裏山というのは、むろん、正式名称ではない。


 邦都アミシティアの中心地区からさほど離れてもいないこの場所が、正当な名前で呼ばれることが少ないのは、名称自体に原因があった。標高二〇〇メートルにも満たない山、というより丘は、その名をカミルアルク・ニュエルティン山といい、覚えやすさと発音の容易さの双方において、人々に包容されるに十分な資質を欠落させていたのである。


 登山道、といっても、ゆるやかな勾配が淡々とつづくだけの坂道を、五名の討伐隊員は進んでいた。頂上付近からは市街を一望できるため、普段から市民のハイキング・コースとして人気のある場所でもある。それゆえに、危害を加えられる可能性のある動物を、放置しておくわけにはいかない。


 先頭をゆくシュウとアイリィは、白兵戦談義に花を咲かせている。小柄ながらすぐれた武勇を誇る者同士、気が合うらしい。


 それが、シュティは気に食わない。サヤカ・シュウという人物を嫌悪しているわけではむろんないのだが、大事な親友を取られた気分になるのである。自分は他の友人と交流しないわけではないのにそう思うあたりは、シュティの心情の勝手な部分であったが、彼女自身もそのことをわかっていたから、それを親友に直接ぶつけようとはしなかった。とはいえ、どこか悶々とした気分をぬぐいきれないのも、また事実ではあったが。


 そのような心のうちを知ってかどうかはわからないが、メイ・ファン・ミュー少佐が、シュティに話しかけてきた。最後尾のミレイ・イェンが沈黙をたもちつづけている以上、彼女がシュティの会話相手になるのは必然なのではあったが。


「アーライルさんとは、とても仲がよいのですね」


 出会って間もない純黒髪の戦隊長に対していまだ緊張がとけないシュティは、あ、はい、としか答えることができなかった。礼を欠く態度であるといえなくもなかったが、ミュー少佐は優美な微笑で応じた。


 闘槍とうそうせんを主たる武器とする者が多いなか、この純黒髪の少佐がたずさえているのは、大型の洋弓である。むろん、人間が狩猟によって食糧を確保していた時代から大きく改良を重ねられてきてはいるが、普遍的な実用性をもつ武器であるとはいえない。ハンド・ボウガンのように攻防一体の用途をほうせつできるわけでもなく、弓を実戦で使用するのは、もはや趣味の領域といえた。


 人見知りのシュティが、彼女にしては勇気をふりしぼってその点を問うと、ミュー少佐は上品な口調でこたえた。


「これが好きなものですから、仕方ありませんね」


 学生時代には全連邦規模の大会で入賞するほどの腕前だったと聞いて、シュティは驚いた。どちらかというと、武芸より、紅茶を片手に本をひらくほうが似合いそうな人物である。意外に、活動的な一面があるのかもしれない。もっとも、さすがに軍の任務で弓を使用することはなく、そもそも自分が白兵戦の戦場に出ることはない、ということだった。



 静寂な登山道のようすは、平穏ということばの影響下からはずれているようには思えなかった。だが、証言がある以上、異変の原因をさぐらなければならない。


 先鋒つとめるシュウ隊長は、道幅の広い主道からはずれて、藪のなかへ進路をとった。


 脇にそれると、横も縦も人間の寸法をこえる、大型の動物が目についた。普段から、まれに目撃されることはあるが、個体数が多いようだ。


「害獣の数が多いな」

「視界に入るだけで、三頭はいますね」


 アイリィが不測の事態にそなえ、槍を手にかけながらいった。


「数を減らしておくべきだろうか」


 討伐隊長にそう問われたミューがこたえる。


「やみくもに手を出しては、生態系のバランスを、悪い方向にくずしてしまうことになりかねません。こちらを襲う様子もありませんし、駆除するとしても、原因をある程度はっきりさせてからのほうが、よいのではないでしょうか」

「そうだな」


 イェンが無言でうなずき、生物科学を専門とするシュティも同様の見解をしめしたので、シュウはそのことばにしたがった。眼前の敵を倒すことが、かならずしも目的の達成につながるとは限らないあたりは、シュウらの本来の専門である戦争とおなじである。


 この通称裏山は、それ自体は小さな丘にすぎないが、さらにその裏側が広大な森林山地につながっている。本丸に居住する肉食動物が、獲物の不足で、大手口にあたるこの裏山まで活動範囲を広げてくることはしばしばあり、登山者が襲われる事故も発生している。ただ、今回、それでは説明がつかないほど、数の増え方が尋常ではなかった。


「珍種の天敵に、棲み家を追われでもしたかな」

「可能性はありますね」


 ひとつの外来生物や突然変異生物が出現する。既存の生物が、それに対処する能力をそなえていれば、異端者は異端者のまま駆逐され、その生態系において、彼らの存在はなかったものとして処理される。


 しかし、侵略する側が先住生物を凌駕する力を有していれば、既存の環境に、大幅な変化をもたらす。生息域の移動も、そのあらわれのひとつである。場合によっては、一帯の生命活動を破壊するような強力な影響をおよぼすこともあり、地球も我星ガイアも、過去、巨大生物の出現によって、多くの生物種が絶滅の淵においやられた歴史を有している。しかもその場合、例外なく、その巨大生物も、自身のひきおこした変化に対応できず、惑星上から姿を消してしまうのだ。


 今回の事態がそこまで大事になるかどうかはともかく、それなりに責任のある立場に身を置くシュウとしては、事象の本質の端緒をつかむ必要があった。単に、害獣を駆除してすむ話ではない。むしろ調査のほうに力点をおくべきであり、市民の生活に悪影響が及ぶようであれば、対処するよう政府機関に上申しなければならないのだ。


 彼女は、猟友会の男に話を聞いたときから、そのことを理解していた。単純な戦闘家ではない彼女にとって、この討伐行は、ただの運動不足の解消ではなかったのだ。もっとも、それを専門の機関に任せるのではなく自分で実行するあたりが、良くも悪くも、彼女の気質の一面をあらわすものではあったが。


 彼女はすこしの間思考の海に意識を沈めていたが、まもなく、うつむかせていた顔をあげた。


「まあ、考えるのは後でもよいか。そろそろ、一戦やってみたいところだしな。とりあえず、我々を待ちわびているであろうこの事態の責任者を、探し出すとしよう」


 そのことばもまた、彼女の気質の一面をあらわすものかもしれなかった。

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