「出発、来週だったよね」

「ああ、そうだね」


 二人の人間と一羽の鳥は、陽が落ちて肌寒さも感じられる国立公園の西側ウエスト入口ゲートに向かって歩いていた。北側入口を使えば自動ベルト歩路ウエイ路面電車トラムを利用してより早くあたたかい我が家に戻ることができるところ、わざわざ自分の足で歩かなければならない西側入口を選択したのは、より多くの時間を、友人と共有したかったからである。ふたりとも独り暮らしで門限などあるわけでもないのにそう考えるあたりは、恋人同士の思考とことならない。


「アルバユリア星域か。久々の辺境星域だね、それも端の端」


 アイリィが口にした星域は、一週間後、我星ガイア政府軍第一艦隊が、哨戒、未開惑星探査、軍事演習、無重力実験などの任務を携えて赴く場所である。別々の部門による複数の任務を同一艦隊の同一行がほうせつするのは、宇宙艦隊の超光速航行オーヴア・ドライブが消費する膨大な経費を最大限合理的に利用するためであり、アイリィの所属する特務陸戦部隊と、シュティが籍を置く生物科学班が、ともにその随行隊として名を連ねていた。


「アイリィと一緒に行く辺境星域は、フランクフォート以来だよね」


 ふたりの蜜月関係の出発点となった記念すべき星系の名を、シュティは口にした。


「そういえばそうだっけか。第一艦隊こつちに来てから近場の仕事はずっと一緒だったから、そんな感じしないな」


 …アイリィ・アーヴィッド・アーライルが大尉に昇進したとき、彼女は第六艦隊から第一艦隊への転属を願い出た。じつは第六艦隊司令官ルクヴルールちゆうじようからは、大尉をもって任をあてることが可能な全ての地位ポストを空けておくから、と言われており、その申し出をことわるために、かなりの精神的努力を必要とした。上官の怒気をおそれたのではなく、あの一件以来個人的な交流を深めつつあった信頼する提督の心情を傷つけるかもしれないことに、後ろめたさを感じずにはいられなかったのである。


 配下への心配りに確固たる定評のある美形の提督は、驚きかつ残念な表情を浮かべたが、無理に引き止めようとはしなかった。


「第一艦隊に、恋人でもいるのかしら?」


 提督は冗談の成分をこめてたずねた。


「まあ、そのようなところです」


 との新任大尉の返答に、一瞬だがさらに驚いた表情を上官が浮かべたのは、アイリィが私情を軍人事に持ち込むような人間であるとは思っていなかったからであろう。もっとも、アイリィの返答にも三割から七割ぐらいの割合で冗談の微粒子が混入しているように提督には感じられたので、特に深刻にとらえることもなく、だからといってほかの理由を詮索するわけでもなく、今後の変わらぬ連帯を約束して、提督は新任大尉を送り出したのであった。



 …その〝恋人のようなところ〟という地位を親友から知らないあいだに与えられていた生物科学少佐は、夕闇が連れてきた寒さに身を震わせていた。まだ冬の足音も聞こえない季節であるが、気まぐれな寒気がにわかに寄り道をしていくことは、この旧王都ではめずらしいことではない。


「だから、いつも言ってるじゃないか。この季節は上着持って来いって」


 そういうとアイリィは、自分の羽織っている上着を脱いで、このまま放置すれば風邪をひいてしまいかねない親友に着せてやった。


「ごめんね」


 その謝罪に直接は返答せず、アイリィは上着を脱ぐために背中から降ろした荷物に目をやって、独り言なのかどうか微妙な音量で言った。


「出発までに、コイツも手入れしておかないとな」


 他人の目にはそれとわからないよう巧妙にカモフラージュしてあるが、荷物の中身は、彼女の商売道具である闘槍であった。特務陸戦部隊の一員である彼女が、任務外でも武器を携行していることは、決して普通のことではない。これは特に有能と認められる特務陸戦部隊員にのみ適用が認められる特例であって、いかなる時でも武器の携行が認められるかわりに、その能力が必要な事態が突発的に生じたときには、現場に急行して対処をしなければならない。

 旧王都は西方大陸のなかでも都市化の進んだ人口密度が高い地域にあるが、それでも一般の警備兵では対応できない特殊な進化をとげた野生動物が市街地に迷い込んで、市民に害をくわえることがたまにあるのだ。


 闘槍の手入れは、当然ながら普段は自身でおこなうのが普通だが、長期の作戦にあたるときは、前もって専門の職人に念入りな調整をしてもらうように、アイリィはしている。武器の素材も進化し、昔のように時間の経過とともに劣化していくことはほとんどないが、可能な範囲の準備を怠らないようにするのは、彼女のプロフエツシヨナルとしてのきようであった。


 その職人の工房は、帰り道から少し外れた旧王都市街地の西区域にあった。

 アイリィは帰りに立ち寄ろうと思っていたが、予定を変更することにした。生物科学実験を取り仕切る士官が、から風邪をこじらせていては面目が立たないだろう、と彼女は考えたのだった。季節外れの寒気が親友の防御網を突破しないうちに、あたたかい家にたどり着く必要があった。もっとも、一週間後にはその家から離れ、星々の海に飛び立たなければならないふたりだった。


「五〇日の行程だけど、まあいつも時間は余裕をもって設定されてるから、順調にいけば四〇日ちょっとで帰ってこれるだろうね」

「そうだね」


 冷気と格闘しているほうの女性は、短い返答で親友の言葉に応じた。


 予定というものは、そこから大きく外れることがないのが原則であるが、狂うことがあるのも、また予定というものの除外できない個性である。ふたりがひとたびこの惑星を離れてのち、ふたたびこの地表に降り立つまでには、予定の実に数十倍の時間が経過することになるのであった。




 このふたりは、分野の違いこそあれ、な才能を有する点で共通していた。もし人間に才能を与えたもう神が存在するとすれば、しかし、彼女らに未来を可視化する能力までをも付与することはしなかった。後日、この日のこの交流が、我星政府領のみにとどまらない宇宙全体の歴史を大きくめいどうさせる発火点となっていたことを、ふたりはぜんぼうぜんの調味料で味付けされた感情をもってかえりみることになる。

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