これで、恋人……っぽいでしょ。好きな七星といつでも一緒に居たい、みたいな」

 首を上下に振り、肯定する七星。かわいい……。こんなにかわいい七星さんが、フリとはいえ俺の彼女になってくれることに高揚感を隠しきれず、思わず唾を飲み込む。

「七星さん、今度は俺を撮影してくれないか?」

 差し出した手に、七星さんの指が触れる。まるでそこから彼女が俺の心を浸食していくように、柔らかな感触が広がっていく。

「は、花村……」

「七星……」

 まさに指という身体の一部分が接触したまま、俺たちは見つめ合う。

「は、早くしましょ……最高の笑顔、撮らせてよね。偽善っぽい顔なんてダメだからね」

 そう言うと、七星さんは電話機を手にして、裏面のレンズを俺の方に向ける。

「いい?」

「うん、いいよ」

 俺は、できる限り……七星さんの期待に添うべく笑顔にしたのだが、

「ダメ。もっと笑顔」

「もっと……?」

 はて、どうすべきか。俺は色々考えたあげく、

「こうか?」

「違う」

「じゃ、こういうのはどうだ?」

「何か、余計にずれてる」

なかなか七星さんの期待に応えられずにいた。

「花村、おとこのこ、だよね」

 突然、七星が問答を打ち切ってのたまう。

「ま、そりゃそうだけど」

 当たり前のことを、ごく当たり前な言葉で返す俺。

「ならば、こういうのは好きなのだよね」

 そう言って、七星さんは自分の胸元に手を掛ける。

「好き、なんだよね……」

 そう言うと、スカーフを外し、テーブルへ置く。彼女の手を目で追っていたら……

「な、な、七星さん、そういうのは」

 胸元がいつの間にか開かれて、彼女の胸の谷間が露わになっていた。あくまで、胸の谷間、だけである。それだけでも、俺にとっては刺激が強かった。

「私の、真っ赤に色付いた君、と」

 そう言って彼女はシャッターを切る。

「最高っ」

 そう言うと、彼女はディスプレイを俺に見せた。顔を真っ赤にして、ちょっとはにかんだ表情を浮かべた俺が、そこには描画されていた。それを見せられた俺は、さらに赤化(ちょっと言葉の意味としては違うが……)が進行していた。一方の七星は、とても満足そうに微笑んでいた。

「私を脱がしてエロそうな顔をした、変態で恥ずかしいこーいちの顔、ゲット、と」

 えっ、どういうこと? 七星さん!?

「こんなエッチなこーいちの顔をばらまかれるのがイヤだったら、私、七星莉紗の言うことをちゃんと聞いてね、こーいち。あと、『七星さん』も禁止だからね」

 そして、俺の手をしっかり握ったかと思うと、彼女は自分の胸に押し当てる。

「私のことは莉紗、と呼んで。ちゃんと、愛情たっぷりに。変態のこーいち」

 お断り。この時点まで七星莉紗氏の名称を『七星さん』と敬称を付けて表記しておりましたが、今回の要求により、『莉紗』と愛情たっぷりに表現することとします。ご了承ください。

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