「ねぇ、アイリィ」


 自分の名を呼ぶ声を至近に感じて、アイリィ・アーヴィッド・アーライルは、意識を一年前の政府軍本部からシルバーブレイト国立公園の臨海シーサイド区域・エリアにもどした。波音を散らす海に向けて設置されたベンチの隣で、親友とその相棒が困惑と心配の入り混じった表情で、視線を向けている。


「ああ、ごめんごめん。ちょっと考え事しちゃってね」


 正確に計っていたわけではないが、経過した時間が〝ちょっと〟という表現で済まない量であることは、アイリィにはなんとなく感覚でわかっている。もう少し思考の海に沈んでいたかった気もしたが、さすがにこれ以上、親友の寛容さに甘えるわけにはいかないな、とアイリィは思った。空を見上げると、人間の視覚でもわかるほどに、太陽はその位置を移動させていた。


 我星ガイア本星では、太陽は西から昇り、東に沈む。これは太陽となる恒星に対する自転の向きによって決まるもので、その方向が我星本星と異なる惑星では、当然、太陽の動きも逆向きとなる。生まれ育った惑星と逆方向へ太陽が移動する惑星をはじめて訪れた者は、コンパスで方角を確認して、学校で学習したことしかなかった現象に一種の感動をおぼえるのだが、なかにはそれが原因で体に不調をきたす者も存在する。太陽の移動する方角など、意識して確認しない限り気づきもしないことであるはずだが、人間の生活にもっとも大きな影響を与える天体の動きの違いは心身に大きな負担を強いうる現象なのかも知れない。数々の惑星を転戦するそうじゅつの名手も、はじめのうちは身体的な不調に悩まされることも多かった。もっとも、何度か経験するうちに変調を感じなくなっていったから、いわば「慣れ」によって克服しうるものであるらしい。


 その太陽は、着実に東の海に向かって高度を落としていたが、海面とせつぷんするまでには、まだ多くの時間を残しているようであった。


 可憐な親友は、うわの空になっていたであろうアイリィを、心配の感情をこめて数瞬のあいだ見やっていたが、とくに自分を放置して長時間の思考にふけっていた友人を非難するわけでもなく、やがて視線を飼い鳥の方に移して、おそらくさっきまでそうしていたように、黄緑色の小鳥とたわむれ始めた。



 宇宙に何百億と存在する〝ちくの友〟とでも形容されるのにふさわしい歴史ある友人関係とくらべて、海辺でたたずむこのふたりの結びつきは、その経過させた年月という点において、けっしてまさっているものではない。そのはじまりは、五年前までさかのぼる。

 そのとき、シュティ・ルナス・ダンデライオンは我星国立学校の生物科学学科を首席から三番目という好成績で卒業して政府軍の生物科学部門に所属し、精神的苦痛と身体的苦痛の二重奏で構成された過酷な訓練をこれまた好成績で修了して、新任の生物科学少尉として我星政府領辺境のフランクフォート星系に属する未開惑星の探査事業に従事していた。彼女はかならずしも軍隊へのあこがれを抱いていたわけではなかったが、経済的に良好な状況とはいえなかった故郷の両親に無理をさせて、星系をこえて我星本星の国立学校に進学させてもらった立場を考えると、自分の未来図のすみずみにまで我意の色彩を塗りたくることはできなかったのである。

 経済性を考慮して選択した進路ではあったが、小さい頃から興味のあった生物に関する知識や技術を駆使して人間の活動領域を光年単位でひろげていく仕事はやりがいがあったし、未知の生物との遭遇は、新鮮なおどろきをともなって、彼女の好奇心をこころよく刺激した。


 ただ、未知の領域での活動は、それなりの危険がともなう。それゆえに自身の安全を守る技術を修得するべく過酷な訓練がおこなわれるのではあるが、そもそも生物科学部門の人間は戦闘の専門家ではないから、かれらの棟外活動(専用の研究棟外における活動)にあっては、ほぼ例外なく実戦部隊が同行することになっていた。

 シュティ・ルナス・ダンデライオンの生涯最初の未開惑星探査においても、彼女が所属する生物科学班とともに、特務陸戦隊――対人戦のみならず対獣戦においても高水準の能力を有する政府軍の陸戦部隊である――がフランクフォート第三惑星に降りたった。彼らはその役割から誰もが平均以上の体格の持ち主であって、その恵まれた身体を無言のうちに自慢しながら整然と歩き去るのを、シュティはなかばぼうぜんと見やっていたのだが、その列のなかに、隊員の平均身長を大幅に引き下げている人物を見つけた。

 自分とほぼ変わらない一五〇センチメートルをようやく超えようかという背丈に、筋骨隆々という表現とはまったく無縁の上半身と下半身。濃い茶色の、やや長めの髪。最小限の化粧をのみをほどこしているようであったが、それで十分である、といわんばかりの外形的美しさをもつ、少なくともシュティにはそう感じられた、それは女性であった。その女性が、自らの身長をうわまわる長さの闘槍を背中に斜めにしてそなえ、五〇センチメートルほどは身長の差がある人間の壁にかこまれて、されする様子もなく平然と下命を待つ姿が、いつのまにかシュティの視線をとらえてはなさなくなっていた。


 小柄な身体をたくみに操作して闘槍をふるう姿を見て、シュティのその女性に対する興味は深度をさらにふかめることになったが、生来、未知の人物との関係を積極的に構築する才能に欠けていたシュティは、その感情を自分にとってのみ意味のあることとして、秘密裏に処理してしまおうとしていた。そのようななか、彼女は、地上任務中には仮設宿舎代わりにもなっている航宙巡航艦の自室に、当時軍曹の階級にあったその女性の訪問を受けることになるのである。


 その女性は、シュティがそうであったのと同様、自分と同年代と思われた、軍の人間としては異質ともいえる小柄な女性を目にとめて興味をいだき、わざわざその所在を尋ね、休息の時間を犠牲にして、その興味の対象を訪ねてきたのであった。任務内外の時間を共有するうちにふたりの有する気質がきわめて相性のよいものであることはすぐに判明し、その関係は当人たちも後々顧みて驚くほどの加速度をかけて親密さを増していった。その交流はアイリィ・アーヴィッド・アーライルの昇進と転属によって職場がひきはなされたあともかわることなく続き、年月を重ねて築き上げられた親愛と信頼のろうかくは、はでさこそ及ばないとしても、他者のそれらを寄せつけないほどにけんしゆんこうなものになっていたのである。



 そのようなふたりの交流にとって、会話はかならずしも必要不可欠な成分ではなかった。むろん言葉を交わさないわけではないが、ありふれた友人関係においてよく存在する、相手に自分との会話を強要するような狭量さと、ふたりともが無縁だった。というより、ふたりの心の波長は、言語のしょくばいを介さずとも、おなじ空間にいるだけで絶妙に混ざり合い、ここちよい空気を醸成することができたのである。「沈黙は金、雄弁は銀」ということばは、本来、しかるべからざる時に不用意に口を開くことをいましめた成句であるが、友人関係の深さにも援用することができるのかもしれない。


 もっとも、純然たる金がいくら希少で貴重なものであるとしても、そればかりをでているようでは、精神的満足度は低下してしまう。かつてフランクフォート第三惑星で将来親友となるべき人物のもとを訪ね、いまシルバーブレイト国立公園の臨海区域にたたずむ女性は、ベンチのとなりに座る親友が、銀を欲していることに気づいていた。むろん友人がそれを強制したりしない人物であることはわかっていたが、気づいていてそれを分かち合わないという心の狭さを、アイリィは持ち合わせてはいなかった。


「なあ」


 ところが、一年前にさかのぼっていた思考を完全には現在に引き戻しきれていなかったアイリィは、その思考と親友に対する気遣いが混線をきたしてしまい、突然すぎる質問を思いもよらず投げかけることになった。


双頭獣バージェストって作れるのか?」


 もし人間の体にそのような機能がそなわっていたとしたら、シュティはその綺麗な大きめの目を、ふたつの小さな点に変化させたであろう。彼女がそうしなかったのは、そのための身体的構造を持たなかったからにすぎない。


「双頭獣? 冥界の番犬の?」


 場所と状況の双方にふさわしくない疑問に、質問を受けた生物科学少佐は失笑しかけたが、となりに座る友人の表情が意外に真剣だったので、ひらめきかけた笑いを喉元におさめ、完全な休眠状態にあった仕事脳をたたきおこして、その真剣さに応えるべく努力をはじめた。知識の広汎さという点において彼女は友人の足下にもおよばなかったが、こと生物分野にかんしていえば、その頭脳は友人をりようしているのだ。


 若くして生物科学少佐の地位をえたその女性の回答はこうであった。


「作ろうと思えば、無理矢理できないことはないと思うけど…」


 環境に対応させたり、病原菌ウイルスなどに対する抵抗力をそなえさせる目的で、生物に遺伝子操作をおこなって新種をうみだすことは、人類が宇宙に進出する以前からなされているが、伝統的トラデイシヨナルなこの方法には限界があり、頭部を二つにするといったような生物の基本的構造を変更するような効果を得ることはできない。物理的にくっつけようにも、単に飾りの頭をふたつ持たせるだけならともかく、動物の頭部として正常な機能を有したまま後天的に移植するのは、現在の科学水準をもってしても不可能である。

 可能性があるとするなら、母体の胎内にふたつの生体がいる状態で、まだ身体構造が完成していない時点で外的に操作を行い、胴体(になるべき部分)をひとつにして結合させる方法である。この方法であれば、まだ身体構造が完成していないため、ふたつの頭部とひとつの胴体が胎内で結合したまま、その機能を正常に成長させることが可能であるかもしれない。また過去には、毒性を有する劣悪な薬剤の副作用によって、胎内での発育に異変をきたし、本来であればふたつの独立した生命として誕生すべきだったにもかかわらず、一胴双頭で母体から出生した哺乳類があったという報告も残されている。ただしいずれにせよ、ひとつの個体にふたつの頭部が存在することで生命活動にどのような悪影響が生じるともかぎらず、だいたい、そのような生物の尊厳をいちじるしく損なうような実験はりん的な観点から生物科学部門においても禁止されており、実証するのは現実的に不可能であった。


「…ってところかな。何か、そんなこと気にするようなことでもあった?」


 分野が限られてはいるものの、見た目のれんさからは想像しづらい優秀な頭脳をそなえる生物科学少佐のその疑問は当然のものであったが、聞かれたほうには素直に答えるわけにはいかない事情があった。


「ふーん、いや、なんでも。ちょっとで見て、気になってね」



 …ヴァルバレイス号でのきょうの直後、くうに二名の脱出者を輸送する脱出ポットを回収した我星政府軍第六艦隊旗艦ヴァンステイド号のなかで、アイリィ・アーヴィッド・アーライル〝少尉〟はメアリ・スペリオル・ルクヴルール第六艦隊司令官ちゅうじょうと数少ないながら会話する機会をもった。これは過酷な逃走劇の感想を共有するためでも、将来に向かって両者のちゆうたいをふかめるためでもなかった。後者に関しては、結果的にその効果を得ることにはなったが、若くして提督の称号を帯びるその司令官が、事件の処理に忙殺されるなか、生命の恩人との会話の時間をつくるよう努力をはらったのは、冥界の門をくぐる直前でかろうじて現世に引きずりもどすことに成功したその生命を、将来に向かってもたもちつづけるためであったのだ。


「双頭獣のことを、なるべく他言しないように、と…?」

「ええ。事件について軍から事情をかれる段階でも、できればね」


 上官の指示の真意をとっさにはかりかねた小柄な少尉は、当惑の表情をもって、かつての護衛対象であった司令官中将にかさねての説明をうながした。

 だが、茶髪の提督は、このときは詳細な説明を避けた。相手に対する非好意が意思伝達を阻害したわけではない。ルクヴルール中将自身でまだ思考を整理しきれていない面もあったが、何よりも、時間が圧倒的に不足していたのである。脳内で無秩序な合唱を奏する情報を整然とととのえた美形の提督が、決してこころよいものとはいえないその成果をれきするのは、我星本星に帰投してから半月後、我星政府軍本部の第六艦隊司令官室においてのことである。


 よって、このときのルクヴルール司令官中将の発言は、先刻の指示を繰り返すのみにとどまった。事情聴取の流れ如何いかんによっては強引に隠し通そうとすると担当官のさいを買うことにもなりかねないから無理をしないように、との注釈を付け加えはしたが、当然ながらそれをもって部下の疑問を解消させることはできなかった。もっとも、そのことがアイリィの上官に対する信頼感をげんさいすることはなかったので、小柄な少尉は司令官中将の指示を忠実に守った。


 結局、事情聴取の担当官は刑事的もしくは探偵的な勤勉さに欠けており、最低限の職業的義務以上のことをおこなわなかったので、アイリィが困難な選択を迫られるような状況はあらわれなかった。さらにいえば、悲劇の舞台となったヴァルバレイス号は、外部から電子情報を取得する以外の調査をまともに行わないまま、修理能力を有する軍用宇宙港までえいこうすることが困難であるとして事故宙域において爆沈処理され、仮にアイリィが真実を暴露しようと思ったとしても、そのきっかけとなりそうな事象は、急速に減衰していったのである。



 …もしそのきっかけというものが訪れたとしたら、偉大なる王家の父娘を祈念したこの公園で、図らずも親友に余計な質問を発してしまったまさにこのときであったであろう。だが、彼女は、このれんな親友とより多くのことを共有したいと思ってはいたが、あえて幾多の種類の危険性を内包した政略や謀略の領域に友人をひきずりこむつもりはまったくなかったから、差しさわりのない、しかし他人からすれば自然さと説得力の双方に欠ける言葉で親友を煙に巻こうとしたのであった。


 むろん、その親友はアイリィの返答に納得しなかったが、とくに追及する気にもなれず、話題を平凡な世間話に転じた。多少ふらつきながらも、二つの言葉の車輪はやがてなめらかに軌道に乗って走りだし、その会話から異様さと特殊さは急速に減衰していった。陽光のあたたかさと潮風のやわらかさにふさわしい穏やかな時間が、海岸線のベンチを支配していった。

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