第八章 討伐隊

 アイリィ・アーヴィッド・アーライルとシュティ・ルナス・ダンデライオンが見上げる惑星アミシティアの空は、ふたりの故郷のそれとかわらなかった。見わたす限りの地平にいたる上半分を、薄く染められた青色が独占し、白い綿雲が、ところどころで単調な色彩に変化をそえる。人間が活動するに必要十分な大気をそなえた惑星の空は、どこもだいたいこのような色になる。いわば生命の色であるのだ。


 惑星によって異なるのは、夜空のほうである。色彩においてではない。地上から見える星々の配置が、まったくちがってくるのだ。この変化は、ふだん惑星上で生活する人間よりも、宇宙を翔び回る者たちのほうが敏感である。その特有の感覚は、星々の海を第二のすみとする者の誇りであるが、ときに、郷愁や不安をもたらす原因にもなりうる。星に詳しいがゆえに、その地が故郷から遠く離れた場所であることを、否応なくさとらされてしまうのである。


 アイリィとシュティも、宇宙に翼をひろげる人間である以上、その例外となることはできなかった。ふたりとも、とくに感傷的センチメンタルな人間というわけではなかったから、普段の長期航宙任務で望郷症ホーム・シツクにおちいることはなかったが、未知の宇宙で、故郷に戻れる保証がない状況におかれては、その感情と、完全に無縁ではいられなかったのである。


 第三独立艦隊司令官サヤカ・シュウが、時間をみつけてアミシティアの街を案内してくれたのは、そんなふたりにとって救いであった。もっとも、一般の兵士とはちがって、長期任務からの帰投後も、艦隊司令官という地位にある者はやるべき仕事に出迎えられるから、ずっと異邦からの客人を相手にするわけにもいかなかった。


「まあ、その分もふくめて給料をもらっているからな」


 ということで、母港におりたってすぐに長期の休暇をあたえられる一般兵や下級士官との扱いの差を、ライトグレー髪の司令官はかんじゆしているらしかった。


 とはいえ、さすがに毎日が仕事、というわけでもなく、アイリィとシュティは、この日も、艦隊司令官じきじきの案内のもと、異邦の首都を歩いていた。


けいらがこの地を踏んでからもう二週間になるが、アミシテイアでの生活はどうだ?」


 とたずねたの口もとは笑っていたが、目はそれに失敗して、どこかぜんとした雰囲気を残したままになっている。それがこの人物の個性であるとアイリィはわかっていたから、特に不愉快な気分になることはなかった。


「おかげさまで、不自由なくすごせています」


 アイリィがそういったのは本心だった。異なる国家のなかで、住民登録どころか出生証明書すら提出できない自分たちが、なんの束縛もなくこうして出歩けることは、せきといってよい。アイリィは、この親切な艦隊司令官と引き合わせてくれた神という存在に、心から感謝していた。もっとも、ふたりをこの状況に追いやった神がいて、感謝をささげた相手と同一人物であったなら、その謝意はまったくの見当違いということになるのだが。


 シュウ提督がアミシティアを案内してくれるのは、これが三度目である。前の二回は、案内役は彼女ひとりだったが、この日は同伴者がいた。司令官と同年の副司令官ミレイ・イェンである。


「どうやら、きょうは男をつかまえそこねたらしくてな」


 という異邦の提督に、どういうことか、とアイリィは顔でいったらしく、シュウ提督はその表情にこたえて、目的地に着くまでの時間つぶしにと、明栗髪の副司令官の、私生活の一片を暴露しはじめた。



 サヤカ・シュウに浮いた噂がまったくないのと対照的に、ミレイ・イェンは、その手の話題を周囲に提供するのに事欠かなかった。しかも、その内容は、一般的な良識モラルを、悪い方向に刺激するものだった。


「イェン副司令官は、男に貢がせているらしい」


 その相手の男も、特定の一名というわけではない、とあっては、その話に良い感情をもつことは、なかなかむずかしかった。


 話題の渦の中心にいるその女性と同居する人物からみれば、その噂が事実であるか否かは、あきらかだった。サヤカ・シュウの官舎では、どう見ても安物ではありえない鞄や装飾品アクセサリが、日を増すごとに、勢力を拡大していたのである。


 剣術や軍略について希有の才にめぐまれた若い司令官は、しかし、異性との関係性という分野にかんして、まったく知識と経験をもっていなかったから、眼前に作出された状況にどう対応すべきか、答えをだすことができなかった。彼女は、同居する副司令官の私行を非難するつもりはなかったが、相手の男に逆恨みされるようなことがあれば、小さからぬ問題に発展するかもしれない。とはいえ、正面切って問責する気にはなれなかったし、そもそもどう問えばいいかもわからなかった。


 シュウは小考のすえ、もっとも堅実と思われる方法をえらんだ。自分より多くの人生経験を有する人物にたずねたのである。


 若い司令官から予想外の相談を受けた銀髪の参謀長は、おどろきながらも、くわしい事情について二、三たずねたあと、こう答えた。


「なるほど、ですが提督もその気になれば、二桁をこえる男性を意のままにあやつることも、かないましょう」


 そういって笑うグライド・カムレーン参謀長に、深刻事ではない、との回答を言外にうけて、シュウはこの件に口出しすることをやめた。自分の一・五倍をうわまわる歳月をかさねている参謀長の肖像は、彼女に安心感をあたえるに十分な渋みをかもしだしていた。


 実際のところ、ミレイ・イェンの素行をざまに語るのは、直接彼女とかかわりをもっていない人物にかぎられていた。の男性はみな、彼女と有意義な時間をすごしたことを満足に思い、その謝礼の意味もこめて、贈り物を贈っていたのである。そして、その関係性は、凡人が想像するような低俗なものでは、決してなかった。男女が時間をともにすることを、恋愛、そうでなければ不純な関係に直結させることしかできない人間だけが、彼女を非難するであろう。


 とはいえ、イェンが物質的欲求を、によってみたしていた、という一面があることは事実である。事実であるが、彼女の経済的実情を知る同居人は、それをとがめようと思ったことは、一度もなかった。相手が納得している以上、それぐらいのことは許されていいだろう、とその淡墨髪の人物は思うのだった。



 アイリィはその逸話をききおえたとき、ひとつの疑問を感じた。自分の私生活に関する話をされてもなお無言を貫く寡黙なこの副司令官が、どうやって男性と良好な関係を築き、物品をのか、想像がつかなかったのである。もっとも、いつどこでも沈黙の堤防を堅守しつづけるわけでもないだろうから、案外、男性の前では饒舌になったりするのかもしれない。と考えてみたものの、脳裏にその図を描くことが、どうしてもできないアイリィであった。


 ミレイ・イェンという人物は、同居する艦隊司令官と同様、女性的な魅力に不自由していなかったが、それ以上に、人間的な魅力があるのだろう、とアイリィは思った。だからこそ、当事者の男性たちも、物を贈りたくなるのだろう。そして、一聴すると単なる暴露話にも聞こえるこの話が、淡墨髪の艦隊司令官による一風かわった戦友自慢であったのだろう、ともアイリィは思った。


 それ以外ではありえないのだ。異邦人であるアイリィたちをはじめ、他人に対する気遣いにことかかないこの司令官が、低俗な暴露話で同僚の評価をおとしめてやろう、という思考をするはずがないのだから。

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