第38話 呪われた世界を救うたったひとつのあり合わせのやり方



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 ハハルル・ファスファス博士がはじめて魔国の『計画』のことを聞かされたのは、いまからおよそ四十年近く前、中央教会暦一八三二年の冬のことだった。


 その頃、彼女は西の連邦の魔術大学院に院生として籍を置いていた。

 種族ごとの魔術文化の比較史を研究していた彼女のもとに、魔王は突然現れた。


 当時の魔王メモリアルスⅢ世は、魔国内の王政復古運動を経て王位を継承したばかり――彼は学者としての国際学会での研究発表と、王族としての新連邦の現地視察を兼ねて彼の地を訪れていた。自らが追い求める新しい国づくりのため、魔王は相応しい人材を探していた。

 そこで学界期待のルーキーと呼び声高かった若きハハルル博士(そのときはまだ博士ではなかったが)に白羽の矢が立ったのだった。




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 ハハルル・ファスファスの来歴をあまり詳しく述べることはできない。

 彼女自身もまたその全容を把握しているわけではないからだ。

 彼女の数奇な半生は、帝国と魔国、人間と魔族、そしてその他多くの種族との軋轢にもてあそばされてきた。


 生まれたときの正確な日時は分からないという。

 ただ最初の記憶にあるのはひどく寒いどこかの小屋で、両親に代わる代わる抱かれていた情景だけがときどき朧げに目に浮かぶことがある――そう彼女は言った。


 ハハルルが生まれたのは魔国のさらに辺境にある北方妖精の隠れ里だった。

 放浪生活のなかにあった両親が見つけた束の間の安息地だったのだと、のちに物心がついた頃、彼女は母親から語って聞かされた。


 ハハルルの両親はふたりとも混血種だった。

 母はドワーフとゴブリンのハーフ、父は人間とエルフのハーフ――つまりハーフエルフだった。彼女の小柄な身体は母親から、長命さと明晰な頭脳は父親からそれぞれ受け継いだものである。


 彼女が生まれる以前の両親がそうであったように、新しくひとり娘を迎えたあとも一家は各地を転々として生活した。


 神聖帝国では歴史的に人間以外の種族を迫害していたし、魔国でも族長をトップとした各種族ごとの結束が強く(彼らもそうしなければ生き残れない事情があったのではあるが)、どこの種族に属するともいえない彼女の家族は、なるべく身分を隠して放浪を続けるほかに道はなかった。


 困窮する生活のさなか、まず父親が死んだ。

 ハーフエルフであった父親は死に際して、自分が死んだらその長髪を切り取って売ってくれと言った。妖精種特有の魔力に起因するエメラルド色の美麗な髪は、一部市場で高価に取り引きされていた。また、彼が持っていたエルフの宝石も希少な価値があった。


 ハハルルと母親は父親の遺言通り髪と宝石を売って多少の資金を得、それを元手に西の大陸へと渡った。西の大陸には建国して間もない新国家である連邦があった。


 西の連邦は亜人種デミ・ヒューマンの国として栄えていた。

 そこには帝国にあった人種差別や魔国的な種族のしがらみはない。

 ハハルルは奨学金を受けて学校に入り、母親も魔導兵器工場で働き始めた。

 生活は落ち着いたかに思えた。


 しかし、やがて母親も病に倒れる。

 放浪していたときに比べれば住まいも収入も安定していたとはいえ、魔国の山奥、ドワーフの里出身の彼女にとって工業社会である連邦の暮らしは、いずれにしろあまり長く続けられるものではなかったのだ。

 ハハルルの大学進学が決まった頃、母親は静かに息を引き取った。


 なぜ父と母は死ななければならなかったのか。

 なぜ大陸に自分たちの居場所はなかったのか。

 そんな思いを抱いたまま彼女は学究に没頭し、その秘めた才覚をめきめきと発揮させてゆくことになる。


 それから数年後、ハハルル・ファスファスは魔王と出会った――。

 



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 魔王はを立てていた。


 人間中心の世界で差別的な扱いを受ける魔族の現状を憂慮していた魔王は、魔王城のシステムを使い、魔族が繁栄する世界へと、世界線そのものを書き換えることを画策していたのだった。

 今回の帝国への侵攻はその計画の布石ということだったらしい。

 それは単なる世界征服というものではなく、この世界を魔族の棲みよい環境へと最適化しようという計画であった。


 『魔界計画』――。


 そう呼称されたこの巨大事業は、魔王城玉座の間の魔力召喚装置をかなめとし、全魔族の命運を賭して決行された魔国の一大プロジェクトであった。

 派手な侵略戦争の水面下でひっそりと、しかし着実に計画は進められていた。


 そのために世界中の地脈を確保し、西の連邦という傀儡国家まででっち上げたのだった。陰謀論どころの話ではない。知らぬは帝国側ばかりであったのである。



 中央教会暦一八三三年。

 魔王直々の誘いによりハハルル・ファスファスは〝魔族〟として魔王城に入った。


 魔王メモリアルスⅢ世は、先王の時代から魔王城を仕切っていた賢老院の老人たちを内政改革によって粛清した。

 代わってハハルルはひとり〝大賢者〟の地位に就き、以降、『魔界計画』推進の中心的役割を果たしていくことになる――。 




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「構想されていた計画では、魔王様という強大な存在が、ある一点の〝くさび〟となって、書き換えられた世界を維持することになっていた」


 ハハルル博士が語る。


 ついに。

 ずっと引き伸ばしにされてきた例の『計画』が、ついに明かされようとしている。


 ――それは分かるのだけども、こうもさらっと説明されただけでは〝世界を書き換える〟というのがどういうことなのか、イマイチよく理解できない。それはなにも俺が愚かなだけの話ではないと思うのだが……。

 いや、俺が愚かであるのは自他ともに認めるところであるとしてもだな……。


「『魔界計画』は魔族にとって〝ありえたかもしれない理想世界〟を現出させる方法だった……。世界は無数の偶然によって成り立っている。それら偶然を魔術的演算処理によって書き換え、別のルートを組み直すのだ。それは魔族が人間を支配したり、人間の差別意識を矯正するよりもずっと穏当な方法となるはずだったのである」


 自らの生涯を明かしたあとの博士はやや悲愁にとらわれたような顔つきを見せた。

 それでも彼女は計画の真相を語ることを止めない。


「なるほどな。その演算処理のために、魔王城全体が世代をいくつも飛び越えたスーパーコンピューターみたいになってるってわけか」

「穏当……。穏当……? いや、それ全然穏当なんかじゃねえよ、それ」


 ハハルル博士の説明にこたえたのはそれぞれミリアドとリーズンだった。

 両人とも言及している観点は違うが、話の内容はよく理解しているようだった。

 …………俺と違って。


「世界を書き換えるというのは、言うまでもなく前代未聞の大魔術である。異世界から魔力を召喚させる術式を研究する過程で見出されたそれは、基本となる術式や魔法陣を遺して、ここ魔王城のラボで理論上の副産物として長いあいだ死蔵されてきたのであるが、魔王様が魔術史を研究されるなかで再発見され――」


 おっと、なんか話が脱線し始めた気配がする。

 このちびっ子博士、興が乗り出すとずっとしゃべってそうだからな。


「ちょ、ちょっと待ってくれよ。それでなんで俺に世界の全部をくれるなんて話になるんだよ!? 全然ついていけないんですけど!?」

「むう。これからボクが計画に着手した頃のことを話そうとしておったのだが……。これは本来なら魔国の最高機密なのだぞ? 分かっているのであるか?」

「だから俺は別に魔王城の秘密を解き明かすためにここにいるわけじゃないんだって!!」


 それに、聞いててもよく分からんし。


「…………よかろう」


 ハハルル博士は不承不承といった様子で俺の問いかけに応じてくれた。


「『魔界計画』においては、魔王様が〝楔〟となり、書き換えられた世界を維持する予定だったと言っただろう?」

「あ、ああ。それもうまく理解できないけど、要は新世界の神的な……?」

「その〝楔〟の役をお前にやってもらおうというのだよ」

「…………??」

「〝楔〟という表現がしっくりこないなら、そうだな……ヒューマン、お前にこれから新しい世界の『主人公』になってもらう、とでも言えばよいか」

「は」


 なおのこと意味が分からないです、せんせい。


「魔王様がいなくなってしまったいま、世界の理を覆し得るのはもはや聖剣の力くらいしか残されてはいない―――そしてその力を行使することができる者はお前だけとなってしまった。〝楔〟の執行は魔術的に特別な存在にのみ許される……。つまり人間の勇者よ、お前がそこに収まるしか手立てはないのであるよ」

「いやいやいやいやいやいやいやいや。ないから、それはないからっ! っていうか、聖剣が使える勇者ならリーズンもいるじゃん!?」


 俺は激しくかぶりを振って部屋の脇にたたずむリーズンを指した。

 するとそのリーズンはというと、俺の指摘に少しの動揺の色も見せず、何がおかしいのか、いつもの厨二病的笑いを漏らすばかりだった。


「くっくっくっ、オレ様は番外の零番勇者。その聖剣は神託の有無にかかわらず発動する……。いわば例外中の例外。確かに扱えるのがその代の者だけという条件は他の聖剣と同じだが、昔、中央教会からもたらされたということ以外その正体すら詳らかになっていない〝贋聖剣フェイク〟とでも呼ぶべき代物だ。こういうケースには使えないだろう……。前にも、そう言ったはずだろう?」

「言ってねえよひと言も!!」

「……そうだったか? 悪いな」

「そういう裏設定みたいのマジやめろよお前!」


 あと、急に饒舌になってんじゃねえ! オタクか!


「………………それ、ショア君が言える台詞ですか?」

「うぐっ」


 俺がリーズンにツッコんだつもりが、逆に俺のほうがヨーリにツッコまれた。

 冷ややかに俺を見つめるヨーリ。

 魔王封印準備のときの俺の聖剣の話をまだ根に持っているようだ。

 その件は悪かったと思ってる。

 だからその非難めいた視線をやめてほしい頼むから。


「往生際が悪いぞ小僧。こんな方法、ボクとしても不本意も不本意の極みであるし、まったくあり合わせの不確実な緊急手段である。それでもいまあるリソースとメンバーでできる最善の方法であるのであるよ」


 続けざまにハハルル博士にも非難される。

 段々と俺の味方が減っていく。

 嗚呼、こんなときセーミャがいてくれたら(すぐ横にいるにはいるけど)。


「あの、そのメンバーというのには私たちも入っているのですよね……?」


 ヨーリがこわごわと質問する。


「当然である。さきほど役割を振ったであろう。不満であるか?」

「あ、いえ。その役割に不満というか、私、体力的にそろそろ限界で……くっ……」


 言いながらヨーリは支えを失ったように頭を押さえてふらつく。

 立っているのもギリギリといった感じに見える。本当に限界のようだ。

 咄嗟にミリアドが彼女の肩を抱くが、


「ヨーリちゃん、大丈夫か!? ……と言いつつ俺っちもあんっまし……余裕ないかもっつーか……」


 と言って、ふたりでへたり込んでしまう。

 平気そうな顔だったが、ミリアドも結構無理をしていたらしい。


「あのうー、私のこともちょっと気にかけてほしいかなーって……」


 魔力切れを起こしているグレイスも弱々しげに音を上げる。

 呪いの気は少しずつ俺たちを侵蝕していた。


 呪いの影響に関して、俺は平静なのかと問われればまったくの無事——とは言い切れない。だけども、聖剣の力によって汚染はだいぶ緩和されているようだった。

 聖剣の加護というのは伊達ではないらしい。

 にもかかわらず、同じく勇者であるはずのリーズンが率先して無気力になっていたのはよく分からないが――あ、あいつが持ってるのって贋物なんだっけ。


「むう、ヒューマンは軟弱であるな……。これを服用するとよろしい」


 そう言ってハハルル博士が機械の陰から取り出したのは複数の小瓶だった。

 受け取って光に透かして見ると、瓶はどれも色の付いた液体で満たされていた。


「これは……ポーション……?」

「ふむ。魔国製ポーション、混ぜ物ナシの純度100%。物資不足だった昨今の帝都では手に入らないであろうぞ。飲めばたちまち体内は魔力で満たされ、精神力も回復!これを飲んでバリバリ働くがよろしいっ!」


 通販みたいなことを言って渡されたポーションを若干怪しみながらも俺たちはありがたく頂戴した。まさかこの流れで毒を盛られるということもないだろう。

 しばらく心の平静を得た俺はあらためてハハルル博士に尋ねた。


「で、百歩譲って、俺が魔王の代役をやるのはいいとしよう……。でも。でもだよ、どうしてそれが呪われた世界を救うことにつながるんだ? 『魔界計画』とやらが魔王不在の状態で完遂されてしまうだけなんじゃないのか?」


 俺の疑問を博士はスパッと切り捨てた。


「この愚か者め。ボクとて何も『魔界計画』の魔術をそのままやろうというのではない。だいたい魔王様がいなければ世界書き換えの術の発動は無理だ」

「じゃあどうやって……」

「うーん……」


 そこでハハルル博士は腰掛けた回転イスをくるくると回し始めた。

 あのう、博士?


「……めんどい」

「え?」

「説明するのがめんどい」

「ええええ……。だっていまのいままで散々語ってたじゃないですか!」

「あー、だってそれはお前たちが知らない情報を披露していたから語り甲斐があったのであってなあ……」

「いやいやいやいや、まだ明かされてないこと沢山ありますって」

「ええー。でもボクの見た感じ、ホントに分かってないのってもうお前だけなんじゃないかって気がしてるのであるがー? るがるがー?」

「へ?」


 そう言われて他の面々を振り返ると、全員うんうんと頷いている。

 えっ、マジで!?

 理解できてないの俺だけなの!!??

 俺以外みんなこれから何をすればいいのか承知してる感じ????


「貴様は既知の知識から補って想像するということを知らないのであるか?」

「いやあ、まあ、ははは、はははははっ……」

「愚かな人類代表とは呼んでいたが、本当に勉強ができなそうな奴であるなあ……」


 ハハルル博士は子供を慰めるような態度で俺を見る。

 博士が俺に向ける感情は呆れからよりうんざりしたものに変わりつつあった。


「だからまあ、そういうわけであるからして、諸君よろしく頼むのであるっ」


 ハハルル博士の宣言によってその場はいったんお開きとなった。

 


 世界を書き換えるとか主人公になるとか、理屈が不明な以上に全然実感が伴ってこないのだが、ここで俺に言えることはただひとつ。

 物語終盤になって悲劇的な生涯を独白するのは死亡フラグの他の何ものでもないからよしておいたほうがいいということだ。




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